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雑記帳(過去ログ)
2018-04-22 の記事 - 2018-04-22
統幕3佐:議員罵倒 繰り返し「国民の敵」 処分検討

異常事態です。安倍氏が日本の何もかもをぶち壊しているのは周知の事実ですが、まさかここまでの事態に至るとは。

この問題の人物、自らの地位を名乗った上で、しかも国会議員に対して、堂々とあのような暴言を吐き散らしているわけです。そこに「このようなことをしてはならない」といった最低限の歯止めも、「自分の立場でこれをするのは国にとっても危機的なことだ」といった常識的な思考もありません。
もし「国民の敵」が政権を取ったら、この人物または類似の思想を持つ自衛隊幹部は何をするでしょうか。そして、小西氏または同様の考え方を持った「国民の敵」が自衛隊を指揮する立場になったなら?最悪の場合はクーデター、そうでなくとも命令拒否、妨害、わざと手を抜くなど、程度の差こそあれ何かしらの行動を取る可能性は十分あります。そして軍事力を持った組織において、それらはいずれも重大で破滅的な結果をもたらす恐れがあります。
さらに言えば、その「国民の敵」を支持している市民に対して、この手の人物はどのような態度を取るでしょうか。まさか市民に対してまで牙は向かないだろうと信じたいところですが、他人を「国民の敵」とみなそうものなら服務規定も文民統制の原則も何もかも無視し、それによって処分を受ける可能性があることすらも全く歯止めとならず、肩書を名乗った上で堂々と自らの欲望のままの行動を取る人物とあっては、何をしても不思議ではありません
さすがにデモや抗議活動の弾圧までは、少なくとも今すぐ行うことはないかもしれません。しかし、例えば災害救助・支援活動などの際、「国民の敵」の支持者とみなした相手を本気で救援しない、または不利益を与える、というようなことは十分に考えられます。
軍事力を保持した実力組織が、「こいつは助けるべき、こいつは国民の敵側だから助けなくて(不利益を負わせたり、後回しでも)よい」と市民の選別を始めたら、もう取り返しがつきません。国民の代表すらも選別するような者が、国民を選別するわけがないなどと信じる理由はありません。
そして当然のことながら、自衛隊内部にこの人物のような者が他にいないとは到底考えられません。安倍政権下で徹底的なまでにタガが外れてしまい、自衛隊そのものが(おそらく以前からその傾向はあったにしても、建前すら放棄してしまうほど)ヘイト化し、そうして地下にたまりにたまった汚物の一部が地表に顔を出した結果が今回の問題であると考える方が妥当です。

もはや現状の自衛隊は何をしても全くおかしくないとみなすべきでしょう。日本社会のタガを外した連中を一刻も早く政治の場から叩き出し、文民統制などの回復を行うことが求められます。

麻生氏「週刊誌、事実か定かでない」テレ朝セクハラ抗議
音声、「女性の声も」=セクハラ疑惑で麻生財務相

・被害者は名乗り出ろ
・もう少し大きな字で書いてもらった方が見やすいなと思った程度に読んだ
・名乗り出たからには、被害者の声も入れろ

おかしいと指摘を受けたら、ますます異常な言動によってその指摘もろとも踏みつぶす。これがいつもの安倍政権のやり方です。
そして恐ろしいことに、このやり方は今までであれば平然と機能していました。正しいことが全く通らなくなっていたのです。ではなぜこのようなやり方が機能したかといえば、国民のレベルがその程度であり、このような異常行為があっても支持率が下がらないか、あるいは上がっていた現実があるためです。
「最近になって5年分の膿が噴出してきた」といった意見は、半分は正しくて半分は間違っています。安倍内閣は最初から最後まで常にこの調子であって、今まではそれが適切に批判されていなかっただけに過ぎません。一見すると風車への突撃に見えるこの間抜けな麻生氏の弁も、実際には今まで散々やってきて何の問題も起きなかったことを今回もやっているだけです。5年にも渡る安倍政権の中で、極めて不十分ながらも問題が問題として扱われているのは今だけです。
今回の麻生氏のやり方を少しでも異常だとみなす者で、これまで内閣を支持したことがある者がいるならば、今までの自らの愚劣さを頭を叩き割る勢いで猛省すべきでしょう。その浅はかな加害者への加担行為のせいで、この何年かのうちに幾多の人々がこういう目にあわされ、踏みにじられてきたのです。安倍内閣や安倍親衛隊のターゲットにされた立場の弱い人々にとって、まさに「内閣支持率 = 自分を攻撃してくる可能性がある者の割合」に他ならず、それがとてつもない恐怖であることは想像するに余りあります。
性暴力被害者、外国ルーツの方々、森友で虐待された児童、その他たくさんの人々の苦痛の声を無視し、一緒になって彼らの頭を踏みにじった責任は到底贖いきれるものではありません。それも、被害者の頭を踏みにじる加害行為に興じる時には、「他にいい人がいない」という加担への責任逃れの言葉を口ずさむことまで忘れずに。
こんなもの言うまでもなく、今後はお天道様を仰ぎ、日向を歩くことすらも恥じ入らねばならないほどの、人として最低最悪の愚行です。

なお、私はいい加減、日本社会は「官僚は頭がいい」なる無根拠な印象論から脱却すべきと考えています。これがどれほど話の前提を狂わせていることでしょうか。
世の中には色々な人がいます。字が上手い人、縫物が上手い人、彫刻が上手い人、けん玉が上手い人、などなど。しかし、「けん玉が上手である」ことは頭がいいことを意味しませんし、同じく「試験で良い成績を取るのが上手である」ことは頭がいいことを意味しません。
けん玉が上手な人の中にも、頭がいい人も悪い人もいる。試験で良い成績を取るのが上手な人の中にも、頭がいい人もいれば悪い人もいる。それだけの話でしかありません。

2018-04-14 の記事 - 2018-04-14
女児土俵に上げず 静岡場所「ちびっこ相撲」

>力士が土俵上で子どもに稽古を付ける「ちびっこ相撲」に、毎年参加していた小学生の女児が参加できなかったことが分かった。

はい、この通り。異常行為に反対する声の高まりに対し、異常行為をぶち込んで叩き潰すという、安倍内閣と同様の方法で対抗してきました。
女性差別によって命にかかわる事態になった直後に、女児排除によって差別撤廃論に反撃を浴びせる感覚を見るに、もうこの連中は在特会とほとんど変わるところがありません。以前から劣悪な人種差別を散々見せられてきましたが、これが相撲協会というものの本性です。
こんな在特同然の差別推進集団に便宜などもってのほか。公益法人認定は即刻剥奪し、勝手に国技を名乗るのをやめさせ、このような差別集団の興業を公共放送で流すのもやめるべきです。
この連中が表立って興業を予告するたび、各地で大勢のカウンターに取り囲まれて徹底的な罵声を浴びせられる。それによってもはや日の当たる場所ではヘイト興業ができなくなる。本来これくらいの扱いを受けるのが当然ですし、それが正しい世の中の在り方です。

LGBTが気持ち悪い人の本音 「ポリコレ棒で葬られるの怖い」

散々批判されているこの記事。私もあきれ果て、「よくも2018年にもなって、こんなものを恥もなく公開できたものだ」と考えざるを得ませんでした。おかしな点はこちらで大体批判し尽くされているようですが、私からもいくつか。

まず、差別主義者とはどのような人格を持った人物なのか。中には「殺せ」デモに出るような者までいますが、彼らは一体何者なのか。これに対する答えは簡単で、「私たちの隣人」であり、「普通の人」であり、「いい人」です。
差別主義者が「私は差別主義者です」の札を首から下げて歩いてくれるのであれば苦労はしません。それなら避けるのも容易ですし、カウンターをかけるのも容易です。そうではなく、ただの人であることが重要で、かつ恐怖なのです。
気さくで社交的な理容師が、温厚で子ども好きの医師が、あるいは親切な飲食店のマスターが、例えば外国人やLGBTの問題となると豹変し、はさみを、薬品を、飲食物を持った怪物に変身するかもしれない。もしそうであれば、そんな人物に自分または家族の命を握られるのですから、マイノリティにとっては恐怖でしかありません。

大げさ?神経質?とんでもない。例えば内閣支持率。国家の根幹を揺るがす異常な問題が発覚してすら、実に3〜4割です。そして安倍内閣の支持者とは、すなわち「国家の根幹を破壊しようとも、差別内閣が続いてほしい者 + そこまで積極的ではなくとも、自分の利益のためなら被差別者が踏みにじられ、足蹴にされても一向に構わないとは考えている者 + 内閣の差別に平然と知らぬふりを決め込む者(もともと森友問題はヘイト問題であり、さらにあれほど大っぴらに中韓朝の憎悪扇動をしてきた内閣の差別思想を知らない者は実質存在し得ない)」の合計です。それも改ざん発覚前なら半数ほどの支持がありました。
早い話が、人々の半分が敵という状況です。子どもを遊ばせている時の公園の通行人、繁華街ですれ違う人々、電車に乗り合わせた人々、この半分が敵側であって、自分や家族が被差別者であるとバレればどんな攻撃を受けるか知れたものではないのです。道行く人の2人に1人が敵という恐ろしい状況を、ほとんどのマジョリティは想像することもありませんが、実はすぐ目の前に想像を絶する社会があるのです。
これこそが差別の恐怖です。それを、差別主義者と会ってみたら「拍子抜け」だの「ほっとした」だのと、普通の人、いい人である隣人が実は差別主義者であるかもしれない恐怖というものに関して、この記者が理解しているようには全く見えません。

さて、ではこのインタビューの男性は差別主義者なのか。言うまでもないことですが、間違いなく差別主義者です。
「差別主義者」とは何かというと、「差別思想を持っている者」ではありません。「差別的な言動をする者」のことです。たとえ全く差別思想を持っていなくても、差別的言説を垂れ流す者がいれば差別主義者です。一方、実は筋金入りの差別思想を持っていたとしても、それを一切言動に出すことがなく、差別解消のための活動に尽力したならば、差別主義者ではないどころか反差別者です。他人の内心など知りようがないのですから、その言動によって評価されるのは当然です。
被差別者を見て「気持ち悪い」と感じることは、別に差別ではありません。人間、自分にとって異質なものに対して警戒なり違和感なりを抱くのは仕方のないことで、それ自体を禁じることはできません。しかし、それを言葉や行動にした時点でそれは差別であり、その言動に伴う責任を取らなければなりません。
これは殺人や盗みなどと全く同じです。他人に殺意を抱くのは勝手ですが、それを実行に移したり、言葉にしたなら問題になります。会社の金庫に大金があるとして、これが手に入ったらなどと考えるのは勝手ですが、実際に盗んだり横領したり、あるいは盗むことを宣言したりすれば問題になります。それと何ら変わるところはありません。

そして極めつけはこれ。保毛尾田保毛男に関して、

>「後になって『あの時傷ついた人に気付けなかったあなたは罪人です』と言われると、『うち実家の花畑はキレイだなあ』と思っていたら、いきなり戦闘ヘリが飛んできて機銃掃射で荒らされる、みたいな気持ちになるんですよ」

実際には自分が被差別者を機銃掃射する側に立っていたのにこれ。そして被差別者が「もう無理です、これ以上撃たないでください」と訴えてきたら「人の花畑を機銃掃射で荒らすな!」なのですから、開いた口がふさがりません。
「子どものころ、朝鮮人が人々に取り囲まれていたぶられていた。当時はそれが意味するところもよく分からず、自分もつばを吐きかけてしまった」というような話を聞いたことがありますが、「それはよくないことだったのではないか?」と問われた時に「人の花畑を機銃掃射で荒らすな!」と言い立てるとしたら、これはもう筋金入りの差別主義者の域でしょう。

>「強迫観念として、ポリティカルコレクトネスに反してしまったら、僕の方が社会的に葬られるというのがあるんですよ」

痛みも苦しみも悲しみも感じ、傷つけば血も流す人々をぶん殴れば、反撃されても仕方がない(実際には「反撃」も正確ではなく、「身を守るために払いのけられる」くらいが正しい)ことも分からないらしいです。差別は人を傷つけ殺すことができる凶悪な殺戮兵器なのですから、そんなもの振り回して相手に防衛行動も何もされないと考える方がどうかしています。
そもそも「社会的に葬られる」とはどこの話でしょうか。現実にはテレビ局やら大手出版社やら有名人やらですら大っぴらにヘイトを垂れ流しまくり、しかも儲けているようですが。路上で死ね殺せと吐き散らした在特会の連中も未だ健在ですし。さらにはSNSも毎日毎日血も凍るようなヘイトのフルコースで、それでいてほぼ誰も葬られていません。
最近でそこそこ騒ぎになった差別案件といえば、例えば台湾募金ヘイトデマ騒動がありましたが、あれは他国の災害を利用し、卑劣な差別拡散をもくろみ、デマを垂れ流し、募金活動を妨害し、特定団体を誹謗中傷し、その後も差別と向き合わず嘘と言い逃れに終始した、数え役満モノのヘイトでした。それこそ、これくらい桁違いの異常行為でもなければ「葬られる」案件にすらならないのです。
その一方、人種差別・性被害などを告白した被害者たちはどのような目にあわされているでしょうか。何も悪いことをしていないのに踏みにじられ、社会的に圧殺されているのはまぎれもなく被差別者です。

こんなバカげた差別主義者の戯言に対し、この記者はあきれた応答をします。

>「じゃあもう怖いから、何も関わらない方がいいとなってしまう。でもそれじゃあ、苦しんでいる当事者に対する偏見は消えなくて、ますます当事者は苦しみますよね?」
>はい。それはたしかに、そうです。


「それはたしかに、そうです」?何を言っているのか。「そう考えるんなら、お前のような悪質な差別主義者はもう二度と関わらなくて結構。関わられるだけ有害で邪魔」とでも返答すればよろしい
この人物は、ヘテロセクシャル(異性愛者)・異性婚をしている人々、日本人、健常者などのマジョリティに対して、その属性に関することでいちいち何か関わっているのでしょうか。当然、関わってなどいないでしょう。であるならば、LGBTなどについてもそれらと同様に、いちいち関わらなければ結構。まずそれが差別解消の一歩です。
差別主義者に関わられなくて済めば、当事者の苦しみは縮小します。「いちいち差別はするな、許すな。あとは放っとけ」という簡単なことすら理解できずにいちいち関わってきては差別を垂れ流すから差別主義者なのですし、記者もそんなことすら理解できないから差別主義者の言い分を垂れ流すような記事を書いてしまうのです。

>「アンケートに書いたとおり、忖度(そんたく)して『差別はよくない。みんなで明るい未来をつくろう』と回答すれば、良かったのかもしれない。でも、それじゃあ本当の解決にならないですよね?」

実はそれでよいのです。
この差別主義者のような輩が何を考えていようと知ったことではありませんし、興味もありません。しかし、彼らが建前でも「差別はよくない」と言い、それに沿う言動をすれば差別はなくなり、問題は解決していきます。
繰り返し言いますが、被差別者について「気持ち悪い」と感じようが結構。差別的言動さえしなければ、実際にそのように考えているかいないかなど、他人にとっては知りようがなく、したがって何の意味も成さないのですから。
そういった内心の部分をどうにかするのは本人が勝手にやることであって、社会には何の関係も影響もありません。よって、それは本当の解決とは関係がありません。

>どうすればいいのか、簡単にこたえは出ません。
>ただ、「Bさんと会って、話して、よかったな」と思ったのは、たしかです。


で、これが締め。頭が痛くなります。20年前ならともかく、2018年にもなって差別問題を取材する記者がこれですか。
差別主義者の言い分を否定も留保もなく垂れ流し、「よかったな」。これでは「そうか、こんな記事を記者が書いて堂々と出しているということは、自分もここまでは言っていいのか」と人々に認識させ、差別を扇動することにしかなりません。差別扇動は差別扇動であって本人の思想は関係なく、つまり記者がそのような意図を持っているかいないかにかかわらず、この記事は差別扇動記事であると言わざるを得ません。
差別は極めて危険な爆発物かつ感染性汚染物であるのに、その扱い方をまともに学ぶこともなく、いい加減に扱って大爆発させたなら、それは記者の責任です。こんなことも分からないのなら、もう二度と安易に差別を取り扱うべきではありません。

2018-04-07 の記事 - 2018-04-07
女性差別、人種差別、そして「愛国」カルト。さすがは日本の国技といったところでしょうか。

本件は非常に恐ろしい要素が満載です。
相撲協会側は人の命が失われるかもしれない状況において、人命などより差別が大事という姿勢を示してみせました。これはベクトルこそ違えど、思想としては在特会やKKKなどと何ら変わるところがありません。差別はこれほどまでに堂々と、あれほどの衆人環境のど真ん中においてすら、平気で人を殺すのです。
しかも、女性蔑視はいわば「穢れ」の思想なわけですから、何か女性を排除するような合理的な理由があるわけではありません。「女は穢れている」「汚いから入るな」という子どものいじめのようなふざけた理屈を、信じがたいことに大の大人が平然と振りかざし、おまけにそれを人の命より優先しているのです。
さらに、彼らはこうした差別を「伝統」などの言葉によって正当化し、差別への反論を無効化しようとしています。通常の差別を社会を食い荒らす芋虫とするならば、「伝統」によって塗布された差別は、つまんで捨てられることのないよう毒のトゲを大量に付加された毛虫といったところでしょう。なおさら有害かつ卑劣であり、加えて今回のようにその「伝統」自体が攻撃力を持ち、人命を危険にさらすようになります。「伝統」なる言葉で塗布された差別は通常の差別よりもさらに強く非難され、即座に排除されなければなりません。
この他にも、相撲ではたびたび人種差別としか言いようがない問題が起こっている事実がありますし、舞の海や貴乃花が異常な思想に「感染」してしまっていることも知られています。
本件では差別アナウンスが批判されていますが、これは言うまでもなくアナウンスをした人物だけの責任などではなく、現在の相撲の在り方に構造的な問題があるからこそ発生したものです。例えば相撲が女性差別をしていなければ、このような問題が発生する余地は最初からありませんでした。相撲の構造自体をどうにかすることがなければ、似たような差別は今後いくらでも繰り返されるでしょう。

私としては、大相撲などこれを機に消滅していただいても一向に構わないと考えています。というより、この有様なら直ちに消滅するのが世のため人のためです。
相撲というスポーツ興業自体には興味はありません。やりたければ勝手にやればいい。私とは特に関係のない存在ですので、それを特に応援しようという気はありませんが、かといって止めようとしたり、文句を言う気もありません。
ただし、それが女性差別・人種差別・日本会議カルト思想などを世の中に垂れ流し、社会に害毒をまき散らし、人命よりも差別に基づく内部規定を優先するような反社会的な存在であるならば、もはや黙って見ていることはできません
少なくとも、差別に加担したり、差別のために人命をも足蹴にする反社会的組織を国が優遇する、またはそう誤解させることがあってはならないわけですから、差別を一切撤廃しない限り、このヘイト興業が「国技」を名乗るのを認めてはなりませんし、公益法人として税制優遇などもあり得ません。また、女性を「穢れ」と位置づけ、その差別思想は人の命に勝ると考えるようなヘイト興業を放送することは、著しく不公正かつ差別の再拡散に他ならない行為ですから、公共放送がやっていいことではなく、こちらも一切廃止しなければなりません。
それでもなお伝統と称して差別を温存したいのであれば、差別を推進し人命を脅かす社会悪集団によるスポーツ興業として日陰で細々とやってもらえば結構。表に出てきたらバッシングを受け、反差別カウンターに徹底的に罵声を浴びせられるくらいが適切な扱いでしょう。差別・不公正を堂々と日向に出すわけにはいきません。

相撲協会は「女性は基本的に入ってはいけないが、緊急時は例外とする」のような狂った案でごまかそうとしてくる可能性がありますが、本件の原因が伝統の名を借りた女性差別である以上、それを廃止することだけが唯一の選択肢です。
大体、誰がどのような知見の下でそれを緊急である、したがって女性が土俵に入ることは仕方ない、などと判断するのでしょうか。
何なら、今回の件で女性排除のアナウンスをした人物に「あなたはこれを緊急事態と認識していながら、女性が土俵に入るくらいなら市長が死ねばいいと考えてあのようなアナウンスをしたのか?それとも、緊急事態であるという認識が十分でなかったのか?」と聞いてみるとよろしいでしょう。もし前者ならもはや論外も甚だしく、人命にゴミ以下の価値しか見出していないような運営をする国技とやらには消えてもらう以外の選択肢はないとして、おそらく後者と答えるはずです。
すなわち、緊急であるか否かを正しく判断もできないがためにこのような問題が起こったのに対し、緊急時のみ制限を緩める措置を取っても何の意味もありません
また、人命より差別を優先してしまった構造、つまり差別のために人を殺す可能性がある状況は、いくら緊急時の対応を定めようとも差別規定を廃止しない限り温存されます。
悪あがきはやめ、女性差別の廃止を決定するしかありません。

土俵に大量の塩まく 女性らが倒れた市長救命後 舞鶴

>女性らが救命活動した後の土俵に塩がまかれたことについて、日本相撲協会の尾車事業部長(元大関琴風)は5日、「女性軽視のようなことは全くない。(けがの)連鎖を防ぐためにまいた」と説明した。

こんなもの、もはや誰も信じる人はいないでしょう。
これを信じてもらおうとするのなら、方法はただ一つ。「女性は穢れで、土俵に入ってはいけない」と相撲協会側が考えているから「入った後に塩をまいた」とみなされているわけですから、女性差別規定を一切廃止することで相撲協会がそのような思想を取っていないことを証明し、これが女性軽視による塩まきではないと示せばよいのです。
逆に言えば、この期に及んでこれすらできないようなら塩をまいた理由も分かったようなものです。

今後、相撲協会は一切の女性差別規定を廃止することはもとより、人種差別を含めたあらゆる差別を一切許容しないことを宣言の上、理念や規約にそれを明記して遵守し、今までの差別を認め謝罪することがまず必要です。
また、相撲協会が最も神聖と位置付ける場所の土俵を使い、多数の女性に土俵に上がってもらうイベントを実施、この様子を一般及びメディアに公開することで「社会の公正が伝統と称する差別に勝った瞬間」を人々に印象付け、かつ差別温存勢力の意思を粉砕する、といった程度のアピールは最低限必要と考えます。
もしそれに対して抗議をする者があれば、相撲協会が公式に反論の上、大相撲は差別を一切許さないと宣言せねばなりません。その上で、差別が解消された状態を確実に維持するために、毎場所1度は観客がいる中で女性に土俵に上がってもらうようにすべきです。
伝統と称する差別など、今回の救助などのような「現実」や、組織の異常な内規による支配が及ばない状況、「伝統」を上書きする既成事実などに対しては全くの無力です。差別が「現実」によって可視化されたところで、その差別的・反社会的内規を世の中や国際社会の場に引きずり出し、差別を上書きする既成事実を積み重ねて壊滅させることが必要です。

2018-03-31 の記事 - 2018-03-31
ある刑事ドラマで、被害者Xが殺害される事件が発生しました。捜査の結果、犯行が可能な人物としてAとBが浮かび上がってきます。Bは大企業の社長、Aはその従業員です。
Aの身辺をいくら調べても、Xを殺害するような理由は全く存在しません。一方、BにとってXが存在することは極めて邪魔であり、Xが存在していると自分の地位が失われる状況にありました。したがって、今回の事件で最も得をしたのはBです。
ところが、ここでAが「この事件は全部自分がやったんだ」と言い張ってきます。しかし、捜査員がAに殺人などとという危険で大それたことをする動機を聞いても、Aは「言えない」の一点張り。それどころか、B社長のスキャンダルに関すること、社長夫人のことにすら、「言えない」を繰り返します。そして「B社長は関係ありません」とも。
Bの方は知らぬ存ぜぬ、自分には何にも関係ない、Aがやったんだろう、と言うばかりです。
このような場合、もう視聴者に真犯人や事件の構図を提示したも同然であり、ここからは「なぜAはBをそこまで必死にかばうのか」「どうやってBの自供なりを引き出すか」などに焦点が移ってきます。人情系の番組であれば、Bがごくわずかに持っている人間らしさに訴えかけ、最終的には忠実に自らをかばおうとするAのためにBが出頭する、といったような展開になるかもしれません。

佐川氏の証人喚問。失望したというのが大方の見方のようですが、以前にもあれだけ嘘や言い逃れを繰り返してきた者から、それもごくわずかの時間しかない中で、あれほどの情報を引き出したのは、私としては予想以上でした。
なぜ「財務省・佐川犯人説」「内閣は無関係」には全く説得力がないのか。内閣周辺こそが改ざんの受益者であって、財務省側にはそんな大それたことをするような理由が存在しないからです。では、もし本当に財務省が犯人、内閣は関係ないとして、それを国民に納得させるためにはどうすればいいか。財務省がどうしても改ざんをしなければならなかった理由をしっかり語ることが唯一の手段でした。
いくら安倍内閣が捏造内閣だからといって、佐川氏が喚問されるまでの短期間でストーリーを作り、国民が納得するような動機をでっちあげ、何ならそれに沿うように文書や記録を改ざんなり捏造なりし、おまけに職員によるリークも確実に行われないようにし、野党のどんな質問にも確実に返答できてボロも出ないようにする、などといったことは極めて困難ですから、佐川氏が財務省が改ざんをした納得いく理由を明確に語ったならば、そしてそれが過去の文書なり答弁なりと合致していたならば、かなり信憑性は高いと考えてよかったでしょう。
ところが、財務省が改ざんをした理由を説明すれば一発で済み、一瞬にして内閣の疑惑を晴らすことができるはずなのに、佐川氏は徹底的にだんまりを決め込みました。これは要するに、どうやってもそのようなものはないと証明しているも同じです。なお、もしかすると今後、捜査の中でなぜか降ってわいたように妙につじつまが合った動機が語られることがあるかもしれませんが、それはもはや信用に値しません。
内閣とは全く無関係の部分で財務省に改ざんが必要な大問題があり、それによる訴追を恐れて黙秘している、という可能性も成り立たないではありませんが、それなら内閣やら昭恵氏に関することについては何らやましい点がないわけですから、これらについて素直に証言するのは全く問題がないどころか、自らの証言の正しさを裏付け、内閣が無関係であることをより強く証明できるものとして、願ってもないとばかりに証言することでしょう。ところが実際にはこういった質問に対しても黙秘しているため、それもあり得ません。
「語らない」ことは「語る」ことと同じほどに物を言います。佐川氏の答弁は、総じて両手を広げて立ちはだかり、「ここには何もない、何もないからあっちへ行け」と言っているようなものと言わざるを得ず、泣き所や問題の根深さが浮き彫りになった喚問であったといえるでしょう。

ただ、このところ強引な「幕引き」の動きがあるのは気になるところです。
普通に考えて、あのような証言で幕引きなどというのは唖然として顎が外れそうなほど明後日の発想です。なにしろ、あれだけのことを「語らない」という方法で雄弁に語った証人喚問なのですから。
しかし、自民党や内閣にとって佐川氏の喚問の意味などどうでもよいのです。それこそ「今日は丑の日」でも「パンダの赤ちゃんが生まれました」でも何でもよく、とにかく適当なことをきっかけにしてメディアに報道をさせないようにすれば目的は達成されるわけです。この場合は佐川氏の証人喚問を媒体に使っただけのことであって、氏の受け答えなど実際には最初からほとんど関係なく、ただこれをきっかけにフェードアウトさせる、というレールが存在しているだけです。
例えばNHKではろくに問題を報道できない状況であることが内部告発によって示され、また本件を「改ざん」と述べることさえも徹底的に避け続けていましたが、そのような厳しい状況の中で最低限の報道がなされるだけでも支持率がこれほど落ちたのです。メディアが適切に機能していれば安倍内閣などとっくの昔に吹っ飛んでいたことを示す良い例であり、逆に言えば何でもいいのでとにかく適当なきっかけを作って問題をうやむやにすることが、内閣にとっては効果的であるわけです。
この内閣はこのやり方での成功体験を積み上げています。今回もそれが上手くいくと考えているのでしょう。そして私は、それを否定できるほど日本国民を信用していません。

2018-03-24 の記事 - 2018-03-24
前川講師問題:文部科学省から名古屋市教育委員会への要請メール

この問題。一体この内閣とこの党は日本をどこまで徹底的に腐らせているのか。想像するだけで気が遠くなります。

ところで、森友学園問題で文書改ざんを問題視する意見(改ざんが問題なのは当たり前であって、問題視しない者がいることが異常なのですが)の中には、大きく分けて2つの方向性があるようです。すなわち、「本件は安倍内閣や自民党の体質の問題であるので、徹底的に追及して内閣は最低でも退陣させ、自民党も追い込むべき」という意見と、「文書改ざんは仮に安倍内閣の出来事ではなくても問題なのだから、文書改ざんを二度と行わせないような事実解明と対策が最も重要である」という意見です。
どちらかを選ぶとすれば、私は前者です。というより、安倍内閣なるもの、自民党なるものを駆逐しない限り、あの手この手で似たような不正を行うことが可能であり、不正を二度と行わせないこと自体がおぼつかない、つまり再発防止のためにはまず前者の方向性で問題を追及することが避けて通れないと考えています。

もし森友学園問題が「学校長から賄賂を提供された政治家が、その学校のために国民の財産を不当に安く提供。それを隠蔽するために文書の改ざんが行われた」といったものであるならば、話は単純です。関係者にはしっかり責任を取らせた上で、このような金銭目的の汚職を困難にしたり、割に合わなくする対策を打てばよいわけです。
しかし、今回の安倍内閣・自民党の汚職事件はこういったありがちな汚職とは全く性質を異にしています。国民の財産の不当な提供は金銭などを目的としたものではなく、しかも隠蔽にしても金銭スキャンダルが発覚するとまずいから、というものではありません。
ではこの場合、安倍内閣の汚職によって土地が手に入ったことにより、森友学園側が「提供」するものは何か。児童虐待も同然の「愛国」管理教育と、おぞましい人種差別意識を植え付けるような教育を、まだ分別のつかない子どもに対して「提供」する、ということになるでしょう。
はたから見れば狂っているようにしか見えませんが、これほど安倍内閣及び今の自民党の本質を明確に表している案件はありません。言うなれば、安倍内閣にとってはこれが汚職による土地提供の見返り、目的なのです。
また、加計問題や山口事件などこの内閣の汚職・異常行為はお友達案件の側面も持つ場合も多く、つまり「差別主義」「歴史修正主義」「縁故主義」などがこの内閣のキーワードとなります。
これらの価値観は自民党や日本会議などのヘイトカルトの根幹をなすもので、まずはそのあだ花である安倍内閣を打倒することは、現状で取れる中では最善の再発防止策の1つと考えることができます。逆に言えば、安倍内閣や自民党などのヘイトカルトを徹底的に追及することなしには、再発防止自体が不可能なのです。さらには、これだけの不正をやっても内閣一つ倒れないとなれば、ヘイトカルトに不正のフリーパスを提供するも同然です。
これは今回の教育介入問題を見ればすぐに分かります。内閣にとって都合が悪い人間が講師を務めたら与党議員が教育に介入し、講師への誹謗中傷をもって圧力をかけるなどといった行為はヘイトカルトの成せる業であり(圧力をかけた議員の言動を見れば一目瞭然で、まさに重度のヘイトカルト患者です)、文書改ざんが問題だから改ざんを防止する策を考えればOK、などと生ぬるいことを言っていては、別方面の汚職や不当介入などによって封じ込められたり、攻め落とされるだけです。

今回の文書改ざんは、仮に民主主義国家で発生したならば、発覚した瞬間に間違いなく内閣は吹き飛び、政権政党もひっくり返っているであろう、とてつもない一大事です。しかし、それほどの巨大事件ですらヘイトカルトの単なる一側面でしかなく、そのヘイトカルト政策を表に立って進めているのが安倍内閣と自民党です。
安倍政権を泥舟と見切って批判めいたことを口にしている者もいますが、異常すぎるヘイトカルトを実に5年も目前にしていて、それを問題と考えるなら行動できる時間はいくらでもあったはずで、それなのに一切何もしなかった結果としてこういう事態になっているわけですから、つまり今の自民党議員はただ1人の例外もなく全員が同類です。
ヘイトカルトを徹底的に追い詰め、弱体化させ、引きずりおろすことだけが、二度とこのような尋常ならざる問題を起こさせない唯一の方法です。

ところで、最近またも注目の籠池氏ですが、私はあのような拘束は明らかに不当であり、直ちにやめるべきと考えます。
無論、私は籠池氏を断じて許すことはできません。単に安倍政権の汚職にかかわった(森友問題では主役の一人ですが、安倍政権が汚職政権であることがはっきりしてきている以上、全体的に見れば「かかわった」くらいの表現が妥当でしょう)だけならまだしも、子どもたちを虐待し、さらにはレイシズムを植え付けていた最低最悪の行為は万死に値します。苦しんで死ねばいいと言わざるを得ませんし、それですら理由なく踏みにじられた幼児や被差別者の苦痛には全く及びません。
しかし、ヘイトカルトの権力が他人の人権を不当に踏みにじることを許すわけにはいきません。個人的な好き嫌いでそれを容認していれば、「裏切り者」の次には「反対してきて邪魔な奴」の番がやってくるでしょう。

2018-03-17 の記事 - 2018-03-17
汚職・改ざん事例が続々と。立憲主義無視の差別内閣がとうとう行き着くところに行き着きました。
これだけ民主主義を踏みにじる内閣で、しかもそれをかなりの国民が野放しにしていたとなれば、それはこういう結果にもなるだろうというものです。今さら驚くにも値しないどころか、案の定だから支持していた連中が落とし前つけろと言いたくもなりますが、本来あってはならない異常事態であることは確かです。
自民党や内閣は未だにトカゲの尻尾を切り捨てる公開ショーなどの茶番劇を行い、お粗末な責任逃れを繰り返していますが、一笑に付すべきくだらない行動であるのは言うまでもなく、最低でも安倍氏は必ず辞職させなければなりません。

私は安倍内閣の立憲主義否定や差別などあらゆる点に反対していますが、この際そのようなことは脇に置いて構いません。「汚職の末、文書改ざんの暴挙によって事実を改ざんし捏造しようとした内閣は崩壊する」という当たり前すぎることすら通らない国にしてはならないの一点において、安倍政権は崩壊しかあり得ません。
もしそれが実現できなかったらどうなるか。文書を改ざんしようが捏造しようが退陣の必要がない前例ができるわけですから、余程の物好きな政治家でもない限り、足元を揺るがしかねない文書などは改ざんした方が安全確実ということになります。
何やら主客が転倒したような話ですが、現に安倍氏は「私や妻が関係していたら総理も議員も辞める」と言っておいて、文書が改ざんされた結果として未だに辞めずにいるわけですから、実際そうなっています。
そして、少なくとも自民党及びその取り巻き政党の中に、「物好き」な政治家はいません。仮にそのような「物好き」政治家がいるのであれば、安倍政権下の立憲主義の破壊や身びいき汚職、差別主義の横行などに激怒し、離党するか、造反するか、党を割るか、何らかの行動をすでに取っているはずだからです。
それをしないということは、現政権の異常な方針や思想に共鳴しているか、あるいは保身のためならいくら日本がゆがめられようとも全く構わないと考えているか、そのどちらかでしかありません。その中には政府批判のポーズをしてみせるお調子者もいますが、そういう連中は今までにいくらでも行動の機会はあったのに何もしなかったわけですから、ただ姑息に立ち回っているだけです。
このような連中の正義感やら道徳意識などは、言うまでもなく一切信用に値しません。今後もこういった連中が政権を握り、しかも改ざんするのがリスクも高くなくてお得とみなしたならば、今回よりももっと上手く改ざんをやってのけるでしょう。
今後の日本政治に「改ざんは仮にバレようとも退陣の必要がなく、危なそうなネタがある時には改ざんがお得で合理的」という前例を残さないためには、安倍内閣を終わらせる以外の選択肢はないのです。

無論、本来の民主主義国家であれば即時退陣から逮捕までがセットであり、それでこそ「危ないネタがあっても、改ざんするのは割に合わない」として改ざんを強力にけん制でき、それがひいては文書や国への信頼にもつながりますが、今の日本は安倍政権などによって大きく崩壊しており、そのような当然のことすらもそうそう望めない世の中となっています。
たとえ安倍氏が退陣しても、氏が破壊した世の中の様々なものを復興するのは容易ではありません。外れてしまった差別のタガを単に戻すことでさえ、一筋縄でいくものではないでしょう。終戦時が焼け野原なら、これは精神的焼け野原と言っても過言ではありません。そして、もはや今の日本にその復興ができる力が残されているかどうかすら、私には分かりません。それ以前に、今後も日本社会がレイシズムに支配されてこのまま地獄まで突き進んでしまうかもしれませんし、あるいは小泉進次郎氏辺りが出てきてわずかに残ったものも全部売り払われ、物的にも精神的にも再起不能に陥ることになるかもしれません。
ただ、退陣すら実現できていない現段階ではまだまだ気が早い話ですが、安倍氏が日本のためにできる唯一にして最大の奉仕があるとすれば、それは逮捕されて国家や法への信頼を取り戻す最初のきっかけになることであると、私は考えています。

2018-03-10 の記事 - 2018-03-10
BPO:「ニュース女子」人権侵害認定 辛さんの名誉毀損

「ネットのデマを社会に拡散した」 ニュース女子で「人権侵害」の団体が見解

〈時代の正体〉ニュース女子「人権侵害」認定 差別の存在も示唆

この最低最悪の卑劣なヘイトデマ番組が被差別当事者にどれほど深刻なダメージを与え、また日本社会をどれほど劣化させたのか。想像するに余りあります。

DHCに関しては、もう在特会と同じくくりで構わないでしょう。この手のレイシストがインターネット上で散々垂れ流してきたヘイトデマとほぼ同等のデマを、公共の電波を使って垂れ流したのがDHCです。
このような存在自体がヘイトの連中に対して良心に訴えたところで仕方がなく、「DHC制作の番組は差別まみれの反社会的な事故物件であると周知し、どのテレビ局からもDHCのヘイト番組が垂れ流されないようにする」のが妥当な対応となるでしょう。
また、DHCの製品を使用した場合、その売り上げは基地負担に苦しむ沖縄の人々を踏みにじったり、人種的マイノリティの身の安全を奪ったりするための原資に用いられるわけですから、彼らを間接的に踏みにじっているのと同じです。それも、DHCの行動は日本企業によくある「差別の放置」「黙認」などですらなく、愚劣なヘイトデマによる能動的な攻撃行為です。そのような異常で不当な攻撃行為には一切手を貸すべきではないということを、多数の人々に知ってほしいと考えます。

そうなると問題はMXですが、ここの姿勢については

>MXはこの問題をめぐり、訂正や謝罪をしていない。
>代理人の金竜介弁護士は、「MX側はうっかり放送してしまった、で済むわけではない。是正する機会はいつでもあった。人権を回復する機会もあった。しかしそれを一度もしていない」と批判。


この一文だけで十分でしょう。

やや微妙な問題であったり、十分な知識がなければなかなか見抜けない専門的な誤りがあったというならまだしも、ここまであからさまで異常なヘイトデマが垂れ流されてしまうなど到底考えられないことで、垂れ流したテレビ局の責任も厳しく問われるべきものです。
しかし、時に到底あり得ないようなミスですら犯してしまうのが人間というものですから、このような失態も原理的には発生し得るものであって、大事なのはその後と言うこともできるでしょう。
命にかかわるような危険な商品を誤って出荷してしまった食品・機械・自動車などのメーカーがあるとして、そうした企業がまともならば、どのような対処をするでしょうか。おそらく急いで商品を回収し、この商品は危険であるので使用しないようにと周知、被害者に対しては真摯に謝罪するなどの方法で、できるだけ被害を食い止めようと動くのではないでしょうか。無論、これは自社生産のみならず、誰がどう見ても欠陥商品と一目で分かるようなOEM供給を受けた場合でも同様です。
今回、MXはヘイトクライムにつながるような危険極まりないデマをばらまきました。それへの批判は放映後すぐの段階で大量になされており、しかもそれらの批判が正当なものであることはその後のBPOの結論を見ても分かります。すなわち、MXには事後処理を行うための時間がたっぷり与えられていたのです。
もしMXが最低限の良識を持ち合わせた企業であれば、「出荷」されてしまった「商品」への責任、すなわち放送内容がデマであることを徹底的に通知し、火消しをしてそれ以上の延焼を回避、被害者である辛氏及び沖縄で基地負担に苦しむ人々に対して納得いくような謝罪をする程度のことはとっくに行っていたでしょう。そうして徹底的にデマ報道を否定していれば、加害者は居直って被害者が逃亡せざるを得なくなるという最悪の状況は避けられたかもしれませんし、日本社会が発砲テロに至るほどまでに劣化するのも食い止められたかもしれません。
経緯はどうあれ放映をしてしまった以上、求められていたのはむしろ事後処理であり、その点でMXは現状で到底信用できるものではないと言わざるを得ません。メディアとして社会に強い影響力を持ちながら、自身の「商品」に最低限の責任を持つことさえできない放送局など社会には不要です。

先日の三浦氏による差別扇動行為にしてもそうですが、テレビで平然とこのような悪質極まりない差別扇動がなされるなど、もうタガも何もあったものではありません。ところが、未だにヘイトと親和的な内容であったり、ヘイト出演者などを使う番組は後を絶ちません。
こうした行為は、マイノリティの平穏な生活や生命の安全を脅かすばかりか、結局はマスメディアの自滅にしかつながりません。大手出版社でありながらヘイト商売に手を染めた某社にしてもそうですが、こんなものは自分の足を食っているようなものです。ヘイト商売によって無から大きな利益を生み出していると考えているなら甘いというもので、言論のプラットフォームという極めて貴重なものを解体して売りさばいているから、それなりの利益が出ているだけに過ぎません。
もういい加減、バカげたことはやめるべきですし、そうした方針を取らない関係各社は自分の土台までもを売りさばかれる前に、それをしている者を堂々と批判すべきです。

2018-03-03 の記事 - 2018-03-03
台湾地震募金デマ:軽はずみで投稿炎上 個人情報も暴かれ

台湾地震募金デマ:投稿男性との一問一答

同情を誘うような記事内容となっていますが、このデマ野郎にはなおさら強い憤りを覚えます。

善意で書いたつもりが、間違って受け取られてしまって危機的状況に陥った。単にそれだけなら大いに同情の余地はあるでしょう。しかし、デマ野郎は以前からレイシズムによって罪なき被差別者を踏みにじっており、この件もその延長線上でやらかした問題であることを忘れてはいけません。差別に善意などありません。単なる悪意の塊です。
ましてや問題のツイートでは、他国の災害にまで便乗してヘイトデマを垂れ流そうとしたのです。まさにレイシズムのなれの果ての模範的な見本で、このデマ野郎が災害時ヘイトデマを平然と垂れ流すような人格の持ち主であることがうかがえます。そして災害時のヘイトデマは、平時よりもいっそう重大な問題の発生につながります。どこをどう同情すればよいのでしょうか。
もし同情するのなら、このデマ野郎のように災害を利用したヘイトすらもいとわぬ人物により、日ごろから踏みにじられている罪なき被差別者に対してすれば結構
おまけに、記事中でデマ野郎は差別について何ら謝罪をしていません。この件でしっかり反省をするとしたら、自らのレイシズムに向き合うことは絶対に避けて通れないはずですし、そうなると自らの差別を反省し謝罪せずにはいられないはずですが、それが全く出てこないのは一体どういうわけでしょうか。

>男性に批判が押し寄せてきた。一昨年の熊本地震の際に<ライオンが逃げた>とデマを投稿した人物が偽計業務妨害容疑で逮捕された事件を踏まえ、<逮捕ざまあ>や<毎日震えてんのか? 裁判所でせいぜいしょうもない言い訳でもせぇや>など罵倒の言葉が並ぶ。

記事に取り上げられないほど度が過ぎた暴言があった可能性はありますが、ここで例示されている程度なら行いに比べて相当生ぬるい罵倒では。差別、すなわち本人の責任によらない属性によって他人を傷つける暴挙と、デマというこれまた謂れなき卑劣な攻撃、さらには災害を利用するという人として最悪の方法、これらの合わせ技によって他者を踏みにじった結果、自分に責任がある行いに対して罵声が返ってくるのは、全く問題視するようなことではないでしょう。

>「誰でも誤った情報を軽はずみに流し、人を傷つける可能性はある。そうすると私のような目に遭う。そのことだけは多くの人に知ってほしい」

これは確かですが、やはり「差別」が抜けています。誤った情報を流す以前の問題として、この件において最も重要な要素は差別で、差別は人をズタズタに傷つけます。このデマ野郎は問題のデマを流す以前からそれをやっていたのです。

>−−今回の投稿も過去にツイッターで朝鮮人への差別的な発言などがあったことも掘り起こされ、「ネトウヨ」とされた。政治的思想が今回の投稿に影響したのではないか。

>◆私は少なくとも左寄りの人間ではないですし、日本をおとしめるような投稿は「どうかな」と思いますし、陥れようとする人も嫌いです。

>しかし、過去の発言の中には軽率な面がありました。私がたたかれるのはそれだけのことをしてしまったので仕方ないですし、たたく気持ちも分かります。でも、普段の投稿は趣味の競馬に関することや好きな声優に関するものがほとんどです。過去の2万以上のツイートの中から二つほどを切り取られて、並べられ、イメージを作られてしまった面もあるかもしれないと思います。


デマ野郎らしい卑怯な大嘘です。実際には2つ程度ではなく、数からして間違っています。以前にどこぞの政治家が「(安保を合憲とする学者が)たくさんいる」と発言し、誰か問われると3人だけだった、ということがありましたが、どうもこの手の人々にとって計測可能な数字は2までで、3以上は勘定不可能になってしまうようです。
また、ツイートの中では「チョン」などと蔑称を使って韓国・朝鮮人をバカにするなどしており、これを差別的な発言でないと言い張ることは不可能です。イメージを作られたなどという事実はなく、このデマ野郎は明確な人種差別主義者です。言い逃れの余地はありません。
一番重要な人種差別について、散々傷つけてきた被差別者に「ごめんなさい」の一言も言えないどころか、すぐにバレるようなその場限りの嘘をついて逃げている以上、おそらくこのデマ野郎は今後、「反省」を生かして自分に火が回らないよう工夫することはあっても、差別をやめることはないでしょう。
海外の災害を利用して海外ルーツの人々を差別するなどという、日本の恥そのものの行為をしておきながら、一応は反省を語る場であるこのインタビューで平然とこういう恥知らずな発言ができてしまうことからしても、まさに救いようがないヘイトデマ野郎です。
ヘイトデマ野郎の人格が腐りきっていることは別に意外でもなんでもありませんが、新聞が補足もなしに加害者の大嘘をそのまま掲載するのは極めて不適切です。これが嘘であることは証拠も残っている明白な事実ですから、最低でも嘘は嘘であると書き加えた上で報じるのが報道の責任ですし、本来ならこの点を徹底的に追及すべきでした。

また、下村健一・白鴎大客員教授によれば

>「おもちゃの鉄砲だと思って気楽に引き金を引いたら、撃った後に突如ミサイルに変わり、はるかかなたへ飛んでいく。本人はぼうぜんと見送るしかない」

とのことですが、ここでもやはり「差別」が抜けています。差別はおもちゃの鉄砲ではなく、少なくとも機関銃やミサイル、ひどい場合は原爆を超えるほどの被害をもたらす凶悪な殺戮兵器です。ミサイルランチャーの引き金を引いたら、実際にミサイルが発射されただけのことです。そして、ミサイルと分かっていてミサイルを発射した以上、その責任を問われるのも非難を浴びるのも当然です。
今まではたまたまミサイルが誰にも直撃しなかったが、今回は災害時を狙いすまして撃ったらしっかり直撃して大騒ぎになった。それで「そんなつもりじゃなかった」などという言い訳が通用するわけがありません。
ただの勘違いやミス、善意の失敗によって結果的に嘘を発信してしまうことと、差別という最も理不尽で卑劣な悪意を前提とするヘイトデマを垂れ流すことでは、まず入り口からして全く別物で、同じ前提を適用することはできないのですから、きっぱり区別して考えなければなりません。

無論、相手がデマ野郎であろうとも、本人が一切記載していない個人情報を必要もなく(*)暴くのは、誤って他人の情報が拡散されるリスクとも隣り合わせですし、よくありません。一方、仮に個人情報を自主公開していて、それを使われただけなら「暴く」ではありませんから、特に問題とはみなしません。記事からは前者のように取れますが、このデマ野郎が何を言っても信用できませんので、ここの判断は保留としておきます。
ただ、暴きはよくないとしても、はっきり言ってこのデマ野郎の苦痛など知ったことではありません。差別デマ野郎がどれほどの苦痛を味わおうと、それは自分が蒔いた種であって、自分に責任がないことで最大限の苦痛を味わわされている被差別者には遠く及びません。

(*)先の発砲テロ、あるいはこのデマ野郎のように災害さえも活用してヘイトデマを垂れ流す輩を見れば分かるように、レイシストは被差別者を攻撃するためなら平然と異常な行動を取ります。そこに良識による歯止めなどありません。被差別者にとってこれは大変な恐怖であり、飲食店、医療機関、理髪店などの利用は特に恐ろしいといいます。
これを理由とするレイシストの個人情報の拡散・共有を「必要」と呼べるかどうかについては議論の余地があるにせよ、レイシストから自分や家族の身を守るため、大変な暴挙に出ておきながら差別について全く反省のない最悪レベルのレイシストの情報はあってほしいと主張する人がいても、私はそれを頭ごなしに否定することはできません。

とにもかくにも、「偉そうなことは今までの差別を全部謝罪し、差別に対する贖罪を始めてから言え」の一言。
とりあえず、このデマ野郎は厳正な法的措置によってたっぷり損害賠償を請求されればよいのではないでしょうか。差別の贖罪をしない限り、今後とも罵声を浴び続け、一生日向を歩けないくらいでも大いに結構。かねてから差別を行い、挙句の果てに他国の災害さえも利用してヘイトデマを流し、今なお嘘をついて言い逃れを図る者など、地獄を味わってすらなお生ぬるいです。

2018-02-25 の記事 - 2018-02-25
Googleがトップページでくだらないアニメーションを延々続けていて、開くたびにリソースを食い荒らされて困り果てたため、Chrome(冒険・探索用の位置付け)ではJavaScriptを基本的に切っておいて、どうしてもJavaScriptが必要な場面ではブラウザの使い分けで対処することにしました。アドオンも併用していますが、ブラウザを切り替えた方が安全確実。
あのGoogleでさえ、不特定多数のユーザーに対して出会い頭スクリプト攻撃を仕掛けているほどなのです。ましてや検索して知らないサイトを開くとなればなおさらで、たとえ有名企業のサイトを開く場合であろうとも全く信用できません。
この状況下では、基本的に探索用ブラウザではJavaScriptを切っておき、どうしてもJavaScriptが必要な場合、または乱用はなされていないと信頼できるサイトに限り、個別にJavaScriptをONにしたブラウザで開くのが、身を守る上で唯一の解であると言わざるを得ません。
ユーザーも開発者も誰も得をしない。すべての人を不幸にする言語だと誰もが分かっているのにやめられない(*)。それがJavaScriptです。
ユーザーと開発者の両方が、JavaScriptという呪詛の言語から解放される日が来ますように。

(*)JavaScriptの名誉のために言っておくと、これは別にJavaScriptが悪いのではありません。ややマニアックな実験的言語として存続する分には、むしろ楽しくて発想転換ができる言語としてそれなりに愛されていたでしょう。どう考えても特性からして無理がある分野に引きずり出され、手軽で実験的な代わりに低機能かつ堅牢さゼロであるのに重荷を背負わされ、デファクトスタンダードにされてしまったのが悪夢なのです。
その結果、どっちつかずでプロトタイプ指向だかオブジェクト指向だか意味が分からない異様な構文をドカドカ上乗せされ、世にも汚らしい上に何がしたいのか分からない言語にされてしまい、フレームワークが現れては消え現れては消え。実にバカげている上に非生産的であり、JavaScriptとしてもいい迷惑でしょう(?)。

朝鮮総連本部発砲、逮捕の1人は右翼活動家

桂田智司といえば、少しでもレイシズムを問題視している人なら誰でも知っています。「鶴橋大虐殺」の父親です。
とうとう現代型レイシズムが銃テロ犯罪にまで至り、ついにここまで来たかと戦慄します。次に銃弾を浴びるのは何でしょうか。あるいは、「誰」でしょうか。被差別者はいつまで、「次に奴らの銃口が向くのは自分の家族かもしれない」と不安な日々を送らなければならないのでしょうか。銃を所持していて、被差別者への理不尽な殺意を隠さず、実際に発砲もしてみせるようなテロリストや、その行為を義挙などとして称賛するような連中相手に、どうやって気を付ければよいのでしょうか。
この、目の前で連鎖的に次から次へと社会のタガが外れていく様は、もう恐怖でしかありません。
もはや「さすがにここまではやらないだろう」は通用しません。レイシズムに基づくジェノサイドは、明日にでも起こり得る状況にあります。そしてそれは、差別を一切放置してきた日本のマジョリティの責任に他なりません。

上級レイシストは差別の垂れ流しを商売とし、本屋に入ればヘイト書籍まみれ、SNSはヘイトまみれ、政治家は差別で人気稼ぎ、どこを見ても差別の山。では、自称学者レイシストは何を対価に自分を売り込み、政治家は何をテコに人気取りをしているのでしょうか。あるいは、ヘイト本屋やヘイト放置SNSは何を売って利益を出しているのでしょうか。書籍やサービスなどでしょうか。
確かに表面上はそうですが、実際に彼らが売り払っているのは、被差別者の身の安全と平穏な暮らしに他なりません。また、差別によって被差別者が危険にさらされるような社会は、関東大震災虐殺やルワンダの虐殺を見ての通り、マジョリティまでもが殺されるような社会です。すなわち、これは誰にとっても他人事ではなく、社会全体の安全を毀損します。
当然のことながら、被差別者の身の安全と社会の安全を勝手に売り払う「自由」を持つ者などどこにもいません。このようなことは断じて許されてはならず、マジョリティの責任で止めなければならないのです。

はっきり言って、レイシズムに立ち向かうのは命がけです。対峙する相手は「○○人を殺せ」と本気で言い散らしているような連中であり、しかもそうした連中がいきなり拳銃を出してきても決して不思議ではないことが、今回改めて示されました。
しかし、それがマジョリティの最低限の責務です。マジョリティが生み出した怪物が人の命を脅かしている以上、マイノリティを盾にして隠れるのではなく、マジョリティである限りは前に出なければなりません。

2018-02-17 の記事 - 2018-02-17
Googleがトップページにアニメーションらしきものを持ってきているため、重い作業中に検索をする(プログラミング関連でリソースを使いつつ、分からないことを検索するなど)場合などはひどい目にあい、大変に迷惑している今日この頃。変換や入力言語の切り替えなどを経る場合には地獄度がさらに倍増します。もう適当に"a"でも何でも検索してトップページから逃れ、結果ページから改めて検索ワードを考えて打ち込んで検索しています。
JavaScriptをONにしている限り、こういう出会い頭の嫌がらせ、あるいはサーバー側の実装が問題なのに大抵クライアントサイドが迷惑をこうむるXSSなど、様々な攻撃行為から逃れることができません。ところがOFFにすると、今度はJavaScriptがOFFでは機能しない、または機能しないと言っても過言ではないほど不便化するサイトがあるという別パターンの嫌がらせを食います。
JavaScriptのおかげでこれは便利、というサイトは実のところほとんどなく、大半が作成側の自己満足。何の気なしにポインタ動かすといきなり展開してくるメニューだとか、人が内容を読んだりリンクをクリックしようとしていたら突如上の方で何かが読み込まれて位置がずれるページだとか、検索窓に候補を表示したいらしいものの、検索するとしばしば入力が固まる入力ボックスだとか、迷惑千万です。余程特殊な例を除き、例えばAjaxなど何の役に立つのでしょうか。ブラウザの履歴に残らない分、ただ不便なだけ。フレームワークの都合?利用者には関係ない。
特に一番下まで表示すると続きが自動的に読み込まれるあれ、どうすればあそこまでひどい仕組みを考案できるのでしょう。次以降の部分が履歴に残らないわ、下の方にあったのを後から容易に表示できないわ、読んでいくたびに重くなっていくわ、続きを読む気がない時にもいちいち読み込むわ、一旦閉じて続きを読むことはできないわ、もう最悪。
安全性、機能性、そのくせ回りくどいだけで堅牢ではない言語仕様(糖衣構文は増えていますが、所詮は糖衣構文。元の意味を理解し、かつ糖衣構文の理解も必要な二度手間でしかない)などなど、見る側としても、書く側としても、ありとあらゆる意味でJavaScriptは滅亡してほしいです。

三浦瑠麗氏、ワイドナショーでの発言に批判殺到 三浦氏は「うがった見方」と反論

あまりにもふざけた発言であり、絶対に許すことはできません。怒髪天を衝くとはこのことです。

街頭で「殺せ」デモに対抗している人々は、自分が相手の気を引き付けて代わりに暴言を浴びることによって差別を減らし、また周囲の人々や被差別当事者、子どもたちなどに差別の刃が飛ばないよう、必死にかき消しや周知活動を行っています。
また、対抗者は単に差別デモに対して抗議するだけでなく、相互理解や交流の活動に参加したり、説明会などを行ったり、身近な差別を減らそうとしたり、様々な方法で地道に差別を解消しようと行動しています。
それこそ砂漠に木の芽を植えるような地道な作業ですが、日本全国に拡散し根付いてしまった差別に対抗するには、このような地道な行動が必要なのです。
そうして、差別が数十人、数百人の人々にも届かないよう、誰かを傷つけないよう、気が遠くなるような地道な努力を積み重ね、何とかそれが少しずつ功を奏してきたという矢先、とんでもないことが起こります。
自称学者の三浦瑠麗氏が、在特会が疑心暗鬼を誘うような言葉そのままの差別、不逞鮮人・井戸毒デマの現代版を、テレビで何十万、何百万もの人々に向けて垂れ流したのです。
こういう「人間のクズ」という言葉以外では適切な表現のしようがない外道の一言により、多くの人々が積み重ねてきた地道な努力の成果は一発で吹き飛ばされ、その上に何百倍ものお釣りが来ます。もうバカバカしくなりますし、どこまでふざけているのかと怒りに震えます。

三浦氏は批判を受けた後、定番の「差別と言う人が差別」論法に逃げており、間違いなく確信犯であることをうかがわせます。当然のことながら、自分が干し草に向かって火を放っておいて、批判に対して「干し草に火を投げたからと、それで火が起こると考えるのは、お前らが放火魔だからだ」なる言い訳をしても通用するわけがありません。
そして実際、この発言によって扇動された者の存在も確認されています。今後、路上のヘイトスピーチでこの発言が活用される可能性もあります。また、被差別当事者の中にはこの発言に不安を覚えていると明確に述べている者もいます。三浦氏が放った差別の炎は、現に日本社会に山のように積まれている差別の干し草にしっかり燃え移っているのです。
そしてこの炎は、今この瞬間にどれほど多くの人がデマだから信じるなと呼びかけたとしても、あたかもそのような真実があるかのごとく地下で拡散され続け、今後災害なり外交的緊張なり、何らかのきっかけがあった時に爆発することになるでしょう。
無論、発言が全く意図しない方向に取られてしまい、干し草に火をつけてしまうことはあり得ます。したがって、原理上は三浦氏が差別を全く意図しなかった可能性もゼロではありません。ただし、それなら氏は自分の行いによる結果を反省し、また目の色を変えて率先して火消しに走っているはずで、自分の発言が意図に反して差別の扇動に使われることがないよう努力するのが当然です。
ところが、氏は「差別と言う人が差別」論法に逃げた上に自らのヘイトデマをデイリーメールをソースにして正しいと強弁する始末で、差別を食い止める努力など全く見られません。例の発言をもとに差別意識を燃え上がらせている者に「私はそんな意図で発言していない。それは間違っている。絶対にやめてくれ」と言って回るでもなければ、不安を抱えている被差別者に「許されない発言をしました。二度としません。すみませんでした」と言うでもありません。
また、いちいち説明するまでもないことですが、特定の人種・民族の方々に対する差別を扇動するデマを垂れ流す「安全保障の議論」など、一切できる必要はありません。それどころか、災害のたびに差別扇動デマが垂れ流される現状を見ての通り、差別扇動デマは災害時や有事の安全保障に対する重大な脅威であって、本気で安全保障を考えるなら即座に否定されるべきものです。
要するに、氏は日本社会の差別の干し草に火を放てば何が起こるか分かっていて、それを効率よく利用したわけです。

そして同時に、このようなルワンダのラジオの再現のようなことを平気でやってのけたテレビ局にも怒りを禁じ得ません。
それも、生放送でついうっかり、というのならまだ分かりますが、これは収録番組です。テレビ局もまた、この悪質な差別扇動表現を確信犯的に世の中に垂れ流したのです。街頭のヘイトスピーチに抗議する人々が、数十、数百の人々が差別の直撃を受けないよう苦心している頭上で、在特会の主張とほとんど変わらないような言い分を肯定的に垂れ流し、一瞬のうちに数十万、数百万の人を扇動してみせたわけです。
先日も「ニュース女子」なるデマ番組をBPOが厳しく批判したばかりであるのに、これは一体全体どういうことなのでしょうか。ヘイトデマを次から次に垂れ流すことが報道の役割とでも言う気でしょうか。それをやったルワンダで何が起きたのかも知らないのでしょうか。
この件でメディアがどのように動くのか、BPOが判断をするのか、するとして妥当な判断を下せるのかは分かりません。たとえBPOが何らかの判断をするにしても、それは差別というものの伝播力・拡散力を鑑みた上では、非常に遅々としたものになるでしょう。
ただ一つ言えるのは、三浦氏のような悪質な差別扇動者を今後も使い続け、今回の番組またはその類似番組のような差別扇動フェイク番組を今後とも放送し続けるのであれば、それは報道の自滅以外の何物でもない、ということです。

本件は「さすがにそこまではしないだろう」というタガを、軽々と虚空の彼方まで弾き飛ばしました。インターネットや街頭のヘイトデモにはジェノサイドの扇動があふれかえり、書店にも異様な本が並ぶような社会ですが、さすがにマスメディアがルワンダのラジオの役割を果たすことはないだろうという漠然とした信頼感は、本件によって完全に消し飛びました。
本件は「社会の絶対に超えてはならない線」をあらゆる面で1から100まで超えています。本件を1%でも肯定することは、線を超えることを肯定するのと同義でしかありません。