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雑記帳(過去ログ)
2017-10-14 の記事 - 2017-10-14
二大ヘイ党の危機の中で誕生した立憲民主党ですが、私は大いに期待しています。その一方、全く期待していません。
政党をレストランに例えるなら、立憲民主党の食事は食べることができ、かつ食べても倒れないものであってほしいと私は考えます。そういう意味で、この党には大いに期待しています。一方、味の方はこの際まずくても仕方がなく、少しでもおいしいメニューがあれば儲けものと考えています。そういう意味で、この党には全く期待していません。
レストランにおける食用可能な食事とは、すなわち政治では「立憲主義の尊重」「レイシズムの推進をしない」ことを意味します。これらは本来なら最低限度の条件であって、それすら守れない政党は猛毒入りの食事を提供するレストランと同様にみなされるべきものです。
ところが現状、その当然のことすら守れない政党が議席の多くを占めようとしています。したがって、味はともかく食べることはできるメニューを提供する政党を応援する必要があるのです。

ただ、私は立憲民主党を含む立憲野党、または今後結集するかもしれない立憲主義勢力には頑張ってほしいと考えていますが、そうした勢力が二大政党となることは特に望みません。それどころか、協力関係と選挙制度の両面で二大政党に限らない形を追求してほしいと考えています。
二大政党制とはすなわち、ポピュリズムの政治です。性質上も制度上も、風を起こし人気を得た方が1割2割の支持を獲得すれば大勝することができます。
ポピュリズム政治が絶対に悪だとまでは言いませんが、こと日本においてこれが極めて悪い方向に作用したのは間違いありません。なぜなら、日本におけるポピュリズムとは人種差別主義であったためです。まずは在特会に支持が集まったのを皮切りに、今までは一応まともとされていた政治勢力がそれに参入し、どの勢力がどれだけ派手に、残酷に、徹底的に、狡猾に、公に、差別できるかどうかを競い合うような状況となってしまったのです。
日本で適切な二大政党制が定着する可能性があったかどうかでいえば、絶対なかったとまでは言い切れません。民主党が政権を取った後、自民党が経団連政治を反省し、社会福祉や多様性を訴える方向にかじを切っていれば、そして民主党もその方面から競い合うようになっていれば、そして両者とも絶対に差別を容認しなければ、あるいはもう少し健全な政治があったかもしれません。
しかし、現実の自民党が選んだ道は「ヘイト化」でした。結果、自民党はたちまちのうちに中道保守政党から排外主義レイシスト政党へとその姿を変貌させ、しかも悪いことに民主・民進はそれに追随しようとする勢力と差別を拒む勢力が綱引きをする状況に陥ってしまい、全く明確なポジションが取れなくなります。民進党のそうした立場を象徴するのが、例の国籍問題問題に関する署名付き怪文書などをはじめとする自党代表差別です。
そうして政治が差別主義を推し進める中、投票者は選挙において決断を迫られることになります。すなわち、小選挙区において二大勢力のうちまだしも差別がマシな方を選ぶか、または確実に死票になると分かっていても差別とは無縁な者に入れるか、そのどちらかを選ばねばならないのです。
戦略的投票からすれば、前者を選ぶことこそが適切な投票行動とはなります。しかし、それは一応の差別勢力に投票することでもあり、差別ポピュリズムを止める方向には作用しません(実際、今回の件ではその党の人間の多くをヘイト政党に持っていかれる結果となりました)。かといって後者を選べば、差別の度合いが高い方を落とすための票がその分死票となってしまい、結局は差別政党がより有利になりますから、やはり差別が激化することになります。
実際には差別に反対する人々もかなり存在することは、参院選における有田氏の得票などを見ても分かります。選挙制度などの関係上、それを民意として示す方法が極めて限られてしまっているのです。

こうした流れはよく「右傾化」といった言葉で説明されますが、私はそれでは適切ではなく、「レイシスト化」の言葉を使うのが適切であると考えています(レイシスト政党を「極右」と呼ぶなら、極右化とは言い換えられるでしょうが)。
なぜなら、これが右傾化ならば「差別は日本の恥である。誇りある日本のため、断じて差別は許さない」「強い日本経済のためには、観光業その他の産業を邪魔し、日本の評判を落とす差別など不要」という意見が保守の間から生まれてきて本流の主張となるか、少なくとも差別勢力と十分張り合えるだけの力を持っていなければおかしいためです。
ところが、日本ではほとんどそのような流れにはなっていません。これはすなわち、日本における自称「保守」はほとんどレイシズム・排外主義とイコールであるか、または我が身を「保守」するためなら差別主義にでも何にでも魂を売るか、そのどちらかでしかないことを意味しています。否定する者もいるかもしれませんが、反差別の市民とリベラル議員が体を張って差別に対抗していたその時に、たかだか身内の暴走すらも止められなかった「保守派」とやらがそれを否定するなら噴飯ものです。
無論、その「レイシスト化」の源流自体はずっと昔から存在していたはずで、最近はそれが平然と表に出るようになっただけではあります。しかし、犯罪をやりたいと考える者が多くても、実際に犯罪が起きない都市は犯罪都市ではなく、犯罪がなされるようになった都市を犯罪都市と呼ぶように、レイシズムを平気で表に出せる社会状況はやはりレイシスト化していると表現するに足るものです。

これらのあだ花が、自民党とその補完勢力である小池ヘイト党による二大ヘイ党で、しかも同様に補完勢力である維新は「透析患者は殺せ」でおなじみの長谷川豊を立てるなど、国籍・民族・難民・貧困・性別・性的立場・難病などヘイトよりどりみどり、おぞましい限りの状況です。
しかも今回、自民党・小池ヘイト党(または維新)・共産党の構図となった選挙区も結構あり、前者2つはレイシスト、かといって共産候補では強い区でない限り死票となる可能性が高い、という頭の痛すぎる選挙戦です。民進ならまだ差別に徹底して対抗する人々が党内におり、鼻をつまむこともできましたが、小池ヘイト党は完全なるレイシスト政党かつ補完勢力ですからまた話は別です。
やはり自分の票をレイシストの武器にはできないので死票と知りつつ共産にするか、小池ヘイト党が元民進議員を抱えきれなくなって破綻することに賭けてあえてレイシストに武器を渡すか、あるいは小池ヘイト党より自民党の方が少しはマシと考えてレイシストに武器を渡すか、そのような実に非建設的な投票行動を取らざるを得なくなっています。
なお、私はこの構図ならば確実に共産を選びます。自民党と小池ヘイト党がレイシスト政党である以上は戦略的投票にこだわる意味はなく、そうした政治ごっこのために何の罪もないマイノリティの身の安全を勝手に売り払うわけにはいきません。死票として捨てられた民意となってしまうのでしょうが、仕方ありません。

そして、レイシズムは誰にとっても決して他人事ではありません。「透析患者は殺せ」であったり、相対的貧困を取り上げた番組に出た当事者が攻撃の標的にされたりすることからも分かるように、外国にルーツがある者の排除、障碍者の排除などが終わった後に待っているのは、病気や貧困などに苦しむ人々に対する排除です。
その過程で、LGBTの権利向上など何らかのパフォーマンスを並行しつつ排外主義化を進める可能性もありますが、これは「ピンクウォッシュ」と呼ばれる手法です。実際、こうした切り崩しや分断の手法はポピュリズムの王道と言ってもいいものです。ある属性の人々が差別されパージされる社会など、その他の属性の人々にとっても安全で平和な社会ではあり得ません。
日本においてレイシズムは常に軽視されてきましたが、沖縄いじめや貧困者叩きなどの源流は要するにこれですし、国家を戦争や摩擦に至らしめ、「非国民」の排除に走らせるのもまたこれですから、いい加減に最大のテーマの1つとして本気で立ち向かっていかなければ、そう遠くないうちに国や生活を食われることになるでしょう。
したがって、私としては二大政党を志向するよりマイノリティの声も無駄にならないような選挙制度こそが望ましいと考えていて、かつ各々が得意分野を持つ反ヘイト勢力が連合を組んで事に当たるような政治状況が、現状で可能な範囲としては最もまともであろうと考えています。

2017-10-07 の記事 - 2017-10-07
Ryzenの語を使ってクロスワードを組みたくなったので組み立て、組んだはいいものの捨てるのはもったいないので問題を作り、ECMAScriptで適当にプログラムを書いて動作するクロスワードに仕立ててみる。実にいい加減ですが、プログラムを書く人間などこんなもの。

Coffee Spring Crossword

そういう動機のため、設問は技術関連(動機が動機なので、どちらかといえばハードウェア)が多めです。古いのから新しいのまで。クロスワードはその性質上、答えが分かる問題はそのまま別の問題のヒントになるので、あえて色々バラけさせています。
特に理由はありませんが、なんとなく問題を切り替えられる仕様として実装したため、もともとの問題(通常)に加えて練習問題と大きめの問題をついでに作成し、さらにおまけとして技術系の知識がない人でも挑戦できる問題も作っておきました。
なお、名前は以前にJavaで書いたCoffee Crossword(なぜCoffeeかというと、Javaだから)と、このほど登場したCoffee Lakeを掛け合わせた洒落です。どうでもいいですが。

で、一番楽しかったのは問題をプログラムコード化するためのGroovyコードを書いた時、という無残ぶり。
やはりECMAScriptは嫌いです。あらゆる点で私が求めるものの正反対。進化速度はなかなかのものですが、いくら進化しようと焼け石に水。
私があまりこの手のを書かなくなったのは、Javaは過去のものとなり、Flashも終点が定められ、それでいて代替技術としてしっくりくるものがないため、というのがかなり大きいです。

2017-09-29 の記事 - 2017-09-29
日本人として現代に生まれ、日本に育ち、日本で選挙権を手にした、という日本のマジョリティにとって、選挙権とは実に「軽い」権利です。ただ口を開けているだけでも、成人年齢に達しさえすれば勝手に転がり込んできますし、誰が適当か考えて紙に候補者名・政党名を書いて入れればいい。ただそれだけのものです。
しかし、日本にはそんな「軽い」権利をも持つことができない、または原理上は持っていても行使することが困難な人々もいます。
例えば、様々な理由により日本で暮らしている外国籍の人、こと在日韓国・朝鮮人といった人々は、日本人として生まれたならば口を開けていても当たり前に手に入る権利を有していません。あるいは、知的・精神的障碍を持っている人の中には、「選挙制度を理解し、誰が適切か考えた上で一票を投じる」ということが困難な人も存在するでしょう。
そして、政治が差別主義や排外主義に傾いた時に、直ちに生活の平穏を脅かされ、命の危険にさらされることになるのが、まさにその彼らのようなマイノリティなのです。これはナチスなどの歴史も証明していますし、今の日本でも現在進行形でなされています。
彼らは「投票」という最も直接的な民主主義の手段によって、自らに降りかかる危険を回避することさえできません。ただ口を開けていても投票権が得られ、それを行使できる人々の投票行動によって、自らの生活が脅かされるかどうか、生命の安全が脅かされるかどうかが変わってしまうのです。
したがって、私はそうした人々に恥じないような投票行動をしなければならないと考えていますし、それはまた権利を持ち行使できる者の務めでもあると考えています。

私が野党共闘を支持し応援してきたのはなぜか。言うまでもなく、「立憲主義の尊重」は大きな理由の一つです。立憲主義が守られなければ国民の権利など容易に踏みにじられてしまいますし、さらには緊急事態条項が通れば日本は終わります。それをさせないための手段として、野党共闘は極めて重要な手段であると位置づけられるものでした。
そしてもう一つ、私が重視するものとして「多様性の尊重」があります。
人種、民族、肌の色、性別、性的指向、障碍の有無などにかかわらず、あらゆる属性の人々が尊重され、平穏な生活を送れ、差別されることのない社会。ヘイト政党の自民党では絶対に実現できないことであり、一方で野党内には自党の党首すら平気で差別してみせたレイシストもいるものの、有田氏のように差別問題に取り組んできた人もまた存在しており、私が野党共闘を支持する極めて強い動機となっていました。
差別政党に投票することは、すなわち自分の票が被差別者を攻撃するための武器の材料となり、被差別者を殺傷することを意味します。したがって、差別政党に投票することは絶対にあってはならず、多様性を尊重する政党が勢力を結集することが重要となっていたのです。

自民党はどうしようもないヘイト政党ですが、小池氏もまたそれに相当するレイシストです。「朝鮮人を殺せ」と叫びたてる在特系団体が行った講演会に出たばかりか、関東大震災朝鮮人虐殺の歴史修正まで試みるほどで、熊本の震災で虐殺扇動デマが大量に流された社会情勢を考えれば、極めて現実的な危機です。このような人物に力を与えることは、すなわち被差別者の生命に対する重大な脅威です。
野党共闘の目的は、「多様性を尊重する社会を作り、立憲主義を回復する」ことです。それを実現する手段として自民党政権を倒すことは避けて通れませんが、自民党政権を倒すのが目的なのではありません。被差別者の平穏や生命を脅かす政治が続くのであれば意味がありませんし、差別者へのブレーキとなるべきものが別の差別者のアクセルに姿を変えるなど悪夢そのものです。
多様性を尊重する多くの人々は、二大ヘイ党(しかも実態は補完勢力)など望んではいません。それは、力不足でもとりあえず野党が選択肢や歯止めとなる余地はあった「一強」状態よりもさらに最悪で、被差別者の平穏がより容易に脅かされる社会に他なりません。そして当然、これが緊急事態条項にまで至れば日本は終わります。
皮肉なことですが、「安倍政権を打倒するための合流」とやらが逆に安倍政権を打倒する意義を失わせてしまう結果となっています。

結局、共闘を訴える人々、投票者、非日本会議系野党の全員が飲んでみせた泥水を、前原氏は自分だけは最後まで飲もうとせずに逃げ続け、とうとう党すらもぶち壊したわけです。それも、被差別者の身の安全と立憲主義を日本会議系レイシストに献上するというおまけをつけ、労働者の生命を献上しようとした連合までがグルになって。
自分が泥水を飲むのが嫌だからと、人々が汗を流し泥水を飲んで生み出してきた成果を横取りし、他人の生命や平穏、人権を勝手に売り渡して逃れるような者など、政治家どころか人間としてクズ以下です。断じて許すことはできません。

この騒動、切り捨てられる可能性がある民進党リベラル派、しかも反差別に尽力していた人までもがあまりにすんなり合意し、しかもその歯切れも悪いことから、何か計画を持っている可能性はあり、もう一波乱あってもおかしくはありません。ただし、投票までにそれが分からない限り、何かがあるかもしれないという理由でレイシスト政党に票を投じることはできません。
私は小選挙区・比例区ともに二大ヘイト政党のどちらにも投票するつもりはありませんし、多様性を尊重する社会のためにその両方を打倒すべき存在と位置付けます。小選挙区でも非日本会議系野党候補、あるいは小池ヘイト党を蹴った候補を選ぶでしょう。
基本的に私は鼻をつまんで戦略的投票を行いますが、差別政党に「マシ」は存在しません。どちらに入れても自分の票が被差別者を殺傷する武器にされてしまうのなら、死票になってもまともな候補に投じた方がマシです。

2017-09-24 の記事 - 2017-09-24
実にくだらない解散劇ですが、解散名大喜利には「地獄の沙汰も金(キム)次第解散」でも挙げておきましょうか。
北朝鮮の脅威とやらを大騒ぎすれば国民は簡単に騙せると考えていて、それで勝利すれば「世論はこれらを問題とみなしていない」として森友・加計問題を葬ってしまうことでしょう。あれだけの問題を起こしてもなお追及ができなくなるのであれば、今後は国家の私物化でも何でもし放題です。国民は極限までなめられているのです。
もし本当に北朝鮮が差し迫った脅威であるならば、この時期に特に必要もない解散をすることは到底あり得ないはずで、すなわち政府は北朝鮮を大した脅威であるとは考えていません。そのくせ脅威だ危機だと大騒ぎ。もしこれで多くの議席を押さえられれば、緊急事態条項のごり押しが始まることでしょう。そしてその緊急事態条項では、緊急事態であるから衆議院を解散しなくてもいいということになっています。
もはや意味が分からないを通り越して、異常の域に達しています。そして、ひとたび緊急事態条項が通れば日本はそれで終わりです。意味不明な解散をするほど余裕たっぷりの政権が散々北朝鮮の脅威を煽り立てるのを前にすれば、緊急事態条項がどう使われるのかなど説明する必要もないでしょう。

ただ、自民党がもはやただのヘイト政党であって、人間として最低限の常識を適用して考えるのさえバカバカしい存在であることは今さら言うまでもありません。現状ではその異常な政党が民主主義の喉元に短刀を突きつけている状態であり、機が来たと見れば彼らは何のためらいもなく民主主義の喉笛をかき切ることでしょう。とにかく緊急事態条項が通ってしまえば何もかも終わりですから、まずは改憲の野望を阻止しなければなりません。
したがって、問題はそれに対抗する立場であるはずの野党、それも民進党なのですが、こちらもまたあまりに頭が痛いと言わざるを得ません。

野党共闘を応援する市民たちは、民進党を応援したところで何一つ自分の利益にはならず、それどころか民進党は期待をぶち壊しにするようなことばかりやっているにもかかわらず、それでも民進党候補を勝利させようと汗を流しています。毎回のように後足で砂をかけられ、泥を浴びせられ、それでも立憲主義の回復や多様性が尊重される社会の実現のために泥水を飲んでいるわけです。
野党共闘の意義を理解して野党候補に投票している市民たちは、毎回毎回共闘を台無しにするようなことばかり言い、果ては自党の党首すらも差別する民進党の姿勢に大いに憤っていますが、その怒りを飲み込み、しかも政策的に不満がある場合でも泥水を飲んで民進党候補に投票しています。
日本会議系ではない野党は、民進党のほとんど横暴とも言っていいような一方的な要求に答え、自党候補を国会に送るチャンスを捨ててまで民進党候補への一本化に協力するなどしています。民進党が共闘を否定するような暴言を吐いても、共闘のために尽力しています。毎度のように煮え湯を飲まされ、それでも泥水を飲んでいるのです。
では民進党はどうか。代表選の段階でもある程度予想されていたことですが、前原氏は早速、共産党を含む野党共闘に対し、控えめに言っても積極的とは言いがたい姿勢を取っています。共闘支持の市民が泥水を飲み、有権者が泥水を飲み、他の野党も泥水を飲んでいるのに、自分だけはきれいな水しか飲みたくないと駄々をこねるなら、勝てるものも勝てません
無論、大人の事情で共闘を表立って言えないという部分はあるのでしょうが、そんなものは外部の人間には何の関係もありません。いかなる理由によるものであれ、話をろくに進展させることができないのであれば、成果を出せないことに変わりはありません。
なぜ自民党が、それも改憲のためには議席を減らしたくないはずなのに、疑惑隠しであることがバレバレな自爆的解散など行えるのか。十分な野党共闘が成立する可能性が低く、したがって野党は民意の受け皿とはならず、さほど脅威とみなす必要はないと考えられていることが、要因の一つに挙げられるでしょう。
これは要するに、前原氏は「選挙に勝つこと」や「大義を実現すること」などよりも、反共だかハンバーグだか知りませんが、自身の個人的な好き嫌いの方を優先するであろうと読まれているわけです。
本来、野党共闘は2015年の時点で成立させ、ここまでで十分戦える姿勢を構築しておくべきものでした。あの時点でしっかり手を取り合い、その後に内閣の悪行がようやく報道されるに至ったならば、今ごろは善戦する下地が整っていたはずなのです。
ところが、2年経ってすらノロノロとして共闘一つまともに実現できず、その間にとうとう民主主義に王手をかけられてしまっているのに、未だこの状態です。目の色を変えて死力を尽くそうともせず、自分だけは泥水を飲むことを避け続け、それでどうして民意の受け皿になれるというのでしょうか。

なお、自民党も公明党も権力のためなら泥水程度は平気で飲んでみせます。自民は権力維持のためなら手段を選ばず、本来なら考え方の違うはずの公明とも平気で組んでみせていますし、改憲のためなら誰とでも組むでしょう。また、公明は権力のためなら「平和の党」なる理念をいくらでも足蹴にして踏みにじることができます。
市民も、有権者も、他の野党も、民主主義と立憲主義を守り、多様性を尊重する社会の実現のため、全員が泥水を飲んでみせました。後は民進党が飲むか飲まないかだけです。
安倍氏や日本会議のように、戦後日本に対する強い憎悪と、周辺諸国などに対するドス黒い差別感情で動いているような者たちですら、憎しみのために目の色を変えて動けば日本を終了寸前にまで追い込んでしまえることが、現在目の前で示されています。
立憲主義を守り、政権の国家の私物化を止め、多様性を尊重する社会を作る。実に重要なことですから、そのために本気を見せ、目の色を変えてみろと言っているのです。

2017-09-16 の記事 - 2017-09-16
〈時代の正体〉「差別ツイート野放しやめて」ツイッター社前で抗議集会

もし私がこの集会に文句をつけるなら、Twitterが作為的に差別を放置していることがほぼ確実な以上、「差別ツイート野放しやめて」「差別の道具になりたくないよ」などといった甘ったるい主張ではあまりにも手ぬるい、というものになるでしょうが、「差別ツイートを踏みつけにするのは異常だ」なるナイーブすぎる反応をする者さえ見かけるのは頭が痛い限りです。
差別が常日頃から被害者を踏みつけにしていて、そればかりか災害のたびに差別・虐殺扇動が発生したり、実際に障碍者の殺戮まで引き起こしてしまった現状において、差別にはまともに向き合おうともせず、紙切れを踏むことにはいちいち目くじらを立てるなどとは、どこまでのんきで価値基準が破綻しているのかとあきれ果てます。

現状、Twitterの差別拡散力はおそらく相当な水準にあります。
日本語版のトップページは、ここ最近でこそ認証アカウントを中心にするなど多少はマシな仕様となったようですが、ほんの少し前(私が知る限りでは1年以内は確実)まではヘイトデマを垂れ流すアカウントやら、他国を蔑称で呼んでいるような露骨なヘイトツイートやらが堂々と記載されていました。
トップページといえばサイトの顔であり、しかもログインしない(ユーザーが選んだものを表示しているわけではない)状態でこれですから、不特定多数のアクセス者がこのようなヘイトを見せられていたことになります。SNSなどのサービスにおいて問題のある書き込みがなされることは避けようがありませんが、それをピックアップしてトップページに掲載するとなると話は別で、これはもう運営による差別の拡散以外の何物でもありません。
トップページすらこの惨状となっていたほどですから、中身となるとむごたらしいの一言です。まさに差別の見本市、悪意のゴミ捨て場といった状況であり、おぞましいツイートをいくらでも見つけることができます。しかも運営はそれを取り締まる気を全く持っていません
一応、アリバイ作りのつもりなのか、どうでもいい差別アカウントが凍結されることはあるようですが、それ以上にひどい差別発言を繰り返していて影響力も段違いな有名ヘイトアカウントはほぼ野放しとなっています。それでいて、差別に反論したアカウントが処分された例はしばしば報告されています。
差別は本人の意思や行為とは無関係な「属性」に対する攻撃であり、また立場の差を利用して反撃が難しい相手を痛めつけるものです。行為に対する批判、対等な立場同士の言い合いなどとは全くわけが違います。この概念をまともに理解していないような運営が、どうやって言論空間を管理できるというのでしょうか。

その結果として当然に発生するのが、現実社会に対する脅威です。
Twitterにおいては、災害のたびに差別扇動、ひどい時には虐殺扇動を含む悪質なデマが垂れ流されることが恒例行事となっています。熊本の震災では、「朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだ」などの関東大震災時に実際に虐殺を発生させた、効果が実証済みの殺人デマを流す者が大量に発生しましたし、猟銃を持っている者は自警団に加わるよう呼び掛けるツイートまで存在したほどです。
実際、被災地のレイプ多発デマを真に受け、自警に乗り込もうとした者の存在も確認されています。しかも、レイシストはその人物を煽り立てて差別デマまで吹き込む始末で、一歩間違えば何が起きてもおかしくありませんでした。
日本社会はすでに障碍者殺戮事件という稀代のヘイトクライムを体験しており、もはや「起きるかどうか」ではなく「次はいつ起こるのか」の段階です。熊本その他の災害で特に何も起きなかったのは運が良かったからでしかなく、災害時・平時を問わず常にヘイトクライムと隣り合わせの状況にあります。政府が火消をするどころかJアラート遊びをして差別意識を煽っている現状ではなおさらです。
そして、Twitter社はこういった差別扇動に対し、全くと言っていいほど有効な手を打っていませんし、本気で対処するつもりもありません。熊本の震災でも多数の差別・虐殺扇動デマが放置され、有志が拡散しないよう呼び掛けたり、投稿者に対して法的な責任が及ぶ可能性をちらつかせて削除させたりといった活動で、できるだけ被害を押しとどめていたような状態でした。ちなみにその間、Twitter日本運営はいきものウィークなる企画に現を抜かしていました。
Twitter社の差別放置姿勢が生み出しているのは、現実の人々の生命や生活に対する脅威です。そして、自らの生命や平穏な生活をもってTwitterの差別放置の代償を払わなければならないのは、今までTwitterとは何の縁もゆかりもなく生きてきた無関係の人かもしれないのです。

水原希子出演のCMに「日本人を使え」など差別ツイート サントリーとTwitterに聞いた

こうなるのは当然というものでしょう。企業もいい加減、このような差別企業に広告を出すと余計な問題を抱えることになると認識した方がよいのではないでしょうか。
なお、Twitterの「対処している」が全くのでまかせであることは、有力ヘイトアカウントが野放しであることを見れば分かります。さすがにスポンサーの手前、一部を削除するなりしてポーズくらい見せようとはするでしょうが、それだけでは所詮ポーズであって実質的な意味はありません。

2017-09-10 の記事 - 2017-09-10
不倫がどうのこうのの騒ぎ。この深刻な状況下で一番大事なのが政治家を芸能人化して追い回すことなのか、日本の政治意識とはこの程度なのかと、頭が痛くなります。

一応断っておきますが、山尾氏を擁護する気は一切ありません。
横浜市長選において、氏に期待されている政策とは対極の候補である林氏の応援に出向いた時点で、山尾氏に期待していた人々からの評価は地に落ちました。しかも、政治家となれば不本意な応援をすることもあるでしょうから、すぐに丁寧に説明していれば怒りも和らいだはずですが、それもなされたとは言い難く、氏が「政治家として」人望を失ったのはこの時点と言ってよいでしょう。
実際、蓮舫氏の辞意表明後の一瞬は「ここは山尾氏を代表にすることを考えるべき」という意見さえ存在したほどでしたが(有田氏もそのような希望を持っていたとのこと)、直後に横浜市長選問題が話題になると潮が引いたように期待の声は消滅しました。氏の手腕と福祉への姿勢などを買っていた人々を、ただの一瞬にして地獄に叩き落したことがうかがえます。
そういう意味で、私も応援演説の件に加え、支持者からの疑問の声への説明責任もろくに果たせない山尾氏には不信感を覚えずにはいられませんでしたし、氏は詰問されるべき立場であるとは考えています。
ただし、それは当然不倫疑惑がどうこうといったものではありません。「林氏のどのような政策を支持した上での応援か」「林氏の政策と山尾氏の主張とは矛盾する部分があるようだが、どちらが本意なのか」「カジノについてはどう考えているか」などといった点をきっちり聞き、最低でも子どもの福祉やカジノといった大きなテーマについての立場は明らかにするものでなければならないのです。
したがって、この人物を支持して良いのか悪いのかの情報を国民に提供するため、政策の矛盾をまず問い詰め、正面からしっかり答えてもらうべきではあったが、一方で不倫疑惑とやらは優先すべきではなかった、というのが私の主張となります。

なお、この私の理念は今井氏にもそっくりそのまま適用されます。
私はあのタレントくずれは徹底的に非難され、政治の舞台から追放されるべきだと考えています。あのような人物が、1億数千万人の中からたった数百人しか選ばれない国民の代表、それも良識の府に属する人間であると考えるだけでうんざりしますし、政治の専門職として圧倒的な権限と待遇を6年にもわたって手にする者が、自身の専門業への知識を全く有していなかったとあれば、開いた口がふさがらない事態であると考えています。
ただ、氏が不倫問題によって人望を失い、物陰から頭を出せない状態になったことについては、到底正しい方法であったとはいえません。
これは言い換えるなら、もし不倫がなければその後も大手を振って参院議員様をエンジョイしていた、ということです。到底まともな政治状態ではありません。不倫以外の点において、このタレントくずれは徹底的に追及されなければならず、政治のプロとして当然分かるべきことも分からないようであれば、それを理由として追い落とされなければなりませんでした。
1億人以上の市民の生命や生活にかかわることを決定するのが、衆参合わせてもたった3桁の人数でしかない国政政治家たちの役割であり、市民の暮らしはそれだけの人々の動向に大きく左右されます。
このタレントくずれが追及されねばならないのは、医療の知識を一切持たない人間が手術をしてはならないのと同じことです。医療知識がないのに手術を行おうとした医者が、それを理由に排除されるなら問題はないのですが、それでは排除されずにいたのに不倫を理由に排除されたならば、いくら結果は同じといっても恐怖でしかありません。

無論、不倫は不名誉なことではあるでしょうし、それが倫理的にあまりに常軌を逸したものであれば、さすがに政治家としての資質を問わないわけにはいかない場合もあるでしょう。また、それが不倫どころか犯罪絡みである、すなわち性犯罪の加害者となった、あるいは権力を用いてお友達の性犯罪をかばったなどであれば全く別の問題で、議員でいる資格はありませんから、即刻議員を辞めるべきです。
そこはケース次第ともいえますが、ただ少なくとも政策的に矛盾している行動を取ったり、あるいは政治の専門職に就いていながら基礎知識すらない人物について、それらの点をそっちのけにして不倫やその疑惑で大騒ぎし、そちらが政治生命にとって大打撃となるような状態は、一般論として考えても全くまともではありません。

そして、現状の日本の政治は不倫疑惑よりも先に追及すべきことであふれています。
自らの政治権力を悪用し、お友達に利益供与を図るなどすることは、国民に対する著しい背信行為であって、民事問題である不倫とは到底比べ物になりません。不倫で引責しなければならないのであれば、こちらでは数千回は引責しなければならないでしょう。しかし、この問題ではどの議員がどのような責任を取ったでしょうか。
政治家が差別主義者であることは深刻な脅威であり、極めて高い差別扇動効果を持つとともに、一歩間違えば大量の人々を死に追いやりかねません。不倫は確かに倫理上問題のある行為ですが、ならばレイシズムは倫理上も実利上も市民の安全のためにも一切許されないものであるべきで、不倫ならば一発で壊滅級の打撃となる一方、保守速報をシェアしようがほとんど見逃され、差別による虐殺をなかったことにしようとしてもよく、ナチスかぶれのような者が政治家を続けられていることはおかしいと言わざるを得ません。
メディアは追及をするのなら、まずこれらを徹底的に追及すべきです。これらをことごとく追及し終え、もう民事問題しか追及するものがなくなったなら、不倫でもなんでも好きなように追及したらよろしい。

政治家がその地位を利用して行った不正より、政治家による差別扇動行為より、政策の矛盾より、不倫が一番大事。他は責任を取らなくていいし、政府要人ポストに居座り続けてもいいが、不倫疑惑なら党内ポストすら取り消しの上に離党モノ。これが日本の政治意識です。これでは日本の行く末は暗いと言わざるを得ませんし、政治腐敗も差別も社会に横行することになるでしょう。

2017-09-02 の記事 - 2017-09-02
高須氏に続き、麻生氏がまたしてもナチス発言。
あきれ果てるとはまさにこのことです。それも、よりにもよって「動機が正しくても」とは尋常ではありません。無理やりに擁護するならば、「動機が正しくても」自体が仮定法であると考えることもできなくはありませんが、その場合でも動機が正しい仮定の例示としてナチスを採用する必要が全く存在しないのであり、どう好意的に解釈しようともナチスを肯定する意図がないと取ることは不可能です。
確かに、ナチスが行ったことの「結果」は極めておぞましいものです。ユダヤ人をはじめとして、障碍者や同性愛者といった様々な人々が、その属性を理由として平穏な生活を脅かされ、踏みにじられ、最後には虐殺されることとなりました。
では、なぜそのような恐ろしい結果が生じるに至ったのか。人種差別、障碍者差別、優生思想、自民族至上主義などが動機として存在したからに他なりません。当然のことながら、昨日まで差別が存在しなかった社会において、被差別者が突然虐殺されることは考えられません。まずは恐ろしい動機が前提として存在し、それが当然に行き着く先として恐ろしい結果が待っていたのです。
言うまでもなく、その点において今の日本はほぼ動機がそろっている状態であり、極めて危機的な状況にあります。すでに障碍者殺戮事件は発生していますし、これから水晶の夜や関東大震災虐殺のような事件が発生したとしても、もはや驚くに値しません。このような状況下で、ナチスについて「動機が正しくても」などと言うような人間が日本のかじ取りを行っていることに、極めて強い危機感を覚えざるを得ません。

先日のJアラート騒動は支持回復のための茶番としか解釈しようのないものでしたが、この台風が来ると聞いて子どもが大はしゃぎするかのような低レベルな茶番もまた、案の定レイシズムの材料となっています。直接的な加害の意思を示すような言葉から、在日は加担とみなされたくなければミサイルに反対の声を張り上げろなどと踏み絵を迫るもの、穏健派に対しても攻撃性をあらわにするものまで様々ですが、予想通りの結果であると言わざるを得ません。
この官製パニックによってひとまず何も大事が起きなかったのは幸運でしたが、Jアラートをこのように悪用するのであれば、被差別者は生きた心地がしないことでしょう。ルワンダでフツ穏健派も殺されたのと同じく、穏健派も無事でいられる保証はありません。
そして、それでヘイトの内圧が非常に高まったとしても、当然ながら政府による火消しは全く期待できません。なにしろ政府が危機を煽り立てて火を起こしている側なのですから。ヘイトの内圧が高まれば高まるほど政府にとって都合が良いから必要もないのに危機を煽り立てるのであって、それを避けようとするのであれば最初から茶番アラートなど出しません。また、もし市民やマスコミが完璧に落ち着き払っていて、ヘイトの扇動など全く不可能であれば、ただ顰蹙を買うだけですから茶番アラートを出す理由はありません。
現状の日本において、茶番劇のためにJアラートを使用することは極めて危険です。そして、危険だからこそJアラートには茶番の道具としての利用価値があるのです。

9/1は防災の日ということで、メディアなどでも防災に関する報道がなされているようです。
では、「防災」とは何でしょうか。何をすればよいのでしょうか。
非常用物資を準備したり、避難経路を確認したりと、もしもの時に備えることは大事でしょう。家具が倒れないようにしたりと、災害のダメージを減らす対策を講じることも大事でしょう。消火器の使い方を学んだり、応急処置のやり方を学んだりすることも大事でしょう。
しかし、それだけが防災ではありません。平時から日本社会の差別と戦い、また自分やその周囲が持つ差別意識を克服し、過去にレイシズムが引き起こした事件を学んで繰り返さないよう備えることもまた、非常に大事な防災に他なりません。
熊本の震災をはじめとして、災害時には虐殺扇動を含む悪質な差別扇動デマが垂れ流されることが常態化しています。また、外国人が盗みを行っているなどといった噂も必ずと言っていいほど発生し、それを信じてしまう人も多いといいます。
過去よりも建築や予報などの技術が発達し、また物流や医療の進化によって災害後のケアも昔よりは充実しているであろう現代において、唯一危険性が大きく増している部分がデマの拡散速度であり、防災を考える上でここは決して避けては通れません。他の防災要素と違い、無知であれば自分がデマを拡散したり、デマに踊らされたりして加害者となりかねないという点でも特異です。
避難所においても、身体障碍者、発達障害を含む精神障碍者のいずれもが、肩身の狭い状況に置かれることがたびたび報道されています。障碍者殺戮犯が平然と称賛される世の中において、ましてや余裕のない避難所ともなれば、その立場の弱さたるや相当なものでしょう。すなわち、まさに差別をなくすことが、あらゆる意味・段階において防災となるのです。
マスコミも防災を訴えるのであれば、関東大震災朝鮮人虐殺の歴史修正を試みる小池氏を詰め、ナチスを正当化する高須氏や麻生氏を詰め、ヘイト扇動の火遊びをする政府を詰め、デマの拡散装置となっていながら手を打つ気もないTwitterなどを詰め、日本社会に存在する差別と断固として戦うことは最低限必要なはずです。それこそがマスコミがやらなければならない大事な防災であり、防災を訴える者の最低限度の責任というものです。

2017-08-26 の記事 - 2017-08-26
関東大震災の朝鮮人虐殺 小池都知事が追悼文断る

実際には「三国人」発言などで扇動する側に回っていた、あの稀代のレイシスト・石原氏ですら(仮に形式上であっても)やっていたことを見送りですか。在特会系の講演会に出ていた件からして分かり切ってはいましたが、やはり小池氏は相当なレベルのレイシストに間違いないようです。

関東大震災の朝鮮人虐殺事件は、決して過去の悲劇ではありません。むしろ現代においてその重要性が非常に高まりつつあります。
街角で平然と「朝鮮人をぶっ殺せ」の声が垂れ流され、書店に入れば韓国や中国などの他国やその国の人を貶める本の山。さらには障碍者の生存権を否定したり、LGBTを「ネタ」にして侮辱したりと、被差別者に対する暴虐の数々。現状の日本は極めて危うい状況にあります。
そして実際、熊本の震災では「朝鮮人が井戸に毒を入れた」なるデマが垂れ流されたり、猟銃を持っている家に自警に加わることを呼び掛けたりと、極めて悪質な虐殺扇動が垂れ流されました。いずれも関東大震災で虐殺を引き起こす原因となったもので、いわば過去の震災でその恐ろしさが実証された殺人兵器を、現代の実際の災害時に持ち込んだわけです。
その後もいくつか災害や問題が起こっていますが、そのたびに似たようなデマが垂れ流されるのがお決まりの状態となっており、東京の停電すらヘイトデマの材料とされました。今後大規模な災害が発生し、しかもタイミングが悪ければ、いつでも災害時のヘイトクライムは発生し得ると考えなければなりません。
そして実際、差別主義はとうとう障碍者殺戮事件にまで行き着きました。この事件はこの上なく明確に、差別は人を殺すことを日本社会に示しています。しかし、それで日本社会が自らを省みたかといえば未だ他人事と言わざるを得ず、さらには犯人に賛意を示す者も決して少なくないなど、「次」が起きないと考える方に無理がある状況です。

このように、まさに関東大震災の虐殺は現代の問題であって、今ここで昨年まで行っていた追悼文送付を断るというのがいかに恐ろしい行為か、わざわざ説明するまでもありません。無論、小池氏は「朝鮮人をぶっ殺せ」と叫び立てる連中の講演会に出ていたわけですから、過去の朝鮮人虐殺の教訓を否定したとしても思想的には全くもって矛盾しないのですが、それこそ逆に極めて恐ろしい状況です。
このような場合に歴史修正主義者の必殺技となるのが「人数の問題に持ち込む」ことですが、混乱状態にある中で人数を正確に把握するのが難しいのは当然で、また1か0かで切り分けること自体に無理がある場合も多く、この理屈で言えば広島・長崎の原爆もナチスの虐殺も、それどころか公害病さえも容易に否定できてしまいます。したがって、この間違った万能論法はきっぱりと拒絶しなければなりません。
「虐殺の犠牲者」を「災害関連の犠牲者」にすり替えるのも同様。現代においても、様々な工夫によって災害のダメージを抑えることはできますが、自然災害をなくすことはできません。それによって被災者が出てしまうのは、今の人類の力では仕方のないことです。しかし、災害によって被災者が出てしまうことと、その混乱に乗じて差別扇動デマが垂れ流され、虐殺が発生してしまうことは別の問題です。後者は自然災害でも不可抗力でもなく、そもそも発生する必要すらないことです。
それどころか、これはいわば災害を舞台装置に利用して自らの差別感情を満足させようとした犯罪行為ともいえるものですから、はっきり言って「隙を見つけたので、遊びたい感情を満足させるために現金を奪って殺した」「混乱が起きて邪魔が入らない状況になったので、性的感情を満足させるために他人を襲ってわいせつ行為の末に殺した」などと同等の行為と言ってよいでしょう。これは災害による犠牲などでは断じてなく、全く次元の異なるものです。
無論、世の中の人々は「朝鮮人をぶっ殺せ」と喚いたり、その連中の講演会に出たりするような、確信犯的に自らの差別欲求を満たそうとする人物ばかりではありませんから、虐殺加担者の中にはもともとの差別意識・偏見から流言を真に受けてしまった者、つまり差別感情を満たすことを明確に意識して犯行に及んだわけではない人もいたはずです。
しかし、まさにそうした無意識レベルの差別こそが何よりも恐ろしいのですし、もしそうした人々が差別意識を持っていないか克服していて、十分な知識と判断力を有していれば、虐殺を行うことはなかったわけですから、差別をなくし知識を継承することで悲劇の再来は阻止できます。したがって、日本社会が差別まみれとなった今こそ、なおさら関東大震災虐殺事件を教訓としていくことが大事なのであって、虐殺は虐殺として引き継いでいかなければなりません。
過去の関東大震災朝鮮人虐殺にケチをつけて否定の道筋を作ることは、今後発生する恐れがある差別による虐殺事件を肯定するのと同じです。

本件については、とうとうここまで来たかという印象です。しかもこのような尋常ではないレイシストが国政に進出してくるとなれば、市民やメディア、野党などが良識を示して拒否しない限り、被差別者の尊厳や人権はいとも簡単に踏みにじられることでしょう。
そして当然、生存権を脅かされるのは何も民族・国籍的マイノリティや障碍者、性的マイノリティなどに限りません。関東大震災朝鮮人虐殺ではそれと誤認された日本人も殺戮されましたが、差別において私たちは決して加害者になってはならないのと同時に、被害者の立場と無縁であることもできないのです。
「○○人を殺せ」が平気で垂れ流され、災害の混乱に乗じて虐殺扇動デマが垂れ流され、障碍者殺戮がなされた上に称賛までなされ、透析患者は殺せと言われ、政治家が差別を平然と行う国というのはつまり、人権を守られるべき人と守られる必要がない人がいる、生存権を保証すべき人と保証する必要がない人がいる、生存を認めるべき人と生存を認める必要がない人がいる、ということです。それが「差別」というものですから当然です。
これを容認するならば、いずれは必ず自分が「認められない側」に置かれることになるでしょう。自らが他人をマチェッテで斬り殺すことを拒否し、また自らが他人にマチェッテで斬り殺されることも拒否するには、差別やヘイトスピーチ、差別政党、差別事例の歴史修正などを決して認めてはならないのです。

2017-08-19 の記事 - 2017-08-19
8/15といえば日本の終戦の日ですが、よりにもよってこんな日に軍服コスプレ・お祭り大会が開催されることは周知の事実です。
そして、「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」(以下、連れション会)なる意味不明な会が存在し、コスプレ大会会場への進入すら1人ではできないような連中が、連れションでもするがごとく雁首そろえて大会会場へ出向くのもまた、恒例の行事となっています。
言うまでもありませんが、終戦の日にこのコスプレ会場に出向いた議員は党派に関係なく誰一人としてまともな者ではあり得ません。実際、主要な会場進入者は稲田氏、佐藤氏、小泉進次郎氏といった具合で、まさにろくでなしの見本市といった趣です。

議員、ことに首相や内閣の中心人物などがコスプレ会場へ出向くことは、かねてから慰霊ではなく政治となっていました。そして、「批判するのは中韓だけ」というデマに反し、この無意味で無価値な政治は米国・ロシア・EU・シンガポールといった主要な国や地域からも批判を受け、大敗北を喫します。
こうして政治の手段としては完全に役立たずとなってしまったコスプレ会場への進入は、現状では政治と呼ぶのもおこがましい、ただの売名のための行為となっています。ここへ行く国会議員の中には、慰霊を真剣に考えている者はほとんどいないと断言して構いません。
もし本気で慰霊がしたいのであれば、コスプレ会場に行く必要もなければ、連れション会などとして雁首そろえる必要もありません。静かに千鳥ヶ淵に行き、慰霊し、コスプレ会場を無視してそのまま帰ってくればよいのです。あるいは、日本には広島・長崎・沖縄をはじめ、東京近隣を含めて各地に祈念碑的なものがありますから、そこに行って慰霊をしてくればよいのです。
これには1つの利点、もしくは欠点があります。利点は、まじめに慰霊をしたい者にとって、メディアなどに騒がれることなく、また国際問題となることもなく、純粋に慰霊が可能であること。欠点は、実際には慰霊などどうでもよく、売名を目的としている者にとって、そんなところに出向いても暑くて疲れるだけであり、全く売名にならないことです。
まじめに慰霊を考えている者ならどうするか。実際には慰霊などどうでもよいと考えている者ならどうするか。言うまでもありません。

コスプレ会場こと靖国はもはやゴミの山です。慰霊の場としてはもう終わっています。
靖国をまじめに慰霊の場として位置付けたいと考えている者は、連れション会のような連中に徹底抗議し、売名参拝を誰よりも激しく非難し、また遊就館などにも激怒し、軍人コスプレお祭り連中を徹底排除しなくてはなりませんでした。実際、靖国以外、例えば広島や長崎、沖縄などの祈念の場でこれらが行われたなら、きっと遺族や地元の人々は激怒することでしょう。
ところが、実際にはこれらが放置されたばかりか、政治家の売名参拝を歓迎する者までいる始末。この時点でもう靖国の地位は決まったと言ってもよいでしょう。結果、ゴミの山にはさらにゴミが集まり、逆にまじめに慰霊を考えている者はどんどん遠ざかり、米国にも千鳥ヶ淵が慰霊の場とみなされ、首相や主要閣僚の参拝には国際的に非難が集まるようになり、名実ともにゴミ捨て場でしかなくなりました。
千鳥ヶ淵(ここも決して万全ではなく、個人的には新施設の方が望ましいと考えていますが)を正統な慰霊の場として位置付けるとともに、靖国以外の施設が慰霊の場としてスタンダードになれば、まず間違いなくその場をも第二の靖国に書き換えようとする者が現れますから、コスプレ会場と同様の経過をたどらないようにすることが必要です。
またコスプレ会場は、「英霊」を祭っているという地位を利用して好き放題を行っていますから、ここから「英霊」利権を一切剥奪し、日本国としてここの歴史修正主義を公式に否定することで、きっちりピエロにしてしまわなければなりません。
コスプレお祭り大会の参加者には靖国会場で好きなだけ楽しんでもらい、代わりに慰霊の場からは一切お引き取りいただき、慰霊をしたい人は千鳥ヶ淵その他の場を訪れて静かに慰霊する、という区分けをきっちり行うことが、慰霊を望む人とコスプレ大会参加者、両方にとっての幸せではないでしょうか。

2017-08-13 の記事 - 2017-08-13
やはり日本ファーストが登場してしまいました。
「日本第一党」であり、「日本会議ファースト」であり、かつ「日本ファシスト」な存在なのでしょう。なかなかシャレが効いています。

さて、民進党代表の候補である前原氏がヘイトツイートに「いいね」をしたことが少々話題となっています(現在は取り消されている模様)。
たかが「いいね」ですが、されど「いいね」。非常に残念です。どこまで失望させれば気が済むのでしょうか。
そこまで目くじらを立てる必要はない、あるいはスタッフがやった可能性があるといった意見もあるでしょうが、私は以前に安倍氏がFBで差別デマサイトをシェアしたことに憤りましたし、またそれは絶対にやってはならないことであると考えています。そして、それをしたのが本人だろうとスタッフだろうと発信力に差が出るわけではありません。取り消しをしたというなら安倍氏ですらしています。
無論、差別デマサイトをあえて自ら読みに行き、しかもわざわざシェアして再拡散する能動的行為と、自分へのリプライを「いいね」する比較的受け身かつ拡散を意図しない行為では大きな差がありますので、同列にはできません。ただし、その経緯についての説明と、意図したものでないなら「いいねは間違いでした。私はこのような意見に一切賛同しません」などの宣言をTwitter上で行うのは、差別の市民権確保や再拡散を防ぐためにも最低限必要と考えます。

私が民進党を応援するのは、立憲主義を守り、国民主権を守り、そして何より差別を許さず多様性を尊重する社会の実現のためには、現状ではそうするよりないと考えているためです。他の立憲主義・反差別野党のみでは政権交代どころか牽制をすることさえ難しく、たとえ徹底的に順風が吹こうとも1/3の確保さえ極めて困難であると言わざるを得ませんので、どうしても民進党を無視することはできません。
現状、すでに緊急事態条項さえ通れば日本が終わる段階まで来ており、立憲主義・国民主権は危機的状況にあります。また、路上では平然とおぞましいヘイトスピーチが垂れ流され、さらには災害のたびに虐殺扇動を含む差別デマが流され、いつ関東大震災のような事態に至ってもおかしくありませんし、現に日本社会は障碍者殺戮事件を経験しています。
この異常事態において、もし立憲主義を守り、差別を許さず、多様性を尊重する社会に近づける、あるいはそれらの喪失を少しでも食い止めることができるのであれば、私は腐った泥水でも何でも飲むつもりです。ヘイトクライムによる死者はもう1人たりとも出してはいけませんし、差別によって傷つく人も増やしてはいけません。民進党がどれほど頼りない政党であろうとも、立憲主義と多様性を守る限りは応援しますし、戦略的に妥当ならば民進候補に投票するでしょう。
そのような状況下で、この体たらくは一体どういうことなのでしょうか。

前原氏は、自身が日本会議であるとする噂について「デマ」として否定しています。無論、日本会議カルトと関係がないのは良いことではありますが、それだけでは意味がありません。
私は厳密には「日本会議」というもの自体を嫌っているのではありません。日本会議のように、立憲主義を否定し、国民主権を否定し、そして何より差別を推進して多様性を否定する存在を嫌っているのです。日本会議であろうとなかろうと、差別を肯定するのなら日本会議と同類の輩でしかありません。
少なくとも前原氏は、このような行為について納得のいく説明を行い(仮に操作ミスならミスと言ってもらえれば結構。説明なしにはあえて行ったのかミスなのかすら分かりません)、その上で多様性の尊重や差別の問題にどのように立ち向かうのかを、説明との間に祖語や矛盾を生じないような論理で明確に宣言すべきです。それが党首を目指す者としての最低限の責任です。
多様性を尊重する側としては、差別政党を倒すために別の政党を支持するも、その政党が差別をし始めるようでは意味がないのです。差別を推進する気がないのなら、ないと宣言する以外に疑念を晴らす方法はありませんし、また疑念を持った人々からの信頼を勝ち得るためにも必要です。
差別に反対して多様性を尊重し、立憲主義を守るならば、代表が(差別主義者でない限り)どこの誰であれ、私は泥水を飲む気でいます。一方、差別に賛同するのであれば、それが清水であろうとも床に叩きつけることでしょう。

小池都知事との連携に否定的=民進・枝野氏インタビュー

>小池氏は(自民党議員として賛成した)特定秘密保護法などで私たちと立場が違う。安保法制は間違いでした、特定秘密保護法は間違いでした、アベノミクスは間違いでした、と言ってもらわないと(連携の)前提が整わない。

こちらにはほっとさせられます。
民進党が立憲主義否定の差別勢力・日本会議ファースト(「日本ファースト」は政党名とはならない可能性があるようなので、仮の名称としてこう表記しておきます)と組むとしたら悪夢でしかなく、おちおち支持もできなくなります。いま必要なのはまさにこのような言葉に他なりません。
私は、そして多様性を大切にする人々は、多様性を守るのが目的であったはずの自分の応援が、そして自分の1票が、意図とは逆に在日外国人、外国にルーツがある人、障碍者、性的マイノリティなどを殺傷する凶器として使用されることを恐れていて、この党や候補なら応援して投票しても大丈夫だという確信を求めているのです。