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雑記帳(過去ログ)
2018-08-18 の記事 - 2018-08-18
自称プラントハンターによる「星の王子さま バオバブの苗木」、大炎上により販売中止に

この件。プラントハンターを名乗る炎上芸人による「法には触れない」を悪用したモラルハザードが可視化された例でしたが、結局取り扱いは取りやめとなったようです。

通常、法律は社会の何もかもを取り締まるようにはできていません。それをやってしまうと自由が損なわれますし、社会にとって良いことはありません。ただ、「法にはいちいち書いていないが、すべきでないこと」は当然ながら存在します。
例えば、とあるファンドが法の抜け道をついて株を買い進め、グリーンメールを仕掛ける。ブログや動画でヘイトデマを垂れ流し、それを商売とする。ある出版社が著者に白人を起用して「ハク」をつけた上で、ヘイト本を売りさばく。法的に問題ないと称して男性の集団が女性専用車両に乗り込む嫌がらせをし、時には注意してきた女性を晒し上げ、それを動画にして視聴数を稼ぐ。著作権が切れた有名な物語を捻じ曲げて用い、炎上商法によって注目を集め、ただの苗木に物語代を乗せて高く売る。いずれも「(直ちには)法には触れない」案件です。
このようなモラルハザードが平然と横行すれば、それを法律や条例、あるいは自治体や企業・共同体の規則などで規制する必要が出てくる場合もあります。本来であれば良識で避けることができるのに、一部の不届き者がふざけたことをやるがためにシステム的に縛らざるを得なくなれば、それは社会にとっての損失です。といっても、日本では政府が完全にモラルハザードを起こしているので、それ以前の問題かもしれませんが。
したがって、法的に問題はなくとも、良識に反していたり、他人に対して不当な苦痛を与えるなど、公正性に反する場合には、市民の言論活動などによって止めることが必要になる場合もあります。分かりやすい成功例としては、レイシストへのカウンターやヘイト動画通報などを挙げることができるでしょう。いずれも根絶には至らずとも、その規模を大きく減じることには成功しています。

では今回のような炎上商法が行われた場合、どのように対抗するのが効果的なのか。私が知る限り、最も良いのは徹底的に炎上させて燃やし尽くしてしまうことです。
長谷川豊氏は「透析患者は殺せ」で炎上を仕掛けましたが、燃やし尽くされてレギュラー番組をすべて失い、しかも維新から出馬するも強い反発を呼ぶばかりで、結局落選。杉田水脈氏は安倍政権の本音担当として差別を垂れ流し、その異常思想によって名を売りにいった結果、徹底的に燃やされて自民党ですら形ばかりながら「指導」をすることになった上、「生産性」をめぐる余波は今なお続いています。
このプラントハンターを自称する炎上芸人はかつてクリスマスツリーでやらかしましたが、今回の件でももともと炎上必至のやり方に加え、以前の大炎上で作られたコークスに今回の炎が引火して高温化した側面もあり、徹底的に燃やされた結果として販売は中止。氏は「危険物件」として広く認知されるに至ったことでしょう。

NEWSの窓:メディア 差別と闘う 「どっちもどっち」は無し

おっしゃる通り。ただ、これを書いた人は分かっておられるとしても、分かっていない人間がこの新聞社内も含めてゴロゴロいるようですが

どっちもどっち論。マスメディア上で多く見られるのは、無理やりな両論併記であったり、「とされる」「とも取られかねない」といった「そう取る奴が悪い」と言わんばかりの表現であったり。また、どっちもどっち論を誘発する不正確な表現として「ヘイトスピーチ(憎悪表現)」も散々使用されてきました。これらがどれほど著しく公正性を毀損してきたことでしょうか。
例えば、最近でも杉田氏のLGBTヘイト、東京医科大学の女性差別など、日本で差別を見ない日はありませんが、これらはいずれもただの差別です。「差別と取られかねない」などではなく「差別」です。理由をつけようが何しようが、単なる差別です。そして、杉田発言についてしっかり許されないと明記しているのが、こちらは読売新聞の子ども用コーナーという笑えなさ。毎日といい読売といい、どうして子どもコーナーでは正しい説明が書けるのに、大人が読む部分では全く話にならないのか。
子どもに「それなら、許されない発言をしているような人や政党について、なぜメディアはまともに批判し戦おうとしないのか」と問われて、答えられるのでしょうか。

ここに「○○人を皆殺しにしろ」と主張する者がいます。そして、それに対して「そんなの許されるか」と反対する者がいます。これがどっちもどっちであるとしたら、ではその中間点はどこでしょうか。両論併記をするとしたら、その落としどころはどこでしょうか。「○○人を皆殺し」と「それは許されない」の間からどの点を選んだとしても、100%留保なしの「許されない」を選ばない限り、「○○人をある程度なら殺していい」ということにならざるを得ません
差別には明確な力関係の差が存在します。力関係の差がなければ差別にはなり得ず、差別問題を考える上では常にこれを念頭に置かなければなりません。
力関係が違う以上、差別の構図を放っておけば被差別者が一方的に蹂躙されます。ひ弱な子どもと老人が屈強なヤクザの大軍に絡まれ、必死で抵抗している、という場面があるとして、これを「ケンカはどっちもどっちだ」と放置しておけば弱い側が容易に蹂躙されるだけです。おまけに、この場合のヤクザとはすなわちマジョリティの力を背景にした存在であるわけですから、自分がマジョリティである限りは自分もヤクザに力を貸している側となります。
つまり、「止める」以外の選択肢はすべてヤクザに味方することと同義です。自分も差別に加わるか、どっちもどっち論などで中立を気取るかの違いは、自分もヤクザに手を貸して蹂躙を手伝うか、自分は手を下さずヤクザに汚れ仕事をやってもらうか、ただそれだけの差でしかありません。
さらに恐ろしいことに、マジョリティの一部はヤクザに襲われている弱い立場の人々が涙を流して耐えている間は「おお、ひどい話だ。かわいそうに」などと言ったりするくせに、彼らがもう殴られたくないからと抵抗したり身を守ろうとしたり、社会に苦境を訴えたりし始めた途端に「逆らうのか?生意気だ!でしゃばるな!」などと言い出したりします。要するに、被差別者が従順である限りは二級市民扱いくらいならしてやる、という極めて差別的な態度を取るわけです。
しかも現状で運よく特権階級側につくことができた名誉一級市民の被差別者が差別側に同調する、という地獄絵図もしばしば繰り広げられます。

こうしたものに対して、メディアは「NO」と言う責任があります。差別は差別であると述べ、差別者の攻撃と被差別者の抵抗を「どっちもどっち」にせず、不公正な両論併記は行わず、また従順であることを条件とした二級市民認定なども正しく差別と断じなければなりません。
しかし実際はどうでしょうか。立場の弱い人々を権力などの巨大な力から守るため、それに匹敵するほど大きな力を与えられてきたメディアが、権力や社会の差別と手を組み、強大な力を用いて弱い立場の人々を蹂躙する場面を、一体何度見せられたことでしょうか。新聞が強い者の味方をして弱い者を叩き、テレビで被差別者を面白おかしく蹂躙し、大手出版社さえも売れるからとヘイト本を出す絶望的な光景を、今までどれほど目にしてきたことでしょうか。それがマジョリティ側の人間から見ても最低劣悪な光景であるならば、マイノリティにとってはどれほどの恐怖や絶望でしょうか。
子どもコーナーに書かれる、すなわち子どもでも十分理解できるようなことを、大人はなぜできないのか。このような状況は恥も恥、子どもにも笑われてバカにされるほどの大恥だと考えるべきでしょう。

2018-08-11 の記事 - 2018-08-11
森氏、サマータイム再度要望 首相「内閣としても検討」

バカじゃないの?

捏造・改ざん・もみ消し・ヘイト、何でもありのこの異常な政党・内閣はいつもこれです。しかもオリンピック自体が老人の道楽同然に招致が開始された大義のないもので、こちらもまたロゴから競技場から何もかも大騒乱。現代日本におけるこの2つの巨大ゴミが合わされば、大惨事になることなど分かったようなもの
さすがに実際には導入されないと信じたいところですが、この内閣は国民を苦しめることであれば何をやってもおかしくありませんし、たとえ回避されてもこんなものが検討されることからしてどうかしています。

なお、本件については自民党・安倍内閣支持者のうち、これが実現されればあおりを食う人々の一部も真っ青になっている模様。今まで他者を踏みにじる行為、異常で全く道理に合わないやり方を平然と支持しておいて、自分が被弾すると分かった途端に大騒ぎですか。散々支持していながら、LGBTヘイトの直撃を食ったら騒ぎ出した勝間氏でもあるまいに、恥という概念がないのか(無論、今までの行いを反省して転向する人がいるならそれは歓迎です。まずは踏みにじってきた人々への真摯な謝罪と、自民や在特周辺やその他ヘイト勢力への明確な不支持表明、そして贖罪の開始は最低条件ですが)。
今まで散々やってきたように、どんな滅茶苦茶な政策でも何の疑問も持たずに支持でもしていればよろしい。他人の首にかけた縄は平気で引っ張ってきたのですから、自分の首に縄が巻かれた時にも同じようにすればよろしい。
自分が支持してきた内閣の異常行為によって大災厄がもたらされたとしても、まさか内閣の異常行為に反対してきた「反日」どもの手を借りたりなどしないでしょう。親愛なる内閣のために自分らだけでデスマーチでもなんでもして対処すればいい。それで力尽きたら、終戦の日コスプレ大会でおなじみの某神社にでも祭ってもらってはいかがか。
本来、サマータイムに反対する人は誰でも「味方」のはずですが、捏造・改ざん・もみ消し・差別などの不公正の山に対して怒るどころか支持していた人間が「味方」になったところで何の役にも立ちません。どうせ自分は被弾しないが被差別者・困窮者などが大いに苦しむ滅茶苦茶な案が出てきたら、そちらは大喜びで支持することでしょう。そういう輩などいるだけ邪魔ですし、手を組めば余計悪い方に進むだけです。

東京五輪が待ち遠しくない

この状況下でよくぞこのような見解を書いたものです。そして、書いてあることはいずれもごもっとも。

ただ私としては、やはり「かかわってくるな」ではなく「返上しろ」と言いたいところ。
自分という視点で考える場合、確かにオリンピックが自分に一切かかわってこなければそれで十分です(実際には不可能でしょうが)。私の知らないどこかで勝手にやって、私に一切迷惑をかけず、勝手に終わって勝手に後始末をしてくれればいい。報道も、オリンピックが好きな人にはスポーツチャンネルやスポーツ紙を見てもらい、一般のメディアでは政治などの問題を扱う時間を一切減らさない。競技は国ではなく選手の競争としてのみ扱い、国としての闘争心を煽るような報道はしない。そうである限り、私個人はそれで構いません。
ただし、社会的な観点から見るとそうはいきません。このオリンピックには大義も公正性もなく、よって返上するのが社会のために必要であるからです。
国民の支持をろくに得られない状況で老人の道楽同然に立候補し、招致には疑惑が付きまとい、アンダーコントロールなるデマまで吐き、安価な五輪と嘘を言い、ロゴで大モメ、競技場で大モメ、共謀罪など悪法成立に活用、被災地を利用して招致しておきながら被災地からリソースを奪うことになり、卑劣にも学徒動員までもくろみ、ボランティア駆り出しのために休暇をずらすやら大迷惑の連続で、しかもそのボランティアとやらは単なる無賃労働、そして今度はサマータイムだの何だの。そこに大義は何一つありませんし、自己満足連中と利権連中のバカげた机上の空論によって一般の人々が苦しむだけです。
そしてオリンピックが終われば、そこで生み出された多くの財政負担と、散々無理が通されたことによる制度及びモラルの崩壊により、焼け野原同然の未来が待っています。

自分のことだけでよければ、「かかわってくるな」は最も容易な答えです。しかし、社会の観点から考えるならば、オリンピックは返上するしかありません。
開催されてしまった場合の大災厄に比べれば大したことはない違約金でも何でも払い、オリンピック予算は地震・豪雨・台風の被災地に振り向けたり、人道的な避難所設営用の設備を整えたりすればいい。
国際社会に対しては恥だとしても、オリンピック招致決定からここまでに積み重ねてきた恥、そしてこれから積み重ねる恥を考えれば、こちらも大したことはありません。そもそも、捏造・改ざん・もみ消し・差別・歴史修正内閣が国を動かし、ヘイトデモやヘイト議員が横行し、土俵はおろか入試ですら堂々と女性差別がなされている現状を超えるほどの恥はないでしょう。
後は「もう始めたことだから」「今さら文句を言うな」と言い続けて焼け野原まで行くか、途中で踏みとどまるか、ただそれだけです。

2018-08-02 の記事 - 2018-08-02
杉田水脈議員に自民党が指導 「配慮欠く」と異例の見解

差別及び優生思想を垂れ流しておいて、処分ですらなく単なる指導ですか。しかもその内容もどこかで見たようなアレ。配慮を欠くだの不適切だのではなく、「LGBTに対する著しい偏見及び優生思想の両方に基づく極めて悪質な差別」です。LGBTヘイトと相模原事件の犯人の優生思想が合体した悪魔のような議員など辞職させるのが当たり前。そうなると自民党議員はほとんど辞めることにはなるでしょうが。
ともかく杉田氏は辞職、二階氏と「先輩方」も厳しく処分。それは最低限必要でしょう。

>石破茂・元幹事長や小泉進次郎・筆頭副幹事長が相次ぎ批判するなど、波紋が広がっていた。

ヘイト発言で気分が悪い中、ますます気分が悪くなります。杉田発言に対する人々の反応は早く、LGBTでない人も「差別を容認してはならない」「生産性の思想を放置すれば、問題はLGBTにとどまらない」として即刻LGBTと連帯、あっという間に抗議を作り上げました。
ただの市民がそれぞれ動き、抗議を作り上げたのに、自民党議員として一定の責任を持つであろうこの世襲坊やはその間一体何をしていたのか。抗議の声が激しくなったので石を投げてみせただけ。おかしいと考えているなら、問題が出始めた時点ですぐに頑としておかしいと主張し、党に対応を迫るのが当然ではありませんか。それでも党が全く対応せず、差別発言がどうしても許せないなら、考え方が全く異なるのだから離党しかない。
当然、氏はそのようなことは絶対にしません。実際には差別を許せないと考えているわけでも、差別政党である自民党と思想を異にするわけでもないからです。

二階氏「大げさ、この程度の発言で」 杉田水脈氏巡り

杉田もろとも辞職しろ、ゴミクズ以下の議員が。

ところで、やはり先日の自民党前抗議がかなりの効果をもたらしているようですが、これに東京レインボープライドが参加したのは、そもそも当然とはいえ画期的なことであったといえるでしょう。

レインボープライドのような運動体は、表面上の「政治性」を嫌う傾向にあります。それを明確にするよりは、曖昧のままで済ませた方が運動の広がりがよくなるという読みがあるためです。
その結果、運動が「政治的」にならないように細心の配慮するという、実は最も政治的な立ち位置の下にこうした運動体は存在してきました。
そもそも現代社会の人間にとって、その生活はそのまま政治に関わるものですし、ましてやLGBTの人権擁護と制度上の差別の撤廃を求める活動が「政治的」でないことなどできません。すなわち、その活動を「政治的」でないものとすること自体が極めて政治的な打算の上で成り立ち、政治的な方針として機能していたわけです。
そして、それは確かに途中まではある程度上手くいっていました。もともとマイノリティの中でもかなりの人口を持ち、多くの人が漠然と肯定するであろう「(性の)多様性」を題目とし、日本社会の中でも注目を築き上げてきたLGBTは、各自治体や企業・学校などにとっても無視のできない存在となり、徐々に権利を勝ち取ってきました。
これはいわば、主張する側と受ける側の双方が「政治性」にフタをするという非常に政治的な駆け引きの下でなされたものであり、LGBT運動体の側は政治的立場はさて置いて、とにかくLGBT差別解消を申し入れ、受け入れる自治体などの側も政治的立場はさて置いて、「多様性」や「人権」を題目として啓蒙活動を行ったり、制度を作ろうとしたりしてきました。
運動が進んでいくにつれ、この「大人の関係」が上手く回らなくなる(いずれ運動体の側は自らの「色」に自覚的になり、受け入れる側もより積極的な観点から差別解消に動くようになる必要がある)のは時間の問題でもありましたが、ともかく政治や自治体・企業・学校などの側としても、本音はどうあれ多様性や人権を表立って非難するわけにはいかず、とりあえずここまでは歯車がかみ合っていました。
しかし、ここで異常な政権である安倍政権の、しかもその異常思想を垂れ流すスピーカーとしての役割を持った杉田氏が、大変なことを言い出しました。彼らにとっては「多様性」も「人権」も、本音どころか建前の上ですら守る必要がないと考えているものですから、この場で「大人の関係」の構図は一瞬にして壊滅することとなりました。

こうなってしまっては、レインボープライドの側も決断を迫られます。そして、彼らは差別や人権、そしてその政治性などを十分理解している運動体のはずですから、抗議に参加しないことは、参加することよりもさらに政治的である事実を即座に認識したに違いありません。
例えば、政治家でも何でもないが影響力はある有名人なり企業・団体なりが強力なLGBT差別を垂れ流したとしましょう。そうすれば、LGBTの運動体はこれに抗議を出すでしょうし、一般にはそれが政治的と呼ばれることもありません。「透析患者は殺せ」の長谷川豊氏に関係団体が抗議を出したのと同じです。
ところが、それを垂れ流したのが自民党の議員であったならば、抗議することがその時点で「政治的」なものとなってしまい、自らを「政治的」ではないものと位置付けようとすれば抗議ができなくなってしまうのです。ただの有名人や団体などが相手なら抗議できるのに、それよりも責任が重く、実際に立法にかかわることができる議員へは抗議ができないとすれば実に本末転倒な話で、「政治的」ではないことの政治性をこれほど強く認識させられるものもありません。
結果、レインボープライドは抗議の道を選びました。妥当な判断でしょう。そしてまた、もはや「政治的ではない」という極めて政治的な立場を貫くことも不可能となった状況にとうとう直面したこれからが正念場であるといえるでしょう。

どのみち、それはいずれ必要な変化でした。
「LGBTの地位が向上するなら、それを訴える相手が人権を縮小しようとする勢力でもよい」「LGBTの地位は向上させるが、在日など他のマイノリティの差別問題にかかわれば政治的になるので関係しない」。LGBT運動を「政治的」ではないものとする代償が、このようなひずみを生んでいたのです。
例の「生産性」発言は、LGBTのみならず、障碍者やその他のマイノリティをはじめ、この社会のありとあらゆる人間に向けられた刃です。この腐りきった優生思想・差別思想を否定するのは、まさに人間や社会が持つ多様性に他なりません。
彼らが抗議で掲げたレインボーは、人種・民族・出自・その他あらゆる多様性の象徴であって、もはや単に性多様性のみを表すだけの記号ではないと信じます。
そして、これは本件だけに当てはまることではありません。「政治的」ではないという極めて強い政治性を帯びる様々なものは、いずれその皮肉な政治性と決別しなくてはならないのです。こと、政権与党が差別主義者として精力的に差別をまき散らす異常事態となってしまった現状においては、決してそれを避け続けることはできません。

2018-07-27 の記事 - 2018-07-27
LGBT:「生産性なし」自民・杉田議員の寄稿が炎上

さすがは事実上の当選保証によって自民党に引き入れられた自民党議員様。この上なく自民党を明確に体現していて、まさにゴミクズ以下の存在です。実際、ゴミクズは廃棄の必要があるなど負担になりますし、有害物質を含む場合すらありますが、能動的にヘイトを吐き散らして他人の尊厳を踏みにじり、その生命を危険にさらしたりはしません。比喩でもなんでもなく、杉田氏と自民党は本当に「ゴミクズ以下」なのです。
杉田氏の主張は相模原事件の犯人のそれと根底において全く変わるところがありません。しかも杉田氏によれば、大臣クラスの者も含めて先輩方から「間違ったことは言ってない」などと声をかけてもらえているとのこと。
悪質な差別主義者として知られる杉田氏を議員にし、差別推進の急先鋒として活用し、実際にヘイト発言をした時にも止めるどころか激励する。これが正真正銘の自民党の本音であるわけです。異常者の、異常者による、異常者のための政党であるとしか言いようがありません。
そして、相模原事件の犯人と同じことを平然と主張する議員や政党を未だ支持する人間がこの社会にいるという事実が、そのまま被差別者を恐怖させ、生命の危険につながることを、これほど分かりやすく示している事例もありません。自民党や安倍内閣に関しては、もはや支持すること自体が加害行為であると言っても過言ではないでしょう。
これに文句がある支持者がいるなら、今すぐ自民党や安倍内閣に抗議活動でも何でもして差別をやめさせたらいい。どうせそんな者などまずいないでしょうが。立憲民主党が小林よしのりを呼ぶ、相乗りをするなどの行為に出た時に激怒したり(なお私は、立憲民主党が小林よしのりを呼ぶような態度を改めない限りは同党を支持しませんし、比例票も入れていません)、共産党が募金デマを流されたのになあなあな態度を取るのに対して「ちゃんと訴えろ」と怒ったりと、各党の支持者は支持できないことにはきっちり怒っていますが、自民党支持者は自民党に差別をやめてもらっては困るわけですから。

LGBT:二階氏「人生観いろいろ」 杉田氏の寄稿静観

ほら、この通り。差別という他人の尊厳・人権を否定し排除する攻撃行為に及び、それも相模原事件の犯人と同じような選別思想を主張してみせた事実は、到底「人生観」で片づけられるものではありません。ところが、それは自民党にとっては「人生観」だと。やはり自民党は異常者の集団のようです。

あらゆる人には人権があり、人として尊重される権利があります。尊重されなくていい人間、排除されていい人間などいませんし、それを選別する権利を持つ人間もいません。
ただし、それにはただ1つ、「他人の人権を尊重し、それを踏みにじらない限り」という条件がつきます。
例えば、「○○(属性)の者を(相対的または絶対的に)尊重する必要はない」などとして、他者の尊厳を奪い去り、排除をしようとする人間が現れたとしましょう。
「○○」と「○○を排除しようとする者」、この両方を尊重することはできません。すなわち、「○○を○○という理由で排除する(例:障碍者を障碍者という理由で、LGBTをLGBTという理由で、他民族の人を他民族という理由で、女性を女性という理由で排除する)」か、「○○を排除する者を排除する」か、必ずどちらかを選ばなければなりません。
これに中立や妥協点はありません。例えば「○○を皆殺しにしろ」と「それは許されない」の中間点は「○○をある程度なら殺していい」ですし、妥協するなら「○○をこれくらいの人数までなら殺していいとして手打ちにしよう」となりますので、どのような点を中間点もしくは妥協点にしようとも、それはすべて排除側を尊重し、○○の側を否定することを意味します。
当然ながら、人を人として尊重しようとするならば、排除する者を排除することになるでしょう。障碍者・LGBT・特定の人種や民族・女性などはその属性を自分の意思でやめることはできませんし、それを理由に排除するなどというのは「死ね」と言われるも同然です。一方、排除する者が人として尊重されたいのであれば、今すぐ排除をやめて償いを始めればよいだけで、両者の立場は全く異なります(実際、反省を口にして改善に動き始めた元レイシストを、被差別者自身も含む反差別者が「まだ信用はしていない」と言いつつ気にかけて世話を焼くといった光景も、この社会では見ることができます。まさに暗黒時代の灯火のような光景です)。
「○○を○○という理由で排除する」ことを止めるためには、杉田氏や自民党連中、レイシストなどは排除されなければなりません。

はっきり言って、杉田氏や自民党をこのままにしておけば、この社会に存在するいかなる人間も無関係では済みません。彼らが「生産性がない」と認定しさえすれば、それがいかなる属性の人間であれ、どのような目に合わされてもおかしくないのですから。
例えば、平均値以下の人間であれば「相対的に生産性がない」とみなすことができるでしょうが、格差が非常に拡大したこの社会で、平均を上回れて「生産性がある」人間がどれだけいるでしょうか。あるいは、誰しもいずれ年老いますし、明日にも病気や交通事故で倒れ、障碍が残るかもしれません。地震や津波、豪雨などの災害によって生活を薙ぎ払われることもあり得ます。子を持たない人、持てない人、経済的に無理という人、すなわち生殖の面で「生産性がない」人も非常に多いでしょう。
こうして「生産性がない」人間を順番に排除していけば、それまでは「生産性がある」とされていた人の順番も間もなく回ってきます。ダルマ落としの1つ上のブロックが、一番下のブロックをゲラゲラ笑って、あるいは「お前がどうなろうと知ったことか」と言わんばかりの目で見ている、というのはなんとも滑稽な風景ではあります。
自民党が次に「生産性がない」認定をし、社会から排除しようとするのは誰か。あなたです。ホモセクシャルの人間が否定されようが、彼らが「生産性がない」認定されようが関係ない?あなたはダルマ落としではその1個上のブロックでしかありませんが、なぜ彼らを無視したり、笑えるのでしょうか?

ところで、先日LGBTであることをカムアウトしていた勝間氏が、本件の自民党の対応について文句を言っているのを見かけました。経済系のヘイト党支持者が、差別したい系のヘイト党議員らに横っ面を張り飛ばされて怒っているというなんとも皮肉な展開に。
そんな党を散々支持してきた結果、今までどれだけのマイノリティがこの党と内閣にぶん殴られ、魂を殺されてきたか、これを機によくよく認識すればよろしい。といっても、それが認識できるなら、最初からこんなマヌケな有様にはなっていないかもしれませんが。この党が在日や困窮者などをぶん殴っている時点では喝采を送っていたら、次はLGBTである自分の番がやってきた。最初から起こるべくして起きたことではないですか。
ともかく、自分が張り飛ばされる番になってから文句を垂れても遅いのです。繰り返し言いますが、この次に排除されるのはあなたです。

2018-07-21 の記事 - 2018-07-21
小1男児が熱中症で死亡 校外学習中に「疲れた」訴え

相次ぐ学校熱中症問題。これらは直接的には厳しい気候によって引き起こされたものですが、実際には猛暑は問題が顕在化したきっかけにすぎません。
学校は事実上の治外法権であるというのが日本の常識であり、例えば街中で子どもを殴れば逮捕されるところを、学校内で教師が犯行に及べば大抵の場合は逮捕されない現実があるわけですが、これと厳しい気候条件がかみ合えば何が起こるか、容易に想像できようというものでしょう。
結果、体調不良の6歳児を炎天下に引き回して殺したり、校舎の周りを80周させるデスマーチを命じて殺そうとしたりといった大変な事態となり、さすがにこうなると学校の外に対して事実を公開せざるを得なくなり、外部から見ると異常としか言いようがない状況の一部がようやく表面化し、世間を唖然とさせることになるのです。

運動部のみんな、熱中症「無理」「もうダメだ」の勇気を

書かれていることは正しいにせよ、意味のない記事です。
なぜ学校で熱中症が起こるのか。「暑いから」ではなく「構造的な問題があるから」です。
差別やセクハラなどの問題にある程度詳しい人にとっては自明なのですが、このような場合には構造的な力関係の差が必ず背景にあり、それゆえにデスマーチの末に倒れるといった、普通に考えれば無理でダメなことが発生してしまうのです。
そしてこの場合、「被害者」側に呼び掛けることは良くて無意味、悪くて有害です。例えば差別ならマジョリティ側の問題ですから、被差別者に何かを要求してはいけませんし、セクハラなどの問題なら被害者本人が戦うことは当然自由ではあるものの、戦うことを強要する権利は誰にもありません。
また、本人が戦わなかったからといって侵害行為がより軽いとみなされることがあってもいけません。よくある「嫌ならなぜきっぱり拒絶しなかったのか?」はまさに被害者に責任を転嫁するワードでしかなく、「力関係のために拒絶できないから」に決まっています。
学校の熱中症問題もこれと同様です。記事を書いて切り込むのであれば、力関係の弱い「被害者」に「拒絶しろ」と言うのではなく、この力関係の構造にこそ切り込まなければならないのです。

今回の熱中症問題は、学校内で平然と行われている異常事態を表面化させるきっかけとなりました。
であるならば、熱中症への直接的な対策はもとより、この構造的な問題を解消していかなければ、似たような問題を今後とも何度でも繰り返すことになるでしょう。例えば根性論によるエアコン設置・稼働の否定は、別件でも根性論によるトラブルを引き起こすことが目に見えています。

「ニュース女子」で人権侵害、在日女性が「DHCテレビジョン」とジャーナリストを提訴へ

どこからどう見てもヘイトデマの塊である異常な放送をしていながら、不完全極まりない謝罪に至るまでにすらこれほど時間がかかりますか。

権力とは巨人のようなもので、その気になれば無力な個人など簡単に踏みつぶしてしまうことができます。そこでメディアには、彼らが暴走しないように監視し、万が一暴走した場合はそれを止めるため、巨人に匹敵するほどの力が与えられています。政府が沖縄や女性、朝鮮人などを踏みにじっているのに、メディアが一緒になって踏みにじるとはどういうことですか
同様に東京新聞も問題です。無論、会社の者が言論活動をすることは自由でしょうし、それが会社の方針と食い違っているからといっていちいち処分してはならないでしょう。それがデマやヘイトスピーチである場合を除いては。「東京・中日新聞論説副主幹」の肩書で箔をつけてヘイトデマの銃を乱射したのですから、責任ある企業としては厳しく対応しなければなりません。
あんなヘイトデマが何をまかり間違ってか電波に乗ってしまったのは、それ自体が驚愕すべきことですが、責任ある立場のはずのMXや東京新聞といったメディアがとことん誠実に対応しなかった事実はますます驚愕に値します。
DHCのようなヘイトデマ企業が発生してしまうのは、残念ながら完全には防ぎようがありません。その卑劣なヘイトデマを右から左に垂れ流し、まともな謝罪も対処もしないメディアの問題は極めて深刻です。

なお私は、表現の自由は公共の福祉による制限を受け、他の権利との兼ね合いの上でのみ認められるものと考えていますが、表現の自由を至上主義的に重んじるとすれば、実際にはこのようなヘイトデマこそ徹底的に非難し排除しなければなりません。
例えば、経済活動の自由が最大限尊重されるとして、「ニセ札を製造する自由」「良くて無意味、悪ければ危険物入りのニセ商品を偽って売る自由」は経済活動の自由として容認すべきでしょうか。それを問題視する人々に対して「ニセ札やニセ商品に文句があるならば、それをやめさせるのではなく、自分が正しいと考える経済活動によって勝負を挑めばいい」と反論することは適切でしょうか。経済活動が自由だからと、細菌兵器や破壊兵器などの殺戮兵器、危険なドラッグなどを売りさばくことは適切でしょうか。
経済活動としてニセ札やニセ商品の自由を認めれば、経済の信頼性が破壊されてそれ自体が成り立たなくなり、経済活動のためには殺戮兵器を売っても何をしてもいいとなれば社会自体が破壊されます。
表現の自由を守ろうとするなら、デマをまき散らし、人権を侵害し殺戮などの大惨事をも招くヘイトスピーチをまき散らすことには非常に厳しくなければならないのです。

2018-07-15 の記事 - 2018-07-15
豪雨災害。今回ばかりは自民党は少々失敗してしまったようです。

この場合の自民党にとっての最適解とは何か。無論、災害対応など放り出して外遊に行くことです。普通、そのようなことをすれば大批判を受けて政権の致命傷となりますが、残念ながらここは日本です。自国内だけでは飽き足らず、わざわざタイの救助された人々に対してまで自己責任論に基づく中傷をしなくては気が済まないような魑魅魍魎であふれた場所なのです。
文句を言ってくる者がいれば「災害を利用するな」とわめきたてて黙らせ、子分のレイシストどもにくだらないデマを垂れ流させ、被災地からの声として批判する者があればその個人をつるし上げて「攻撃指令」を出すことで黙らせ、かつそれを見せしめとすることで他の人も同様の発言をできないようにし(これは実際に世耕氏が実行)、最後に朝鮮辺りへのヘイトでも垂れ流せばよい(これも実際に片山氏が実行)のです。
少しでもまともな神経をした人々は、最初から安倍内閣など支持していませんから、まともな人々にますます嫌われたところで安倍氏としては痛くもかゆくもありません。一方、支持層であるレイシストは弱者いじめが大好きな連中なのですから、被災地など踏みつぶして喝采を受け、それに疑問を抱く数少ないレイシストにはエサ(差別)を提供してやれば万全です。
当然、謝罪すべきことなど最初から存在しません。批判してくる者がいるとすれば、それはすべて災害を利用した言いがかりであって、何一つ問題など存在しないのですから。
ところが、安倍氏は外遊を取りやめ、他の宴会参加議員も「誤解」を与えたなどとふざけた理由ではあるものの、陳謝らしき態度を取ってしまいました。ここは日本なのですから、異常なことを強弁した末に差別の一つも垂れ流せば簡単に片付いたところを、これは自民党にとって明らかな失敗であるといえるでしょう。

「在日朝鮮人だ」虚偽の投稿放置、ヤフーに削除命令

日本名物・在日認定。放置しておけば事実とされてしまいますし、かといって抗議したり裁判沙汰にでもしようものなら「在日朝鮮人とは恥なものらしい」などと言いがかりをつけられるという意味不明な状況なのですが、このような行為が許されない理由は以下の通り。

1.「在日朝鮮人」の語自体は単に属性を表す言葉でしかないが、レイシストはこれを属性を表す語ではなく悪口として使用しており、民族・国籍名を悪口の意で使うのだから著しいヘイトスピーチである。なお、民族・国籍名以外でも、単に同性愛であること、あるいは知的・発達・身体障害の有無を表すにすぎないはずの言葉が悪口として用いられることはしばしば行われており、いずれも当該属性に対する差別的言動である。
2.レイシストは「在日朝鮮人」の語を本来の意味ではなく悪口として用いているわけだから、これは発言を向けた相手に対する明確な誹謗中傷である。
3.単純にデマであるし、自分の本来の属性を否定され、別の属性であるかのようなデマを流されるのは、極めて非礼であって苦痛を受けるものである。例えば男性を女性、女性を男性扱いすることは一般に失礼とされる。
4.仮に本人が本当にその属性である場合でも、本人が公表したくないと考えている属性を勝手に公表してはならない。性的マイノリティのアウティングが代表例。ましてや、誰彼構わず「認定」して回るなどもってのほか。
今回の被害者は日本人で、国籍を証明できるので削除を求めることができたが、本当に在日であるならそれもできず、拡散を止める方法がない。現状の日本で在日朝鮮人であると発覚した場合、下手すると生命の危機にすらつながりかねないため、それを公表しないことには自己防衛としての意味がある。

要するに、在日認定というのは何がどうあっても問題で、絶対に許されない悪質な行為であるわけです。

>「人格的利益より、虚偽の事実を示した表現の自由を保護する理由は全くない」

全くその通りです。
ところで、今回はYahoo!が放置の責任を問われたわけですが、災害時デマの打ち消しに動いている人々を順番に凍結し、レイシストの差別は放置するどこぞのSNSに至ってはどれほどの責任があるでしょうか

〈時代の正体〉豪雨災害乗じ差別扇動 川崎の男性、デマツイート

ということで、どこぞのSNS。今回の豪雨でもしっかりヘイトデマが垂れ流され、しかも延々と放置されました

>ここ数年、災害のたびに会員制交流サイト(SNS)がヘイトとデマの「拡声器」として悪用されている。ツイッター社は利用規約でヘイト行為を禁じるが、違反投稿の削除などの対応は全く不十分。西日本豪雨でも「朝鮮人が暴動を起こすぞ。気をつけろ」「空き家とか崩れた家に入って窃盗しています。たぶん中国人です。見つけたら殺しましょう」と殺害を呼び掛けるツイートまでが放置され、拡散している。企業としての社会的責任の欠如は再三批判されても一向に改まらない。
(強調は引用者による)

もはや犯罪級でしょう。
いくらなんでも、このSNSにはさすがにつける薬がありません。ここで災害のたびになされている悪質な差別(虐殺)の扇動と、それに対する運営の事実上の加担姿勢、そしてデマの打ち消しを行う人々の方を次々と凍結していることなどを考えれば、重大な結果を招くのは時間の問題ですから、その前に会社をたたんで消え去ってくれることを願うばかりです。

2018-07-07 の記事 - 2018-07-07
女性政治家が晒されたここまでのネットハラスメント──なぜTwitter社はネトハラを放置するのか

ヘイトスピーチとアベノミクス=白井聡・京都精華大専任講師

今さら言うまでもありませんが、これらの記事に共通したり、合わせると読み取れることは次の2点。ほんのわずかでも知性や良識を持ち合わせている人ならば、まず間違いなくこの結論に至るということなのでしょう。

1.人種差別者、女性差別者、安倍支持者らはすべて同じ層の人物である。
2.Twitter社はほぼ意図的に差別を放置し、それに加担している。

日本の安倍支持者レイシストの異常性は世界にも知れ渡りつつあり(しかも海外で取り上げられるとわざわざ外国人に突撃をかまし、レイシスト大国・日本では通用しても外国では通用しない意味不明で異常な言説を並べ立て、自らそれを証明するおまけつき)、日本がもはや異常な領域に突入していることをつくづく認識させられます。

どこの国にもどうしようもない連中は一定数いるものです。路上で「○○人を殺せ」と吐き散らしたり、セクシズムに基づき女性に刑事事件となるような嫌がらせをしたり、デマブログを真に受けて懲戒請求を出したりする異常者の中の異常者は、どうあがいてもなくすことは困難でしょう。
ただ、日本において異常なのは、かなりの量の世論が土台となってそれを支えているという事実です。
つくづく述べていることですが、差別の対象となっている被差別者や困窮者にとって、世論調査での内閣支持率の数値はそのまま自分や家族を殺傷するかもしれない人間の数です。安倍内閣が差別を扇動していることはもはや常識ですし、文書改ざんからお友達の犯罪もみ消しから、カジノや無賃残業合法化や水道など政治に関してはボロボロ。国有財産をプレゼントした相手はヘイト教育を行っていたお友達。結局、この内閣には「差別」しかありません。
上記記事で触れられているように、強い経済政策の演出はそれ自体が諸外国ヘイトの道具として機能していますし、また日本の新自由主義は自己責任論と貧困者攻撃で構成されていますから、もともと差別と隣り合わせの存在です。事実、在特会は街頭でのヘイト活動の際、貧困を取り上げた番組に出演した高校生をも公然と中傷しています。
「差別」を第一の支持理由とするか、さすがに体裁が悪いので他の理由を取ってつけるかの違いはあれど、差別を踏まえることなくこの内閣を支持するのは不可能です。
そして日本社会は、かなりの数の国民からメディアなどまで総出で差別を推進することを選択しました。メディアや大手出版社までが異常な差別に立ち向かうどころかヘイトを作る側に回っていること、安倍氏のお友達のレイプ問題と被害者への異常な攻撃がBBCで報じられるのに日本メディアではほとんど無視されていることなどは、それを端的に物語っています。
要するに、実行犯は現状では一部でも、多数の人々(少なくとも内閣支持率と同数以上)が寄ってたかってそれを支えている、もっと言えば一部の実行犯に汚れ仕事をやらせて自分は潔白を気取っているのが日本なのです。
はっきり言って、安倍内閣や自民党を支持しておきながら潔白を気取っている連中に比べれば、それらに代わって実行犯となった挙句に訴えられて賠償金をたんまり支払う羽目になっている連中、街に出てきてはカウンターに容赦なく叱られて涙目になっている連中の方が、まだしも潔さという点ではマシです。

ところで、Twitterはもう差別増幅・ヘイトクライム製造装置としての役割を立派に、それも主体的に果たしていると考えて差し支えないでしょう。
私が恐れるのは、Twitterによって扇動された差別により、Twitterとは全く関係ない人生を送ってきた人がヘイトクライムの被害にあってしまうことです。そうした人にはTwitter社のためにリスクを背負わされる理由などみじんもなく、それこそ理不尽以外の何物でもありません。

2018-06-30 の記事 - 2018-06-30
私はサッカーに全く興味がありません。したがって、勝とうが負けようがすべては私とは一切交わることのない世界で起きたことであって、本来何の関係もありません。
が、しかし。日本が勝ち抜けてしまったのは非常に残念であると言わざるを得ません。
なぜか。災害と同様に、サッカーもヘイトに使われるのが日本の風物詩であるためです。
私はサッカーをヘイトに用いる連中が大嫌いです。同時に、サッカーの応援はしているくせに、そのサッカーによって引き起こされているヘイトに対処することもなく、見て見ぬふりをしている人々はもっと嫌いです。
花見でゴミをまき散らしたり、騒音を出したり、近隣住民の物を壊したり盗んだりという問題が起きれば、当然ながら近隣住民は憤るでしょうし、来年からは花見を禁止する措置が取られたとしても不思議ではありません。それに対して「マナーのない花見客がいたとしても、自分はそんなことしていない。花見の禁止は間違っている」などと言い立てても意味はありません。花見を禁止されるのが嫌ならば、少なくとも目の前でポイ捨てしている人間を見つけた場合に見て見ぬふりをしてはならないでしょうし、ゴミの清掃くらいはやるべきでしょう。
サッカーで増幅されたヘイトの被害にあうのは被差別者であり、後始末をするのは差別に反対する人々です。私のようにサッカーとは全く無縁の人間でも、後始末だけはしなくてはなりません。日本で起きたヘイトの始末は日本人が負うべき責任ですから、後始末をせねばならないのはまだしも仕方がないとしても、被差別者に至ってはとばっちりもいいところです。サッカーを応援するのは自由だが、最後まで責任を持ってくれの一言しかありません。

働き方改革法案 厚労委員長の解任決議案提出も与党は採決へ

>これに対し参議院野党第1党の国民民主党は「衆議院での審議時間を上回っており、採決の環境は整った」として受け入れる考えを示しましたが、立憲民主党などは、論点が残っており採決は認められないと主張しました。

国民民主党がいずれ対決を放棄して自民党をアシストすることは予想の範疇でしたが、よくもまあ。しかも、自民側の主張にも理がないとはいえないような問題で自民アシストに回るのならまだしも、結党早々にこんなインチキ法案でアシストに回るとは、絶望的なまでにセンスがありません。
その後の国民民主党の街宣では、怒りの声に対して「敵を見誤ってはならない」などと言っていたようですが、一番肝心なところで後ろから斬りかかってくる者はどう考えても最も厄介な敵です。
立憲野党はもう、国民民主党抜きでの選挙共闘体制を検討すべきでしょう。たとえ選挙で自民党に勝つことがより難しくなったとしても、共闘して国民民主党なんぞに議席を取らせてやったところで、自民党が取るのと「まったく」同じです。先の衆院選の時の小池ヘイト党と同等の存在とみなしてよいでしょう。違いがあるとすれば、小池ヘイト党がレイシズム志向型であるのに対し、国民民主党は新自由主義志向型である点だけです。
国民民主党のやり方に違和感を覚えている志ある所属議員は、早いところ立憲民主党に移ればよろしい。その残りは共闘相手ではなく打倒すべき相手でしかありません。

保守速報による在日女性への差別、高裁も認定 まとめは「2ちゃんと独立した別個の表現行為」

金額が少なすぎることを除けば、当然の判決です。
なにしろあの安倍氏がフェイスブックでシェアするようなサイトなのですから、そのヘイトの悪質さたるや推して知るべし。賠償がたった200万円程度では、桁が1つどころか2つほど足りません。
ただ、李信恵氏が苦痛をこらえ、多大な労力を割いて勝ち取ったこの判決は、今後の反差別のための大きなステップとなってくれることでしょう。

現在、ヘイトデマ商売界には激震が走っています。
というのも、弁護士の不当懲戒請求への反撃から派生して、YouTubeヘイト動画への大量通報活動が行われ、大量の動画・チャンネルが削除された上、違反とされることを恐れての自主削除をも引き起こす大戦果。ニコニコ動画がヘイト企業であるため、ヘイト動画自体をなくすことは難しいにせよ、少なくともYouTubeでヘイトを使って儲けることは困難になりました。
そこからさらに派生して、今度は保守速報などの差別デマサイトから広告をはがす活動がスタート。最初期に要望がなされたエプソンが優れた対応をしたことから弾みがつき、他の企業や広告会社も同様の対応をしたことから、ヘイトサイトから次々と広告が消えつつあります。

「こんな簡単で効果的な方法を、どうして今まで誰も気づかなかったのか」と考える人もいるかもしれませんが、実際にはこれと似たようなことはこれまでにも試みられてきました。ただ、今まではそれがことごとく上手くいかなかったのです。
ヘイトコメントなりヘイト動画なりをいくら通報しようと効果はなし。当然、ヘイトサイトに広告を出している企業に掛け合った人もいますが、「当社は差別はよくないと考えている」という模範解答的な返事が寄せられ、せいぜい契約期間終了後の対応を検討すると述べられるのみで、本当に検討がなされたのか、なされたとしてどのような効果があったのかも全く不明。当然、大勢に影響なし。
要望に関しても同様で、例えばYahoo!のコメント欄があまりにもヘイトまみれであることから、「まともに管理すべき。管理責任も負えないのならコメント欄は閉鎖すべき」と意見を送るなどしましたが、やはり効果は得られませんでした。Amazonなどといった著名な企業も含め、他の企業への要望も軒並み似たような結果に終わっています。なお、Twitter本社にも申し入れをしましたが、こちらは昔も今も将来も、何か対処をすることは永久にないでしょう。
現実の商業施設についても、街中のヘイトスピーチ現場の近隣に位置し、しかも外国人観光客によって大いに潤っている数店舗に対し、「これで外国人観光客が恐怖し、悪評が広まれば商業的なダメージも避けられない。せめて法務省のポスターを貼るなどしてほしい」と要望書を出したことがありますが、その返答は「差別はよくない。うちとしては何もしないけど」(要約)。なお、他の人は周辺の鉄道会社数社に同様の申し入れをしたようですが、ほぼ似たような結果であったようです。
こうした様々なことを今までに何人もの方々が行っていて、それでいて芳しい成果を得られたという話はほとんど聞いていません。
要するに、ヘイトスピーチがようやく社会問題として認知されてきた今だからこそ効果が生じているのであって、ほんの少し前までは鉄の壁にさえぎられていたのです。

そういう意味で、今回の判決の意義は非常に大きいものです。なにしろヘイトデマまとめサイトが200万円もの賠償命令を受け、おまけに「まとめているだけ」などの言い訳も明確に否定されているのですから。こうした事実はヘイトサイトとの契約企業などに要望を出す時に大いに役立ちますし、その事実を提示されてもなお不適当な対応ができる企業はあまり多くないでしょう。
すなわち、今回のYouTube・ヘイトデマサイト兵糧攻めの成功は、これまでの無数の人々による反差別行動の積み重ねなくしてはあり得なかったものですし、今回の裁判はその積み重ねの上にさらに大きな一歩を積み上げたわけです。
安倍氏や自民党、日本会議は、地道に差別の種をまき、肥料を施し、日本をおぞましい差別大国へと変貌させました(差別自体は昔から深刻ではあったが、街角で「○○人を殺せ」と叫び立てるようなデモが相次ぎ、一国の首相がヘイトデマサイトをシェアするような近年の状況はやはり異常)。対する反差別も、各地の大勢の人々による努力の末に、ようやく徐々に芽を出しつつあるのかもしれません。

2018-06-23 の記事 - 2018-06-23
大阪の地震で、またしても日本の風物詩が姿を現しました。ヘイトデマです。

地震でデマ情報拡散 “冷静に行動を”

災害時という社会が最も脆弱なタイミングを狙い、過去に虐殺を招いた実績さえある差別デマを流すのは、マイノリティの方々の生命を危険にさらし、人々や関係機関を混乱させて救助活動をも妨害する、極めて悪質な行為です。許容される余地は一切なく、厳しい対処がなされなくてはなりません。
ところが、災害のたびに毎回ヘイトデマや虐殺扇動行為の巷となり、それでありながら平時から何の対策も取らず、おまけに災害時にもほとんどデマを放置する、現代の流言飛語拡散装置たるSNS会社が存在します。Twitter社です。
しかも今回、ヘイトデマには「違反ではない」判定を下しながら、デマに抗議している有志には凍結などの措置を取るという異常行為にすら出ていることが確認されています。
無論、抗議側も必ずしも柔らかい言葉で注意しているわけではありませんが、災害の混乱時にヘイトデマを流す人間が強い言葉で非難されるのは当たり前です。それとも、災害時を狙ってヘイトデマを平然と垂れ流すような人間に対し、「お願いです、デマをやめてください」などと懇願しろとでもいうのでしょうか。デマをやめさせて削除させたり、他にデマを流そうとしている者を牽制したり、そのデマが拡散されないように手早く注意喚起するのが目的なのですから、それでは全く無意味です。
また、そもそもデマへの注意喚起と拡散阻止はTwitter社の仕事です。同社が急いでデマを削除し、デマを垂れ流すアカウントを処分し、公式に注意喚起を行うならば、有志がわざわざ時間と労力を割き、なぜか自分が凍結される危険を冒してまでデマに対処する必要はありません。

そして、その時にTwitter日本の代表の笹本氏は何をしていたかというと、サッカーがどうのこうの、ルイ・ヴィトンの広告がどうのこうの、サッカーでゴミを片づける日本のサポーターはスゴイ、などという実にどうでもいいことをツイートするばかりで、自分が代表を務めるSNSがヘイトデマの巷になっている事態への自覚はゼロ
こんなくだらないことをツイートする暇があるのなら、何なら口先だけでも「ヘイトデマを流したり、拡散するのはやめてください」「デマに対処するよう指示を出しました」などとアナウンスすればよいものを、それすらしようとしません。
netgeekの読者で、ヘイトスピーチに関する取材に対しては頓珍漢にもほどがあることを平然と語り、Twitter前抗議に出て改善を訴えていた在日の方にさえ愛想をつかされる、あの笹本氏に期待すべきことなど何一つありませんが、もう「差別はよくない」「自社のサービスを使って災害時ヘイトデマを流すことは許さない」といった建前を掲げる必要すらないと考えているようです。
ここまで来ると、もはや犯罪的な責任放棄企業と呼んでも間違いないでしょう。Twitter社がヘイトを放置して利益を得るために、Twitterとは全く縁もゆかりもない人が理不尽にも危険にさらされることを、私は強く危惧しています。

なお、災害時に悪質なヘイトデマが流れるのは日本の風物詩ですが、これは災害などの緊急時に何もない場所から突然出現するものではありません。普段から培養されていた差別の種が、災害時を好機として一気に芽を出しているに過ぎません。
例えば今回、災害が発生したのは大阪ということで、エセ政治学者の三浦氏が煽った「スリーパーセル」がヘイトデマの材料として用いられています。普段からこのようにしてエセ学者や悪質な番組がヘイトの地ならしをしているからこそ、災害時には容易にデマが発生し、しかもそれが一定の信頼性を帯びてしまうことになるのです。
この辺の事情はTwitterでも同様です。有事にこれ幸いとヘイトデマを垂れ流す連中は、その多くが普段から卑劣なヘイトを振りまいているレイシストです。
Twitter社は差別に対処する気を全く持っておらず、むしろ差別を培養して商売に用いている立場ですが、仮に同社が災害時に突如として差別はダメだと理解したとしても、おそらくヘイトデマに十分対処することは不可能でしょう。平時から培養し続けてきたレイシストが暴れ出しているのであって、災害時にだけ対処しても抑えきれるものではありません。
災害時の混乱に乗じたヘイトデマに対処するには、平時から差別の種をまくことを許さず、差別を封じ込めていくしかないのです。

普段から差別を許さず、ヘイトスピーチを取り締まることは、まさに社会という構造物における耐震工事です。災害に備え、平時より建物の耐震化、避難経路の確認、非常用物資の準備、ヘイトスピーチの撲滅などを行っておくことが極めて重要です。
そして、平時も有事もひたすらヘイトを煽り立て、それを止めようとする側を処分して回るTwitter社のような無責任ヘイト企業は、それによって取り返しがつかない事態を招く前に、一刻も早くこの社会から消滅することを望みます。

2018-06-17 の記事 - 2018-06-17
新潟県知事選。かなり絶望的な結果です。

無論、選挙結果自体が絶望的なのではありません。反差別者は今まで、「まさかあの自民がそこまではしないだろうし、する輩は党内が許さないだろう」に裏切られ、「いくら公明が権力の亡者になりさがっていても、さすがにそれは止めるだろう」に裏切られ、「民進がようやく野党共闘に動き始めた。ごく大まかな団結でいいから、差別に反対する軸を作れ」の矢先に小池ヘイト党への身売り。「差別議員を小池ヘイト党に引き取ってもらった立憲民主は対立軸を打ち出せるはず」は京都相乗りで打ち砕かれ、「小池ヘイト党や民進に所属せざるを得なかった志ある議員は立憲民主に加われ」の状況で国民民主党誕生。少々のことで絶望などしようがないわけです。
今回の選挙戦は予想よりもむしろ善戦していたほどですし、たかだか一敗でしかなく、いちいち嘆くようなことではありません。

では何が絶望的なのか。
今回、花角・自民党陣営は差別を全く隠そうとしていませんでした。自民党自体はもはや在特会と大して変わらない存在でしかなく、薄汚い差別主義者としての中身を「(伝統的な)自民」ブランドの服で覆い隠していただけでしたが、今回はとうとうその服さえも脱ぎ捨ててしまった感があります。
まず花角氏のTwitterアカウントはレイシストを何人もフォロー。露骨にもほどがありますし、政党色を隠してクリーンさをアピールしていたはずの花角陣営が、あえて自らに強烈な色をつける行為に出ることが驚きであり、それをすることが自身にとって有利になると考えた上での行動であったとしかみなしようがありません。
氏の応援に立った地元商工会の人物は「新潟に女性の知事はいらない」と演説。普通、このような発言は候補のイメージを下げるはずですし、陣営としてもこれが意に添わぬ発言であるなら「候補本人はこの発言を一切容認しない。極めて不適切であって、断じて許されない」などと必死でアナウンスするものですが、残念ながら花角氏の場合、このセクシズム発言が逆に票を増す方向に機能したことでしょうし、陣営もそれに自覚的であったものとみられます。
さらに、自民党は応援弁士としてどうしようもないデマレイシスト議員を何人も新潟に送り込みました。こうしたことからも、花角氏のヘイト戦略が陣営の暴走などではなく、自民党主導で明確に定められた方針であることが見て取れます。
また、これは花角陣営などが直接かかわったものではないのでしょうが、池田氏を貶めるために拉致問題を利用した卑劣なデマが、レイシストの手によって平然と垂れ流されました。たとえ陣営が直接かかわっていなかったとしても、レイシストを仲間にするというのはこういうことなのです。

この露骨なヘイト戦略については、さすがにあきれ果てて「自民党は新潟知事選を捨てたらしい。いくらなんでも人をバカにするにもほどがあるし、おそらく自滅するだろう」と楽観的な見方をする者もいましたが、一方で「いや、自民党はこれが効果的とみなしているからやっている。非常に厳しい選挙になる」と悲観的な見方をする者もいました。
私の見立ては後者でした。路上で「殺せ」を連呼する連中などいずれ消滅するだろうと楽観視していたら次々増加したことに始まり、書店や大手出版社にまでヘイトの浸食が及び、自民党がヘイトをすればするほど支持を集める構図など、到底信じられないような現実を散々見せつけられてきた以上、これを楽観視する要素はどこにも存在しないためです。
そして実際、悲観論は見事に的中します。
おそらく今後、今回のヘイト選挙の経験は自民党の選挙戦略に少なからず影響を与えることになります。安倍氏の支持率が下げ止まっていることを見ても、安倍氏や自民党の支持層はもう大半がレイシストであるとみなすべきで、レイシストでない層に手を広げても勝てるとは限らず、逆に徹底的にヘイトに振れば勝てることを実証してしまったのが今回の選挙であるわけです。
これからは自民党によってさらに露骨にヘイトが煽られ、社会はますますヘイト化し、多くの被差別者が踏みにじられることでしょう。たかだか野党の一敗などより、これこそが今回の選挙の結果がもたらす絶望的な点なのです。

では野党はどうすればいいのか。
レイシスト側のメディアなどはご丁寧にも野党の敗因分析をなさってくださっており、「野党が政権を批判していたので負けた」などと実に有難いアドバイスを提供しておられますが、普段あれだけ被差別者を徹底的に貶め、デマを垂れ流し、ヘイトを煽り立てている連中が、今回の知事選で急にスポーツマンシップに目覚め、野党のために一肌脱いで塩を送ってやろうなどと考えるわけがありません。
これはつまり「それをやられては困る」ということですから、国民民主党辺りがこれにつられて「現実的で建設的な対案路線の政治」などと散々言い尽くされて必ず失敗してきたことをまたしても言い出さないように注意しなければなりません。差別・文書改ざん・立憲主義の否定に温情も対案も存在し得ません。
ただし、このままで野党が勝てるかというと、やはり厳しいと言わざるを得ません。日本はおぞましいまでの差別大国であり、差別に反対する側を固めきっても差別側に勝つのは極めて困難です。しかし、だからといって自分も差別側に立つことは絶対に許されませんし、実際にそれをやれば小池ヘイト党の二の舞になるだけです。

はっきり言って、選挙の時に何かをするだけでは通用しません。普段から野党一丸となって全力で差別に対抗するしかありませんし、さもなくばジリ貧になるだけです。そして、何をやるべきなのかは差別カウンターや懲戒請求騒動が示してくれています。
レイシストは被差別者に対し、見るも聞くもおぞましいような異常な言動を平然と投げつけ、その命の存在や価値、生きる権利に至るまでも公然と否定し、人としておよそ許されざるような攻撃を仕掛けています。ところが、そこまで異常な暴挙に出る攻撃者でありながら、カウンターに激しく怒鳴りつけられたり、弁護士によって反撃を受けたりすれば、直ちに大狼狽して逃げ惑うような連中であることも判明しています。
であれば、野党が取るべき方法は1つ。まずは手始めに、デマやヘイトを垂れ流して不当な攻撃を仕掛けてくるレイシストに対し、刑事・民事による法的責任の追及を含めた徹底的で一切容赦のない反撃を浴びせることです。
これはそもそも、以前からその必要性を強く指摘されていたことです。レイシストは野党が反撃してこないのをいいことに、デマやヘイトで執拗に攻撃し、その延長線上で被差別者個人に対してもおぞましい攻撃を行っています。反撃できる力を持った者が反撃するのは社会の差別を減らすために必要な道であり、その者の社会的責任に他なりません。
自民党や日本会議らヘイト勢力は何年もかけて地道に差別の種をまき散らし、レイシストを培養してきました。結果、差別は空気のように当然に存在するものとなり、差別に加担しないことは政治的行為とみなされるという異常な社会となりました。野党もまた、レイシストを少しずつ押しつぶしていくという地道で面倒な努力を積み重ねてようやく、今すぐにとはいかなくても、徐々に有利な状況に立つことができるようになるのです。

民主主義の社会においては、より文化的で、より多様性を尊重し、より立憲主義を守る政治を選ぶことができます。その一方で、後で誰かのせいにしたり、騙されたなどと白々しいことを言わないのであれば、「苦しんで死ぬ」ことを選ぶのもまた自由です。言うまでもなく、差別に明るい未来はありません。被差別者の人権が無視され徹底的に踏みにじられる社会になったとして、被差別者以外の人権はきっちり守られる、などということは断じてあり得ません。
差別を一貫して否定しているにもかかわらず、その巻き添えを食うこちらとしてはたまったものではありませんが、それもまた社会の差別を止められなかったがための結果ですから、巻き込まれたとしても文句は言えないかもしれません。
ただし、その「苦しんで死ぬ」道を選んだ場合、まず最初に苦しんで死ぬ立場に追いやられるのは、外国籍などのため選挙権を持たない人々、あるいは障碍があるなどで選挙権を行使することに困難が伴う人々など、選挙によって自らの身を守る意思表示すらできない人々を含む、被差別者に他なりません。大日本帝国にせよナチスにせよ、差別で身を崩した国家は必ずそのような順序を経ています。
「苦しんで死ぬ」道を選ぶのは勝手ですが、「他人を苦しめて殺す」権利を持つ人間など存在しないのです。今回の知事選は、そういう意味で極めて理不尽な図式が一切隠し立てされずに顕在化した最初の選挙であったといえるでしょう。