yamicha.com
(いまさら消すにも忍びないので残しておいた16進カウンター)

雑記帳(過去ログ)
2017-02-26 の記事 - 2017-02-26
安倍晋三記念小学校の件。役者は安倍内閣、安倍夫人、役所、維新、日本会議など腹黒オールスター勢揃いといった面々であり、その問題もまた行政側による不透明で異常な便宜、安倍氏を称賛する教育、安倍夫人による絶賛、神道カルト、ヘイトスピーチ、児童虐待など日本の闇を全部ねじ込んだかのような異様なものだけに、切断処理、爆弾の押し付け合いが始まっています。

昭恵氏、新設小学校の名誉校長を辞任 森友学園問題

安倍晋三記念小学校の名誉校長であるばかりか、児童虐待幼稚園である塚本幼稚園を大称賛していた安倍夫人、名誉校長を辞任。断ったのに勝手に名誉校長とされ、結局断れなかったということになったようです。あれだけ大絶賛していたのなら、少しはかばってあげてもよさそうなものですが、薄情なものです。

「安倍晋三記念」名で寄付集め、首相が抗議 森友学園に

安倍氏もお得意の尻尾切りを始めました。やましいことがある時には激昂したり、野党がどうのこうのと言い出すので、ある意味で非常に分かりやすい人物です。学園側もよくも学校にこんな人物の名前を付けようなどと考えたものですし、そこまでやった末に待っているのはこの通り、切断処理です。

大阪知事、不認可の可能性に言及 森友学園の小学校

本件については、やたら認可が容易に進んでいることについても疑問視する声がありますが、ここへきて松井氏も尻尾切りですか。虐待ヘイト学校法人に小学校などやらせるわけにはいきませんから、不認可自体は必要と考えますが、実にあわれな話です。なお松井氏は、森友学園の理事長と面識はないと主張しています。

国有地問題、財務省は調査を 松井大阪府知事

金額を誰がどう見積もったかが一番の問題で、明らかにすべきだ」だそうです。また、氏は職務怠慢として近畿財務局も批判しています。この分だと役人の誰かが責任を背負わされ、腹を切らされるのでしょうか。

稲田防衛相:森友学園に感謝状「取り消しも検討」

感謝状まで贈った相手にこれですか。マスメディアを含め、この内閣と蜜月関係にある面々は、少しでも都合が悪くなると明日にも責任を押し付けられて腹を切らされかねないことを、よく自覚しておくべきでしょう。

維新幹事長 「森友学園問題」維新の関与否定…民進のイメージ戦略と不快感

維新も切り捨てに入っています。この辺の変わり身の速さはさすがです。

橋下氏 森友学園の不可解売却に「やはり政治介入か」

橋下氏に言われてはおしまいですが、「こんなことを役所だけの意思でやるのか。やはり政治介入か」というのは、いわば大阪の役所から政治へと爆弾を投げ返したようなものでしょうか。

森友学園の幼稚園指導法、文科相「大阪府に報告求める」

その教育を大絶賛した人が安倍夫人であり、おまけに安倍夫人によれば「こちらの教育方針は大変主人もすばらしいという風に思って」いるそうですから、大阪に問題を投げる前に、ひとまず安倍夫婦にでも聞いてみてはいかがでしょう。

この問題もようやく、様々なマスメディアで見かけるようになってきました。ただし、現代日本の闇が一体となって形作られたのがこの問題であり、逆に言えばこれらの一部だけを取り上げてもあまり意味はありません。そして現状、ヘイトスピーチや神道カルトなどの部分については、土地に比べてあまり取り上げられていないと言わざるを得ません。
これらが全方位から取り上げられない限り、問題はどこかがうやむやのまま終わるでしょう。

2017-02-19 の記事 - 2017-02-19
安倍晋三記念小学校の件。近年まれにみるほどドス黒い根が複雑に絡み合った問題です。これがほんの少し前の日本であれば、大スキャンダルとして連日報道された上で一発で終わりになっていたでしょう。
以下、報道などで示されたことを簡単にまとめておきます。

・大阪府豊中の国有地が、学校法人「森友学園」に対して異常に安い価格(近隣の1割程度)で売却される。なお、鑑定評価額は9億5600万円、売却価格は1億3400万円、その差8億円以上。理由は「ごみの撤去費用を差し引いた」ためで「適正」であるという。
・また、これとは別に学園側にはごみ撤去費用として1億3176万円が支払われている。つまり、学園側は実質無料に近い額でこの土地を手に入れたことになる。
・このような土地の売却価格については原則公開となっているが、この土地の売却価格は学園側が非公開に同意したとして公開されていなかった。
・この土地の購入を考えていた別の学校法人は、11年にごみの撤去費用まで考慮して5億8000万円の購入を希望。ところが財務局から価格が低いと指摘されて断念した。
・国から異様な便宜を受けていたとしか考えようのないこの学校、現在名称は「瑞穂の國記念小學院」となっているが、資金の寄付を募っていた時の名称は「安倍晋三記念小学校」となっていた。
・しかも学校の名誉校長を務めるのは安倍夫人。なお、安倍夫人は塚本幼稚園(後述)を絶賛していることでも知られている。
・学校法人「森友学園」は「塚本幼稚園」を運営しているが、ここでは保護者に対して「よこしまな考え方を持った在日韓国人や支那人」などと書いた文書を配布。ヘイトスピーチの恐れがあるとして大阪府は園長らから事情を聴いた。
・また同幼稚園は、「当園に対する不当な誹謗・中傷記事が書かれたブログが立ち上げられ」ていて、調査の結果投稿者は「巧妙に潜り込んだK国人・C国人等の元不良保護者である」ことが判明したとするヘイト声明を公開。なお、伏字の部分を「韓国・中華人民共和国人」と伏字なしで書かれている版の文書も発見されている。
・当然、園児に対して中国・韓国への差別意識を植え付けるような教育も行われており、運動会の選手宣誓では園児に中国・韓国の批判をさせ、安倍首相頑張れと言わせていたという。
・この幼稚園に関しては、元園児の保護者を名乗る人がその実態を書いたブログを公開。それが事実であるとするならば、ほぼ虐待と言っていいような事例、理不尽な事例が並んでいる。
・もちろんというかなんというか、「森友学園」理事長の籠池氏は大阪の日本会議の代表委員である。さすが日本会議は期待を裏切らないといったところか。

実際にはもっと色々ありますし、判明していないことも多いはずですが、ひとまずこの辺で。これだけでも安倍氏周辺、政治癒着・不正、日本会議、ヘイトスピーチなど、現代日本の闇で数え役満ができるほどの異常に黒い案件であることが分かります。現在のマスコミの状態ではうやむやのまま終わるいつものパターンに入ることが十分予想できますが、はっきり言って異常事態でしょう。
そして、ここまで徹底的にドス黒い役満案件ですらうやむやに終えられることになれば、ましてや世の中の多くの黒い問題を追及できようはずもなく、まとめて手の届かないものとなることでしょう。

2017-02-12 の記事 - 2017-02-12
東京MXの番組「ニュース女子」(DHCシアターら制作)にて、沖縄に関するヘイトデマを垂れ流したとして問題になっている件。

MXテレビ番組をBPO審議へ

「ニュース女子」BPO審議へ 基地反対運動めぐる放送

私はBPOをそれほど信頼できる存在であるとは考えていませんが、それでも良識ある判断を期待せざるを得ません。
なお本件をめぐっては、「のりこえねっと」の辛氏の言動をあげつらうことで問題を正当化しようとする異様な主張も散見されますが、それで沖縄ヘイトデマの垂れ流し番組が容認されると本気で考えているのであれば、おかしいどころか狂っています
ちなみに、制作会社のDHCシアターの見解においては、なんと堂々と「基地反対派の言い分を聞く必要はないと考えます」と明言されています。

>そもそも法治国家である日本において、暴力行為や器物破損、不法侵入、不法占拠、警察官の顔写真を晒しての恫喝など数々の犯罪や不法行為を行っている集団を内包し、容認している基地反対派の言い分を聞く必要はないと考えます。

この理屈が成り立つならば、沖縄問題に限らず、人種や障害などへの差別、公害その他の国家の責任による病気や事故の賠償、政治への抗議、その他この世に存在するありとあらゆる問題について、抗議者のうちの誰かが不法行為を働いた事実があれば、あるいはそのような言いがかりをつけさえすれば、抗議側の言い分など一切聞かずに自由にデマを垂れ流して構わないということになります。
ついでにこちらも傑作。

>これら言論活動を言論の場ではなく一方的に「デマ」「ヘイト」と断定することは、メディアの言論活動を封殺する、ある種の言論弾圧であると考えます。

頭に「ある種の」と付いてはいるものの、言うに事欠いて「言論弾圧」とは。なぜこの手の人々はこういう言葉が大好きなのでしょう。言うまでもありませんが、これを「デマ」と指摘している人々は、言論活動によってデマであると非難しているのであり、DHCシアターに番組制作をやめさせたり同社作成の番組を放送させない公的な権力など有していませんので、どうあがいても「言論弾圧」などできようはずもありません。
仮にこのようなお粗末な理屈が成り立つならば、民主主義の法治国家における日本で展開されている抗議活動について、放送の伝播力を利用してデマを垂れ流すことこそ、ある種の卑劣な弾圧行為と言っていいでしょう。

ところで、問題となった番組の司会を務めていたのは長谷川幸洋氏であり、東京新聞・中日新聞論説副主幹を務める人物です。東京新聞側はこの件を「他メディアで起きたことではあっても責任と反省を深く感じています」「副主幹が出演していたことについては重く受け止め、対処します」としています。
しかし、長谷川氏本人の言い分はパターン通りのお粗末なものです。

東京新聞の「反省」、言論の自由侵害

東京新聞の論説主幹と私が話し合ったこと

DHCの「言論弾圧」に続いて出ました、伝家の宝刀「言論の自由」。もういい加減飽きてきたので、別の言い訳を考えてほしいものですが。
東京新聞がどうすれば「言論の自由」を侵害できるのか、という観点は先の繰り返しになるので見逃してあげるとして、言論の自由を守るためには、言論の自由の看板を使い捨てにしてデマやヘイトを垂れ流す連中とまず戦わなくてはならないことは言うまでもありません。

無論、会社が賛成と言っている問題に対し、単にその構成員が別の場所で反対と表明すること(あるいはその逆)自体は制限されるようなことではありません。それが他人の権利の侵害、人種や民族、障碍などに対する差別の扇動、犯罪の教唆といった行為である場合は別として、各人が何を主張しようと基本的には自由でしょう。
しかし本件の場合、まず番組は言論ではなくデマの垂れ流しが問題にされているのですから、主張の違い以前の問題です。氏によれば「論説副主幹を名乗ってテレビで発言したり意見を発表したのは、昨日今日に始まった話ではない。論説委員時代も含めれば、10年以上前からそうだ」「私はかねてから東京新聞と異なる主張をしてきた」そうですが、つまり単なる主張の違いに関しては、現に長らく問題とされてこなかったのであり、デマを垂れ流したから問題にされたとしか考えようがないのです。
そして、そのデマ垂れ流しによって何がなされたかといえば、沖縄ヘイトであり、他人の名誉を踏みにじる行為です。いくら主張は自由といっても、ヘイトを扇動していい自由、他人を踏みにじってもいい自由など存在しません(東京新聞は憲法が縛る対象ではありませんが、言論の自由なる言葉を振りかざされたからには持ち出すならば、憲法にすら「公共の福祉」は明記されています)。こんな蛮行がなされたとあっては、いくらなんでも東京新聞にとっては「本紙のこれまでの報道姿勢および社説の主張と異なる」ことでしょう。
それも、言論に無関係な会社なら「当該人物の主張は当社には関係ありません」で逃げ切れるかもしれませんが、言論機関である新聞社ともなれば、「テレビでデマを垂れ流し、ヘイト扇動行為にかかわった者は当社論説副主幹ですが、その主張は当社には関係ありません」で済まされては困りますし、そちらの方が「言論の自由」を預かる言論機関としての責任放棄です。
当然、会社の責任としても、また言論の自由を守る意味でも、厳正に対処することが必要なのです。

2017-02-05 の記事 - 2017-02-05
韓国デマサイトは広告収入が目的 運営者が語った手法「ヘイト記事は拡散する」

あまりにも許しがたいヘイトスピーチ(差別扇動)であり、レイシズムです。

>「怒っている人がいることは想像できますが、これが誰かの人生や、実生活に影響を及ぼすことはないんじゃないでしょうか」

無論、これは完全に間違っています。ヘイトスピーチは被害者を大きく傷つけ、多大なダメージや不安を与えます。激しい精神的苦痛から身体へのダメージまでもを引き起こしたり、身の危険を感じる人もいることは、在特会などの被害からも分かっていることです。
そして言うまでもなく、ヘイトスピーチはヘイトクライムを引き起こします。障碍者施設が襲撃されて大勢の人々が虐殺された事件は記憶に新しいですし、他にも模造刀で他人に斬りかかったり、現に児童がいる学校に嫌がらせ攻撃をしたり、事務所に押し入って事務員を脅したりと、幸いにも死者は出なかった例まで含めると、挙げるのもきりがないほどです。
本件のデマニュースにしても、デマであることを暴いた情報はデマほど広がっておらず、またデマ暴きを見てもなお韓国人が悪いと強弁する者もいます。これらの者が憎悪を募らせたり、あるいは情報が再拡散されて別の者が憎悪にまみれていくうち、また新たなヘイトクライムを引き起こす可能性は十分にあります。
無論、その場合でもこのデマニュースが犯罪を引き起こしたと確定することはほぼ不可能なのですが、それは言うなれば犯人が「自分は確かに街中で人ごみに機関銃を乱射したが、他にも乱射した者がいたから自分のせいで誰かが死傷したわけではない。文句は他の奴に言え」と主張するようなものです。
このようなデマは誰かの人生や実生活に対し、多大な被害を及ぼす可能性があるものです。ゆえに差別について最低限の知識を持つ人は、このような悪質なデマに対して怒るのです。

では、このデマ流しの犯人はレイシストなのか。

>男性自身は、韓国について「好きも嫌いもない」。韓国に行ったこともなければ、韓国人と喋ったこともない。ハングルだって読めない。

とのことですが、実際には明らかなレイシストと言っていいでしょう。
まずヘイトスピーチの重大性を理解していないような発言からして眉唾ものです。この犯人はSNS上のヘイト情報について分析済みで、「ヘイトを煽る」記事が拡散されると認識していて、高田誠を何らかの方法で知っていて、しかも氏を拡散に用いるターゲットに定め、そのための策略まで練って実行に移し、実際に成功しています。そこまで周到に下調べをしてデマの拡散を狙うような人物が、ヘイトスピーチの重大性に関する基礎知識だけは偶然にも全く得ることはなかったと考える方が無理があります
また、天文学的なまでの低確率ではありますが、万が一にもヘイトスピーチが犯罪を引き起こすことを知らなかったとしても、芸能人デマの法的リスクに触れていたり、実在の人名や企業名を用いるリスクについて認識している以上、デマが他人に対して被害を与える認識があったことは確実です。したがって、最低でもデマの垂れ流しによって直接誰かが傷つく可能性があることは、犯人も間違いなく承知していたはずです。

他人を死傷させれば、いくらかの金が、それも大きな額ではなくごく少量の小遣い程度の金額が手に入るとしましょう。たとえ法的リスクが低いとしても、あなたはそれで他人を死傷させようと考えるでしょうか。私には無理です。相手が「好きも嫌いもない」ような者だろうと、死傷させることはできません。
それを、この犯人は平然とやってのけたのです。「韓国人ならば死傷してもいい。ごく少量のお小遣いを得るため、彼らを死傷させることになっても全く構わない」と考えていなければ、このようなことは不可能です。これは当然、字面通りの意味で「好きも嫌いもない」相手に取れるような態度ではありません。
まして、この犯人は一度はてなブログでデマニュースサイトを開設しようとして、公開停止の措置を受けたのだといいます。自分の行いがいかなるものかをここで認識し、踏みとどまることもできたはずですが、あえて二度目の行動に出ているのです。韓国人なら死傷させてもいいと確信していて、一線を踏み越えるのに全く抵抗がないらしいことがうかがえます。
この犯人が自らのレイシズムを実際に自覚できていないのか、それとも自覚しつつも当たり障りのない応答をしているのかは、私には分かりません。しかし、いずれにせよその背景にはぞっとするほど凶悪な「透明のレイシズム」とでも呼ぶべきものが存在していることは確かだと、私は見ています。

そしてこれはまた、現実的で多大な恐怖でもあります。
大災害や内乱で法が機能不全に陥った時、「○○人を襲う」ことに何らかのごく小さな利益(金銭的利益かもしれないし、名誉や称賛など無形の利益かもしれない)があるとしたら、この犯人のような人間はどのような行動に出るでしょうか。
あるいは、ナチス政権下のように法がレイシストの味方となった時、「○○人を通告する」ことにごく小さな利益があるとしたら、この犯人のような人間はどうするでしょうか。
「相手が○○人ならば、自分が法的リスクを負わない限りにおいて、ごく小さな利益のためにでも死傷させて構わない」と考える者がいるというのは、そしてそれを大した罪悪感もなく平然と実行に移せてしまう者がいるというのは、すなわちそういうことなのです。

2017-01-29 の記事 - 2017-01-29
天皇退位に関して。BBCを聞いていたところ、「現政権が一代限りの適用を望んでいるのは、永続的な見直しをするとなれば女性を認める改正などの気運が出ることも避けられず、それを回避したいため」といった分析がなされていました。
私は天皇制周りの件に関して全く興味を持っていませんが、本件においては人権上あまりにも問題があること、また社会制度や差別意識に与える影響が大きいことから、触れておくことにします。

1.天皇制の是非
天皇制自体を廃止すべきと考えています。理由は以下の通り。

・本来、天皇は単なる象徴としてしか位置づけられていないが、保守派とやらが権威の衣服を無理やり大量に着せたことにより、天皇に多大な権威づけがなされてしまった。もし今後、政治的権力の獲得を画策する者が天皇となり、天皇の権威を利用したい保守派とやらと手を組んだなら、もはや歯止めが利かなくなる可能性が高い。
なお、言動や退位の念に見られるように、現天皇自体はおそらく権威を得たいなどとは考えておらず、これは天皇の意思とは関係ないところでなされている。
・80歳を超えるおじいさんを、天皇が大事などとほざく保守派とやらが未だこき使おうとしていて、おまけに退位の意思に対してまで文句を垂れる始末。老齢までこき使われ、辞めると言っても横やりを入れられるのであれば、人権上多大な問題がある。

私自身は現天皇に対して特に負の感情はありませんし、天皇制も特に必要と考えてこそいないにしても、政治上・人権上の問題を起こす危険がない限りは黙認して構いませんが、保守派とやらの手によってなされている上2つの件はこの両方の問題を引き起こすものですから、こうなると天皇制に反対の意思を表明せざるを得ません
以上、文句がある人は保守派とやらにどうぞ。

2.天皇に対する言葉遣いの是非
日本のマスコミでよく見かける「○○さまが○○されました」というあれです。
私はこれを廃止し、一般的なニュースで見られる通常の言葉遣いにすべきと考えています(芸能ニュースでもあるまいし、あれ自体が必要かというのは別の問題なので置くとして)。

人類の生活を大きく進歩させたり、人命を救うために多大な貢献をしたりと、世の中には素晴らしい成果を残した人が存在します。
ところが、いくら多大な成果を上げ、何千何万の命を救い、世界中の人々の尊敬されようとも、彼らが「○○さまが○○の研究成果を発表されました」などと報じられることはありません。その一方、皇族一家に関してのみは、功績など上げようもない赤ん坊すら「○○さま」と呼ばれ、大げさな敬語が使われるのです。
これは理不尽かつ無意味であり、全く道理に合いません。皇族に対して権威づけをする道具としかなっておらず、その権威が天皇の政治的利用という形で結実すれば、誰にとっても最悪の結末にしかなりません。よって、通常の言葉遣いによる報道とするのが妥当です。
なお私は、現天皇は「人として」まともな人間であるとは考えていますが、「天皇だから」尊敬しようなどとは全く考えません。その人の人間性や功績ではなく、肩書や属性(出自、人種、民族、肌の色、性別など)を理由として尊敬すべきか貶めるべきか決めるなどという思想を、私は一切容認しません。

3.女系天皇の是非
当然、認めるべきです。

天皇の血筋がどうなろうが私には関係ありませんが、天皇制が堂々と女性排除をやっていることには国内の性差別を助長する効果しかありません。
「伝統」などと意味不明なことを並べ立てる輩もいますが、そんなものは知ったことではありません。しめ縄を飾るなり、豆をまくなり、伝統を重んじたいなら他者に迷惑をかけない方法でご自由にどうぞ。しかし、道のど真ん中に縄を張ったり、人ごみに対して豆を投げつけたり、手前勝手な伝統とやらによって人に迷惑をかけるのであれば、それを認めることはできません。
天皇は良くも悪くも日本の象徴であり、日本社会に与える影響が大きいものです。この象徴的制度が性差別を公然と行い、社会に対して性差別の見本を示している状況を容認することなど絶対にできないのは言うまでもありません。

4.一代限りの規定の是非
言うまでもなく、一代限りではなく永続的な改正とすべきです。

結論ありきで有識者会議とやらを用いる安倍氏のやり方は第一次の時から全く変わっていませんが、現行規定を変更されたくないという欲望に基づく、自称保守や自称有識者会議のつまらない有識者ごっこに付き合ってやる必要などありません。
一代限りの適用とすることは、すなわち現行の非人道的かつ差別的な規定は今後とも温存し、今回の件はあくまで例外であると宣言することを意味します。そのようなものでお茶を濁させるべきではありません。永続的な改正とし、かつ現行の理不尽・非合理・人権無視・差別的な部分に大幅に切り込むべきです。
なお、現天皇の退位と他の制度改正については別物とする意見もありますが、私はとりあえず人道を優先して現天皇の退位を先行することには反対しないものの、今回の退位問題は現行制度の非人道・非人権・差別性が表面化したうちの一つであって、これらは明らかに連続した問題と考えています。

2017-01-21 の記事 - 2017-01-21
原作漫画版の「この世界の片隅に」は読了していましたが、このほど映画版を鑑賞する機会があったため、それについていくつか書いておきます。必要もなく詳細に踏み込まないように注意してはいますが、それでも内容に触れないわけにはいかないため、未読・未鑑賞の方はご注意ください。

映画自体は娯楽作品としてはよくできています。おおむね原作に忠実な映画化であり、素材(原作)が良質なため映画の質も高く、良作と言っていい作品です。ただし、私はこの映画について高い評価をすることはできません。
例えば、良質なバンズとレタス、トマトを使用し、肉を一切使用しないものが「ハンバーガー」と称して提供された場合、ハンバーガーが何かを知らない人なら十分に満足して食べることができるでしょう。ただし、ハンバーガーが何かを知っている人ならば、肉がないことに大きな不満を抱くのは避けられません。この映画はまさにそれであり、良質な野菜サンドイッチとして味わうことはできる一方で、原作からごっそり肉を抜き去ってしまった存在でもあるのです。

大きな変更点の一つに、遊郭関連のエピソードがごっそり削られていることがあります。ここは監督も残念と考えているそうですが、尺の都合で削ったとのこと。
漫画版では「代用品」などのエピソードがあるために、その後の水原とのやり取り、周作との関係も生きたものとなりますが、その辺がごっそり抜け落ちている映画では掘り込みが足りなくなっている印象は否めません。一言で言えば、各人の行動がやや駆け足的で突飛なものとなっています。
すずは確かに強い自己主張をするタイプではないながら、原作では細かな心情描写や遊郭関連のエピソードから個のある人間として描かれていますが、映画では原作と比較して意思が見えにくくなっています。周作もまた、原作ではこうしたエピソードによって人間らしさ、すずにとっての一種のわだかまりが描かれている一方で、映画ではあまり個性を見つけることのできない存在となっています。

ただ、削減に関してはまだ尺の都合と考えれば仕方がありません。長大で密度の高い原作を映画にしようとすれば、どこかしら削らないわけにはいかず、どこを削っても疑問の声が出るのは避けられません。一部が削られたことによって違和感が出てしまっている部分を、違和感を与えないように描写していない点については批判点かもしれませんが、これにしても原作を下手に改変するよりは良いとも言えますので、許容できる範囲ではあるでしょう。
しかし、終盤のすずの象徴的なセリフを改変したことには、「否」の評価を下すしかありません。この一点のみで、原作の根底に流れるものをぶち壊しにしてしまっています。

私が考えるに、この物語は大きく3つに分かれています。「戦前〜戦時中の日常」「負傷後の世界」「すずにとっての戦争が終わった後」です。
まず、戦争の影が徐々に忍び寄り、食糧事情は日に日に貧しくなりつつも、工夫を凝らして案外楽しく生活している部分。ここは漫画でも3巻中の約2巻を占めている部分で、中盤までの展開となります。家族が戦死したりはするものの、それにしても直接的な描写がなく、実は生きていてもおかしくないような認識となっているため、悲壮感はあまり描かれていません。
戦争も末期になると広島周辺も攻撃対象となり、たびたび空襲警報にさらされたり、建物疎開が行われたりもしますが、すずたち一家が暮らす建物は取り壊されることもなく、危機に対して深刻に悩むような描写もあまりなく、この時点でもまだすずは戦争状態の生活をそれなりに楽しく過ごしていきます。
しかし、終盤に入る時期になってようやく、すずは戦争というものに直面します。身近な人が死に、しかも自身も一生癒えない傷を負ってしまうのです。どこか戦争状態の生活を楽しんでいたような内容は、これを境に否が応にも戦争に直面したものへと変わり、原作ではゆがんだ絵なども用いられ、効果的に描写されています。
そうこうしているうちに広島に新型爆弾が落とされ、何か大変なことが起きたらしいという描写もなされ、実家がどうなったかもしばらく把握できない状況となります。
ここですずは、敵国の飛行機に対して「そんとな暴力に屈するもんかね」と口にします。すずにとっては自らは、敵国の理不尽な暴力によって攻撃された被害者なのです。憎むべき敵国によって攻撃を受け、親しい人を失った上に自分も大けがを負ったとなれば、このような認識に至るのは自然なことです。

それからまもなく終戦の日を迎え、すずたちは玉音放送により日本の降伏を知ります。
原作ではこの後、すずは自分の国が正義ではなかったことを悟り、自分たちが必ずしも被害者の立場ではなく、実は加害者でもあったことを理解します。今まで信じてきた価値観が完全に突き崩されてしまったわけです。原作のこれまでの様々な描写は、ここでの逆転のために積み上げられてきたと言っても過言ではないでしょう。
実際、この作品では常にすずの視点で物語が描かれており、ここまでに攻撃を受ける被害者としての視点はいくらでも出てきた一方、日本が他国への加害行為に出るような描写はありません。アジア各国の人々や、敵国に対する差別憎悪的な表現すらもなされず(*)、すず本人も読み手も終戦の時まで加害行為を実感することはありません。今まで見てこなかったものの存在を、すずは敗戦の時になって悟ることになったわけです。ここが物語中の2つ目の区切りであり、すずにとっての「戦中」と「戦後」を分ける線であるものと、私は考えています。
ところが、映画ではこの描写が完全に改変され、別物となっています。原作のすずはおぼろげにでも自分たちの加害性を認識し、それに直面した上で嗚咽した一方で、映画版のすずはあくまで被害者であり、戦争にしっかり向き合うことは最後までできませんでした。
この一点により、原作と映画のベクトルは全く異なったものとなっています。

(*)現実には戦前から戦中に至るまでアジア諸外国への蔑視や差別の意識はありましたし(現在まで残っているのを見れば一目瞭然でしょう)、当時の婦人誌は「アメリカ人をぶち殺せ」などと記載したりしています。当然、戦時下の日本では米国ら他国に対する憎悪扇動的なスローガンなども用いられていたはずですが、すずは「まだ左手も両足も残っとるのに」となんとも大日本帝国らしいことを言って降伏に対して納得できない気持ちをあらわにするものの、憎悪扇動的な文言は作中に登場しません。
つまり、本土においても加害性を持った要素はいくつも存在したはずですが、こうした情報が出れば読み手は加害性を嫌でも認識することになりますので、すずは作中において、加害的な要素からあえて隔離されていたわけです。

監督は以下の記事において、この描写の改変をした理由を語っていますが、ある意味で非常に腑に落ちるものではありました。

11/12(土)公開『この世界の片隅に』(原作:こうの史代 監督:片渕須直)

>それまでのすずさん自身が、朝鮮の方に暴力を振るっている場面があったか?というと無いんですよ。そういうところを彼女は目撃もしていない。なのに、すずさんが突然そんなことを言っても、拳を振り上げて戦争反対と言っている姿勢とあまり変わらなくなっちゃうような気がして。

なるほど、「拳を振り上げて戦争反対と言っている姿勢とあまり変わらなくなっちゃう」、それが改変の動機ですか。映画のすずのルーツがなんとなく分かったような気がします。
現状の日本では、諸外国の人々を差別し中傷するような自称言論が平然とまかり通っているばかりか、大日本帝国は諸外国に対する加害側であったにもかかわらず、被害者ぶろうとする言説すら横行しています。南京問題、慰安婦問題なども含め、その実例はいくらでも挙げることができます。
映画で描かれたすずはまさに、この日本の価値観が投影されたキャラクターなのです。終戦当時の日本人がどれほど自分たちの加害性を認識していたのかは、当時を生きていない私には分かりません。ただ、少なくとも現状の日本における意識は加害性を軽視する側に立っており、そういう意味では原作のすずこそ異端的な存在であり、映画のすずが標準的な存在であるともいえるのです。
すずは確かに、直接他国の人々に加害行為を働いたわけではありません。先に述べた通り、作中でのすずは加害行為的なあらゆるものから完全に隔離されています。だからこそ、すずの過酷な体験は非情な理不尽さ、強烈な被害者意識として結実し、読み手にも強烈な印象を与えるのであり、その強烈な被害者意識があるからこそ、終戦の場面において自分も加害者の立場にあったという大逆転、終戦と同時に自分の中での戦争もまた崩れ落ちるシーンが生きてくるのです。もしすずが他国の人々に直接的に加害行為を働いていたならば、敵国に被害者意識を抱いたとしても身勝手なものとしかみなされないでしょうし、価値観の崩壊も当然の結末としかなり得ません。
自らに直接加害の体験がないからこそ、読み手に強烈な印象を残す価値観の崩壊」を原作では余すことなく描き切り、自国から正義が飛び去る認識や、自らの加害を悟ったことにより、実際の戦争と同時にすずの中での「戦争」にも決着をつけました。それを、映画では「直接加害の体験がない」ことを理由に排除し、終戦はただの終戦というイベント以上の結果を描くものとはなりませんでした。
映画は全体的に原作に忠実に描かれていますが、ここはあえて原作が大きく改変された数少ない部分の一つです。となれば、監督としてもこだわりはあったのでしょうし、またここに賛否が集中するのもまた当然といえるでしょう。そして私は、すずの中での戦争を描き切った原作を強く支持します

と、ここまで書き終えてから読んだインタビューがこちら。どうやら本当に、あのシーンにおける映画のすずは「日本の価値観が投影されたキャラクター」で間違いなかったようです。

『この世界の片隅に』片渕須直監督インタビュー前編「この空間を想像力で埋めてはいけないと思った」

>庶民の側には、普通に国が戦争をやってるからくっついていっただけ、みたいな感じがある。庶民は「アメリカのほうが科学力や物量に優れていて、単純にそれで負けた」と思っていて、実は「正義」とかっていう言葉は入ってきようがない。まだ、きちんとした認識が生まれていないんです。なので、すずさんが生活者視点でそういった意識に近いことを気づくとしたら、どういった言葉になるのか? と考えて、セリフを変えています。

さすがにあり得ません。これには唖然としました。
敵国の飛行機に「暴力に屈するもんかね」と言ったり、降伏に対して怒るシーンがあるように、すず自身は一種の信念を持った人物です。すずはある意味で自国の正当性のようなものを信じていて(たとえそれが苦境の自分を支えるためのものであれ)、日本が加害者であるとは認識せずに(すず視点の作品中において、加害の要素は実際にほぼ描かれずに)戦中を生き抜き、負傷して親しい人も失い、「不当な暴力の被害者」となったのです。この信念が玉音放送のその瞬間まで続いたことは、「左手と足」の発言を見ての通りです。
それなのに国はあっさり降伏し、しかも実は日本が加害者であることを認識したならば、「言っていることが違うじゃないか、やっていることが違うじゃないか」と嘆きたくなるのも無理のないことでしょう。この価値観の根底からの崩壊を描いたシーンがまさに、「正義が飛び去っていく」〜「暴力」のくだりです。
そもそも「庶民は物量と科学力の差で負けたと考えていた」からと「あのシーンから正義の語を排除する」という発想自体があんまりですが、加えて作中のすずは上記のような行動に見られるように、すずなりの思考を持ち、また厳しい体験もしています(これは読み手も追体験しています)。それを、すずというキャラクターは原作のままに、終戦の時の総括だけを「物量と科学力で負けた」と考える庶民の声とやらにすり替えてしまったのです。映画のあれはもはや、すずが発した言葉ではなくなっていたのです。
どうやら、私が映画に抱いた印象は間違っていなかったようです。すなわち、やはり映画のすずは物語の最後まで戦争と向き合うことができなかったのです。なぜならば、自分が抱いてきた信念の崩壊に対し、自分の言葉で総括する機会を、映画のすずは持つことができなかったのですから。
もしこの映画の監督が庶民の声で総括をさせたかったのであれば、「この世界の片隅に」のすずをその道具とするのではなく、当時の庶民を平均化したような行動パターンと思考、性格を持ったキャラクターを作り、それを主人公とした映画を撮るべきでした。もしそういうキャラクターが主人公ならば、あの終戦のシーンは強い意味を持ってくるでしょうし、逆に原作のすずのような言葉は違和感のあるものとなるでしょう。

原作のすずが終戦と同時に自分の中の戦争を終わらせ、戦後の世界を生きていくのに対し、映画のすずはおそらく、以後もおぼろげな戦中を生きていくのでしょう。
素材が優れているだけに、映画は消化不良気味で惜しい作品です。削りは仕方ないとして、改変がなければ十分素晴らしい作品になっていたはずです。
映画だけを鑑賞した皆様におかれましては、ぜひ原作を読むことをおすすめします。

2017-01-14 の記事 - 2017-01-14
UWPでは音声入力APIが提供されており、比較的簡単なプログラムで音声認識をさせることができます。命令を受け付ける場合などには入力候補を指定することができ、逆に語彙を限定しない方法での使用も可能と、なかなか面白い機能です。
となれば、外国語の音声を聞き取って認識させることにより、字幕を生成できるのではないかと考えるのは当然というものでしょう。これが実用可能なレベルで、それもリアルタイムに可能なのであれば、たとえ認識精度が限定的なものであったとしても、言語学習にとって大きな助けになることは想像に難くありません。
そこで、ひとまず私が導入している3言語(イギリス英語、簡体中国語、日本語)について精度を確認してみることにしました。音声はPC上で再生し、それをステレオミキサーによって入力します。

E1.BBC World Serviceを聞かせる
ちょうどイギリス英語の言語パックを導入していることですし、手始めにBBCを聞かせてみました。音声は早すぎず遅すぎず、おおむね一般的なニュースの読み上げ速度であり、理解には苦労しない程度のものでした。コメディやミュージック、くだけた番組ならともかく、真面目なラジオ番組の内容が聞き取れることは、実用上の最低ラインと言っていいでしょう。
結果ですが、全くダメでした。ほぼ認識を開始することすらできず、たまに認識を試みようとするものの、言葉をいくらか拾ってはそれ以上の認識ができなくなってしまうことの繰り返しでした。

E2.VOA Learning Englishを使用する
通常の英語ではダメとなれば、初学者の強い味方・VOA Learning Englishはどうでしょうか。学習者のために速度を落としてある英語で、私もずいぶんお世話になったものです。
こちらはひとまず、認識はされます。精度は必ずしも高くなく、たびたび文節が飛ばされることもあり、実用レベルに達するにはまだまだ壁が厚そうですが。


分かるような、分からないような。

C1.C-POPを聞かせる
演奏に邪魔されて声を拾えないようでは困りますので、ここはひとまず「矜持」を聞かせてみました。演奏が少ないため、カラオケで歌おうとするとリズムを取るのに若干苦労するような曲です。
結果、ほぼダメでした。中国語には声調があるため、歌を正しく認識させることは困難であろうと予想はしていましたが、それ以前に認識を開始することがほとんどできていませんでした。

C2.CCTVのニュースを聞かせる
ニュースキャスターによるニュースの読み上げです。これがまともに聞き取れないようでは、実用するのは難しいと言っていいでしょう。
結果は英語でBBCを聞かせた時と同様、まともに認識を開始することさえできませんでした。

C3.中国語の朗読を0.5倍速で聞かせる
普通に聞かせてもまともに認識させられない朗読音声(おおむね標準的な速さ)を、0.5倍速で再生して聞かせてみました。
結果、上手くいけば多少の認識はされます。ごく一部の文節では完璧な認識を見せてもくれました。が、デタラメな認識や聞き取れない部分も多く、基本的にはまともに使えません。中国語は英語にもまして、認識が難しい言語のようです。

J1.radikoを聞かせる
アメリカやイギリス、中国の放送がタダで聞けてしまうこの時代、在住都道府県外の放送を聞くのにすら金を取るradikoの姿勢を見て、私は日本のラジオの行く末を悟り、それ以来radikoを含めて日本のラジオを聞くことをやめました。が、この際ですから利用させていただくとしましょう。
結果、認識精度はお世辞にも高いとは言い難いものでしたが、そもそも認識されないことさえ多い他の言語と比較すれば、かなり頑張って認識してくれました。やはり日本語は(発音に関しては)比較的簡単な言語のようです。

J2.NHKニュースを聞かせる
日本語読み上げの「標準」を挙げるとするならば、おそらくNHKニュース。独立性を担保するための公共放送なのに権力にヘーコラしていようが、経営委員に悪質なデマ垂れ流しレイシストが紛れ込んだことがあろうが、ヤクザまがいの受信料取り立て範囲拡大をたくらんでいようが、日本語読み上げの精度に限っては腐っても天下の日本放送協会です。たぶん。
結果、例によって認識内容こそかなりデタラメではあるものの、こちらもそれなりに認識されてくれました。


とりあえず、寒いということが言いたいらしいのは分かります。他の言語ではそもそもまともに音声を拾ってさえくれないことが多いため、この結果ですら上出来です。

2017-01-01 の記事 - 2017-01-01
using System;class Pg{static int year=17;static void
Main(string[]args){int[]a=new int[32];for(int i=year
/2;i<year;i+=2){a[i]=((year+0x100)<< 2)*year+i/11*((
               i%3-2)      *7/2+3
               ); int      r=1+(1
               +i)%6/      5; a[(
  year-2)/r]=a[i+year-2]=r*(year*7)*year-3+9*(r+3)
  ;}int d=5;for(int i=0;i<8;i++){int m=(2<<(i+5))+
  (i<3||i>5?0:(5-i)*16)+(i/5)*4+(i/7)*-8;if(i!=2){
  a[d]=m      ;if(i%       2==0){           a[20+i
  /2+ i/      6* 3]=       year *           132-21
  *i-15*     (i>4?4        :i);a[    10*(   3-i/2)
  /3+18]     =((1<<        (year-    4))+   year *
  year*3    +year+          7)*i/2  +((1    <<8)-6
  )*(i<1    ?0:1)+           year+8;}}      d+=(i<
  1?-1:1   )*(i<4              ?4:0)+       (i==4?
  11:-7*  (i-4)*                            (i/5))
  ;}for(                                    int i=
  0;i<3;                                    i++) {
  if(i<2){a[11+(year+2)*i] =(1<<(year-3+i))+(year-
  4)*(1-i)-year+2; a[(year+2)*i]=(42*year+8)*year+
  14/(i+1)+1;}a[(i+1)*2]= (((1<<11)+year*2+3)*year
  +11-(-                                    9+year
  *year*                                    8)*i)%
  ((64<<                                    9)-11-
  year*22);}for(int i=0;i<32;i++){for(int j=0;year
  >j;j++){Console.Write((i%2==0&j==0?"\n":"")+((a[
  i]&(1<<j))!=0?""+year:"  "));}}Console.Read();}}
あけましておめでとうございます。
新年早々から憂鬱な話もなんですが、昨年はかなりひどい年でした。海外の動向もさることながら、国内でも熊本大震災での大量の虐殺扇動、相模原の障碍者虐殺事件、警察まで相乗りした沖縄ヘイトなど、これまでと比較しても数段階は進んでしまった差別の数々を、私は今後決して忘れることはないでしょう。そしてそれらは、私たち日本のマジョリティが差別に立ち向かってこなかったがために引き起こされたものに他なりません。
カルト政治家が新年どころか年末から靖国騒動を引き起こす始末で、どうしようもないヘイトカルトの蔓延には頭の痛いところですが、来年の課題を早速提示してくれたともいえるでしょう。逆に言えば、ヘイトカルト政治家が大っぴらに行動を起こせる状況にまでなってしまった以上、これを放置していれば今後は現状以上のカルト政治や差別が繰り返されることをも意味します。
当面は差別や神道カルトに抵抗し、いずれはカルト神社から英霊利権を剥奪して新設施設なり千鳥ヶ淵なりにそれを持たせることが、今後の日本人が果たさねばならない責任です。

宿題は山積みですが、どうか本年がいかなる属性の人にとっても良い年となりますように。

2016-12-25 の記事 - 2016-12-25
貧困と生活保護(45) 在日外国人は保護を受けやすいという「デマ」

読売のものとしては、主要な論点がまとめられた良記事です。ただ、できることなら10年ばかり早く出してほしかった、とは言いたいところですが。
とりあえず、書き出しから「外国人・他民族を差別・侮蔑・排斥するヘイトスピーチは、日本の恥です」としっかり書き、立場を明確にしていることからして好感が持てます。本来当然のことですが、これをしっかりできるメディアというのはかなり少ないのです。
特に悪質なのが両論併記で、非対称性を無視した両論併記ほど残虐なものはありません。基本的にヘイトスピーチは双方の立場の非対称性を利用して行われるものですので、差別者と被差別者の間には歴然とした力の差が存在します。これを「両論併記」として同じリングに上げることは、すなわち子どもや老人とヘビー級ボクサーを同じリングに立たせて殴り合わせるようなものでしかなく、これをした時点でリングを用意した者も共犯です。おまけに「私はリングを用意しただけで、殴っていませんよ」という逃げ道が確保できるおまけつき。それならば、メディア自らが「ヘイトスピーチをして何が悪い」とでも主張した方が、自ら言論への責任を負っているだけマシというものです。
したがって、差別や権力絡みなど双方が非対称的な問題において、両論併記や結論を濁すような報道をすることは、まさに公正な報道の対極に位置するものであり、報道機関が公正に「ヘイトスピーチはダメだ」と述べることは重要なのです。

内容自体はヘイトスピーチ問題を少しでも知っている人にとってはほぼ全部常識でしょうが、それがしっかり書かれていることには非常に価値があります。
「在日特権」はいわば都市伝説の類であり、「日本の戦前戦後の行為に問題があり、かつ差別が激しかったせいで在日には貧困が多い」という、それ自体は同情の要素にはなりこそすれ非難にはなりようのない「火種」を、因果関係を逆転させることによって煙を立てる道具に仕立て上げ、それにデマや誤読、曲解、伝言ゲームの類が積み重なって意味不明な伝説ができあがってしまったわけです。
しかもそのせいで、「○○はさすがにデマだが、在日特権はなくすべきだ」のような荒唐無稽な意見が一見して中立的とみなされるようになってしまい、それによって中立に見える部分がどんどん異常な方向に振れていくという、いわばデマの自家中毒が構成されてしまっています。今では公党の議員や有名な作家などの有力者までもが平然とヘイトスピーチの垂れ流しを行っており、拡散力の強さに加えて「有名人が言っているなら間違いない」といった心理も作用し、歯止めが利かない状態となっています。
対して、デマを指摘する情報の伝播力は非常に低く、かつ日々量産される差別の材料すべてに反論していくこともできません。したがって、基本的なことを大手媒体がしっかり記載し、「デマ、あるいは妄想」ときっちり言い切ってくれることは、極めて大事なのです。
逆に言えば、メディアが散々見て見ぬふりをしたり、結論を濁したり、両論併記と称して現実には差別思想を拡散するお手伝いをしたりしたがために、本来なら一笑に付されるべきくだらない都市伝説がこれほどまでに蔓延し、他人をズタズタに傷つける道具となってしまったのです。
そして、ヘイトスピーチが人の尊厳や精神を殺すのみならず、物理的にも殺すことは、無残極まりない相模原の事件が証明しています。放置や両論併記などでヘイトスピーチに事実上加担するということは、すなわち「殺す」のに加担することなのです。

このほど発生した新潟の火災もまた、ヘイトスピーチの材料として使われています。なにせ東京の停電すらヘイトデマの材料にされたのですから、火災を差別扇動の道具にすることなど差別者連中にとってはお手の物です。
このようにして作られた「事実」は、紆余曲折を経て都市伝説の一部となったり、あるいは被差別者に対する「なんとなく嫌な感じ」を人々に植え付け、なおさら差別を悪化させていきます。そしてそれは、ふとした拍子に、あるいは大規模災害時などに、ヘイトクライムとして噴出することになります。
恥を恥と書き、デマをデマと書き、妄想を妄想と書く、この記事のような公正で正確な記事が、今後とも多く発信されていくことが必要です。

2016-12-18 の記事 - 2016-12-18
ロシアの件、極めて腹が立っています。

日本のメディアがどうだかは知りませんが、少なくとも海外のBBC World Serviceでは報道がアレッポ一色と言っていいような状況となっていました。アレッポの惨状が、世界の主要国にとって重大な関心事であることは説明するまでもありません。そんな中での今回の会談でした。
なお、EUは15日にウクライナ紛争に関する対ロシア制裁を6か月延長し、またシリアの即時停戦を求める共同声明を採択しています。

EU、対露経済制裁を半年間延長…首脳合意

はっきり言って、最低限まともな判断能力を持っている人の中に、今回の外交に期待をしていた者は誰一人としていないでしょう。バラマキをした上に成果を出せないのは今に始まったことではなく、まして今回の相手はあのしたたかなロシアです。領土問題を解決することはできず、対価だけは取られるであろうことなど分かり切っていました。
ただ、金を取られるだけならそれはそれで仕方がありません。現政権が金は出して成果は出さないのは分かり切ったことであり、それを国民が支持するということは、おそらく国民は意味もなく他国に金をプレゼントすることが大好きなのでしょう。年金や介護などの福祉カットが行われている真っ最中、しかも学費や給食に困る子どももたくさんいる状況下で、なんともお人よしな話ではありますが、「子どもや困窮者に出す金はないが、他国に献上する金ならある(それも人道支援ではなくバラマキ)」というのが日本人の選択とあれば、それも仕方ありません。
しかし、アレッポの件に関しては「自国の金をドブに捨てるだけ」では済みません。おまけにロシア側からは、シリアについて日本と立場がほとんど一致しているという発言まで飛び出す始末。あの大歓迎ムードといい、あまりにも能天気というべきか、場違いというべきか、状況を理解できているようには全く見えません。

沿道に市民2時間…プーチン氏の車は素通り

地元住民を責めるのは少々酷かもしれませんが、それでも能天気極まりないとは言っておかなければなりません。アレッポが破壊されているその時に、蹂躙側の主要人物を大歓待でお出迎えという絵面がどういうものか、いい大人ならば分からないわけではないでしょう(子どもは仕方ありませんが。誘導した大人の責任)。彼らはどのような責任と覚悟をもって、あのお出迎えを行ったのでしょうか。

そして当然、そうまでして行った会談に成果はなく、バラマキを濡れ手に粟のごとく手にする意味と国際的孤立を避けた意味の両方で、ロシアにとっておいしい会談となりました。

与党内にも落胆 二階氏「国民はがっかり」

日ロ首脳会談「国民の大半はがっかり」 自民・二階氏

>国民はみな(北方領土問題が)今度解決するんだと思ったと思う。何の進歩もなくこのまま終わると言うんだったら、いったいあれは何だったんだと。

これに関しては、少なくとも「国民はみな」そう考えるほどバカではありません。安倍氏が成果を上げられないことなど、最初から分かり切っていましたし、もともと安倍内閣に外交的成果を求めることは一般小学生に高等数学で合格点を取ることを求めるも同然ですから、別に「がっかり」などしません。しかし、これが「がっかり」するような結果であることに関しては、党側の人間も認めているわけです。

バラマキについてはもう怒る気力も失せましたが、痛烈な文句や抗議活動でもくれてやったならまだしも、蹂躙が行われているまさにその瞬間の蹂躙者への接待については、人道的にも国際立場上も極めて危険なものであり、到底許すことはできません。