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雑記帳(過去ログ)
2016-12-04 の記事 - 2016-12-04
今年の流行語大賞について。

神ってる
カープ絡みとのこと。少なくとも私は流行語という意味では全く聞かなかった(そういう言い方は以前からあり、これと関係なく使われていたものについては別)言葉ですが、どこで流行ったのでしょうか。
なお、カープに対しては謹んでお祝いを申し上げるとともに、このような状況下で原爆ドーム保存などのための寄付を行ったことに敬意を表します。

聖地巡礼
そのような言葉があることは知っていましたが、これもまたどこで流行ったのでしょうか。やはり聞いたことがありません。

トランプ現象
安倍内閣には大きく水をあけられているものの、排外主義の権化であるトランプ氏。
日本では早速「トランプ氏も案外現実主義の政策を行うし、悪くないのでは」といった印象を与える報道まで散見されますが、マイノリティの生存権を脅かし、国家の伝統的な差別者と被差別者を分断することで支持を獲得したことに対して何一つ言い訳になっていませんし、ゆえに生存権を脅かされている被差別者、あるいは自身は被差別者でなくても隣人が生存権を脅かされている人が、生存権をかけてデモを行う事態になったわけです。
さて、日本のマスコミはどうでしょう。現内閣の構成員が差別デマサイトをシェアする首相であり、在特会と懇ろの閣僚であり、日本会議系がワラワラ存在し、ヘイトとカルトの集団であることを、どれだけの者が報じているでしょうか。石原氏や小池氏などの東京都知事をレイシストという文脈で報じた者がどれだけいるでしょうか。
レイシズムの問題において、日本はトランプ現象をとっくの昔に経験し(おそらく石原氏あたりで)、現状はいわば「トランプが現実路線を取らずに強硬な政策を継続し、かつそれが30年続いた世界」に生きています。マスコミが報じるべきこと、デモやその他言論活動で対抗すべきこと、政治の世界からお引き取りいただくべき者などは山積みであり、これはもはや米国の比ではありません。
なぜ外国のことは面白おかしく見るくせに、自分の国がそれを何十年も前からやっていることについては見て見ぬふりなのでしょうか。

ゲス不倫
知りませんでしたが、文春の話ですか。文春がしばしば大きなスキャンダルを暴くことは知っていますが、政治やらなにやらの話ならともかく、このような話には興味がありませんゆえ。

マイナス金利
これについては、流行語大賞側からの説明を読んでいただくのがよいでしょう。

>2016年2月、日銀はマイナス金利を導入した。ところが企業の投資などへの資金需要は小さく、貸出しはあまり伸びていない。

人々に金がなく、したがって需要もなく、ない需要のために投資する需要もなく、効果はそれほどなかった、という当然すぎる結末です。
何をやっているのか、政策担当者はどこまで無能なのか、と言いたくなるところではありますが、どちらかといえば単なるパフォーマンスであって、効果がないことなど最初から分かっていると考えるのが妥当なのかもしれません。

盛り土
いつまで「石原タブー」を存在させておく気でしょうか。レイシズムを道具に支持を集め、当選したらデタラメな政治を行うという、いわば安倍政権の先駆者にあたる者について総括することなしに、現在の日本の政治やレイシズムの問題に切り込むことはできません。

保育園落ちた日本死ね
非常に力を持つ一言でした。しかも単なる強い言葉だけにとどまらず、ブログの内容もまた非常に妥当性が高く、それがこの言葉をさらにしっかりと支えています。
この言葉が持つ力は2つ。1つは、現状の福祉・保育の貧弱さを強く世の中に問いかけたこと。もう1つは、それでも現状に無視を決め込みたい連中を白日の下にさらしたことです。
クラスでひどいいじめがあり、被害者が黙って耐えていたらいじめは日に日にエスカレートし、周囲も見て見ぬふり。「やめてください、助けてください」と声を出したら、いじめ加害者は面白がってさらにいじめを行い、周囲も「そんな元気があるんなら大丈夫だ」「もっと辛い人だっているんだよ」と嘲笑。とうとう「ふざけんな、死ね」と言ったら「言葉が汚い」からと即座に学級裁判にかけられ、いじめ加害者も周囲の加担者も総出で被害者を攻撃する。この言葉を取り巻く日本社会の現状は、ざっとこんなところでしょう。
特に「日本スゴい」ドラッグの中毒者にとって衝撃は大きかったようで、この強力な一言でドラッグの効果が吹き飛ばされたため、ブログ主やら民進党やらユーキャンやらに八つ当たりを繰り返しています。日本はスゴいものでなくてはならず、こういう形で否応なく日本の暗部を直視させられると、気持ちよくなれなくなってしまうのです。
もし日本にスゴくあってほしいのであれば、「日本死ね」とまで言わしめた日本の暗部を解消していかなければなりません。暗部に光を当てて立ち向かう行動こそが「日本をスゴくする」行動なのであり、ドラッグを邪魔されたからと喚き散らしてそれを妨害する行動はまさに「日本をダメにする」行動です。
「日本死ね」に対象は存在しません。しかしあえて対象が存在すると考えるなら、日本社会の暗部や救いを求める声について今まで散々嘲笑し続け、「日本スゴい」ドラッグで気持ちよくなっていたところを、とうとう強烈な言葉で現実を突きつけられて酔いが覚めたからと、ピーピーキャーキャーとこの言葉を攻撃している、という救いようのない日本社会の病理を、「死ね」の対象とみなすべきでしょう。
この言葉は、日本社会の病理を明確に示し、かつ日本社会の病理を明確におびき出してみせたわけです。
なお、本件を言葉が汚いなどとして非難するほど倫理観の強い人ならば、「朝鮮人を殺せ」だの「土人」「シナ人」だのにはさぞかし怒り狂っていることだろうと言いたくもなるところですが、例によって本件を批判している者の大半はそちらには極めて受容的、もしくは加担している者ばかりというのが、きれいにオチになっています。

ポケモンGO
これが肯定的現象とみなされていることに違和感があります。ちなみに「歩きスマホ」が候補30語の中にノミネートされています。

(僕の)アモーレ
PPAP
よく知らないのでコメントできません。

日本のみならず世界中がレイシズムや自国一番ドラッグに明け暮れ、そしてまたレイシズムに対抗する人も世界中にいる。そんな一年でした。流行語大賞にも「EU離脱」がノミネートされ、またオーストリアなど各国でも排外主義が強まる傾向があります。
レイシズムにおいて主要国中で最も先行していて、おまけに自国スゴいドラッグが米国以上に蔓延する、世界をリードする排外主義国家・日本。果たしてこれから、排外主義にどのように立ち向かっていかなければならないのでしょうか。そうしたことを考えさせられる流行語大賞でした。

2016-11-27 の記事 - 2016-11-27
首相、TPP早期成立の必要性訴え 参院本会議

>TPP離脱を唱えるトランプ次期米大統領の翻意を促す考えを示した。

>ロシアが北方領土の択捉島と国後島に地対艦ミサイルを配備したことには「外交ルートを通じて、我が国の立場と相いれず、遺憾である旨を申し入れた」と表明した。

首相、TPP批准方針変わらず…蓮舫氏は批判

>質疑では、民進党の蓮舫代表がTPP発効が困難視される中、「なぜ貴重な時間と税金を使って審議を進めるのか」と批判し、「日本が批准したら、トランプ氏が翻意する確信を持っているのか」とただした。首相は「確信はない」とした上で「保護主義の台頭に歯止めをかける役割を担うべきだ」と主張した。

TPP国会承認 首相「トランプ氏の翻意促すため迅速に」

>この中で、安倍総理大臣は、アメリカのトランプ次期大統領が就任初日にTPP=環太平洋パートナーシップ協定からの離脱を表明する考えを示したことについて、「自由で公正な経済圏という旗を、日本までもが降ろしてしまったら、自由貿易の深化はそこで終わってしまう。アメリカが政権移行期にあり、世界的に保護主義の懸念が高まり、動揺が広がる今こそ、ぶれてはならず、速やかにTPPを承認することで固い決意を世界に発信し、TPPの意義をアメリカに粘り強く訴えていきたい」と述べました。

大量のお金をバラまくことで外交を進めようとする安倍外交の成果には、非常に目を見張るものがあります。歴代の内閣を考えても、ここまで成果を上げられた者はまれでしょう。これを見ると、安倍外交の華々しいまでの「成功」に対し、確かに民主党時代の外交などは「失敗」していたと言わざるを得ません。

インドネシア→高速鉄道失敗
オーストラリア→潜水艦失敗
アジア諸国→みんなでAIIBに加入
ベトナム→原発の受注取り消し
アメリカ→世界初の会談と大はしゃぎするも、トランプ氏はTPP断固反対を表明
ロシア→北方領土にミサイル

これらの成果に対し、安倍氏をATMであると揶揄する口が悪い人も見かけますが、あまりにも失礼と言わざるを得ません。もしわざわざテクテク海外まで出かけて行って、少々おだてられたらポンポン金を吐き出すATMが存在するならば、言うまでもなく故障品として即刻撤去されます。そんな訳の分からないATMなど存在しない以上、表現として極めて不穏当かつ不適切です。

TPPに関しては、もはや何をしたいのかさっぱり分かりません。そのうち超大幅譲歩を提供する見返りにトランプ氏に翻意を促し、それを成果として喧伝するなど、相当バカなことをやりだすのではないかと恐れています。

なお、安倍氏の「世界的に保護主義の懸念が高まり、動揺が広がる今」、日本が「保護主義の台頭に歯止めをかける役割を担うべきだ」といった主張については(どうせブレーンが考えた文言でしょうが)、非常に珍しいことにある程度は同意できます。
ただし、世界的に高まっている懸念は「保護主義」というよりは「排外主義」に対するものである、という点を除いては。

いつまでも過去の幻想にとらわれ、自国こそは偉大な国であると錯覚し、「自国スゴイ」論が臆面もなく語られたり、「強いロシアの再建」「偉大なアメリカを取り戻す」に代表されるように、懐古主義的な「○○を取り戻す」論が横行する。
トランプ氏が「中国や日本に打ち勝つ」と言ったり、フィリピン大統領が過激な発言をしたりすることに代表されるように、何らかの分かりやすい「敵」を定めては叩いてみせることを繰り返し、憎悪を支持につなげようとする。
アメリカのAlt-rightなどにみられるように、インターネットで人種差別思想やデマを垂れ流すなどの工作を行い、それによって特定政党や特定候補への支持を集めたり、ヘイトクライムが発生しやすい環境を作り上げる。
黒人やムスリムなど、人種や民族、宗教、障碍、性的立場などにおけるマイノリティを排撃対象とし、出て行けだの吊るせだの殺せだのとヘイトスピーチを浴びせたり、ヘイトクライムを起こしたりする。
一国のリーダー自らが救いようのないレイシストであり、自分の周囲に排外主義者、人種差別団体と関係の深い者などを従わせたり、差別デマサイトを嬉々としてシェアしてみたりと、平然と排外主義的言動をやってのける。
これらのような異常行為はマイノリティの人権を侵害し、生存権を脅かすものであるにもかかわらず、マジョリティがそれを支持し、あるいは否定しないため、排外主義勢力が国政などにおいて多数派を占めてしまい、排外主義的政策が実施されたり、民主主義が脅かされたりする。

これこそが、今の世界において高まっている懸念であり、社会や世界を分断させ破壊する思想であり、私たちが絶対に打ち勝たねばならない相手なのです。

2016-11-20 の記事 - 2016-11-20
日系人強制収容「前例」に批判 トランプ氏側有力者が発言

>トランプ次期米大統領の政権移行チームが検討しているとされるイスラム系移民の登録制度に関し、トランプ氏の有力支持者が第2次大戦中の日系人強制収容を引き合いに出して批判を浴びている。

トランプ派がイスラム教徒登録論=「日本人で前例」発言に批判

>米海軍特殊部隊の元兵士で、トランプ氏の政治資金団体幹部のカール・ヒグビー氏は16日、FOXニュースの番組で、イスラム系移民の登録制度は法的にも導入可能だと指摘。「第2次大戦中に日本人に対しても行った。前例がある」と語った。

ここまで来ましたか(一応断っておきますが、引き合いに出したのが「日系人」だから批判するのではありません。念のため)。
これで「選挙で結果が決まったのに」トランプ反対者がなぜデモなどで対抗しようとするのか、よく分かるというものでしょう。
彼らはただ選挙結果を受け入れることができないのではありません。自身の、あるいは自身の隣人の生存権を守り、暮らしと身の安全を守るには、民主主義で認められた投票権以外の権利を行使せねばならない状況に置かれているのです(ちなみに日本はとっくの昔にその段階にあり、今も公人が公然とヘイトスピーチを行っています)。
ここで食い止めようとしなければ、本当に日系人収容の二の舞になる恐れがあるのです。

差別について理解するにあたり、まず必ず突き当たる根源的な問いは「どうして差別はいけないのか」です。
例えば「社会的立場の弱い側を、その力の差を用いて攻撃する行為だから」など、理由は色々存在しますが、最も根本的なものは「本人の罪や落ち度によらず、ただ属性に基づき相手を攻撃する行為だから」というものになるでしょう。
かねてから、差別にはそれを正当化する理由付けが試みられてきました。時には「野蛮で非常識な民族」などと称し、時には優生思想をも持ち出して。しかし、理由付けのための理屈はいくらでも生み出されてきましたが、正当な理由をつけることは決してできません。自分に責任のないことについて、属性を理由に攻撃される理由など、どこにも存在し得ないためです。
日系人収容問題は最も象徴的な差別の一形態です。彼らはただ「日系人だから」という理由で収容されたのであって、彼らが収容されるに足る罪を犯したわけではありません。また、これは同時に「差別を批判する者は差別」をはじめとする意味不明な言い分を完全に否定します。「差別」という卑劣な行為に出た者を批判することは、「その者の行為に対する批判」であって、本人に責任のないことについて属性を理由に攻撃しているわけではありません。
こんなものは少し考えてみれば分かります。例えば黒人の悪人に殴られたとして、今後は黒人を見つけるたびに誰彼構わず「反撃」することが許されるでしょうか。どこかで態度の悪い中国人に遭遇してムカついたなら、中国人を見つけるたび暴言を吐いて回ることは許されるでしょうか。ある日本人が人を殺したら、全日本人は投獄されるべきでしょうか。
よくある言い逃れとして「○○は犯罪率が高いから差別的取り扱いは妥当」などと主張するものがありますが(真偽は別として、パターンとしては本件もまさにそれ)、悪いことをしていない人を属性により攻撃する行為を正当化することは、いかなる言い訳をもってしても不可能です。例えば男性は女性と比較して有意に犯罪率が高いことが知られていますが、では男性は何も悪いことをしていない人も含めて攻撃や排除、投獄などをされるべきでしょうか。
日系人収容はまさに典型的な差別であり、これを肯定的な文脈で引き合いに出すことがどれだけ危ういことかはすぐに分かります。これを認めたら最後、あらゆるマイノリティは何も悪いことをしなくても国家や公的な権力によって、あるいは人々によって迫害される恐れが生じることになります。
なお、やはりこれは日本の方が大きく先を行っていて、日本では三国人発言などがほぼ平然と容認されてきました。米国では大規模デモを招くなど大きな批判を浴びる差別的価値観が、日本ではすでに広く認められているといえるでしょう。

さすがに私も、「ただちに」イスラム系移民をはじめとする様々な被差別者がかつての日系人と全く同じ目に合うとまでは考えていません。しかし、いわば差別の見本である収容問題を肯定的に扱う発言が有力者から公然となされることそれ自体が危機的であり、また世の中の差別主義者に油を注ぎ、「そんな価値観を公然と口にしても大丈夫」とお墨付きを与えることになりますので、世の中の差別を扇動する、すなわちヘイトスピーチとして機能することになります。トランプ氏自身が選挙期間中に散々差別発言を行い、結果として各所でヘイトクライムを誘発することになったのと同様です。
このような価値観が蔓延して当たり前になっていけば、個人レベルでの差別憎悪感情にとどまらず、いずれは「まさか」というようなことが国家や自治体により実行される日が来るかもしれません。
この発言は非常に危険であり、かつ許しがたいと言わざるを得ません。

2016-11-12 の記事 - 2016-11-12
米大統領選はトランプ氏の勝利となりました。半分覚悟はしていましたが、絶望的です。
日本も異常な状態となっている中、米国にまでミニ安倍(*)が誕生してしまったことには頭を抱えざるを得ません。

(*)日本のレイシズムの異常さを知らない人、というよりここまで目立つ形でレイシズムが横行している以上、見ないふりを決め込んでいる人と呼ぶのが適切でしょうが、そうした人にとってはピンと来ないかもしれませんが、日本のレイシズムは米国などの主要国と比較して途方もないほど先を行っています。
日本はもう何年も前から、歴史修正主義者の集団が政権を担い、差別デマサイトである保守速報をシェアするような者が首相であり、在特会と懇ろの連中が平然と内閣に入り、異常な差別的言動を繰り返した石原氏、在特会と懇ろの小池氏といったレイシストが東京都知事となるような国なのです。
アメリカの大統領が周囲をKKKと懇意の者で固めれば大問題になるでしょうし、ドイツの首相がネオナチ系デマサイトをシェアするほどのネオナチであり、与党がナチスの悪行を捏造であると触れ回るならやはり大問題になることは言うまでもありませんが、日本ではこれら全部と同じことが平然と行われているわけです。
おそらく、トランプ氏がこれから仮に30年ほど大統領をやり続け、ヘイト政策を次から次に実行に移したとしても、レイシズムにおいて日本に追いつくことはできないでしょう。

私は政策面において、トランプ氏について一定の悲観はしているものの、極端なまでの悲観はしていません。非現実的な政策を実行に移すことは不可能または非常に困難であり、ある程度は現実路線での対応を余儀なくされるであろうと予想できるためです。
無論、それが「現実路線の範囲内における最悪の悪夢」となるのか、それとも「想像もつかないほど融和的で穏健な対応」となるのかは、実際の政権運営を見てみないことには分かりませんが。
ただし、今回のトランプ氏の最大の「罪」は、実は政策ではありません。仮に氏の過激な発言は単なるポーズであり、実際には大統領として十分的確な人物であったとしても、それは全く変わることはありません。

この大統領選において最悪であったのは、実に投票者の半分もの人がトランプ氏の差別的言動を肯定しているか、少なくとも否定するつもりがないことを示したという点にあります。
日本のマスコミは「米国が分断された」などと言ったりしていますが、現実にはその程度の甘っちょろいものでありません。これは要するに、人種や宗教などのマイノリティに対し、隣人たちが自分を迫害し平然と踏みにじるような思想を持っているのかもしれない、いや、おそらく持っているのだ、と示す結果に他ならず、これはマイノリティにとって身の安全を脅かされかねない、極めて現実的な危機なのです。
現に、トランプ氏勝利が明らかになった前後の米国では、黒人やヒスパニックなどの人種的マイノリティ、メキシコ人とみなされた人、同性愛者、トランスジェンダーなどに対するヘイトクライムが複数件発生しています。
なお、選挙結果確定後にはトランプ反対デモが発生していますが、あれも単に選挙結果を受け入れたくないがためのデモとして片づけるべきではありません。マイノリティにとっては実際に命や身体への危機であり、単に「選挙結果が嫌だ」で済むようなものではないのです。

レイシズム先進国である日本でも、同様のことはたびたび発生しています。
人種差別的言動を全くはばかることのない石原氏、在特会と懇ろの小池氏などは多くの票を集めて東京都知事となり、人種差別と歴史修正主義にまみれたヘイト内閣は直近の選挙にて大勝を成し遂げました。沖縄では機動隊が「土人」「シナ人」とレイシズムを叫び、政治家の一部もそれに賛同する始末です。
「朝鮮人を殺せ」と街中で叫び立てるなど人種差別を扇動してきた在特会元会長・高田誠は、東京都知事選において落選こそしたものの、決して無視できるものではないほどの票を獲得しました。在特会自体も一定の支持を集めており、多くの者がその主張に賛同しています。
相模原障碍者大量殺戮事件は近代日本史上でも津山に次ぐほどの大量殺戮であり、障碍者を標的とした明確なヘイトクライムですが、このような最悪な殺戮犯に対してすら、賛同・共感する者も少なくはありません。透析患者に対する虐殺の扇動にしても同様です。
すなわち、これらは人種・民族・宗教・性的立場・障碍・疾患などにおけるマイノリティにとって、「○○(自分の属性)を殺せ」と叫ぶような連中に共感する者、あるいは実際に○○を大量虐殺した犯人に賛意を示すような者、何かのきっかけがあれば自分を殺しに来るかもしれないような者が、自らの隣人であるということを示すものなのです。
これがどれほどの恐怖であるか、またこれが単なる取り越し苦労ではなく、実際に身の危険に直結するものであることについては、いちいち説明するまでもないでしょう。
米国ではトランプ氏に公然と反対する有名人も多く、当選に対してはデモが発生しましたが、私たち日本人はこうしたマイノリティの現実的な恐怖に対してあまりにも無頓着すぎました。結果、何年も前から彼らの生存権を脅かし続け、朝鮮学校襲撃事件や教職員組合襲撃事件、相模原障碍者殺戮などの凶悪なヘイトクライムを防ぐことができませんでした。このまま見て見ぬふりを続け、彼らの隣人として彼らへの迫害に手を貸し続けるのであれば、今後ともマイノリティの生存権はますます脅かされるでしょうし、いずれ関東大震災虐殺のような大規模虐殺の再来を招くことになるでしょう。

これがまさにトランプ氏の罪であり、また現在進行形でこの日本社会でも起こっていることなのです。人種差別を平然と行う者が現れ、それに触発されて多くの者が賛同を表明し、レイシズムが「当たり前」のものとなっていく。これはまさに、ヘイトスピーチ、差別扇動表現そのものです。

次に、トランプ氏が日本社会に与える影響について。
氏は日本について、防衛してほしければもっと金を払うべきとの主張をしていますし、核武装にも言及しています。となればほぼ間違いなく、日本国内では「憲法を変えて軍備増強すべき」「核武装すべき」といった論が出てくることになるでしょう。
金を余分に払うのが嫌だから軍備を整えよう、などとプラモデルの戦車でも買うように簡単に言ってくれるものですが、「そんなことをすれば余計金がかかるから本末転倒」と正論を言っても無駄です。こうしたことを主張する連中は、単にトランプ氏を口実として利用しているだけであって、氏の当選による日本への影響などといったことを考える気は最初からないのです。
なお、米国依存から脱却の上で強力な防衛力を整え、中国に対抗するために軍拡するなどというなら、少なくとも出口戦略くらいは明確に示されねば話になりません。通常、軍拡や戦争といったものは開始するのは簡単でも、終了するのは難しいものです。そして現在、国力も経済力も日本より中国の方が上であり、競争し続ければ必ず日本はついていけなくなります。後に残るのは、軍備費の増大によって荒廃した国家経済と、巨大化した周辺国の軍備、そして互いの国に対する強烈な憎悪感情、軍事力で大きく劣った中での一触即発の状況だけです。これはまさに最悪の事態と言えるでしょう。無論、かつての関東軍のような輩が現れたり、安倍氏のような差別主義者が自身の憎悪感情を優先させれば、実際に肥大化した軍事力同士が衝突して戦争となることもあり得ます。
何の考えもなく軍拡競争をはじめ、破綻するまでやめないというのなら、単なる亡国の策ですから論外です。途中でやめる方策があるというのなら、それが確実に成功することについて確信が持てなければなりませんし、軍拡をやって途中でやめる方が最初からそれをしない場合より明確に得をすることも示されなければなりません。
核武装に至っては、米国としては実際に使用することもできないお邪魔虫兵器などよそに追いやりたいのは当然でしょうし、核は実際には「こちらには核があるぞと言い張り、他国が理性をもって攻撃してこないでくれることに信頼し期待する」兵器です。現に冷戦期、各地で戦争が止むことはありませんでしたし、そのわずか数十年のうちに核戦争の危機を複数回起こしています。それほど相手のことを強く信頼できるなら、金銭や外交的立場をドブに捨て、核戦争のリスクを背負う方法によって、人命と国土を全部賭けてまで相手を信頼するより、もっと安全で安価な方法で関係を築こうとしてはいかがでしょうか。
なお、「米国が日本をあまり助けようとしなくなるかもしれない」ということについては、同意する以外にありません。ただし、トランプ氏とは無関係に。
日本の現政権がやっていることは、要するに米国の威を借りて周辺国の神経を逆なでし、都合が悪くなれば米国を持ち出して閉口させたり、金をバラまいて黙らせることです。このバラまきがろくな成果も挙げられていないことは、インドネシア高速鉄道やAIIB参加国などを見れば分かりますし、それ以前の問題として歴史修正主義的なことを一切しなければ、周辺国の神経を逆なですることを減らせ、しかもコストは全くかかりません。
米国は日本のこうした行動の尻拭いをせねばならないのであり、最悪の場合は自国の若者の命を代償とすることになるかもしれません。トランプ氏だろうがその他の大統領だろうが、こんなことは誰でも御免なのは当たり前でしょう。
となると、日本が取るべきであった、そして今からでも取るべきである手はひとつしかありません。軍拡競争などという荒唐無稽な夢は捨て、歴史修正主義を誇示するのをやめ、相手をバカにしてから金で黙らせるのをやめ、周辺国との友好に努めることです。今まで米国の威を借りることでそれを怠るばかりか、マイナスにしてきた分を回収するわけですから、その道は決して平坦ではありませんが、実質的にそれ以外に取れる手段は存在しません。
融和は非現実的思想なのではなく、実は最もしたたかで安上がり、費用が少なく利益が大きい外交手段です。ですから世界各国、領土などで争いがある場合でも、無駄な敵対よりも融和に努めようとするのです。このところ何かと話題のフィリピンなどですら、ただ過激なばかりでないことを見れば分かるでしょう。それに大げさな話でもなく、ただ単に歴史修正をやめるだけでもずっとマシになります。今すぐ仲良くするのが無理というなら、靖国参拝や大日本帝国に問題はなかった論をやめ、他国への包囲網を作るだの歴史戦に勝つだの、できもしないことをいちいち息巻いて喧伝するのをやめ、何の得もないのにわざわざケンカを売るのだけでもやめればよいのです。
「米国の威を借りて他国の神経を逆なでし続け、とうとう米国があきれて助けてくれなくなったら窮地に陥る」、こんなものは当たり前です。このような状況にならないための答えもまた、明らかなのです。
トランプ氏当選を唯一良いことのきっかけにできるとしたら、これしかないでしょう。ただ、現実には人種差別主義者連中がその憎悪感情に基づき、悪い方向に変えてしまう展望しか見えないのがつらいところです。

なお、日本のTPPの動きに関してはあきれ果てています。私自身は「加入しないことができないならば、仕方がないから有利な条件を飲ませろ」として消極的賛成としてきましたが、大統領候補が両者ともに(クリントン氏はポーズの可能性もあるにせよ)反対を公然と表明したならもはや急ぐ必要はありませんし、おまけに大反対派であるトランプ氏が当選したとなれば、そこに乗っかるのは当然とすらいえます。
家を取り壊す日に家の修理に来てもらうようだというか、水筒の中身が空なのを確認してから遠足に持っていくようだというか、もうコントにしか見えないほどに滑稽すぎます。

2016-11-06 の記事 - 2016-11-06
レイシズムジャパン、お次はナチスの服装です。これが意図してナチスを模したものであるなら問題ですし、意図しなくてもナチス風のものが安易に作られるほどナチス的なものが社会に氾濫しているとすれば、それもまた問題です。
これに対する批判については、「そのくらいで何が問題なのか」なる不勉強極まる意見もあるようですが、これがまさに排外主義の怖さです。これが許容されるなら、次は公然とナチスの仕草をする者(海外ではナチス式敬礼をしたスポーツ選手が強い非難を浴びた)がいても「そのくらい」論が噴出してくるでしょう。その次はナチスの標語を公然と掲げる者がいても、やはり「そのくらい」論が出ることになります。
もともとナチスが「魅せ方」をよく研究していたことは知られており、服装もオリンピックなどのイベントもその一環として機能していました。このナチス的なものに対する受容のプロセスは、まさにかつて行われたことの繰り返しでしかありません。
事実、日本の排外主義者はたびたびナチスの旗を掲げて人種差別デモなどを行っており、ナチスの意匠とレイシズムは不可分の関係にあります。「ナチスの意匠は思想とは関係ない」「日本ではそういった意味合いはない」などの言い訳は、どうあがいても成立し得ません。いくら正当化してみたところで、レイシスト自らがそれを証明しています。
ナチスはユダヤ人を迫害する人種差別の他、身体・精神障碍者や同性愛者の殺戮も行っており、これは今の日本と非常に親和性の高いものです。ナチスが肯定的な意味合いで公然と受け入れられるような状況は、社会として極めて危険なのです。
無論、私はありとあらゆるナチス的表現の排除を主張するわけではありません。排外主義批判や問題提起などをはじめとする用途のため、過去の経緯とその恐ろしさを十分に認識した上で使用する限り、そうそう簡単に今回のような問題に至ることはありません。
しかし、排外主義者がナチス旗を掲げているように、これをナチズムに賛同する意味合いで使用するのには大きな問題があるのは当然として、今回のように不特定かつ多数の人々に対し、カジュアルに受け入れられやすいような方法で使用するのにはますます問題があります。思想的なハードルなどを全く超える必要なしに、ナチス的なものが特に抵抗なく受け入れられてしまうためです。
今回の問題が深刻なものであることは疑いようもなく、海外で報じられるなどして問題視されたことも当然でしょう。
ちなみに、イスラエル大使館などこの問題に懸念を表した者に対しては、意味不明な連中から本件とは無関係の国へのレイシズムを含む嫌がらせコメントが寄せられるなどしており、いかなる連中が本件を無問題ということにしようと試みているかを自らの手で示す結果となっています。
繰り返しますが、「日本ではすでに排外主義者がナチスの意匠を掲げ、○○人を殺せと言って街を練り歩いている」「本件を問題視した者に対し、無関係の国へのヘイトスピーチを含んだ嫌がらせコメントが寄せられている」のです。これだけでも本件は日本のレイシズムと極めて親和性が高く、見過ごすことは決してできないことが分かります。

なお、差別扇動行為に「差別思想を拡散するつもりはなかった」「悪気はなかった」「知らなかった」などの言い訳は通用しません。
発信者に差別の自覚があろうがなかろうが、よく勉強していようが不勉強だろうが、本気だろうが遊び半分だろうが、同じように差別を発信したならば、同じように差別が扇動されます。それが行き着く先もまた同じであり、発信者に悪気がなかったから結果が手加減される、などということはあり得ません。

在特会への賠償命令確定 徳島県教組事件「人種差別行為」

これにて436万円が確定しました。直接的に被差別者を襲撃しなくても「人種差別」とされた高裁判決が維持されたものであり、ひとまず確定して一段落といったところでしょうか。
ナチス服の件といい、「表現の自由」は人種差別思想に対してフリーパスを与えるものではないのです。「自由」の名のもとに殺戮強奪を繰り返す輩がいれば自由が成り立たないように、「表現の自由」の名のもとに差別のナイフで通り魔を繰り返す輩を許しておけば、表現の自由は遠からず壊滅します。表現の自由を守ろうとするならば、表現の自由の悪用を許す選択肢はありません。

2016-10-30 の記事 - 2016-10-30
「長谷川豊さんになぜ強く反論しなかったのか」対談した腎臓病の女性患者が疑問の声に答える

議論に「負けない」ことは、実は非常に簡単です。
最も容易な方法は、例えば日本語で議論する際に日本語を知らない人が出ることです。言葉が通じないならば、負けることはありません。これは極端な話としても、相手の話を聞き入れる意思が全くなく、しかも議論する事柄について何も知識がない人は、そうでない人に比べて議論において圧倒的優位に立つ(ように見せる)ことができます。
この辺は、慎重な判断が求められる医療問題で聞きかじりをもとに殺戮扇動を行い、それでいてトリアージすら知らなかったとしてこの対談相手の方に驚かれている長谷川氏や、自分が三権のどこに属するのかすら知らず、ベラベラと前言と矛盾することを平気でしゃべる安倍氏、どれほどおかしいか説いても絶対に理不尽な差別をやめない連中などを見れば、よく分かるでしょう。
そういった連中に勝つことは、残念ながらほぼ不可能です。そのような場合に取るべき手段は、一対一の無意味な対談とするのではなく、周囲に訴える論法により、どちらの言い分に正当性があるか多数の人に問うことです。
例えばレイシストが「○○人は殺すしかない。当たり前だ」と強弁し、まるで議論にならなかったとしても、これを多数の人に広く問うことができれば、まともな神経を持った人ならレイシストに同調することはありません。もっとも、在特会と懇ろのヘイト政権が支持される現在の日本においては、それすらも怪しいかもしれませんが。
今回、この対談相手の方の取った方法は、極めて合理的で妥当なものです。「強く反論」しようにも、最初から聞く耳がなく、おまけに議論の前提となる最低限の基礎知識すら欠如した人には何を言っても無駄です。いわば透析患者の代表的な存在として対話に臨むことになってしまったこの方としては、無理に反論して長谷川氏が優位に立ったように見える現象を発生させてしまえば、そちらの方が社会への害悪が圧倒的に大きいわけですから、非常に深い配慮の上での対応といえるでしょう。
この寄稿の内容も説得力のあるものであり、長谷川氏とこの方、どちらがよりジャーナリストの精神を持つかと問われたならば、間違いなくこの方です。

>インターネットの世界について、きつい言葉や非常にショッキングなワードがないと振り向いてもらえないと仰っていましたが、そのようなことはないと思います。むしろネットはいまや現実世界の一部にしか過ぎません。伝わりやすく丁寧に話したほうが、テーマ性のある内容は広く受け入れてもらえますし、議論が活発になります。

これを自らの寄稿で証明したことは、まさに見事の一言です。長谷川氏の言葉が一部の「いらない奴は殺せ」論者以外には相手にされなかった一方で、この方の行動は署名からこの寄稿に至るまで、多くの賛同を呼んでいます。

ただし、こんなものはいちいち言うまでもないほど自明なことであり、現に対談相手の方は言い方以外の問題点もほぼ全部きっちり指摘していますが、長谷川氏の言い分が受け入れがたいのは「言い方が悪い」からではないことについては、ここで屋上屋を承知で書いておくとしましょう。
レイシストが「○○人は死ね」の代わりに「○○人の皆様、ぜひ早急に苦しい人生を終えられ、争いなき平和な黄泉の国でゆっくりお休みください」と言ったとしても、要するに死ねと言っているのであり、意味は変わりません。言葉のトゲをなくしたところで、これは差別の扇動表現、ヘイトスピーチです。
「アブとハチのどちらかを殺さねばならない。アブを殺せ」は、よりポジティブな言葉を使用して、「ハチを生かせ」に置き換えることができます。こちらも意味としては同じですが、言葉によって受ける印象はかなり異なったものとなります。
さて、長谷川氏は特定疾患の方々の殺戮を扇動しました。これによって世論が扇動されれば、2種類の殺戮やその他の加害行為が発生する可能性が高まります。すなわち、個人や集団によるヘイトクライムが発生する可能性、及びナチスのように国家のシステムとして加害行為が行われる可能性です。この両者の区別は時にあいまいですが、ここでは便宜上この2つがあるとしておきます。
ただし、前者はともかく後者がいきなり殺戮に至ることはあまり考えられません。昨日まで○○(人種、民族、性的立場、障碍、疾患など)とそうでない人が同じ社会に暮らしていたのに、突然「我が国では明日から○○を殺します」と言われれば、多くの人はさすがにその異常性に気づくことができますし、社会は混乱することでしょう。
そのような意味で、長谷川氏の国家システムとしての透析患者殺戮は、「殺せ」が現実のものとなるか否かという点では、当面の実現可能性がないものではあります。
ただし、それは「永久に実現されない」ことを意味しません。ナチスにしても、障碍者への憎悪を扇動するような広報を行ったり、ユダヤ人を徐々に区別し追い込んで行った上で、とうとう国家システムとしての大規模な殺戮が動き始めたのです。

最初から「自業自得(と自分が認定した疾患や状態の者)は殺せ」と主張して殺戮扇動を始める長谷川氏ほどのおバカさんなら別として、少しでも知恵が回る人ならば、まずは「自業自得(と自分が認定した者)には一定の負担や損害を我慢してもらう」とでも言い出すのが無難であることくらいは分かります。
ただ、それでもなお批判を浴びることは避けられませんから、さらに婉曲に「自業自得(と自分が認定した者)ではない人の負担が減るようなシステムを作ろう」という言い方をすることでしょう。これは要するに「アブを殺す」を「ハチを生かす」に言い換えるのと同じで、意味としては全く変わりません。
対談相手の方は長谷川氏を「ピュア」と述べていましたが、おそらく実際その通りです。泥棒にもやり方というものがあります。結局、長谷川氏はあまりにピュアで知識量も足りていなかったために、いわばわざわざ脅迫状を出し、実名を名乗ってから泥棒に入るようなマネをやらかし、大失敗して徹底的に非難される羽目になったわけです。
一方、同じ泥棒でもやり方をわきまえてさえいれば、長谷川氏を非難していたような人々からの賛同すらも集めることができます。こういった「プロの泥棒」こそが本当に警戒すべき相手であり、国家システムとしての差別や見殺しを推進する機能を担うことになるのです。
長谷川氏は結局、レギュラー番組をすべて失いました。職業を利用して殺戮の扇動を行える立場にあった以上、被害を防ぐためには当然のことでしょう。それでは、私たちは長谷川氏よりもさらに悪質な「プロの泥棒」相手に、氏に対して行ったそれと同じだけの対応を取ることができているでしょうか。

え?「アブを殺せ」を「ハチを生かせ」に言い換えたとて、そんなもの誰にでも見破れるだろうって?そんなバカなことを言う奴はいない、いるんならそのトラを屏風から出してみろって?では、どうぞ。

小泉進次郎議員ら、「健康ゴールド免許」創設を打ち出す

実際にはたかだか小泉氏程度の小物では頭が足りていませんが、それですら引っかかっている人はそれなりに見られます。これで知恵者が出てきたらどうなることでしょうか。
なお、本当に健康の維持について考えるのであれば、まず貧困や労働の問題に立ち向かうことなしにその件は語れません。それをしない、あるいはそれに逆行していながら健康を口にする人間は、ほとんどが健康を口実または人質にしているだけです。

2016-10-23 の記事 - 2016-10-23
別の機動隊員は「シナ人」と暴言 北部訓練場、抗議市民に

異常な蛮行です。
ヘイトスピーチ解消法が成立し、警察にはこの法律の理念に基づいて行動することがより強く求められています。そのような状況において、各地でレイシストの差別を止めるどころか彼らを警護したり、抗議者に対して牙をむくばかりか、警察自身がヘイトスピーチを行うとは一体どういうことなのでしょうか。
また、権力を持った公的機関の人員が、沖縄の抗議者を「シナ人」であるとする悪質なデマに引っかかっていることも極めて恐ろしいことです。悪質な差別デマを吐き散らすレイシストの行動は、最低限まともな判断力を有する人々に鼻で笑われているのとは裏腹に、少なくとも警察に対しては大いに効果を生んだといえるでしょう。

>「興奮して思わず言ってしまった。差別的な認識はなかった」

とのことですが、沖縄で抗議する人々をなぜか何の関係性もない中国人であるとみなし、「シナ人」などという蔑称で呼ぶことについて「差別的な認識」を持つことができないのであれば、それこそ恐怖そのものです。例えば在特会の「○○人を殺せ」はどう見ても差別ですが、これが差別であると認識されない社会が到来したらどうなるかを考えれば、これの恐ろしさは容易に理解できるでしょう。

そして同時に、これは沖縄の問題として済ませられるものではありません。
このほど鳥取周辺で地震がありました。今年に起きたばかりの熊本大震災も含め、日本は災害列島であることを否応なく認識させられます。地震はいつでも、また日本中どこでも発生する可能性があり、それらは時に東日本大震災や阪神大震災のような桁違いの被害をもたらします。
そして、先の熊本大震災では人種差別デマがインターネット上に大量に流されました。鳥取の地震に関しては目立った動きはありませんが、東京の停電では中国人が火事場泥棒をしたとする差別デマが流されました。日本中でヘイトスピーチが、それこそ差別的な認識を持つことができないほど自然に受け入れられている以上、災害時にこうしたデマに扇動されて「行動」する者が出るのも時間の問題です。
無論、そのような場合に被害にあうのは被差別者だけとは限りません(仮に被差別者以外が被害にあわないとしても断じて許しがたいことですので、このような書き方はよくないかもしれませんが、「自分には関係ない」とみなされないためにあえて書いておきます)。かつての関東大震災の虐殺では、朝鮮人とみなされた日本人も被害を受けることとなりました。災害に乗じて差別デマが広まり、それが殺戮を引き起こしたら最後、誰の身にでも危険が降りかかってくるのです。
そのような状況に置かれた場合、私たちは一体誰に助けを求めればよいのでしょうか。本来であれば警察こそがその対象であり、身の危険がある時には何よりも頼れる存在であるはずです。
ところが、その警察が人種差別にまみれ、しかも荒唐無稽な差別デマを平然と信じていたとしたらどうでしょうか。そのような警察が暴徒から命を守ってくれるなど、どうして信じることができるでしょうか。それも、沖縄で抗議をする日本人を「シナ人」とみなすような有様ですから、「自分は日本人だ」などと助けを求めても意味はありません。
平時の、いわば「災害時などにヘイトクライムを発生させるための地ならし」である差別デモなどを警察ががっちり警護することも含めて、警察などの権力が人種差別側に立つことは恐怖でしかないのです。

このところ総決算のように大量の差別が発生していますが、差別意識を涵養し続けてきた日本社会にはびこる差別が次々と表面化しつつあるのでしょう。差別がもはや蓋をしきれないほどまでに蓄積し、いつあふれ出てもおかしくない状況において、警察側による差別が平然となされる現状は極めて危機的です。
これは沖縄にとどまる問題ではありません。警察の差別を容認するならば、私たちはいずれその代償を支払うことになるでしょう。

2016-10-16 の記事 - 2016-10-16
相模原大量殺害事件、国籍問題問題、透析患者殺せ、わさび大量混入、南海電鉄アナウンスなどなど、様々な属性の人々に対する異様なヘイトが次々と表面化している今日この頃。

【更新】「停電時に中国人が火事場泥棒」デマ、投稿者は取材拒否の後に投稿削除

あまりにも悪質なデマと言わざるを得ません。
本件については、「差別ではなく愉快犯」などとして差別であることを否定する声もいくらか見られましたが、愉快犯が差別の意識もなく差別を民衆扇動の道具にしたとすれば、そちらの方が何倍も恐ろしいです。
関東大震災の虐殺にせよ、その他の流言飛語による虐殺にせよ、多くの実行者は平時から殺戮実行の機をうかがっていたような異常者ではなく、良き隣人であったはずなのです。ごく一部の極端なレイシストが暴走するだけではなく、社会に広く存在するマイルドなレイシストに危険な行動を起こさせるという点で、差別蔓延は非常に恐ろしいのであり、本件がもし単なる愉快犯であるとするならば、この日本社会には愉快犯としてそれを起こさせるほどの、そしてそれが世間の注目を集め、愉快犯として成立するほどの差別意識が蔓延していることを意味します。
そして、このデマ作成者が差別を意図したにせよ、愉快犯であったにせよ、その複合であったにせよ、デマによる憎悪扇動の効果には関係ありません。犯人が筋金入りのレイシストだろうと、遊び半分だろうと、全く同じように憎悪が扇動されるのです。「狂人の真似とて〜」ではありませんが、例えば在特と一緒になって「○○人を殺せ」と叫ぶ者がいればそれはレイシストですし、ヘイトデマを流すならばやはりそれはレイシストです。
犯人の狙いがどうであれ、本件がレイシストによる極めて悪質なヘイトスピーチであり、人種差別デマであることに、一切変わりはありません。

この犯人は停電という異常事態を利用してデマを拡散しており、異常事態を用いたデマはヘイトクライムをより容易に誘発します。
熊本大震災の憎悪扇動デマにしてもそうですが、今のところ災害時の虐殺が起きていないのはあくまで偶然であり、現状の日本ではタイミングさえ合えば今この瞬間にでも虐殺は起こります
在特会などのヘイトスピーチ、本件のような差別デマ、国籍問題問題をはじめとする出自への差別、長谷川豊氏が行ったような特定疾患への殺戮扇動などを許してはならないのは、それが被差別者に対する卑劣な攻撃であるのみならず、放置していれば重大なヘイトクライムを引き起こすためです。憎悪扇動が実際に殺戮に結び付くことは、先の相模原の事件が示している通りです。
そして、実際にこれらの差別に加担したり、あるいは理解を示している者は決して少なくはありません。
豹変する「良き隣人」は、おそらくその辺にいくらでもいます。現状、日本社会は極めて危うい状況にあります。

稲田防衛相の控訴棄却 「在特会と近い」週刊誌報道

在特会、あるいは在特会的なものは、この社会において決して異端ではありません。なにしろ、現政府及び最大与党がそれなのですから。
たくさんの人々が「他に良い人がいない」という建前を用いて本音を隠しつつ、積極的にレイシストを選び続けてきた結果がこの日本社会です。
無論、「知らなかった」なる言い訳は通用しません。これだけ色々報じられているものを無視するならば、それはただ「目と耳を閉ざし、知ることを拒否した」だけですし、現に石原氏のヘイトスピーチはおそらく大抵の人が知っているにもかかわらず、氏は長らく東京都知事の座にありました。
結局、稲田氏の件は世の人々を映す鏡でしかないのです。そしてまた、この件を知ってもなお、人々は「他に良い人がいない」という建前で本音を隠しつつ、在特会と懇ろのレイシスト政党を自らの意志で選び続けるのでしょう。

2016-10-07 の記事 - 2016-10-07
ヘイト寿司問題に透析殺せ問題、もうどこから手を付けたらいいのかすら分からないほどにヘイトの連続ですが、今回は(炎上商法のようなところがあり、あまり触れたくはありませんでしたが)透析殺せ問題について触れておきます。

結局、透析患者への殺戮・偏見・憎悪の扇動を行った長谷川氏は全く反省の色を見せることもなく、謝罪をしたとしても見せかけであり、結果として番組レギュラーなどの座を次々と失うことになりました。テレビ局などがしっかり対応してくれるかどうか当初は不安でしたが、ひとまずは当然の結末に落ち着いたことに安堵します。
「殺せ」を放置していれば、被害者は本当に殺されます。相模原の事件や関東大震災虐殺のように差別主義者が実行犯となって人を殺す場合もあれば、ナチスのように国家のシステムとして人を殺す場合もありますが、いずれにせよ憎悪扇動の行き着く先は本当の殺戮です。
「言論の結果として降板にまで至らしめるのは適切か」などといった論もあるようですが、あのような暴言を平然と垂れ流し、被害者に強烈な恐怖や苦痛を与えた上(もし長谷川氏の言い分が力を持ってしまって実現されれば、患者は実際に国家のシステムによって命を奪われます。現実に命の危機なのです)、被害者に対する殺戮・偏見・憎悪を扇動した以上、そのままとはいきません。
それも、本人が深く反省していて、同じことが繰り返される可能性はほぼないと考えられるならそこまでで十分でしょうが、本人がまともに反省していないからには、このままでは絶大な発言力を用いての殺戮・憎悪扇動が繰り返されるのは必然と言ってもよく、殺戮・憎悪扇動を防止し被害者へのさらなる加害行為を食い止めるため、降板に至らしめるのは必要なことでした。
氏への批判について「死体蹴り」「やりすぎ」とする意見に関しても、これと同様の見解です。武器を持って被害者を襲おうとした加害者がいるとして、1回だけ加害者を叩いて武器を払い落とし、そこで被害者を二度と襲わないことの確約が得られたならば、それ以上叩く必要はありません。一方、100回加害者を叩いて武器を弾き飛ばしても、加害者が101回でも武器を拾って襲おうとするなら、101回でも武器を叩き落とす必要があります。
非難を「死体蹴り」と呼ぶからには、非難相手はその件に関しての「死体」、すなわちもはや被害者を攻撃することのない存在でなくてはなりません。まして「やりすぎ」などというのは論外で、これは被害者を攻撃する気満々の相手を止めるのをやめ、自由に攻撃させてやることの言い換えにすぎません。それはすなわち、差別への加担でしかありません。

なお、「やりすぎ」論を突き詰めるなら、「非難が続くことによって非難を受けた者は自殺するかもしれないが、そうなったら非難者は責任を取れるのか」というところまで行き着きますが、それに対する私の答えは、誤解を恐れずに言うなら「仮にそのような事態に至ったとしても、それはやむを得ない」となります。
加害者がやむにやまれず(不正をしなければ事業が倒産するような状況下で、悪いと知りつつ不正に手を染めた場合など)加害行為を行ったのであって、しかも加害行為を継続する恐れがない(非常に深く反省しており、しかも事業は停止されていて不正を継続できる状況ではないなど)ような場合ならば、それ以上叩いて追い込むのは適切な行為とは言えません。後は刑事・民事・行政・道義上の責任を取って罪を償えばよいのです。それでもなお加害者を追い込むならば、何かあった場合には攻撃者にもそれなりの責任があるはずです。
一方、加害者をこのまま放置すれば加害行為が継続されるような場合には、放置することはできません。今回の透析患者殺戮扇動問題に関して言えば、真摯に謝罪して二度と加害行為に出ないことを示せばよく、それをしてもなお叩くのであれば「やりすぎ」と呼ばれても仕方のない領域に入ってきますが、今回の場合はそうではありません。
加害行為をやめることを死んでも確約したくないというのであれば、それはそれで加害者の選択ではありますが、それは要するに「このまま被害者への殺戮・憎悪扇動を継続させ、被害者を傷つけることを認めろ。嫌なら死ぬぞ」の踏み絵を迫っているのと意味としては同じです。
無論、そこで「死ね」などと言い放つのは人間として最低の輩のすることで、私はそれを否定します。しかしながら、「加害行為をさせろ。さもなくば死ぬ」という状況においては、「何を言われようと他人への加害行為は認められない」と返すしかありません。
したがって、もし加害者が事実上「加害行為をやめるのは絶対に嫌だ、今後も自由に他人を傷つけさせろ」と言い張っていて、もはや「追い込むのをやめ、加害者が他者への加害行為を継続することを容認する」か「追い込むことになっても非難する」かの二択しかない限りにおいては、私には他者への加害行為を認めることは決してできませんので、非難の継続は「やむを得ない」ということになるのです。

今回の透析患者殺戮扇動の件については非難の声が多い一方(当然ですが)、「社会保障制度存続のための問題提起だ」との声もごく一部に見られますが、これは決して問題提起になどなり得ないことは言っておかなくてはなりません。
「見せしめ」という方法があります。少数の人間を犠牲にすることにより、多数の人間に対して強烈なインパクトを与えることができる手法で、大勢の人間に対して適用しなくても大きな効果を得ることができるため、古代から現代まで刑罰などにおいてよく用いられています。
では、自業自得であると長谷川氏が主張する透析患者など、氏がいらないとみなした人々に社会保障を提供せず、泣こうがそのまま殺したらどうなるか。殺された人々が見せしめの犠牲者となり、「社会保障は一切信用できない」という強烈な印象を大多数の人に与えることになるのです。
長谷川氏やその論の支持者は、社会保障制度の存続の手段としてこれを主張していたはずです。しかしながら、信用を失った制度や政府はもはや存続することが非常に困難となることは言うまでもなく、したがってこれを本当に実現するならば、社会保障制度は崩壊または機能不全の状態に追い込まれることでしょう。
無論、そうなれば「殺される」危険を少しでも回避するために消費は大幅に控えられ、経済はますます回らなくなるでしょうし、子を持つならば費用がかさんでリスクに対応できなくなったり、子が大病を患ったり、先天性の障碍を持っていたりする可能性があり、そうなれば子か親、あるいはその両方が「殺される」わけですから、少子化もますます進行するでしょう。そして当然、「殺される」立場の人が喜んで殺されるわけがなく、死に物狂いで生き延びようとすれば犯罪に走らざるを得ないわけですから、治安も大幅に悪化することが想像できます。
もし国民がみな黙って殺されてくれるのであれば、長谷川氏の言うようなやり方でも成功する可能性はあるかもしれません。もはやディストピアかカルトの世界であり、私は謹んで遠慮申し上げますが。しかし、現実にそれはあり得ないことは、長谷川氏を見れば分かります
長谷川氏は当初、自身の主張を正当なものであると豪語しており、患者団体からの抗議にも侮辱で返すなどやりたい放題のふるまいを続けていました。ところが、番組を降板させられるなど都合が悪くなってきた辺りで、今度はあわてて謝罪(謝罪になっていませんが)を行い始めます。とうとう全部降ろされた後には、今度は「あの謝罪はやっぱりナシね」をやっているようですが。
長谷川氏が降板させられたとしても、それで「命」を失うわけではありません。せいぜい「利益」を失う、と表現できる程度のものです。仮にとうとう放送界から永久追放になったとしても、放送界以外にも世界はたくさんありますし、それでもなお食うに困ったならば、社会保障によって健康的で文化的な生活を送る権利が長谷川氏には保証されています。いずれにせよ、降板させられることは「命」を失うこととは程遠いものです。
にもかかわらず、長谷川氏は当初の言葉を一旦放棄してまで、みっともなく「利益」にすがり付こうとしたわけです。
疾病に罹患する原因には、生活習慣など本人の責任とみなせる部分もありますが、遺伝や環境、その他様々な要素にも大きく左右され、かつ生活習慣も職務上、あるいは貧困などで改善しようのない場合もあり、難病を抱えた患者が100%自業自得ということはほとんどありません。一方、長谷川氏の今回の騒動は本人の責任であり、100%の自業自得です。
「命」からは程遠い「利益」を奪われる場合でさえ、それも100%自業自得なのにこの反応ならば、自分が「命」を、それも100%の自業自得ではないのに奪われる立場に立つことになったならば、氏は一体どのような反応を見せるでしょうか。おそらく、今回の件などとは比べ物にならないほどみっともないものが見られることでしょう。
無論、これについて長谷川氏を笑いものにはできません。多くの人は氏とそう変わらない行動を取るでしょうし、きっとそれは私も同じです。つまり、たかだか「利益」ぽっちで悪あがきをした長谷川氏を見るまでもなく、「命」を奪われるならば誰でも死に物狂いで抵抗するのです。
社会保障は人権を守るのみならず、人々に安心を提供する手段であり、それによって社会を活性化したり少子化を改善したりできるものであり、また犯罪を抑止し安全をもたらす手段でもあります。何も理想論だけでなく、より低コストで社会を安定させる現実的で重要な手段なのです。そこで「自業自得だから殺していいとみなした奴は泣こうが殺す」という見せしめを行い、強烈なメッセージを人々に送ったならば、それによって発生する多くの問題に対応するコストは、社会保障費のそれでは済まなくなるでしょう。
長谷川氏の論のような社会が実現したら、そのような先にはただ社会保障への強烈な不信と崩壊、ひいては国の衰退や破滅が待っているだけです。
すなわち、長谷川氏の論は到底社会保障を論じる上での問題提起には断じてなり得ず、氏の論から始めるとすればそれはスタートラインが間違っています。皮肉ではありますが、「社会保障において、まず決して切り捨ててはならないものは何か」をはっきりさせたという意味では、意義はあったかもしれませんが。
財源が足りないなら、「無駄なものは削る」「負担を増やす」ことに直面するのは仕方がありません。そして、無駄なものがあるなら削ったり、多めに負担してもあまりダメージのない裕福な人に相応の負担を願う形で負担を増やすことについては、やむを得ないと考える人も多いでしょう。しかし、「無駄だから人命を削れ」「負担できない人に負担させて殺せ」から社会保障費の議論に移ることなどできません。

「殺せ」は本当に人を殺します。加害行為をしないことを確約し、それを遵守しない限りにおいて、長谷川氏が「社会的に」殺されることは当然です。これを放置していれば、殺されるのは何の落ち度もない被害者だからです。
しかし、長谷川氏のように透析患者への殺戮・憎悪扇動を行い、しかもそれを今後とも継続したがっているクズ以下の人間でも、「人として」生きる権利はあります。
長谷川氏が路頭に迷いそうになったなら、あるいは今回の件でヤケになって不摂生をして大病を患ったなら、氏には堂々と社会保障を受け、文化的で健康的な生活を送る権利があります。社会保障が長谷川氏を殺すことはありませんし、また殺すことは断じて認められません。
それが、社会保障という理念だからです。

2016-10-01 の記事 - 2016-10-01
学力テスト。当初の懸念がことごとく現実のものとなってきました。

まずは成績トップクラスの秋田の新聞から。

学テ対策に疑問の声、秋教組調査 教員「授業時間犠牲に」
>全国学力調査(全国学力テスト)対策として、秋田県内の複数の小中学校で児童生徒に過去問題や予想問題を解かせていたことが、県教職員組合(秋教組)のアンケートなどで分かった。

>回答した小学校教員の66%、中学校教員の39%は「対策のために授業の進度が遅れるなどの影響がある」と答えた。

それから、汚名返上に向けて成績を伸ばそうとしているという沖縄の現実。

学力テストで一部生徒の答案除外 沖縄の中学「平均点下がる」
>今年四月に小学六年と中学三年を対象に行われた全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)で、那覇市の中学校が、受験した一部の生徒の答案用紙を「平均点が下がる」などを理由に除いて文部科学省に送っていたことが分かった。

なお、これはまた聞きで知ったのですが(実際にアーカイブを聞いて私の耳で確認済み)、NHKラジオのニュースでは「図工や家庭科の時間を削った」ケースについても報じられていました。

結論ですが、まったくバカげているとしか言いようがありません。児童・生徒にテストのための勉強をさせれば、得点は向上するに決まっていますが、これこそまさにテストのために学問が犠牲になるという最低最悪の事態であり、言うなれば「児童・生徒らの学力を売ってテストの点を買う」行為です。極めて大きな実害と言えるでしょう。
沖縄の事例に関しては、現実に海外で類似の事態があったことが知られており、学力テスト導入の際にはすでに懸念されていました。こうなることは最初から分かっていたにもかかわらず、手間暇かけて同じ轍を踏みに行くとはご苦労なことだとしか言いようがありません。
図工や家庭科を削るなどに関しては論外です。大人の見栄競争以外の何物でもないテストの点を上げるのであれば、例えば料理なり何なりの知識を得る方が、大いに役立つであろうことなど考えるまでもなく明らかです。そして事実、料理ならば科学・数学・物理学・タスク管理などの高度な学問を内包していますし、芸術や工作の分野もまた、独創性を必要とする他に数学など他分野の思考と切っても切れない関係にあり、これらも立派な学力であることは疑いようもありません。
したがって、(少なくとも現状の形での)学力テストは廃止すべきという私の持論については変更はないどころか、今回の件でより強化されたと言わざるを得ません。それでもなお学力テストには指導の目安としての意義があるというのであれば、このように大々的に行う必要もなければ、都道府県ごとの成績を一般公開する必要もありません。
大人のくだらない見栄をかけた点取り競争祭のせいで、一体何が犠牲になっているのか、いい加減に検証せねばならない時期に来ています。最低でも「児童・生徒らの学力を売り払い、それを代償としてテストの点を買う」ような事態は絶対になくさねばならず、そのためには制度の廃止または改善のどちらかが必要なのは分かりきっています。それでも怠慢を継続し、このままでは踏むと分かっている同じ轍をわざわざ踏みに行くならば、目の前の事例から学ぶことすらできない者が定める「学び」のあり方とは何なのかと、強い疑問を呈さざるを得ません。

ところで、「学力」とは一体何でしょうか。「考える力」とはどういうものでしょうか。「学び」は何のために必要なのでしょうか。「子どもたちの学力」なるものを、この国の大人たちは偉そうに論じることができるのでしょうか。
今までの人々が、時には犠牲を払いながらも積み上げてきた経験や成果を受け取り、それをもとに新たな成果を積み上げたり、自分で考えてみたりする。それが学問というものだと、私は考えています。ならば、この国は子どもたちに「学問」を語ることができるのでしょうか。
アイヌから土地を取り上げたことを「あたえた」ものと教えようとし、関東大震災での虐殺はなかったことにされ、南京事件や慰安婦問題の否定論が横行する。子どもには決まりを守れと言いながら、国の一番大事な決まりである憲法は平然と踏みにじる。ナチスその他のレイシズムの過ちから学ぶこともなく、外国籍の人、障碍者、LGBT、貧困者、特定疾患の患者などについて、死ねだの殺せだのといった言説が横行する。
人々はそれに賛同したり、または表立って賛同はしないにせよ、そうした悪質なレイシストや歴史修正主義者を議員や首長として選び続け、一方で差別や立憲主義の否定に対抗しようとしている人々を鼻で笑って、レイシズムや歴史修正主義に加担する。それも、「他に選択肢がない」などという言い訳を用意し、自身の逃げ道はしっかり確保しながら。
「○○(人種、国籍、性的立場、障碍、疾患など)は殺せ」などと言ってはいけないことなど、子どもにでも分かります。それなのに、いい年をした大人がその言葉を平然と口にし、あるいはその言葉を口にする者を支持し、あるいはそれと極めて近い思想を持った候補者を支持し、その結果がこの現状です。「○○を殺せなどと言ってはダメだ」としっかり認識している子どもたちに対し、その域にすら達していない日本社会が一体何を教えられるというのでしょうか。
私は問います。子どもたちに「学問」を語る資格がこの国にはあるのか、と。