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雑記帳(過去ログ)
2018-12-15 の記事 - 2018-12-15
保守速報の敗訴、最高裁で確定。在日女性への差別を認定、「まとめサイト」の新たな判例に

日本の現職総理大臣である安倍氏もフェイスブックでシェアした大手ヘイトまとめサイト・保守速報、地裁で敗訴、高裁で敗訴、最高裁への上告は棄却、200万円の賠償が確定しました。おめでとうございます
末尾に0が2つほど足りていませんが、それでも「まとめているだけ」なる言い訳が司法の場で完全否定されたことは大きく、他のあらゆるヘイトまとめサイトも他人事では済まなくなります。人を苦しめれば苦しめるほど利益が転がり込んでくる腐った保守商売など、断じて成り立たせないようにしなければなりません。

ただし、現状では何もかも全く不十分と言わざるを得ません。
本件では李信恵氏が卑劣な複合差別に苦しめられ、自らの負担を顧みずに提訴したからこそこのような判決が得られましたが、負担のために提訴できない場合には泣き寝入りをさせられることになりますし、何よりヘイトサイトが特定個人への名指しを避けて属性への差別を行っている限り、現行法での対処には限界があります
当然、特定個人への名指しがなくても差別意識の扇動は可能であり、それによって社会の差別がより根深くなったり、ヘイトクライムを引き起こしたり、果ては災害時などの緊急時に蓄積された差別があふれ出し、最悪の事態に至ったならば、被差別者は否応なしにその被害を受けることになります。一方で、被差別者は自分が直接の中傷対象でない限り、差別扇動者を訴えることもやめさせることもできません。
この国ではすでに相模原事件が発生しており、今後何が起こってもおかしくありません。特定個人を差別するだけではなく、特定個人を名指しせずに特定集団への差別を扇動する行為についても、野放しにならないようにしなくてはなりません。

李氏は負担を顧みず、被差別当事者としてできることを着実に成し遂げています。また、各地では有志がそれぞれのやり方で差別と対峙しています。ここからは立法が動いたり、社会がその良識を示すべきところです。
ところが、なにしろ保守速報をシェアする人物が総理大臣であったり、まとめサイトどころか講談社や新潮社といった名だたる出版社までが平然とヘイト商売をするのが日本なのですから、立法では差別が推進されたとしても制限されることはまず考えられず、個人も企業も目の色を変えて差別を吐き散らし、社会の良識も何もあったものではありません。
まだまだ道は長いといえるでしょう。

小泉進次郎氏 深夜国会を批判「時間のむだづかい」

バカじゃないの?
なぜそのようなことになったのか。与党側がインチキデータを用いたり、まともに審議もさせないような異常な国会運営を行い、果ては滅茶苦茶な強行採決の暴挙に出たからに他なりません。無駄だ何だというなら、与党のやり方に対して言わなければなりませんし、そのようなやり方にしれっと賛同した者が口にしていいセリフではありません。
少なくとも最近の無茶な強行案件において、野党は相当頑張っています。様々なデータの矛盾やデマを暴き、審議すればするだけボロが出る状況に追い込んでいます。それに対し、この世襲坊やは何をしたのでしょうか。野党も納得せざるを得ないような強烈なデータでも提示してみせたでしょうか。それとも、与党のやり方はおかしいとして造反や離党でもしてみせたでしょうか。
このような坊やの言い分を見るだけでも、実際には何が無駄なのかは容易に分かります。このようなコメンテイター気取りのどうしようもない坊やが議席を得ることにより、最低限の知性と良識を有している人が議席を得られなくなり、こういった無能者というか有害な者が幅を利かせるようになることが税金の無駄なのです。

未婚親の支援策、自公が対立 自民「未婚の出産を助長」
支持者もろとも地獄に落ちろ、ゴミクズ差別政党が

立憲民主党・西東京市議のヘイトチラシ問題

こんな輩、即刻除名かつその事実の迅速な公表しかあり得ません。本人の申し出により公認取り下げだそうですが、これでは党として差別を許さない姿勢を示せていない上、経緯や事実の説明もまともになされておらず、煮え切らない対応と言わざるを得ません。これだから立憲民主党は信用しきれないのです。
この人物がやったことは、脈絡もない憎悪扇動もいいところ。韓国製品だのK-POPだのは韓国政府・司法への怒りとは関係ありませんし、K-POPを聞かないなどは個人の勝手にせよ、あろうことかそれを堂々と自らの宣伝チラシに書き、マイノリティを含むであろう不特定多数に配布できてしまう神経は相当なものです。
選挙を目前に控え、限られたスペースの中、自分への支持を集める文を書く必要がある場面で、もっと別のことも書けるところをあえてこれを書くのですから、それを書いておけば喜ぶ層が日本にはかなりいることを計算した上でやっているのでしょう(支持確保などを考えずにやっている、つまり差別活動を拡散したいからやっているとしたらもっと怖いですが)。レイシストの支持を当て込んだレイシストを議員とすることは、立憲民主党の理念に沿うものではないはずです。
有田氏らが体を張って差別に対抗し、実際にマイノリティを議員や候補にするなどしている一方、なぜかこういう輩が存在していたり、レイシストの小林よしのりと組んでいたりすることは、党への信頼を大いに損なわせています。差別が好きなら自民党に投票すれば足るのであって、自民党の差別扇動に憤ったり、不安や恐怖を覚えたりしている人々こそが立憲民主党の支持層であることを自覚しているのでしょうか。
私は先の衆院選でも、小林氏を呼んだことに憤って立憲民主党に投票しませんでしたが、この分では次の選挙でも立憲民主党の党名を書くことはありません。ヘイト議員を迅速に処分して公表できるようになり、小林氏と手を切ってからがようやく開始点であり、この党はまだスタートラインにすら立てていないのです。
自分自身がマイノリティであったり、家族や友人にそうした人を持つ人にとって、立憲民主党は信用に値する政党となれているかどうか、まともに考えるべきでしょう。

2018-12-07 の記事 - 2018-12-07
Chromeの新UIが到底使っていられないほどにむごたらしく、chrome://flagsで前のデザインを使うこともできなくなっていたため、旧バージョンを導入する羽目に。なぜ実用ソフトを丸っこくしたがるのか全く理解できません。このまま最新版でゴミデザインが使われ続けるようなら、Chromeを捨てるしかなさそうですが、こうなるとまともに使えるブラウザとしてはFirefoxが残るだけです。
しかもEdgeもChromium化するそうですし。個人的には、Edgeは捨てて最低限まともな機能とUIを備えたブラウザを作ってほしいと考えていたため、Edgeが存続して中身がChromiumになるのは歓迎できない変化です。
ブラウザ劣化競争の爪痕はあまりにも大きすぎます。

さて、今年の流行語大賞です。

そだねー
これ、流行語ですか?「今年の名言大賞」であればまだ理解はできますが。何よりあの周囲の「言わせている感」にうんざりしましたし、本気でああいうのはやめてほしいです。チームに罪はないだけになおさら。なにしろオリンピックにほんのわずかの興味すらない私ですら、「言わされている」場面を見せられて知っているほどなのですから。
オリンピックの競技観戦で、癒されるということがこれまであっただろうか」だそうですが、競技観戦で癒されているなどと言っている間に、オリンピック自体によって日本が死にそうなのが悲しいところです。

eスポーツ
その在り方には議論の余地があるとはいえ、ゲームをスポーツ・レクリエーションの一環として肯定的にとらえることは良い傾向なのではないでしょうか。プロだの何だのではなく、言うなれば将棋・囲碁などと野球・サッカーなどの中間的な存在として、すそ野が広がっていけばよいのでは。

(大迫)半端ないって
知りませんでした。興味がないもので。

おっさんずラブ
これも知りませんでした。が、この手のドラマが当たり前になるとすれば良い傾向。「イロモノ」ではなく、ドラマに普通に現れる普通の恋愛として。

>男女いりまじっての真剣恋愛に、国会議員による「LGBTは生産性がない」の妄言は完全に霞んでくる。

なら良いのですが、実際にはその国会議員は責任を取らずに逃げ切り体制ですし、政府は韓国ヘイトを煽り立てていますし、外国人奴隷が輸入されそうですし、沖縄いじめは目を覆わんばかりと、あらゆる差別が日に日に深刻化しています。新潮社は新潮45を休刊したものの、出版業界のヘイト商売は全く留まる気配を見せず、百田氏による歴史デマ本が、それも大量の無断転載が発覚したのにバンバン売られている状況(実にどうでもいいですが、Wikipediaを無断転載した本がWikipediaの出典に使われて自家中毒になりかねないのでは、などと考えなくもありません)。
今後ともLGBTを含め、差別が解消されることは当面ないでしょう。とりあえず、地元のレイシストを叱り飛ばすなど、身近なところからコツコツと賽の河原の石積みを継続したいところです。

ご飯論法
この内閣は本気でこればかり。答弁を多少聞くだけでも異常な内閣であることが分かります。ついでに、資料のデタラメを毎回きっちり暴くなど、勢力的に極めて不利かつ野党モドキが肝心なところで足を引っ張る中、立憲野党が相当しっかりしていることも同時に分かります。
ところで、メディアは「与野党の攻防が激しくなっている」をやめるべき。データはデタラメ、答弁はガタガタ、それをすべき根拠は消滅、しかし強行採決。これを攻防とは言いません。「野党は反発」もおかしい。こんな状況ではまともな神経していれば賛同するわけがないのであって、これを「反発」とは普通言いません。「野党は決め手を欠く」も同じ。データの捏造を暴こうが何を指摘しようが強行採決だけしかしない連中に対し、どのような決め手を持って来いと?そんなものがあるのなら、どうぞご自分がそれを持ってきて廃案にさせてみせてください。それがメディアの本来の仕事です。

災害級の暑さ
これ、流行りましたか?猛暑なのは確かですが、猛暑や熱中症関連でこれよりも多く使われていた言葉はいくらでもあるような。

スーパーボランティア
これも流行語とは言えないような。
このボランティアの方が称賛に値するところまではいいとして、メディアも騒ぎすぎ。本人にとっても迷惑な話でしょう。メディアの仕事は活躍したボランティアの方を追い回すことでも、事故や事件で話題になった被害者を追い回すことでもなく、権力をしっかり監視し必要な報道を行うことです。

奈良判定
これ自体は流行語としては知りませんでしたが、スポーツ界がアレな一年であったのは確か。
スポーツ問題で個人的に一番腹が立っているのは大相撲の女性排除行動で、土俵に女性を上がらせないとする限りは公益法人認定を剥奪すべきと考えます。こうした女性排除は医学部入試問題をも想起させます。またアメフト問題はパワハラ、つまり立場の非対称性の構図であり、スポーツがおかしい年であったというよりは、差別や立場の非対称を用いた侵害といった社会の腐敗がスポーツにも現れているものといえるでしょう。

ボーっと生きてんじゃねーよ!
知りませんでした。

>スピード重視の昨今、ネットニュースだ、やれSNSだであふれかえり、どんな疑問も「OK Google」と問えば数秒で答えを教えてくれる便利さにどっぷりと浸かって毎日を送っている人、チコちゃんに「ボーっと生きてんじゃねえよ!」と一喝してもらわねばなるまい。

基本、インターネットは知性の増幅装置です。これは専門書や外国語の書物が積まれた書庫を考えれば分かることで、もともと知性があるほどたくさんの本を読んで理解できますし、さもなければ学問的には有害で低劣なデマ娯楽本を読み飛ばすしかありません。
よって、インターネットをまともに使おうとすると、ボーっとどころか脳の使用率を100%にしても全く足りないのが普通です。これでボーっとなっている人は、使い方を根本的に見直した方がよいでしょう。しかも現状の日本では、日本の報道を見るだけでは日本で何が起きているのかを知ることができないため、何らかの外国語は日常生活の上ですら必須となっており、能力の要求水準は上がるばかりです。

#MeToo
メディアが取り上げることを徹底的に躊躇したのがこれ。まじめに取り上げると山口事件に触れないわけにはいきませんので。そもそも現代の日本メディアが、ポリティカルコレクトネス、LGBT差別の解消、MeTooの意義などについて適切に取り上げて説明できるだけの能力を持つかといえば、それ自体が疑問ではあります。
ところで皆様、BBCの「Japan's Secret Shame」はご覧になりましたでしょうか。私は一部ですが見ました。TVMuchoなどのサービスを利用すれば、国内からでも制限付きながら無料かつ合法的に視聴が可能となっていました。

その他、ノミネート語に関して。

あおり運転
これは明らかに流行語ではないというか、流行語にはできないような深刻な言葉。なお、女性が運転している(または外見からそのように判断されやすい)車はあおりを受けやすいなど、差別やMeTooにも関連する厄介な問題です。

GAFA(ガーファ)
困ったことに、私はこれらの企業が全部好きではないのです。いずれも問題ありすぎ。
とはいえ、PCユーザーにスマートフォンの壊滅的UIやスマートフォン仕様のプログラムを押し付けようとした挙句、勝手にプログラムをインストールするなどの暴挙もやらかした「M」、ヘイトの培養装置として機能し、災害のたびに災害時ヘイトデマの温床となっている「T」などが入らなかったことは良かったと言わざるを得ませんが。

仮想通貨/ダークウェブ
これによるエネルギーの浪費なども考えると、私は必ずしもいい傾向とは考えていません。メモリが高騰している昨今、GPUまでもを高騰させた戦犯でもあります。

私が選ぶ流行語は以下の通り。

Ryzen
昨年発売されたCPU・Ryzenは大いに人気となり、今年はZen+を用いた2000シリーズのCPU、Vega GPUを組み合わせたAPUも発売されました。しかもIntelのCPU製品が品不足により高騰、Ryzenの優位性はより高まっています。来年にはZen 2を用いたRyzenが発売される予定で、しかも製造はGFからTSMCに代わるとあって、こちらも注目されています。
先日は将棋の藤井七段がRyzenに言及したとかで、なぜか話題になっていました。これに加え、PC周辺のみならずファウンドリも含めた大きな変動があったことから、流行語として選択しました。

ところで、Athlon XPのナンバー時代からそうですが、AMDはなぜ番号の命名センスが最低最悪なのでしょうか。Ryzen 3/5/7はCoreの真似である上、Ryzen 5には4コアと6コアが混在していてこれだけでは全く区別ができず、さらに型番もIntelの模倣でしかないため、「2700を2700に買い換える」などの言葉も成り立ってしまい、紛らわしいことこの上なし。
しかもRyzenの2世代目はZen+であるため、これを「Zen 2」と表記すれば明確な間違いになり、かといって3世代目の意味で「Ryzen 3」のように表記すると、今度はローエンドのRyzenの意味となってしまう。これは模倣が招いた混乱であって、本来必要のなかったものです。せっかく良い物を作っているのですから、パチモノくさいネーミングで台無しにする必要などないのです。
Vegaに至っては、「Vega 56/64」は「Vega 10」、7nm世代が「Vega 20」ながら、「Radeon Pro Vega 20」は「Vega 12」。Ryzen 7 2700Uは「Vega 10」搭載。もう意味不明というか、意図的に混乱をあおっているようにしか見えません。
なお、あくまで噂ですが、RadeonのナンバリングをGeForceのスタイルに合わせる可能性もあるとか。「RTX 3070 VS RX 3070」などという地獄絵図になるのでしょうか。嫌がらせ以外の何物でもない。意味分からなくなるのでやめてください。

ボランティア
「スーパー」は付きません。例の「スーパーボランティア」の件のみならず、政府が災害にビタ一文すらケチることによってボランティアの重要性は増し、各災害でボランティアが活躍するのと同時に、東京オリンピックでは上層部に対してはバカげた金を払い、予算もおぞましいほど膨らんでいるのに、人間はタダで使おうとしていることから問題になりました。
なお、言うまでもないことながら、東京オリンピックのボランティアへの参加はやめましょう。災害時に被災地の方々の手助けをするのは尊いことですが、運動会で人を使いたいなら金を出すべき。自分で納得して応募するならいいなどと言うなかれ、タダ働きが当たり前の価値基準が蔓延すれば無関係の人々も迷惑します。

落書き
新潮社の問題での「あのヘイト本、Yonda?」は傑作でした。
その後は入管の非人道的な在り方に抗議する落書きがなされ、入管はそれに対してTwitterアカウントで「少しひどくはないですか?」と批判し、これをトップにピン止め。現在進行形で人権侵害を行っている入管が落書きに文句を言う異常さがさらに批判を招きます。おまけに入管を批判する落書きはすぐに消されたようですが、すぐ近くにあった別の落書きは消されず放置されていたとか。
確かに落書きは悪いことです。しかし、差別や人権侵害はそれとは比べ物にならない最低の悪です。これらの落書きを批判するのであれば、まず差別や人権侵害を強く非難しなければ道理に合わず、道理のない者を浮き彫りにする道具として極めて有効に機能していました。

ファクトチェック
沖縄知事選でのデマの嵐。これを地道に暴いていったのが、沖縄のメディア、一部のネットメディア、オール沖縄の支持者などでした。その他、この国では平時から選挙期間に至るまで、いつでもどこでも大量のデマが流されるのが当たり前であり、ファクトチェックは地味かつデマを流す側に比べて大変な作業ながら、大きな威力を発揮しつつあります。
netgeekなどのデマサイトが悪質なデマを垂れ流していることも、ファクトチェックによって明らかになっています。ようやくヘイトデマに対してわずかながら対抗構造が作られてきたようです。
ところで、散々デマ攻撃を食った玉城デニー氏をはじめ、立憲野党はヘイトデマ垂れ流し連中にバンバン法的措置を取るべきです。連中がこれで真っ青になることは、不当懲戒請求や募金ヘイトデマ騒動で明らかになっており、これをするのは公人かつ法的措置を取れる立場の者の責務です。

2018-12-01 の記事 - 2018-12-01
障害者殺傷事件の遺族 葛藤の末に初めての手記

この犯人のような思想が到底看過できるようなものではないのは本来当たり前ですし、遺族が怒ったり悲しんだりするのもやはり本来当たり前。
しかし、そういう当然のことを表明するのですら、この社会では相当な覚悟なしにはできなくなってしまっているのです。

相模原事件とその賛同者。外国ルーツの人々へのヘイトスピーチ。片山氏らによる貧困や生活保護への攻撃。性犯罪被害を訴えた女性への壮絶な攻撃。LGBTへの人格否定。沖縄いじめと知事選でのヘイトデマ。過去の蔑視が引き起こした問題への歴史修正。入管虐待問題。外国人奴隷法案。
どれもこれも、根底は同じところにあると考えていいでしょうし、それを行ったり支持したりしている者の層はある程度共通していて、例えば在特会はNHKに出た貧困高校生をも攻撃していますし、レイシストには女性蔑視が多く、人種ヘイト本はLGBTをも侮辱し、また自民党はその多くに関係があります。地方政治家のヘイト汚染も進んでいます。
そして、こうしたあらゆる差別は日本社会をむしばみ、飲み込もうとしています。将来性が全くなく、希望が失われた日本において、どうも差別とは抗いがたいほどに強力な快楽であるようですが、それに溺れる限りまともな方向に行くことは絶対にありません。また、差別は社会の中の怪物であり、それを育てても自分だけは飲み込まれないなどということはあり得ません。
差別は適切な判断を不可能にし、自らのものを含めて人権を破壊し、社会を分断して崩壊させます。日本社会は今すぐにでも差別と決別しなければならず、それができなければいずれ差別によって壊滅するだけでしょう。

秋篠宮さま きょう53歳に 大嘗祭めぐり政府決定と異なる意見

不敬な人間(私)「あんなもの無駄。本来はやめるべきだが、やめられないなら縮小すべき。老人引っ張り出しては儀式だのなんだの、気の毒であるし金も浪費するし、誰も得をしない。儀式には大金を出して、貧困者や被災者にはビタ一文も渋るような状況は正当なのか。一世に一度のイベントというなら、災害での生活壊滅も一生に一度あるかないかの大事だろう。
皇族が口出しするのは本来は良くないが、自分たちのことについて、それも引き締めを図るものであるし、これが皇族の口から語られず、一般人が同じ主張をしたならば、自称保守どもは不敬認定して批判を無効化するのだから皇族以外に言える者がいない。それさえ問題であるというなら天皇制自体を見直して根本から解決するしかないだろう。したがって小規模化には大いに賛成」
皇族に敬意がある人間「皇族もそのようにおっしゃっているのだから、無視できる問題ではない。これこそ国民に寄り添う皇室の姿だ。強行するなら儀式に皇族不在もいいところ。意に沿うように考えるべきではないか」
自称保守「問題はない。何を懸念されているのか真意をくみ取れない

皇族を血筋としては一切尊敬せず、ただ自分と同じ一個の人間としてその人権を尊重しようとする「不敬な」者と、皇族の意を汲もうとする皇族尊重者の結論が一致し、天皇を利用可能な権威や道具としか考えていない自称保守とは意見が対立するのは、当然の結果といえましょう。

「LINEが勝手にインストールされた」Windows 10の“おせっかい機能”不評

いつの間にか「LINE」アプリがインストールされる現象はWindows 10の仕様だった

何ですかこの仕様は
今のところ、インストールの対象となるのは非常に限られたソフトだけではあるようですが、本気でこのような仕様をまともなものと考えていたのであれば、理解に苦しむどころではありません。
それこそ、やがてはユーザーの使用傾向によってソフトを選択し、勝手にインストールするような仕様に至っていた可能性もある(というより、この仕様が進化するとしたらそちらの方面しかない)わけで、例えば作業Xをするためのソフトを色々と比較検討し、最終的にはソフトAを選んで導入したとして、結果「このユーザーは作業Xに興味がある」とみなされてソフトBを勝手に導入されるような事態もあり得たでしょう。
この機能は「不評」のようですが、不評というよりは破壊行為に他なりません。個人的にStore系のプログラムはほとんど使っていませんが、自動更新を入れておくだけでこういう目にあわされるとなれば、今後とも永久に使いたくありません。

これに限らず、なぜMicrosoftはこうもハードがユーザーのものであるとの認識が甘く、ハードの稼働によって生み出されるリソースはユーザーの管理下にあるべきものとみなさない行動ばかりするのか
代表例がWindows Updateで、通知もなく勝手に始まって帯域やリソースを散々食い荒らし、一旦停止させることすらもままならず、挙句の果てには作成中のデータなどを勝手に破棄して再起動し、Home EditionではUpdateについてまともに制御すらできないのは、ユーザーをバカにしているとしか言いようがありません。
今後はAIによって作業時間を学習してトラブルを緩和するなどと言われていますが、そんなものはユーザーに聞けば済む話。なぜ意地でもユーザーから決定権を剥奪しようとするのか、さっぱり理解できません。

基本的にリソースというものは、同じ量であってもその時々で価値が違います。分かりやすいのが繁忙期のチケットや宿泊料金で、閑散期よりも高い額が設定されていたり、たとえ同額でも確保の難易度が違うのが普通です。
PCなども同様で、ユーザーにとって処理をしなければならない時には稼働によるリソースの価値は上がり、使っていない時にはリソースの価値は大きく下がります。であるならば、ユーザーが適切なタイミングでUpdateなどにリソースを割り振れるよう、開始や停止などを自由にコントロールできるようにすべきであって、リソースの価値が高い時に勝手に食い荒らすような状況があってはならないのです。
これを前提にしてあらゆる機能を設計すれば、Windowsの快適性は相当なレベルまで改善されるでしょう。

2018-11-24 の記事 - 2018-11-24
最近の動向からして、ヘイト内閣はやはり韓国を用いるつもりのようです。
奴隷輸入法案は多様性を尊重する人々はもとより、レイシストからの評判もかなり悪く、外交もひどい有様で、消費増税も元から評判が悪い上に緩和措置と称する迷走も極まるばかり。この内閣に物事をまともに決める力など最初からありませんが、最近になってますます極まってきた感があります。
ではどうするか。ただ差別のターゲットとして外国(今回は韓国、状況により中国・北朝鮮や南アジア)を国民の間に投げ入れればいいのです。一億総在特国家・日本ではあれよという間に人々が群がって差別を楽しみ始め、これで奴隷輸入だの消費税だのには目もくれなくなります。例によってこの作戦はおそらく成功することでしょう。
そして、奴隷輸入によって非人道的な日本のやり方がますます問題となり、調子に乗った自称保守派によって慰安婦問題についての侮辱がなされ、これまたいつも通り「現代ですら外国人労働者を非人道的に扱っている国が、徴用工問題で自己正当化とは笑わせる」「慰安婦問題で日本は反省していない。これは今も続く問題である」と世界に白い目で見られるようになり、それでもなお国内では「日本は歴史戦に勝っている」と喧伝されることでしょう。
その後、差別の快楽から覚めた時には、ただボロボロになった日本があるだけです。

もはや日本は差別なしには生きられないような状態ですが、薬物に溺れれば破滅が待つのと同様に、差別に溺れた先に待つのは破滅のみです。

「netgeek」相手取り集団訴訟へ 被害者の会結成

大内彰訓(腹BLACK)さん運営の「netgeek」集団訴訟へ、被害者の会が結成され会社情報公開も

こうした動き全般を支持します。

netgeekといえば、Twitter日本法人代表の笹本氏が愛読していたことでもおなじみのヘイト・デマ・無断盗用サイトですが、その悪評たるや相当なもので、このサイトに批判的な側の欠点をあげつらって「どっちもどっち」だの「両方とも消滅しろ」だのと精一杯の混ぜっ返しを試みている人はいても、「netgeekの何が悪い」と正面切って言える人はそうそういないほど。
保守速報やヘイト動画、余命などと同様、匿名の陰に隠れてのヘイトデマ垂れ流しに対しては、いい加減に年貢の納め時が近づいてきたということでしょうか。とはいうものの、書店すらもヘイトに染まり、講談社や新潮社まで大喜びでヘイト本を出すような現状を考える限り、道は相当に長そうではありますが。

本件についても、一部には訴訟呼びかけ人の永江氏の言動を問題視する声も存在していますが、この場合にそれを問う必要はありません。
netgeekは言うなれば、ヘイト・デマ・無断盗用の通り魔のような存在です。目についた者を次から次へと襲い、続々と被害を拡大させていくようなサイトです。もし個人的な怨恨による加害行為であるならば、被害者側の言動を問題にしなければならない場合もあるでしょうが、netgeekはいわば通り魔なのですから、その被害者が人格者だろうがそうでなかろうが、ここでは意味を持ちません
反撃側の中に素行に問題がある者がいるのなら、それはそれで適切な場で問えばよい。netgeekに反撃すること自体は妥当な行為ですから、少なくともその動きに限っては支持しない理由はありません。本来、立場も思想も全く異なり、しかしながら不当懲戒請求への反撃を行っている様々な弁護士を、各々の思想や立場はさて置いて、反撃を行うという一点においては支持するのと同じです。

「実習生が逃げていく島」町民があえて監視を置かない「深い理由」

鳥肌が立つような記事です。
タイトルからしてすさまじいもので、労働者を逃がさないための監視などというものは本来存在しないのが当然であって、それを「あえて置かない」のに「深い理由」などと、置くのが当たり前のところを置かないかのように記述されていること自体がそもそも異常と言わざるを得ません。逃亡を監視されるのが当然の労働者がいるとすれば、それは奴隷と言います。
現行制度での外国人労働者がほとんど奴隷同然の扱いを受けており、もはや人道上の問題とされなければならないほどの状況であることが、単にタイトルを見るだけでも分かろうというものです。

>「いつも『誰がいつ逃げるかなー』って思っちゃう。もう人間不信」

これはつまり、「誰かがいつ逃げてもおかしくない環境である」ことの裏返しであるわけです。そのような環境に抑圧された実習生こそ人間不信となり、大いに失望して日本の労働環境がどれほどひどいものであるかを拡散して回るでしょう。
そうなれば日本を希望する労働者は減少し、日本自体の評判も落ちる結果が待っています。そのダメージは実習生を手駒にしている人々に返ってくるだけです。これは制度の構造的な問題ですから、ここの島だけを責めるわけにはいきませんが、それでも島が制度利用側の1つであることは否定できません。
今の日本がもはや先進国としての体をなしていないことは、内部から見れば容易に理解できますが、幸か不幸かそのブランドだけはまだ何とか残っています。本来ならブランド力をテコに状況を少しでも好転させようとするところでしょうが、実際にはブランドを使い捨てにして奴隷を集めているのが現状ですので、ブランド力が実態に沿う程度にまで落ちれば人など集まりようがありません。

ただ、島の言い分も全く分からないではありません。産業が危機にさらされる中、逆に制度に踊らされるような状態になりながらもなんとかやっている状況とすれば、その危機感は確かに理解できるものがあります。
が、しかし。次の主張を見て同情も理解もすべて吹き飛びました。

>「だからこそ、新しい制度では逃亡をもっと厳しい罰則にしてほしい。実習生も、逃げ通せば、稼げるんだよね? それでまた、逃げた実習生を働かせて、もうけている人がいるんでしょ。これじゃ、永良部は日本への入り口ってことで利用されてるだけだ」

監視を置かない代わりに、奴隷の逃亡を重罰にしろ?
記事の最初の方には

>島で見かける実習生全員に、親のような気持ちでみていた彼女は、思わず、「どこの子?」と声をかけた。

といった記述がありますが、逃亡への厳しい罰則を主張しているのはこの人とは別の人とはいえ、島でいう「親のような気持ち」がどういう接し方であるのか、これだけで大体は理解できます
このようなことを平然と主張する人間に対し、「逃亡の厳罰化」という新しい鎖をプレゼントしたらどうなるか。おそらく奴隷労働はさらに極まったものとなるでしょう。
永良部は日本への入り口ってことで利用されてるだけだ」と疑問を感じるのであれば、それは日本の問題です。奴隷制の被害者である逃亡する人々にさらに足かせをはめ、負担を押し付けても何一つ解決にならないことは分かるはずです。
実習生受け入れのために渡航費や初期研修費などを払っていて、失踪されるとその「投資」は無駄になるなどとも書かれていますが、一般の人を雇用するよりは、「投資」してもなお奴隷を使った方がメリットがあるからやっているだけの話でしょう。こちらもまた、日本及び雇用側の都合でしかありません。

>私は、実習生問題を取材してきた中で、「実習生には職場を変わる自由は当然にあるべきだ」と思っていた。それだけに「移動の自由」という権利を制限してほしいと望まざるをえない農家に何人か会ううち、その言い分に衝撃を受けつつ、考え込んでしまった。

>「日本の子だって無理なんだから」

この辺に問題が凝縮されています。どうして日本人に対しては到底適用できないような権利制限、あるいは日本の子だって無理と考えるような待遇を、外国人労働者になら押し付けていいと考えられるのか
そもそも島の人々が、産業についてどのような未来像を持っているのかが記事からは見えません。逃亡の厳罰化などと、人権侵害にもなりかねない相当危険でアグレッシブな主張をするほどまで踏み込んでおいて、ではそれで産業が安泰となる道筋は描かれているのでしょうか。単に劇薬で紛らわそうとしているだけなら、早晩もっと強い劇薬が必要となるだけです。
島の産業が危機的なのは分かりますが、日本に存在する産業構造や格差の問題をどうにかしなければならないところを、外国人労働者というワイルドカードでひっくり返そうとしているようにしか見えません。そして、外国人労働者はワイルドカードではなく人間ですから、そのような負担を永久に背負い続けることはできません。いずれその構造が壊れれば、状況はますます悪くなるでしょう。
結局、これが外国人奴隷制度というわけです。

2018-11-16 の記事 - 2018-11-16
変わるWindowsのアプリ戦略 UWPからデスクトップアプリに原点回帰か

(問)あなたの会社は、PC向けOSで高いシェアを持っています。一方、スマートフォンなど携帯端末向けでは存在感を発揮できていません。この分野で存在感を発揮し、シェアを獲得するためにはどのような方法を取るべきでしょうか。
(答)PC向けOSのユーザーインターフェイス、及びアプリケーションの自由度をスマートフォン並みに劣化させる

こんなもの失敗して当たり前
スマートフォンの市場がほしいと考えるのは自由です。魅力的な製品を作るなり、開発環境を整えるなり、好きにしたらいい。しかし、なぜそんなもののために、もともとのPCユーザーがUIやアプリケーションの劣化を受け入れなければならないのか
結果、スマートフォン事業は成功せず、おまけにUWPやよく分からないUIに対して不満が噴出することになります。もともとスマートフォンではシェアが低いのに、PC向けアプリケーションをスマートフォン並みに劣化させてもPCユーザーや開発者がそんなものを使うわけもなく、誰が使うのか分からない状況になるのは必然です。
しかもStoreがまたとてつもなく不便。そもそも有用なソフトウェアが十分にそろっていないのもそうですが、仮にそろっていたとしても上手くはいかないでしょう。自由なPCに慣れたユーザーが、あんな刑務所の運動場のようなもので満足するわけがありません。あれはスマートフォンだからこそ機能しているのです。

デスクトップアプリケーションへの回帰は当然として、個人的にはスマートフォンに引きずられたゴミUIの一掃も希望したいところ。
もともとスマートフォンのUIは、画面領域や入力方法などが限られ、一方で多種多様な入力・出力デバイスへの対応はあまり考えなくてもよい中で効率よく操作するために作られているのであって、PCにそれを持ち込んだとしても最適なものとはなり得ません。
ユーザーの使用思想にも違いがあり、スマートフォンはデフォルト設定でパッパと動き、設定も容易かつ簡素で、難しい部分は隠蔽されている方が好まれるのでしょうが、PCではある程度細かく設定ができ、ユーザーが動作を十分コントロールできることが好まれます。
とにかくWindows 10のスマートフォン的な部分にはかなり足を引っ張られている感があり、これがすべてなくなるだけでも使い勝手はかなり向上するのではと考えています。OSのUIは当然として、Windows 10でUWP化された標準プログラムも全部元に戻してもらえると非常に助かります。
劣悪さの究極系としてはEdgeが良い例。Microsoftはまだ自社でブラウザを作る気なら、いい加減Edgeはゴミ箱行きにして、最低でもIE並みの機能とUIは備えたブラウザを開発すべきです。あれは到底PCで使うようなものではありません。

不適切投稿 青森市議当選の山崎氏「辞職も検討」

即刻辞職すべきです。
国政の自民党があまりにもヘイトまみれで、全員ヘイト内閣の異常ぶりもあり、感覚がマヒしてしまいそうなところですが、これは本来絶対に見逃せない問題です。
国会議員にせよ地方議員にせよ、議員とはいわば国や自治体のシステムを作ったり書き換えたりできる立場です。そのような人間が差別思想、つまり属性に基づいて人間の価値や尊厳を否定したり、ある属性は別の属性に劣るといった思想に基づいて活動したらどうなるか。当然、国家または自治体のシステムとして差別が行われることになります
ひとたびそのようなシステムを認めてしまえば、もう歯止めが利きません。たとえ最初は自分がシステムによって排除されなくて済んでいたとしても、システム的な排除を認めてしまっている以上、いずれは自分の番がやってきます。そうなってから文句を言っても遅いのです。
ヘイト国会議員も含めて、こういう輩には必ずお引き取りいただかなくてはなりません。

9条に専守防衛の理念を 立民山尾氏、改憲議論提唱

なぜこうもセンスがないのか。

この考え方自体は十分理解できますし、その方向性自体が悪いとは考えません。私もどちらかといえばこれに近い考えを持っていました。
が、しかし。それはあくまで現状追認の上でそれ以上を認めないという、憲法による制限を強化するための手段なのであって、違憲の安保法制が登場した時点で事実上意味のない考え方と化しているのです。
もしそれをやりたいのであれば、少なくとも違憲の土台の上に憲法改正を築くことはできませんから、違憲法制を完全廃止するのが先ですし、それまでは憲法を変える議論を提唱するなど(軍事とは一切関係ない部分で、国家権力を明らかに強く縛る方向に変えることを除いては)到底あり得ません。まして緊急事態条項など民主主義を完全に破滅させる案が出されている状況ではなおさらです。

なお、私はかねてから憲法は改正してよいと考えています。ただ、同時に自民党と日本会議を日本から消滅させるまでは改憲論を封印せねばならないと考えているだけ。この連中が日本に存在する限り、自らの改憲論を主張して我を通そうとするよりも、立憲主義を守る方を優先すべきであることくらいは分かります。
山尾氏もいい加減、その程度は理解しては。それすら理解する気がないのなら、「立憲」民主党はおやめになり、改憲大日本党でも立ち上げたらよろしい。立憲主義を尊重した上での積極的改憲派から徹底した護憲派まで、多様な市民が小異を捨て、自論をとりあえず凍結してでも手を取り合い、立憲野党を応援している意義を理解できないのなら、氏はいずれ必ずその足を引っ張ることになるでしょう。

2018-11-11 の記事 - 2018-11-11
安倍政権による移民政策。当然、私はその一切に反対です。
理由は簡単で、奴隷の取引は多様性の尊重と真っ向から対立する行為だから。多様性の尊重の観点から、日本で暮らしたい外国の人々が日本に来るのは大歓迎ですが、例えば白人が黒人奴隷を連れて来ることを多様性の尊重とは言いません。相手の人権や尊厳を認めないのは、多様性の否定でしかありません。
制度的な公正性が担保され、社会の差別を解消する方向に動くことがなければ、それは労働者の権利や社会の平穏などはもとより、何よりもまず多様性の観点から否定されなければなりません。

そもそもこの移民政策、はっきり言って悪魔との契約に他なりません。
安倍氏や現在の自民党の主要な支持層といえば、一つは財界と称する奴隷商人、もう一つは差別主義者です。これが自民党を走らせている車の両輪であり、しかも日本ではこの両者は非常に相性が良いのです。
財界としては自己責任論、生産性論は非常に都合がよく、そして差別主義者は障碍者やLGBT差別を正当化するために生産性論を用い、他人を攻撃するために自己責任論を多用します。財界からの搾取を受けている人間は、その不満を財界や政権にぶつけるよりも、より弱い被差別者をそのはけ口として利用するため、財界にとっては一石二鳥。しかも財界の人間にも差別主義者は少なくありません。また自民党はこの両者を混ぜて煮詰めたような存在であり、事実上この2つを分離することはできなくなっています。
強いて言えば、安倍氏はヘイト寄り、小泉進次郎氏は奴隷商人寄り、といった程度でしょうか。ただ、安倍氏は無賃残業合法化や奴隷取引などに注力し、小泉氏も自民党の異常な差別に対して戦うわけでも離反するわけでもないため、本質的な違いはありません。

この両方の集団に共通するのは、他人の人権や尊厳などゴミ以下としか考えていないという点です。
財界は平然と人間を使い捨てにしてきており、その結果が相次ぐ過労死や労働問題、不正、壊滅的な貧困などによって身動きが取れなくなりつつある今の日本です。外国人労働者よりも立場が強いはずの日本人ですら、彼らにとっては使い捨てのパーツでしかありません。
また、差別主義者は街角での「○○人をぶっ殺せ」、インターネット上でのジェノサイドの扇動などを日常の光景としてしまい、書店にまでおぞましい本が並ぶようになりました。人を人とみなしていれば、このようなことはできません。
差別主義者による、例えば「チョウセンヒトモドキ」というような蔑称、あるいは京都朝鮮学校襲撃事件の「約束というのはね、人間同士がするもんなんですよ。人間と朝鮮人では約束は成立しません」といった発言などは、差別主義者が実際に被差別者を人とみなしていないことを端的に物語っています。
ここへ移民と称する奴隷を連れてきたらどうなるか。彼らを虐待すればするほど、搾取がしたい財界は大喜びし、自民党を支持するでしょう。また、彼らを虐待すればするほど、差別がしたい差別主義者もまた大喜びし、自民党を支持するでしょう。もとより人を人とみなしていない連中のこと、ここに歯止めなど存在しません
当然、日本の悪評は国外に広がるでしょうし、連中の大好きな歴史戦とやらでも「今ですら奴隷取引をしているような国が、昔は身ぎれいだったなどと主張している」と鼻で笑われて大敗北をするだけです。日本に奴隷階層を作り出そうとする試みは社会のひずみを生み、後になって徐々に噴出してくるでしょう。財界と差別主義者のくだらない娯楽のために払わなければならない代償は、決して小さくはありません。

ところで最近気がかりなのは、排外主義者に対してはどんな形であれ移民制度は評判が悪く、しかし生命線の北朝鮮は融和に動いてしまい、頼みの中国にも「中国包囲網」なるトチ狂った大妄想を放棄して友好をアピールする状況に陥ったことから、安倍政権や自民党が韓国ヘイトへの回帰を強めている傾向がうかがえる点。
この状況が続けば、またしても愛国者の皆様が「なでしこアクション」や「The Facts」、慰安婦像足蹴並みの大活躍をやらかして、日本の評判と品位を地の底まで叩き落とすのではないかと危惧せざるを得ませんし、またも差別を扇動されるとあっては在日などのマイノリティにとって迷惑千万もいいところでしょう。

国民民主党、新キャッチフレーズ発表も足元揺るがす問題に直面

それはそうでしょう。
民主主義の回復、差別の否定のためならば、私は泥水でも腐れ水でも飲むつもりでいます。例えば立憲民主党については、演説で筋金入りのレイシストである小林よしのりを呼んでくるわ、肝心なところで相乗りするわでかなり腹が立っていますが、それでもこれくらいの泥水ならば(小)選挙区では飲んでも構いません。少なくとも小林氏を否定しない限り、衆院比例で入れるつもりはありませんが。
しかし、国民民主党となると別です。野党共闘候補ということで必死で応援し、多数の市民の尽力で何とか議席を獲得させてやったとして、その議席を使って裏切られてはたまったものではないからです。

現状、野党が分散すればヘイト政権・政党に漁夫の利を与え、レイシズムと民主主義否定の嵐が吹き荒れることになります。したがって争っている状況は好ましくありませんが、これを利用して国民民主党が共闘の中で良いポジションを占めようと画策し、共産党以下の支持率でありながら共産党にハラスメントを仕掛け、立憲野党・市民に対して譲歩を迫り、おまけにその議席を丸ごと政権アシストのために使ったらどうなるか。
与党や維新といった明確なヘイト勢力と違い、正面から戦うこともできない。かといって、味方にすれば重要な部分をごっそり奪った上で裏切りかねない。そもそも小池ヘイト党に魂を売り渡そうとした連中の成れの果てなのですから、ヘイト側について差別を推進し始めても全く不思議ではない。好き勝手に新しい判断、もとい新しい答えを出されては困るのであり、一言で言えば「邪魔」なのです。
民主主義を取り戻したい、差別を解消したいと願って投じた1票が、民主主義を破壊し被差別者を踏みにじるための武器として使われるとしたら、これほどバカげたことはありません。
しかもこの状況下で、自民党との会合なんぞの騒ぎまで起こす。会合をやると言い出して立憲市民・野党を激怒させ、寸前で幹部の出席を取りやめて自民党まで怒らせる。ある意味で人を怒らせる才能があるというかなんというか。わざわざ両方を怒らせるなど安倍外交でもあるまいに、そもそも何がしたいのかさっぱり分かりません。本来なら自民党にでも引き取ってもらえれば一番ですが、杉田氏のような驚愕モノのレイシストを引き入れ、壮絶なヘイト内閣まで組閣した自民党からすれば、差別をやる気があるのかないのかも分からない連中などいらないでしょう。つまり、どの立場からも鼻つまみ者。
この調子できっと立憲市民をもカンカンに怒らせるような暴挙に出るのは見えています。

2018-11-02 の記事 - 2018-11-02
なぜ起きた?弁護士への大量懲戒請求

これ。前半はそれなりによくできていると言っていいでしょう。

どこからどう見ても異常なことばかり主張しており、弁護士らは外患誘致で死刑に相当するとまで言う狂気のヘイトブログ。それを信じ込み、書いてある通りに懲戒請求をかける人々。ところが、反撃を受けたことで反省している者はいるものの、どいつもこいつも差別を反省している様子は全くない。そして当の余命は「個人の判断でやってるんでしょ」「責任を感じるわけない」と日本しぐさ。
懲戒請求をした者にせよ、あおった者にせよ、どちらも異常者としか言いようがない連中であり、これをありのまま報道すればそのまま強力な問題提起となります。どうして安倍政権に対してそれをしないのかは知りませんが
そういう意味で、これがマスメディアの報道、それもバラエティではなくドキュメンタリーで流れた意義は大きいといえるでしょう。

ただし、問題は後半です。なぜここからこのような結論に持っていくのかが理解できません。
まずはまたしてもエコーチェンバー論を唱える辻大介氏。「両極側」とのことですが、本件は民族浄化を扇動するような狂気のヘイトブログを信じ込んだ差別主義者が、懲戒請求とはいかなるものであるかをまるで調べもせず、自らの差別意識を満たすために懲戒請求を行った、というものであり、この話に「両」極など出る幕はありません。どうしてここで「両」極、すなわちこんな狂気の行いをするような者の「対」となる存在が必要なのでしょうか。
この分では、いわゆる両極のみならず、穏健派なるものも極の一つであり、それもまたエコーチェンバーによって自説を強化する存在であるという事実には、未だにたどり着けていない模様。本件の場合、余命ブログは例えば民族浄化を扇動していて、反差別側は当然民族浄化など否定していますが、ここでどちらの極にも属さないようにすると、「余命ブログも問題だけど、民族浄化を否定するのもおかしいんじゃないの?」という主張にならざるを得ず、これは非常に極端な主張です。そして事実、「自称中立」「冷笑系」といった連中は日本のインターネットの一大勢力となっています。
社会の分断も何も、社会の分断を目的とした思想が差別思想なわけで、本件については単に「差別はダメだ」「民族浄化は否定されるべき」で済む話でしかないのです。

なお、動画サイトなどに関しては私も問題であると考えます。
といっても、好みに応じた動画を出してくるシステム自体が問題であるとは考えません。私はYouTubeでは中国語の動画を用いて勉強をすることが多く、したがって同様の動画ばかりをおすすめしてくるのは非常に助かります。一方、日本語の動画は見ませんし、どうしても見る時には別のブラウザを使って汚染を避けるようにしています。
が、しかし。最近は大量通報のおかげでかなり快適になりましたが、少し前までは「DHCシアター」やら文字ヘイトやらのヘイト動画を次々におすすめしてきていたというのが偽らざる事実です。中国語の動画を積極的に見て、ヘイト動画どころか日本語の動画すら一切見ない者に対し、(おそらく日本のサーバーからの接続というだけの理由で)ヘイト動画を次々にすすめてくるのはどう考えても興味として正反対ですし、エコーチェンバーも何もあったものではありません。
ちなみにTwitterでは、やはり最近は少しマシになったようですが、以前まではトップページにレイシストのヘイトツイートがバンバン載っていました。サイトの顔にこんなものを載せれば、その影響力は極めて甚大なものとなるのは言うまでもありませんし、ここからたどっていけば自然にヘイトアカウントやヘイトツイートばかりを目にすることになります。
結局、エコーチェンバーというよりは、単に差別に引きずり込まれやすい状況が確立されてしまっていたわけです。こうして差別に引きずり込まれた人々の末路はといえば、懲戒請求への反撃を受けての大狂乱、家族が離れていくといった悲劇的なもの。特に年配者が染まった場合、正常な人格に戻れる可能性は低くなります。しかも、これらは本人にとってはまだしも自業自得ですが、差別される方にしてみればたまったものではありません。

私はこの状況をかねてから憂慮していますし、これを解消するためには実は(ここで言うところの)エコーチェンバー論を打破する必要があると考えています。すなわち、「差別も反差別も極端である」ではなく、「差別はダメ」といった普遍的な公正性を尊重し、とにもかくにも被差別者がぶん殴られている状況を止める立場にまず立たなくてはなりません。
その上で、外国に親和的な者に対してヘイト動画をすすめるようなお粗末なものとは逆、つまりヘイト動画をよく見る者に対して差別を否定したりデマを暴く動画をすすめることで、差別に染まる事態を減らすべきであると考えます。無論、「差別はダメ」なのですから、反差別動画を見る人にヘイト動画をすすめる必要はありません。
Twitterでは自殺対策などとして、自殺予告らしきツイートに対しては相談窓口の紹介などがなされているそうですが、差別とはそれどころか他人への加害行為ですから、少なくともそれ以上の対策がなされるのが当然です。
これはサービス提供者の社会的責任と言ってもいいでしょう。

西田亮介氏の「多様」に至ってはますます頭が痛いと言わざるを得ません。

>公共性を共有することも難しくなる。ある人が公共だと思うものが、他の人にはそうではなく見える。人の思考や考え方が極限まで多様になっていくと、他人に対して想像力を向けることが難しくなっていく。

「多様」だからこういうことになるのではなく、多様性を否定する連中が起こしたのがこの騒動でしょうが。どうしてこの大前提が抜け落ちているのか。
民族浄化を扇動したり、差別的取り扱いの解消を求める弁護士を外患誘致で処刑しろなどというのは、それこそ多様性の否定の究極形です。自分とは異なるある属性の集団、またはその集団への差別を否定する者について、最悪の物理的な人権侵害行為を用いて対処しろと言っているのですから。そして、この問題はそんなブログを信じる連中によって起こされているのです。
多様性を尊重するとはすなわち、多様性を毀損するような言動を否定することです。これは「多様性」や「寛容主義」を考える上での大原則。したがって、この手の連中の差別的言動を否定することが多様性に沿う行動に他なりません。

ある人が公共だと思うものが、他の人にはそうではなく見える」の言い分はある意味で象徴的です。確かに、その点で意見が分かれることはあるでしょうが、何をどう間違っても民族浄化の扇動なんぞが公共であるわけがない。朝鮮学校の差別的取り扱いに反対する弁護士について、外患誘致で死刑にしろなどというのも同様。
「差別はダメ」という極めて普遍的な公正性を尊重し、多様性を尊重すれば、このような珍妙な疑問が生まれる余地はそもそもないのです。

2018-10-27 の記事 - 2018-10-27
安田さん無事解放、おめでとうございます。

ところで、私は基本的に差別と自己責任論に反対していますが、いかなる場合でも反対しているのではありません。現実にそれを行うべきかはともかく、理論としては「差別をしたり、自己責任論を唱える者は、自らが差別されない権利、救助を受けられる権利を自由意志で放棄しているのだから、彼らだけは差別したり、助けなくともよい」と考えています。
すなわち、

・差別・自己責任論者でない人は、他の差別・自己責任論者でない人を攻撃してはならない。
・差別・自己責任論者でない人は、差別・自己責任論者を攻撃してよい。差別・自己責任論者は自由意志で自らの権利を放棄したのだから、その意思を尊重すべきである。
・差別・自己責任論者は、他の差別・自己責任論者を攻撃してよい。
・差別・自己責任論者は、差別・自己責任論者でない人を攻撃してはならない。差別・自己責任論者でない人は差別されない権利、救助される権利を持っており、それを侵害することは許されない。

こうすれば誰にとっても丸く収まるものと考えますが、いかがでしょうか。
自己責任の哲学を持つのは当然ながら自由なので、自分たちにはそれを適用すればいい。ただし、それを自己責任論を否定する他人にまで適用する権利はない。同時に、自己責任論を否定する人々もまた自己責任論者にそれを押し付ける必要はなく、彼らの自由意志による選択を尊重し、彼らに対してのみ自己責任論を適用すればよいのです。

大量懲戒請求:在日弁護士への不法行為認定 男に賠償命令

末尾に0がもう1つ付いてもいい気がしますが、とりあえずは良いことです。
このまま不当懲戒請求を受けた他の多数の弁護士からも順番に訴えられ、徹底的に痛い目に合えばよろしいのではないでしょうか。
「差別はダメ」という児童でも理解できるようなことを理解できず、ジェノサイドを扇動するブログにハマり込んで本当に攻撃を始める人間など、要するに児童以下の倫理観や理解力しか持たないわけですから、理を尽くして説得したところで無駄骨です。また、そのような手間を割いてやる義理もありません。
理解力が十分育っていない子どもなら成長を待てばよいですが、こちらは信じられないことに大人がやっていますから成長は望めませんし、おまけに本当に懲戒請求をしたり、下手をすると人を殺せるだけの力があります。悪いことをしたら痛い目に合うときっちり知らしめるのが世のため人のためです。

ただ一つ残念なのは、これが欠席裁判となってしまったこと。懲戒請求がいかに正しいもので、在日がどのように日本を支配していて、ジェノサイドで在日と反日の勢力を駆逐しなければ日本を取り戻せないといったことを法廷で熱弁していただければ、もっと素晴らしい判決が見られたかもしれません

大量懲戒請求:賛同した女性「洗脳状態だった」

「おぞましい」の一言しかありません。
差別を行っておいてこの態度。それも、真に自らの差別を認めて謝罪するならそれが一番として、差別をやめるつもりがなくとも「おイタをやらかした後のマスコミ取材だから、とりあえず差別をしたことを謝っておこう」として打算や取り繕いくらいはするものですが、それすら必要と考えていないらしい、相当重度の差別主義者です。
この手の人間は責任逃れのために判で押したように同じことを言いますが、「洗脳」などとはちゃんちゃらおかしい。もし余命から監禁でもされたり、子ども時代に嘘ばかりしつけられ、思想を刷り込まれたとでもいうなら、洗脳されたと表現しても間違いではないでしょう。しかし実際には、何から何まで支離滅裂でジェノサイドまで扇動している、最低限の知性と感覚を持ち合わせていれば一目でまずいと分かるようなものを、いい年をした大人が自らの意思で受容し、自らの意思で行動したわけです。
こんなものが洗脳だというのなら、それこそ「私はジェノサイドを扇動する支離滅裂な差別ブログを信じ、書いてあることを忠実に実行する危険人物です。便所の落書きレベルのものでも見れば洗脳され、他人に対する攻撃行動を取ります」と宣言しているようなもの。徹底的な慰謝料請求と社会的制裁によってこの手の連中が二度と日向を歩けないようにしなければ、被差別者は安心して表を歩くこともできませんから、このような言い逃れは徹底的に責任を取らせる必要性を強化するものにしかなりません。
私自身は差別に反対ですので、連中からすれば反日日本人ではあるのでしょうが、マイノリティではありません。しかし、こんな異常者が近所をうろついているかもしれないと考えると恐ろしいことこの上ありません(実際、不当懲戒請求では日本人弁護士も攻撃対象となっている)。まして被差別当事者にとって、これはどれほどの恐怖でしょうか。我が子や家族がこの異常者と同じ空気を吸っているかもしれないのはどれほどの脅威でしょうか。

手段が悪かったなどと取材の場ですら平然と言ってみせるのもまた、狂気じみています。
「いじめをしたことは間違っていない。しかし今回、強烈な反撃を受けて青ざめた。手段が悪かった」などと平然と口にするいじめ加害者を想像すれば分かりますが、問題の根本を理解する気が最初からないばかりか、これでは「今度は弱い相手を狙おう」「法的に反撃されない方法を使おう」といった結論しか導き出されません。
結局、この人物は何一つ変わっていません。せいぜい殴りつければ殴り返されて痛い目に合う場合もあると学んだ、というか「しつけられた」だけ。自分がやったことがどうして重大な結果を招いたのか、そもそも本件の根本に正当性はあったのか、などと考え、その疑問を調べてみるようなことは決してしない。これほどまでに必要に迫られてさえ絶対に学ぼうとはせず、そのくせ荒唐無稽な差別デマは貪欲に吸収して次々と他人に殴り掛かる。有害無益とはまさにこのことです。
この連中に効く唯一の薬は、殴ってきたらきっちり反撃し、責任を取らせること。それも、可能ならば立場の弱い被差別当事者ではなく、同格のマジョリティが対応するのがベストです。法的に対処できる立場の人なら容赦なく法的に対処し、路上に出てきたら罵声を浴びせかけて「路上で好き放題に差別をして楽しむはずだったのに、実際には徹底的に罵倒されるだけだった。もう嫌だ」と引っ込ませる。差別主義者は確実に反撃を受け、その責任を取らされる状況を作っていくしかありません。

2018-10-20 の記事 - 2018-10-20
パラ選手のポスターに「配慮欠く」と批判 都が撤去

これはいくらなんでも。なぜこのようなものが通ってしまったのか、理解に苦しみます。

もともとこの言葉は、文脈まで踏まえれば特段問題のあるものではないようですが、それを何の留保もなく掲示するような使い方をした以上、障碍者に対する加害の言葉と化していることは確かです。そういう意味でも掲示すべきものではなく、撤去の決定は妥当です。
しかしながら、真に恐ろしいのはこの言葉が直接障碍者を傷つけることではありません。こうした言葉が平然と掲示されることにより、この言葉の意識がマジョリティの間に浸透してしまうことです。

この言葉、一言で言い表すなら、「極めて名誉マジョリティ的」とでも形容できるでしょうか。
LGBTにせよ障碍者にせよ女性にせよ、被差別属性を持つ者が自ら差別の存在を否定してみせ、ポジティブな言葉で上書きすることは、マジョリティにとって非常に人気のあるコンテンツです。話題になる自民党女性議員は大体がこのパターンですし、先のLGBT差別でもその手の人物が出てきていました。これをすることで自らは名誉マジョリティのポストを得られ、マジョリティから高く評価されるというわけです。
しかし当然のことながら、名誉マジョリティが自分は差別されていないと主張していても、その属性を持つ他者も差別されていないことにはなりません。被差別属性であっても、実際に差別されるか否かは生まれや社会的立場、運などによって大きく変動します。そして、差別というものが他人を劣ったかのようにみなす行為である以上、劣っていると特段みなされていない幸運な例よりも、より劣ったかのようにみなされている例こそを見て、それを是正しなければなりません。

この言葉の元発言に関して言えば、おそらく名誉マジョリティ的なものではありません。パラリンピックでは障碍を言い訳にできないという意味でなされた発言であると指摘されており、そうであればアスリートの言葉としてごく自然なものです。
しかし、このような安易な掲示の仕方では、まず間違いなく名誉マジョリティ的な発言としての機能を持つことになります。これが意識的に行われたものか、無意識になされたものかは分かりませんが、結果的にはマジョリティ側によって「作られた」名誉マジョリティ発言となってしまったといえるでしょう。
この言葉をこのような方法で用いようと考えた者にしても、あるいは先日問題になった退去バラエティ番組にしても、さらにはヘイト本出版社にしてもそうですが、現状のこの国のマイノリティにとって、レイシズムに染まったマジョリティの存在は生存権にかかわるほどの脅威であるという観点が完全に抜け落ちていると言わざるを得ません。

相模原事件はおそらく戦後日本史上最悪のヘイトクライムであり、障碍者であることを理由とした殺戮行為です。本来、このような異常行為は到底許されるものではありませんが、肯定する者が少なからず現れているのが今の日本です。おまけに、肯定する連中は誰か具体的な特定個人について「そいつが憎い」とみなしているのではなく、障碍者という属性に対する殺戮を肯定しているのです。相手に恨みがあるわけでもなんでもなく、顔を見たこともないような相手の殺戮を肯定しているわけです。極めて恐ろしい状況であると言わなければなりません。
あるいはLGBT差別。与党議員の杉田氏が大手出版社と一緒になってLGBTをいきなり攻撃しにかかった件は記憶に新しいところですが、小川氏に至ってはLGBTについて詳細を知らなければ、知るつもりもないことを文章中で公言しています。最初から知るつもりもないような属性について、大手出版社までが手を貸してわざわざぶん殴りに行くのですから、まともに考えれば正気の沙汰ではありません。
マイノリティは何もしていなくても、特に恨みを買うようなことがなくても、与党議員や大手出版社などを含む身勝手な差別主義者からいきなりぶん殴られたり、最悪殺されてもおかしくない状況に置かれているのです。
この両者に共通するキーワードは「生産性」ですが、この上さらに「障がいは言い訳にできない」などという価値観が社会に蔓延したらどうなるか。「生産性」による差別思想をより強化する結果となるであろうことは目に見えています。

しかも、マイノリティは理不尽にぶん殴られても反撃することは困難です。少しでも抵抗の動きを見せた途端、「黙って殴られるのに耐える涙ぐましいマイノリティ像」を求め、そうである限りはお目こぼしをしてやろうと考えているマジョリティ様が、大挙して攻撃してくるためです。こういった連中にとっては、名誉マジョリティこそがまともに扱うに値する唯一のマイノリティであって、それがマイノリティが自らの身を守り、成功するための手段となっています。
一方、複合差別に抵抗した辛氏、性犯罪を告発した伊藤氏などは、苛烈な攻撃を受けて海外に「亡命」することになりました。被差別側が名誉マジョリティや泣き寝入りを選ばないのは、これほどに困難なのです。

それにしても、これがよりによってパラリンピックを盛り上げるイベントのためのポスターとして作られるとは、なんとも残念な話です。パラリンピックの意義を理解できているのでしょうか。

2018-10-14 の記事 - 2018-10-14
柴山文科相、教育勅語「アレンジし道徳に使える分野も」

ヘイトデモ参加者名簿と見間違うような内閣だけあって、早速これです。

どれほどひどい料理であっても、材料が腐っていたり一般に食されない代物であったりしない限り、普遍的な材料が用いられています。それこそ「教育勅語」のような異臭を放つ大失敗ゲテモノ料理であっても、素材自体は例えば塩や野菜、魚といった普遍的なものが用いられています。
しかし当然のことながら、異臭を放つ異常な料理を子どもたちに食べさせようとしたり、ましてや「これを食べられないということは、塩や野菜、魚を否定するのか?」と意味不明なことを言い立てるのは完全に間違っています。
素材が普遍的であるならば、異常な料理から多少はマシに見える部分を取り出して食べさせようとする必要はありません。同じ素材を使ってまともに食べられる料理を作れば済むことです。
それを、なぜこの手の人々は何が何でも教育勅語にこだわるのか。それが教育勅語でなくてはならないからです。彼らは子どもたちに野菜や魚を食べさせたいのではありません。何が何でも、見た目や異臭をごまかしてでも、ゲテモノ料理を食べさせたいのです。
当然、こんなものには断じて賛同などしようがなく、全否定されなければなりません。

ところでこの教育勅語、普遍的でまともなことも書いてあると主張する人はいるものの、私としては「普遍的でない」人に対して全く普遍性を持たない点が気になっています。もっと踏み込んで言えば、こんなものは教育で押し付けるような内容ではなく、むしろ普遍的から外れた人々の権利を守ろうとする内容こそ今の道徳教育に必要ではないかと考えます。

以下、「教育勅語は普遍性を持つ」と柴山文科相が言ったので、現代語訳を読んでみましたの戦前の文部省図書局による口語訳より。

・父母に孝をつくし
「父母」がいない者がいるのもさることながら、親から嫌がらせ・暴力行為・性的行為・ネグレクトなどの虐待を受けた者にとって、「孝をつくせ」は呪いの言葉です。それを言う方には悪意がなく、それ自体は世間的には正しいとみなされており、言われた方は真正面から反論することが難しく、それでいて魂を深々とえぐる、まさに言葉の凶器に他なりません。
こんなものは国や学校が押し付けるようなことではありません。それよりもむしろ、虐待の概念や知識を道徳などの授業でしっかり教育し、相談窓口などの情報を十分に提供し、虐待を受けた本人、または虐待らしき事例を見かけた周囲が動ける環境を整えて、父母や保護者による虐待から身を守れるようにする方が重要でしょう。

・兄弟姉妹仲よくし
これも同様。事情は様々ですから、仲よくしろと押し付けられるようなものではありません。肉親だろうが誰だろうが、他人を踏みにじったりするような輩を嫌うのは当然。

・夫婦互に睦び合い
これもまた呪いの言葉。睦び合いたくてそうするのは個人の自由ですが、配偶者が家庭内暴力(精神的・物理的を問わず)を行うような場合、そのような者と睦び合う必要など何一つないのです。
実際に学校で教育すべきは、家庭内暴力の知識でしょう。精神的な支配なども家庭内暴力となり得ること、ハネムーン期というものがあってなかなか逃げられない心理状態になること、しかし即刻逃げて身を守るべきであることなどを教育し、身を守る知識を提供すべきなのです。
ちなみに、破滅的な夫婦関係なのに、子に対しては親が無理に配偶者を立てようとするケースも珍しくないようで、当然子どもはそれを完全に見抜いていて、逆に白けていたという話をしばしば耳にします。とはいえ、こんなものが正常な状況と勘違いされれば世代連鎖の可能性があるわけで、白けた方がまだマシなのですが。「睦び合」うべしという呪いの成れの果てです。

このように、「普遍的」な呪いの言葉で人をがんじがらめにするのではなく、「普遍的でない」人が命や権利を守れるような教育こそ、本来目指すべきものでしょう。これは教育の理念、すなわちあらゆる人に一定の知識を提供するという点からしても妥当なものです。
他にも、教育勅語のほとんどは「部分的には正しいと強弁できなくはないものの、国がそれを言い出してはどうしようもない」「反面教師としては役に立つ」「むしろ国がそれを守れ」と言わざるを得ない事柄で構成されています。

・朋友互に信義を以て交り
友人関係も人によって様々なのでは。どうして友人とのあり方までああしろこうしろと言われる必要があるのか

・ヘりくだって気随気侭の振舞をせず
麻生氏にでも言っては?
それと、インターネットやら書店やらテレビ欄やらには「日本スゴイ」「中韓はダメ」が並んでいるようなのですが、これはどうしましょうか。
これらを事例として挙げた上で「こういう最低な行為は人間として恥です」と教育するなら大いに結構。また、こうした行為は「愛国心」を御旗として行われますから、当然「愛国心」とやらを疑う教育もセットにする必要があります。

・人々に対して慈愛を及ぼすようにし
福祉・被災地切り捨て真っ最中の政府に言っては?
自己責任バッシングや「生産性」論を一切否定する教育を行うなら、あってもいいでしょう(ただし、これは本来「慈愛」とは別の次元で否定されるべきものなので、あくまでとっかかりとして)。
逆に、人々の慈愛や助け合いによって国の責任をあいまいにするようなことがあってはなりません。例えば被災地ボランティアは慈愛に含まれるでしょうが、災害対策や復興は本来国の責任であって、ボランティアはその隙間を埋めるものでしかありません。

・学問を修め業務を習って知識才能を養い
これは国に言われるようなことではありません
学問を収め、知識才能を養うのは、言うまでもなく非常に素晴らしいことです。しかし、それはあくまで本人が自分のためにやるものであって、国のためではありません。せいぜい「国に還元されたらラッキー」程度。国が教育環境を整備すべきなのは、学問・教育は人の権利であるからです。
国がウダウダと言い出し、学問や知識は国のためということを隠さなくなると、人間としての見識を広げ、時として発見ももたらす「無駄な知識」は第一に切り捨てられ、果ては「法学部では憲法や刑法ではなく、大型二種免許を取得しましょう」「工学部では機械力学ではなく、トヨタの機械の使い方を覚えましょう」などと頭のおかしい案を大真面目に言い出すことになるのです。

・善良有為の人物となり
同上。善良とか有為とか、なぜいちいち国に決められねばならないのか。それに、国からすれば邪悪の極みでも、市民にとって善良有為な人もいるでしょう。
例えば多くの沖縄県民に評価された翁長氏は、安倍政権にとっていかなる人物でしょうか。与党議員・杉田氏にとって「生産性のない」LGBT、そしてLGBT差別に抵抗する人々はどう見えるでしょうか。

・進んで公共の利益を広め世のためになる仕事をおこし
教えるべきは「公共の利益」よりも「公共の福祉」です。

・常に皇室典範並びに憲法を始め諸々の法令を尊重遵守し
法令にせよ典範にせよ規則にせよ、それらは公正性を保つ上で必要だから守られるべきなのであって、そうでない場合にもとにかく守れと言い立てるのは正しくありません。
例えば、ローザ・パークス、杉原千畝、ナチスへのレジスタンスなどは、いずれも規則を尊重しなかったから評価を受けている人々です。
政府がお友達に多額の国有財産を提供する汚職をしたならば、それを知った人は規則としてそれを公開してはいけないことになっていても、公正性のために世に出すのが正しい行動です。その記録の改ざんを命じられたならば、本来従わなくてはならないとしても、それを拒否するのが正しい行動です。
児童・生徒にとってもっと身近な例で言うなら、人権を侵害するブラック校則は守らないことこそが公正性に資する行為です。
不公正な規則であっても、とりあえず遵守しておいた方が楽ではあります。しかし、その規則によって蹂躙されるのに耐えるだけの余力が残っていない人もいます。そうした人を理不尽な規則から守るためにも、公正性に反する規則に対しては、余力がある人や直撃は受けない人が率先して抵抗しなければなりません。
なお、「憲法」の「尊重遵守」に限ってはしっかり教育してよいと考えています。憲法を守るのは権力であって、それを守らないような権力は即刻退場させなければならない、ときっちり教えるべきでしょう。

・万一危急の大事が起ったならば、大義に基づいて勇気をふるい一身を捧けて皇室国家の為につくせ
論外
特攻犠牲者や戦没者に関して、よく「亡くなられた方々のおかげで今の日本の発展がある」などと言われたりしますが、つまり第二次世界大戦で仮に日本人全員が一身をささげて一人残らず玉砕していたら、日本には相当に分厚い礎が築かれていたことでしょう。そうなれば、きっと日本は米国や中国など到底相手にならないほどの大発展を遂げ、世界一の国となったに違いありません。全員死んでいるのに誰が発展させるのかは知りませんが
なお私は、教育勅語のこのフレーズを道徳教育で取り上げることには反対ではありません。「こんなふざけた幼稚なスローガンのもと、若者は命を投げさせられた」と教育する上で、これほど有効なものはないからです。ついでに、特攻などを命じて若者を散々死なせた連中がしばしば生き延びて天寿を全うしたり、国のために身をささげた人ではなく逃げ延びた人こそが戦後の発展に関与できた事実もしっかり伝えるべきです。

天皇がどうたら、先祖がどうたらといった妄想文の部分はバカバカしいだけなので、武士の情けで取り上げないでおきます。なんであんな恥ずかしい文章と「ヘりくだって気随気侭の振舞をせず」が同居できるのか。さすがはヘイト政権お気に入りの文だけはあって、そこら辺のヘイト本に書かれていそうな内容です。
このように、教育勅語の逆を行き、人権の大切さや身を守る方法を教えるきっかけとして用いるのであれば、確かに教育勅語は案外良い教材になり得ます。当然、柴山氏やヘイト内閣の面々が見れば即座に脳の血管が切れるような教材ができあがるでしょう。