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(いまさら消すにも忍びないので残しておいた16進カウンター)

雑記帳(過去ログ)
2016-09-25 の記事 - 2016-09-25
以前、Perl6を扱った時に書いてはおいたものの、Windows 10やレイシストの騒ぎにより投稿を保留していたブツ。
# データ
my %raw_data_list := { "countries" => q:to/END/
1	United States	Washington D.C.	New York
2	France	Paris	Paris
3	China	Beijing	Shanghai
END
, "books" => q:to/END/
1	Perl 6 Reference Guide	24.99	Programming
2	Dream Garden	18.49	Gardening
3	The Middle Ages	35.20	History
END
}

# データのパース
my %database_source = %;

for %raw_data_list.kv -> $name , $raw_data {
	%database_source{$name} = [];
	for $raw_data.split("\n") -> $d {
		next if $d.chars() == 0;
		%database_source{$name}.push($d.split("\t"));
	}
}

# データのマッピング用 role/trait 及び読み出し処理
role MapDatabase[Str $name]{
	method database_name returns Str {
		return $name;
	}
}

role MapIndex{
	has Int $.map_index is rw;
}

multi sub trait_mod:(Attribute:D $attr , :$map_index!){
	$attr does MapIndex($map_index);
}

role Read[::T]{
	has @!database;
	has $!index;

	submethod BUILD(){
		$!index = -1;
		@!database = ();

		if T.does(MapDatabase) {
			@!database := %database_source{T.database_name()};
		}
	}

	method next(){
		$!index++;
		return $!index < @!database.elems;
	}
	method fetch(){
		if $!index < 0 || $!index >= @!database.elems {
			return Nil;
		}

		my @data := @!database[$!index];
		my $obj = T.new();

		for $obj.^attributes -> $attr {
			if $attr.does(MapIndex) {
				my $data_str = @data[$attr.map_index];
				my $value = Nil;

				given $attr.type() {
					when Int {
						$value = $data_str.Int;
					}
					when Num {
						$value = $data_str.Num;
					}
					default {
						$value = $data_str;
					}
				}

				$attr.set_value($obj , $value);
			}
		}

		return $obj;
	}
}

# 使用例
class Country does MapDatabase["countries"] {
	has Int $!id is map_index(0);
	has Str $.biggest_city is map_index(3);
	has Str $.capital_city is map_index(2);
	has Str $.country_name is map_index(1);

	method getID() returns Int {
		return $!id;
	}
}

class Book does MapDatabase["books"] {
	has Str $.name is map_index(1);
	has Num $.price is map_index(2);
	has Str $.genre is map_index(3);
}

my Read[Country] $rc .= new();

while $rc.next() {
	my Country $c = $rc.fetch();
	say("---Country Name: " ~ $c.country_name ~ " ---");
	say("ID: " ~ $c.getID());
	say("Capital: " ~ $c.capital_city);
	say("Biggest City: " ~ $c.biggest_city);
	"".say();
}

my Read[Book] $rbook .= new();

while $rbook.next() {
	my Book $b = $rbook.fetch();
	say($b.name ~ "(\$" ~ $b.price ~ ") - " ~ $b.genre);
}
内容を簡便にするため(というより私がPerl6でのデータベースの扱い方を知らないため)、データは単純にタブ区切りテキストとしましたが、実際にはデータベースなりファイルなりから読み込むことを想像してください。

文法は独特ですが、結構なんでもできる言語ではあります。

2016-09-16 の記事 - 2016-09-16
蓮舫氏の国籍問題問題、あまりにもくだらないので触れたくはありませんでしたが、代表選も終わりましたので。今回ばかりははらわたが煮えくり返っています。
まず前提として、これは国籍問題という「問題」ではありません。ただ、レイシストによって問題と称する実体のないイメージが流布された、という問題は存在します。この件で問題にしなければならないのは、日本に巣食うレイシズムによって「国籍問題」が作られたことであり、つまり本件は「国籍問題問題」とでも呼ぶべき問題なのです。

民進党代表選は、それ自体が民主主義を守ろうとしてきた人々を失望させています。そろいもそろって「自民党についていけなくなった保守派を取り込む」と言わんばかりの立場を見せることには積極的な一方、共闘にはさほどの積極姿勢を示しておらず、現状が民主主義や基本的人権の危機で、憲法改正によって緊急事態条項が通れば選挙すらなくすことができる状況にもかかわらず、民進党からはその危機感を全く読み取ることができません。
そもそも現状の日本政治は、保革対立の政治ではありません。現状の自民党の軸は、民主主義の破壊、三権分立の否定、立憲主義の否定、排外主義、レイシズム、差別主義であり、これを保守主義と呼ぶことはできません。むしろ急激な現状変更と言う方が正しく、無理に保革で表すなら急進派に近いものです。それに対抗する軸を作りたいのであれば、民主主義・三権分立の擁護、立憲主義の復活、多民族共生、アンチレイシズム、差別の否定と解消の立場を明確にするしかありません。
その点で、蓮舫氏は非常に象徴的な人物です。有名な政治家であるのみならず、自身がハーフという出自であり、排他主義と差別を事実上の党是とする自民党に対し、共生と寛容の社会を対抗軸として示すことができる人物でもあるためです。
差別を容認せず、障碍者などにやさしく、格差の少ない寛容な社会と、共闘体制を深めることによって民主主義を守る姿勢、この2つを示していくならば、民進党は立派に自民党の対となる政党足り得ます。マスコミがコントロールされている現状で自民党支配を打破することは容易ではないにせよ、千里の道も一歩から、一歩を踏み出すことができていたはずなのです。
ところが、他の候補よりはマシとはいえ、蓮舫氏は必ずしも共闘体制について乗り気なコメントを出していたわけではありません。この時点で民進党代表選は、必ずしも期待をもって見られていたわけではなく、それどころか選挙で民進党を応援してきた人々からも、やや白けた目で見られてすらいました。

ただ、民進党はもともと微妙なバランスの上にある政党ではあり、ここまでは最初からある程度は予想されていたことです。実際の問題は、これよりもさらにあさっての方向に進んでいくことになります。
おそらく現政権の意向もくんだ形で、蓮舫氏に対してレイシズムを根底とする国籍問題問題が持ち上がってきます。この「問題」とやらには実体が存在せず、レイシストが自ら発煙筒を炊いた上で「煙が出ているぞ!火事だ!大火事だ!」と騒ぎ立てるいつものやり方ですが、残念ながらこれはレイシズムに染まっている日本社会にとってはかなり効果が大きい方法です。
かくして、人々は本件の何がどう問題なのか、それによってどういう実害があるのかなどはよく分からないにもかかわらず、蓮舫氏には何か問題があるらしい、という「イヤな感じ」を覚えることになり、この目論見は一定の成功を収めることとなりました。
民進党の対応も鈍いと言わざるを得ませんでした。問題は差別にかかわることなのですから、代表選だの何だのはとりあえず横に置いて、断固としてレイシズムを拒否し、人種差別から全力で蓮舫氏を守り、差別主義者と戦う姿勢を見せるべきところで、逆に混乱を見せてしまったのです。これはすなわち、民進党が目指すべき(実際に一部の議員が汗を流して取り組んでいる)「反差別・寛容」という軸が否定されたことを意味します。
そしてあろうことか、民進党の一部議員はレイシズムに乗っかりはじめます。それが蓮舫氏の国籍問題問題に対する署名付き怪文書です。レイシストによって不当な人種差別攻撃を受けている自党の議員を守ろうともしないばかりか、在特会顔負けのふざけた人種差別にフリーライドして攻撃をかけるなど、まさに常軌を逸しているとしか表現のしようがなく、反差別・寛容な社会を目指す人々を唖然とさせたことは想像に難くありません。
もっともらしく「資質」だの「説明」だの「ガバナンスの問題」だのと述べられていますが、寝言を語るのもいい加減にすべきです。なぜ差別を受けた人が説明の責任を果たしたり、資質を求められたりせねばならないのでしょうか。彼らが資質を問い、説明を求めるべき相手は、差別主義に基づき攻撃を受けた被差別者ではなく、攻撃を行った差別主義者と加担者に他なりません。この件がメディアによって取り上げられているのが問題というのなら、説明を要求すべき相手は差別に加担するメディアのはずです。そしてまた、本件は実際に民進党のガバナンスの問題でもあります。議員が身内を差別で攻撃するなど前代未聞の蛮行です。
そして多くのメディアもまた、本件をまともに人種差別問題として評価しようとはしていないどころか、蓮舫氏をあげつらうような報道すらみられます。差別を受けた被差別者に弁解なり対応なりを要求するなど頭がおかしいとしか言いようがありませんし(在特会に「死ね」と言われた被差別者に対し、メディアが「あなたは死ねとまで言われるようなことをしたのだから、なぜそんなことをしたのか説明してください」「なぜ在特に弁明しないのか。弁明しないなら、それはあなたの罪です」と言い放つようなもの)、本来であれば被差別者が戦うのではなく、マジョリティの側の社会が、さらに言えばマスメディアが責任をもって差別を糾弾せねばならないのです。こんなものが差別を受けた被差別者に対する態度の前例となり、他の差別攻撃被害者も今後メディアや社会にこれと同じような仕打ちを受けると考えただけで吐き気がします。
ついでに言えば、蓮舫氏の立ち回りは必ずしも上手かったとは言えないにせよ、この問題にはおそらく正解の対応なるものは存在しませんでした。差別主義者にとってはマイノリティ、この場合は蓮舫氏を差別し貶めるのが目的なのであり、蓮舫氏が実際に悪いか悪くないか、あるいはしっかり説明したか否か、そんなものはどうでもいいのです。どう上手く弁解しようがそれを利用してデマを流され、同じように評判を貶められたであろうことは容易に想像できます。事実、そのような図式は在日差別などで嫌というほど繰り返されてきました。だからこそ、身内の被差別者をかばうことはあれ差別に加わることなど論外なはずの民進党メンバー、被差別者に代わってそれに対抗するべき立場である日本社会のマジョリティ、マスメディアなどの責任は重いのです。
民進党所属議員がすべきことは、非常にぞんざいな言い方をすれば「レイシストは失せろ、ボケ」と宣言することであったのです。間違ってもレイシズムに加担して被差別者を攻撃することではありません。

私自身は必ずしも蓮舫氏が好きなわけではありません。候補の中では方針的に最もマシとは考えていますので、氏が選出されたことは消去法の意味で(日本会議派ではないという点だけでも)歓迎しますが、それほど多くのものを期待しているわけではありませんし、この有様ではマイノリティ問題に真摯に取り組んでくれるかどうかも怪しいものです。
しかし、こと国籍問題問題に限って言うならば、「蓮舫氏などどうでもいい」などとは言っていられません。国籍問題問題は直接的には蓮舫氏をターゲットとしたものですが、この場合の蓮舫氏はハーフまたはマイノリティの投影であり、その背後には一般市民のハーフをはじめとするありとあらゆるマイノリティが存在しているためです。
現状の日本において、例えば在日韓国・朝鮮人の方々は、日本で暮らす市民としての尊厳どころか、人間として最低限の尊厳すらも踏みにじられています。レイシストはインターネット上でも現実世界でも彼らを死ね殺せと罵り、警察は汚らしい差別を吐き散らす連中をがっちり警護、それどころか抗議者を弾圧するという状況が現在でも続いています。
帰化人は日本国籍を保持した明確な日本人ですが、現状の日本においては二級国民の扱いを受けています。レイシストは被差別者に「差別されたくなければ帰化すればいい」などと適当なことを言いますが、実際には帰化しようが差別は続きます。彼らの目的は差別をすることであり、あらゆる理由付けは口実に過ぎないのです。
そして今回、代表的なハーフである蓮舫氏が差別のターゲットとなりました。これで民進党が蓮舫氏を守らないどころか、加担までするとなれば、歯止めとなるものは何もありません。事実上、有名なハーフを身内まで加担の上で全日本国民の目の前で公開処刑したようなものであり、ハーフまでもが差別主義者にとってのアクティブなターゲットとなってしまうことでしょう。
ハーフも二級国民扱いとなるのであれば、もともと差別を受けている帰化人、人間扱いされているかどうかすら怪しい在日の方々などは、一体どのような扱いを受けることになるでしょうか。そして、これで差別の閾値が下がれば、障碍者、LGBT、貧困者などもまた、よりいっそう目を覆いたくなるような扱いを受けることは避けられません。また、蓮舫氏がここまで執拗な攻撃を受けるのは、氏が女性であることによる複合差別のためでもあり、女性が目立つと叩かれるというこの上ない見本にさえなっています。
そして事実、相模原市の障碍者大量虐殺事件、熊本・大分大震災におけるジェノサイドの扇動、街頭での「○○人を殺せ」や朝鮮学校襲撃事件、難民排除・非難デモ、水平社博物館襲撃事件、貧困高校生攻撃事件など一見矛先の異なる数々の事件や問題は、根底において共通していたり、攻撃者の層が重複していることは言うまでもありません。今回の差別を許容するならば、これらすべての被害当事者が身の危険にさらされかねません。
すなわち、一般のハーフをはじめとしたあらゆる被差別者が危険にさらされることを避けるためには、蓮舫氏への差別を食い止める以外にはありません。民進党は差別に加担などもっての他で、抗議や法的手段を含むあらゆる手段で差別と戦うことが求められているのです。そしてそれは、他国にルーツがある人、障碍者、LGBT、経済的弱者など、日本中のあらゆるマイノリティに対する最低限の社会的責任なのです。

民進党には素晴らしい議員もいます。街頭で「在日は死ね、殺せ」と叫ぶ醜悪な人種差別集団に対し、抗議を行う市民たちと共に現場に立ち、共に汗を流し続けている議員がいます。その議員が先の参院選で早々に当確を得たのは、象徴的な出来事でした。
一方で、国籍問題問題を利用してレイシズムに加担する最低な議員もいます。民主主義を守ることを妨害しようとするどうしようもない議員もいます。民進党は寄せ集めの政党などと言われますが、差別は保守思想などとは別の問題ですから、これは保守・革新の寄せ集めの問題ではなく、差別と反差別の対立です。思想としての保守・革新は共存可能であり、そのどちらの議員もいることでバランスを取ることができますが、差別と反差別の間にはバランスも共存も存在し得ません。差別は立場の弱い者に対する不当な攻撃、反差別はそれの否定であり、「立場の弱い者をある程度なら攻撃してもいい」といった「中間点」は存在しないためです。
差別を否定し、民主主義を守るという軸を示すのか。あるいは、差別に加担し民主主義を捨てるのか。現状の民進党では、一部の議員が必死で前者の軸を支えています。もしその軸が失われたならば、民進党には一体何の価値が残るというのでしょうか。差別をしたい人、排外主義が好きな人、民主主義がいらない人は、すでに自民党に入信しており、今の民進党はまさにそうした飼い犬によって攻撃されている状況であることを知らない関係者はいないでしょう。
「煮え切らない政党」から、「反差別・反格差・共生・寛容・民主主義の政党」へ。個人的には蓮舫氏の政治的立場はそれほど好きではありませんが、それはひとまず置くとして、この差別と排外主義にまみれ、与党に手により現在進行形でそれが推進されている日本において、被差別者の立場にある人が野党第一党の代表となること自体は、客観的には素晴らしいことでしょう。
レイシズムによる国籍問題問題が発生した今こそ、民進党はどのような差別も許さないという旗色を鮮明にし、差別解消・人権・民主主義を擁護するとして腹をくくる時期でしょう。皮肉にも、声明を出したレイシスト議員連中の手によって賽は投げられました。差別や人権、民主主義にかかわる問題に関して、いつまでもあいまいでいることは許されません。

2016-09-11 の記事 - 2016-09-11
せっかくのWindows 10ですので、UWPの仕様などを読んだり書いてみたりしていますが、見れば見るほど違和感ばかりが湧いてくるため、どうも本気になれません。

UWPを使用するメリットとしては、次のようなものが挙げられています。

・レジストリやシステムなどを勝手に扱わないので、Windowsが汚れない。
・セキュリティの面でより安全。
・UWPアプリのフォルダは書き換えることすら困難であるなど堅牢。
・携帯端末など様々な対応端末で動作させられる。
・開発者はWindowsストアにて配布が可能で、配布や販売が簡単。
・ユーザーはストア上の多くのプログラムから、好きなものを選ぶことができる。

確かに、いずれももっともらしいメリットではあります。
しかし現実には、これらのメリットはいずれもその意図を見事に打ち消し、さらにお釣りがくるほど大きなデメリットを持っており、始末に負えません。

・インストールなしで動作するプログラムは数多く、設定ファイルを必要とする場合でもレジストリは使わず、自フォルダに生成するのみのものが多い。こうしたプログラムはフォルダを消せば跡形もなく削除できるが、UWPは小さなツールであってもインストールされ、したがってWindowsを汚す。
・一般のWindowsアプリケーションには、確かにウイルスやスパイウェアなどもある。そういう点はUWPの方が安全。しかし、UWPではWindowsアプリケーションほど気軽にローカル環境のリソースが使えず、Windowsアプリケーションなら自己完結できるようなプログラムでも、開発元が用意したサーバーなどにアクセスせねばならない場合がある。当然、少なくとも開発側はデータを入手でき、そうしたデータは解析して使用される恐れがあるし、情報漏洩の危険もある。
・アプリケーションのフォルダを扱えないことは、それすなわち問題に対処したり、パッチを当てたりといった行為に制限が付くことを意味する。したがって、プログラムを正しく動作させられない・問題を解決できない環境が増えることになる。なお、modを使用するゲームユーザーからの評判は特によくないらしい。
・携帯端末での動作に配慮して作られたプログラムは、しばしばPCでは極めて扱いづらく、実用性に大きな疑問符が付く。Edgeが良い例で、携帯端末に配慮したUIの他、バッテリーが節約できることなどをウリにしているが、いずれもPCユーザーにはほぼ長所とならない上、ブラウザとして極めて品質が低く、他のブラウザに機能面でも操作性でも完璧に劣るため、シェアは十分伸びているとは言いがたい。
・ストアでの配布には専用アカウントが必要であり、しかも有料。世の中にニッチなプログラムは多いが、そうしたものを今までのWindowsアプリケーションのように自由に配布することはできない。他にも配布の方法がないわけではないが、基本的には企業の組織内配布用である。
・ユーザーは基本的にストアからしかプログラムを得ることができず、必ずしも好きなものを選ぶことができない。

見事にあべこべです。メリットがデメリットの裏返しであることは多くありますが、ここまで各々のメリットとされるものが自分自身を否定していることはそうそうないのではないでしょうか。
このような状況ですから、私としてはUWPを使う価値はほとんど見いだせていません。しかしながら、Microsoftが徹底的にこれをごり押ししてきたならば、使うことは避けられなくなるでしょう。もともとWindows 10の無償配布自体がUWP普及の意図を意味しているわけですから、何があっても不思議ではありません。
実際にどうなるかは知りませんが、今後のWindowsではUWPこそが中心になるという見方もあります。数多くもなく、おまけに業務用端末の色彩が目立つWindows携帯端末のため、PCを中心とするユーザーおよび開発者はこれだけのデメリットを背負わねばならないのでしょうか。
Cortana連携であったり、タイルであったり、使ってみたい機能はそれなりにはありますし、そういった点には魅力もありますが、この不便さでは躊躇せざるを得ません。どうにかしてほしいものです。

2016-09-03 の記事 - 2016-09-03
大型アップデートであるWindows 10のRS1。導入の結果ですが(やや旬遅れですが、このPCは遅延アップグレードにしてありますので)、確かにUIは改善しています。スタートメニューは比較的マシになり、全体的な使いやすさはある程度向上しています。それでも、スタートメニューを自由にいじれるようになったり、ウィンドウの色などをせめてWindows 98時代と同程度まで扱えたりしない限り、絶対評価は「不可」とせざるを得ませんが。
その一方、Cortanaは反応速度において大劣化を見せていました。具体的には、

・"Hey Cortana"呼び出しの際、"Hey"と"Cortana"の間にワンテンポの待ちを入れなければ認識しないことが多かったのが、スラスラ言っても大抵反応してくれるようになった。これは評価点。
・"I would like to open (Application Name)"や"Could you open (Name)"、"I want to open (Name)"は以前までのCortanaでは受け付けてくれたが、機能しなくなってしまった。人工知能による電子秘書のはずなのに、なぜ"open"と単に命じるよりも自然なこれらの表現が削除されるのか、残念ではある。
・どうでもいいが、"I want to see you"などでCortanaの画像を見ることができなくなった。おそらくWindowsユーザーの過半数はCortanaの元ネタを知らないのだから、需要はあるのでは。画像検索すれば済む話ではあるが。
・状況によっては異常なほどに反応が遅い。RS1適用前まではあまり待たされることはなかったが、これでは命令するより自分で操作した方が早い。呼びかけてもCPUやメモリなどの使用量にはかなり余裕があり、非常に不可解。
・音楽を聞き取って曲名を特定する機能が追加。適当な英語の歌を流して判定させてみたが、今のところ正解率は0%。
・設定に"Cortana Language"なる項目が加わっている。これは素晴らしい、サインアウトしなくても言語変更ができると喜び勇んで設定しようとしてみるも、その中身は英国英語、米国英語、カナダ英語、オーストラリア英語、インド英語から任意のものを選択できるという、涙が出そうな親切設計。


誰かこの設定の意義を教えてください。

Windows 10は「手を操作に使いつつ、声で指示を出す」ことによってのみ7を上回る効率を発揮し、それなくしては7の劣化版(「機能」は7とさほど変わらないが、7より自由にカスタマイズができず、しかも微調整できないことが前提の小型タッチデバイスのデザインを無理やりPCに持ち込んでいるので「機能性」で大きく劣る)でしかありません。この状況下ではCortanaの使いづらさは致命的です。「ギリギリ商品」から「商品未満」に変化したものであり、早急に改善してもらわなければ困ります。
(余談ながら、Windows 10は7と8のスタートの融合らしいですが、8ではスタートメニューではなくスタートスクリーンになっていて使いづらいという怨嗟の声をよく見かけました。これはModern UIと呼ばれたようですが、実際にはプログラム マネージャへの回帰と呼ぶべきでしょう。20年かけてふりだしに戻り、それを「モダン」と称したわけです。これに限らず、最近のWindows周りのデザインは3.1時代に逆戻りしている傾向がある気がしています)
Cortanaの設定からの言語変更機能は当然として、できれば音声による指示で言語を変えられるようにしてほしいところです。それができないなら、Cortanaの言語設定の変更が容易に可能なAPIなどを提供してくれるだけでも可(プログラムを書き、それを"open"で開けるようにすれば同じことが可能なため)。多言語化時代において、これは非常に強く求められている機能に違いありません。
ついでにEdge、リリースからこれだけ経ってすらこの状態ならば、もう見切りをつけて捨てた方がよくはないでしょうか。リンクをタブへドラッグすることさえ未だにできないなど正気の沙汰ではありませんし、よくこんなものをリリースできるものだとあきれ果てています。レンダリングエンジンだけは残して、とりあえずIEの外観と機能を流用する(IE4レベルでさえ現状に比べれば十分)だけでもかなりマシなものになるでしょう。こんな毒にはなっても薬にはならないブラウザが事実上の標準にされ、Cortanaからの検索でもこれが使われてしまう状況は、はっきり言って迷惑です。どうしても欠陥ブラウザ作りの道楽を続けたいのであれば、使用を希望しないユーザーの目には永遠に触れないようにしてください。
CortanaもEdgeも、確かに機能に限って言えば増加はしています。そのほとんどは何の役にも立ちませんが、とりあえず増加はしています。しかし、「機能増やしたからもう文句はないでしょう。使用を強制します」をやられるのが最大の恐怖です。Cortanaの機能も必ずしも十分ではありませんが、特にEdgeなどは商品未満のさらに未満、アルファ版にも劣るどころか、アルファリリースのさらに前に内輪で試験的に使って確認してみる程度の水準であることを自覚してもらわなければなりません。

全体的には期待外れなアップデートに終わりました。この程度のことのために長々とインストールを行い、PCを長らく使用不可能にするのでは、割に合わないと言わざるを得ません。それも目玉がEdgeとCortanaなわけですが、Edgeは到底実用可能なブラウザではありませんし、Cortanaはマイクなどが使えない環境なら大した意味はなく、よってこの両方を使わない人にとっては意味不明なアップデートとなります。こんなアップデートを続けて「Windowsはサービスだ」などと言い張られては困ります。
それよりも、UIを自由にカスタマイズできるようなアップデートを行い、最低限7、できればXPや98並みに自由に変更できるようにするならば、誰一人として文句を言う人はいないはずです。本当に良いUIならば、ユーザーは押し付けなくても選択してくれます。押し付けることはすなわち、UIに自信がないことの現れなのであり、自信を持てないようなUIを提供するのはやめるべきです。

2016-08-28 の記事 - 2016-08-28
ようやくオリンピックも終わりましたが、いつになく薄気味悪さばかりが伝わってくる日々でした。
最初に断っておくと、私はオリンピックの競技には何一つとして興味はありません。日本の選手の名前も、取ったメダルの数も、何一つとして把握していません。調べれば分かることではありますが、調べたとしても自分が栄誉を得られるわけでも、技術が向上するわけでもなく、調べる必要性が存在しません。
しかし、競技以外の点で伝え聞くこととなった話は、いずれも「不気味」としか形容しようのないものでした。

まず「金メダルを取れなかったからと謝罪」の話。一体どうなっているのでしょうか。なお、謝罪の是非については議論があるようですが、少なくとも今の日本社会が1等でなければ謝罪させるような息苦しい雰囲気を持っていることは、多くの人が感じているところでしょう。
大前提として、オリンピックは個人または団体の競技であり、国家の勝負ではありません。これは近代オリンピックの基本原則であり、国家主義への苦い反省からその必要性が確認された概念でもあります。望むような結果が出なくても、それはあくまで本人の問題であり、このような謝罪をする筋合いはそもそもないはずなのです。
「アスリートには税金が投入されている」などと意味不明なことを言う者もいますが、オリンピックを見れば分かるように、この手の競技会など周囲からすればただの道楽、大運動会の鑑賞会です。道楽に勝手に金をつぎ込んで、他人を見世物に仕立て上げておいて、それで気に入らなければ文句は垂れるなどとは恥ずかしい限りです。それでもどうしても嫌ならば、アスリートに八つ当たりをするのではなく、アスリート育成に全く税金を投入しないように政治に働きかけでもすれば結構。おそらくオリンピックでまともな勝負ができる日本勢はさらに減るでしょうが。無論、私は今後ともオリンピックを見ることはおそらくないので、それで一向に構いません。見世物にした挙句に文句を垂れている人々がそれに我慢できるかは知りませんが。
まして、オリンピックに多くのアスリートを送り込み、メダルを取って国威とやらを発揚したいと考えているのであれば、それは腐りきっているとしか言いようがなく、オリンピックの理念に反する上にほとんど効果はありません。そんなくだらないことの道具にされるアスリートが気の毒です。
本来、選手にかけるべき言葉は「金メダルを取れ」ではありません。「無事に帰れ」なのです。メダルなどただのプレートであり、大した価値はありません。本人が代えがたい栄誉であると考えて取ろうとするのは勝手ですが、周囲がそれを栄誉だから取ってこいなどと言う権利はありません。どうしても取れと言いたければ、自分が出て取るべきであって、他人に言うことではありません。
私はかねてから、オリンピックなどで国民が選手に「無事帰れ」ではなく「1等を取れ」と言うようになったら、その時点で参加の有無も含めて根本的に見直すべきと考えています。その時点でもはや選手は人間ではなく、国家の威信とやらのためにメダルを取るための「モノ」に過ぎないのです。そして、そのスポーツ国家主義の行き着く先が闇であることは、過去の歴史が物語っています。
そんな国が自国でオリンピックなど開催しようものなら、一体どうなってしまうでしょうか。

そして何より信じられないのが、マリオのコスプレをした安倍氏の話です。
一体何を考えているのでしょうか。この図を客観的に見れば、「スポーツ選手でもミュージシャンでもない初老のオヤジ、それも政治権力者が、他国のオリンピックの閉会式において、ゲームキャラのコスプレをして現れた」ということになりますが、これがどれほど異様な光景なのか分からないのであれば、もはや正常な判断力を有していないといえるでしょう。
この件については、これ以上の言葉は不要でしょう。とにかく狂っています。

日本は今回、オリンピックに大惨敗を喫しました。
メダルがどうこうではありません。オリンピックを媒体として、他国蔑視やヘイトスピーチが行われた時点で負けなのです。国威発揚の手段とみなされた時点で負けなのです。「無事帰れ」と言うべきところを、「1等を取れ」の圧力を選手が感じた時点で負けなのです。大会の裏で沖縄を蹂躙していた時点で負けなのです。閉会式が時の権力の道具に使われた時点で負けなのです。人種も国籍もなく手を取り合うのではなく、くだらない対抗意識と全体主義の道具にしてしまった時点で、完全に負けなのです。
今回のオリンピックでは、かなりの数の選手が自らがLGBTであると表明したといいます。私はオリンピックは一切見ませんが、差別をなくし平和を生み出すことができるのであれば、商業主義を排することを前提として、開催することには反対しません(2020年東京は汚職と不正の祭典であり、いかなる前提においても絶対反対ですが)。しかし、少なくとも日本の状況がそれとは正反対であることは、オリンピックにまつわる騒動と平時からの差別・排外・全体主義の両方が物語っています。
私は競技を見ていないにもかかわらず、それ以外の点でここまで異常な話ばかりが伝わってくるオリンピックは、かつてなかったのではないでしょうか。このまま東京オリンピックが開催されてしまった場合、それはおそらく徹底して政治利用されることになるでしょう。LGBTの件1つ取っても、東京でそのような表明がなされると考えた場合、差別がなく多様性に寛容だから自発的な表明が得られるのではなく、見せかけと強制力で表明者を増やしたりするのではないかと危惧しています。
今回、日本は負けました。そして2020年、私は東京オリンピックに最後まで反対しますが、もし東京で開催されてしまったならば、全体主義と国威発揚の空騒ぎの裏で、日本は歴史的な大惨敗を喫することになるでしょう。

2016-08-21 の記事 - 2016-08-21
Edgeについては劣化競争の通りとして、今さらながらWindows 10の感想ですが(RS1についてはまた次回)、予想以上にひどすぎます
まずムッと来るのが「アプリ」なる言葉。何なのでしょうか、アプリというのは。こういう言葉をPCに導入可能なOSにおいて公式に使ってほしいとは考えません。
そして何はなくともスタートメニューですが、デフォルトでは右側のタイルが悲惨な状況に。興味もないものを押し付けないでほしいのですが。使いませんし。10を導入して最初にした作業は、これらのタイルを全部片づけて必要なプログラムを登録することでした。
スタートメニューにドラッグするなどして項目を放り込めず、移動や削除もできないのは、不便なだけでなくかなりマズいです。項目を登録または移動したくなったり、アンインストールしてもスタートメニューから消えなかったものを消したくなったりすることはよくありますが、これをするには非正規の手段を経なければならず、初心者が下手にこれをやろうとするとかなりの危険を伴います。FirefoxのJavaScript設定項目の除去にしてもそうですが、UI上の逆説としてうかつに制限することは逆に大きな危険を招くのです。
EdgeのUIについては劣化競争で触れましたが、他にもたびたび固まったり、動作が重くなったり、タブを開けなくなったりし、機能的にも他のブラウザに全く太刀打ちができず、あらゆる面で商品未満な出来栄えです。アップデートは可能であるにしても、リリースしてそれなりに時間も経つだろうに、さすがに怠慢が過ぎるでしょう。おまけに以前から懸念していた通り、アクセラレータも消されました。こんな欠陥商品、レンダリングエンジン以外は全部捨てて作り直した方がマシな気がするのですが。一応評価もしておくと、Webページに書き込める機能は面白いのではないでしょうか。使いませんが。

ただ、ここまではまだ序の口です。標準アプリケーションのひどさたるや筆舌に尽くしがたいもので、私の環境下で発生したエラーや問題を簡単にまとめると、

・Groove ミュージックは、ローカル上のあらゆる音楽やビデオをライブラリに一切読み込まない。OneDriveに上げた場合は読み込める。単体の音楽をGroove ミュージックに再生させることはできるが、他のメディア再生ソフトを使えばいいので意味はない。
・映画 & テレビも、ローカル上のビデオをライブラリに一切読み込まない。
・フォトもまた、ローカル上の画像をライブラリに一切読み込まない。しかも、こちらはファイルを開くこと自体はできる上2つと異なり、画像を開くとDLLのエラーにより落ちるので全く何もできない。旧来からのソフトであるペイントやフォトビューアーは問題なく使えるので、そちらで代用するしかない。
・Solitaire CollectionはDLLのエラーにより、起動することができない。ゲームなので実用上は困らないが、伝統のゲームが使えないのは少々寂しい。
・Windows DVD プレイヤーは起動するなりエラーが出る。起動した状態でDVDをセットすると見ることは一応できるが、不便な上に無理やりである。また、そうまでして使っても機能的に貧弱であり、VLC Playerなどを差し置いてこれを使う理由はない。代替ソフトが残されている画像や音楽と違い、DVDはサードパーティ製のソフトなしでは問題なく見ることが不可能であり、なぜあらゆる点でこのプレイヤーに勝るWindows Media Centerを削除したのか理解に苦しむ。
・Cortanaはとりあえず使えてはいるが、突然消えてしまうことや、何を言っても全く聞いていないことがある。イベントビューアを確認すると、例外をかなり頻繁に投げまくっている様子。英語版Cortanaの話であり、日本語版でどうなのかは未確認。また、中国語版ではCortanaから曲を開ける場合もあるが、なぜか曲によってはEdgeで検索されてしまう場合もあり、アーティスト名による再生も受け付けてくれない。
・Cortanaの問題か、アプリケーション側の問題かは不明だが、BBC Storeをインストールしてからアンインストールしたところ、CortanaのヘルプにBBC Storeの記述が残留してしまった。wsresetなども効果なし。レジストリに残ったゴミらしきものを全部始末しても同じ。Cortanaの問題とすればひどいし、アプリケーション側の問題だとしても、そうしたバグなりミスなりで残ったものを手動で削除する正規の手段がないのは問題がある。→RS1でCortanaからヘルプの項目自体が消えてしまった。

と、まんべんなく問題がある状態です。正式リリースから1年経ってこれですか。しかもこれ、ただ単に使いづらい、あるいは機能が貧弱なことに関する文句ではなく、深刻なエラー絡みの問題のみを抜き出した結果です。
最後の2つ以外の問題はユーザーを新規作成して移行することによって解消できましたが、ユーザーを作成してデータなどを移行し、設定を以前のものに戻すのはかなりの作業になりますし、なぜこのようなことになるのかわからない以上、再発におびえながら使わなくてはなりません。無論、ユーザー移行の前にwsreset、dism、sfcなどありとあらゆる手段を試み、そのすべてで効果がなかったのは言うまでもありません。
結局、まともに使えるソフトのほとんどが過去のソフトとは。往年の名作をリメイクしたり配信して食いつないでいる、日本の旧優良ゲームメーカーらを彷彿とさせます
未完成品としか言いようがない(しかもかねてからの懸念通りアクセラレータを消してしまった)Edge、一番高機能なメディア再生ソフトが今では古いWindows Media Player、プログラム欄すらまともに編集できないスタートメニューなど、Microsoftの昨今の混迷は手に取るように読み取れるだけに、色々と残念なものがあります。

最初にWindows 10について「ひどい」と述べましたが、バグに関しては「ひどい」としか言いようがないものの、他に関してはこの表現は適切でないかもしれません。ただただ、極端にプロ向け仕様になってしまったのです。
スタートボタンの右クリックから、コンピュータの管理やら、デバイス マネージャやら、コマンド プロンプトやらを開けるのはなかなか衝撃的でしたが、これがWindows 10の方向性を象徴しています。
最低限、システムディレクトリやレジストリに素潜りしたり、タイルを作るためのXMLコードとサーバーサイドプログラムを書ける程度の腕前がなければ、Windows 10はただの劣化にしかなりません。7で普通にできていたことを10でも行うには、スタートメニュー1つ扱うだけでも素潜り行為が必須になっているためです。タイルにしても、自分にとって必要なタイルを自分で作成するのでなければ、役に立つことはあまりないでしょう。
これが全部できてようやく、Windows 7から大きく見劣りしない程度のカスタマイズ性を維持しつつ、10のUIの長所をわずかながら活かせるようになり、ようやく収支が均衡します。この上さらに、何か作業をするのに手を使いながら音声でCortanaに命令を出すなどの使い方ができて初めて、10の方がわずかに価値が大きいと言うことができます。以上を1つでも満たさないのであれば、セキュリティやサポートの問題を除き、10を使うメリットはありません。

2016-08-13 の記事 - 2016-08-13
戦後から戦前へと移り変わった世の中において、終戦の日を迎えます。
終戦の日といえば、戦没者を政治利用して「他国に屈しない自分」アピールをしようと考える、欲望に目をギラつかせた外道政治家連中が、遊就館などで靖国史観を垂れ流す神社に連れション参拝をすることがもはや日本の伝統となっているようですので、慰霊と政治利用の問題について今のうちに述べておきます。
まず大前提として、靖国に家族が眠ると頑なに信じる遺族が参拝するのなら気持ちは十分理解できますが、政治家が靖国に参拝することは、戦没者の慰霊目的では断じてあり得ません。もし戦没者の慰霊をしたいのであれば、わざわざ日本政府の公式見解から大きく逸脱する(はず。憲法すら捻じ曲げる今の政権では分かったものではないが)靖国史観を垂れ流す場所になど行かずとも、千鳥ヶ淵に行くのが妥当だからです。なお、「千鳥ヶ淵はあらゆる戦没者を慰霊した場所ではない」と言い訳がなされることもありますが、靖国に祭られている対象こそ恣意的に限定されていると知っていれば、そのような言い訳が意味をなさないことはすぐに分かります。そして当然、他にも広島、長崎、沖縄の各種慰霊施設など、珍妙で異様な歴史観を垂れ流していない様々な場所で慰霊の念を表することは可能です。
政治家にとって、千鳥ヶ淵になく、靖国にあるものは何か。大雑把に言えば、戦没者を踏み台として政治利用して他国の神経を逆なですることにより、他国(言うまでもありませんが、中国、韓国、北朝鮮のみならずロシア、アメリカ、シンガポール、EU、国連などが参拝を批判し、インドも苦言を呈するなどしており、「反対するのは中韓だけ」は完全なデマです)に屈しないアピールができること、及び自らが靖国史観の擁護者であると支持者にアピールできることの2点です。前者は慰霊と称して実際には戦没者を踏み台にしている点で論外、後者は日本政府の立場とは相容れないものであり、少なくとも政権与党の議員が行っていい場所ではありません。とはいうものの、在特会系のイベントに出たような連中が平気で要職に就いている国ですから、その程度の常識すらないのかもしれませんが。
政治家が千鳥ヶ淵での慰霊では満たせないとある「理由」を持ち、その「理由」のため靖国で自称慰霊を行う。この時点ですでに、その行動は一分の例外もなく政治的なのです。これへの批判に対して「戦没者を政治利用するな」などと異様な反論がなされたりしますが、自分が真っ先に政治利用しておいて、他人が政治利用をしたように見えたら許さないなどというのは、人間としての神経を疑います。

ただし、慰霊の場所として千鳥ヶ淵を引き合いには出しましたが、私はこれを完璧な慰霊の場所とみなしているわけではありません。
千鳥ヶ淵に関する動向を見る限り、ここはどうにもワキが甘いように見えて仕方がありません。もし靖国がもはや慰霊の場とは誰にもみなされなくなり、千鳥ヶ淵に参拝することが慰霊の方法として当然となったならば、おそらく靖国史観派は千鳥ヶ淵を第二の靖国にしようと動いてくるでしょう。千鳥ヶ淵の政治的中立性を毀損することは決して難しいようには見えませんし、軍人のコスプレをして喜ぶような連中が続々と集まってくれば、慰霊の場としての雰囲気は一変することでしょう。
そうして千鳥ヶ淵が第二の靖国となれば、当然ながら政治家がそこへ参拝することには国内外から批判が出てくることになります。その時にはきっと、千鳥ヶ淵に靖国史観を持ち込んで滅茶苦茶にしてしまった連中は、勝ち誇ったような顔をしながらこう言うことでしょう。「ほら、中韓や国内の売国奴は、政治家が靖国ではなく千鳥ヶ淵に慰霊に行くようになったら、そちらに文句をつけ始めた。あいつらは結局、何をしても文句を言うのだ」と。
そこまではいかなくても、現状でも千鳥ヶ淵を政治的に利用することは難しくありません。最も手軽で簡単な政治利用の方法は、単に千鳥ヶ淵と靖国、両方を訪問することです。こうすれば、「私は慰霊のために靖国に参拝をしている。千鳥ヶ淵にも参拝したのがその証拠だ」といった言い訳が可能となり、靖国に参拝することの政治性を、千鳥ヶ淵の中立性を利用することによって容易に隠蔽してしまえるのです。
少しでもまともに考えれば、「靖国史観に賛同し、戦没者を政治利用して外国を挑発すること」が「政治的に中立な別の慰霊施設を訪問すること」によって無効化されるわけがないことくらいは誰にでも分かりそうなものですが、今の日本からはその程度のまともささえも失われつつあります。
結局、千鳥ヶ淵は現状において政治家が慰霊を行う場所としては明らかに靖国より妥当であり、千鳥ヶ淵ではなく靖国で自称慰霊をすること自体が極めて政治的な行動であるという事実を白日の下にさらけ出せるだけの施設ではありますが、同時に非常に不安定な施設でもあるのです。
したがって、私としては最終的に、以下のような方法を取るべきだと考えています。

1.真に中立で宗教・政治的思想のない公式な施設の作成
千鳥ヶ淵に隙がなければそこでよいのですが、怪しいと言わざるを得ません。また、神社の性質上からして祭る対象が恣意的に限定されている靖国は論外として、千鳥ヶ淵もあらゆる戦没者を慰霊する場ではないとされることがあります。それなら、完全に中立な施設を用意して、あらゆる犠牲者に対して等しく慰霊の意思を表し、二度と同じことを繰り返さないと誓う場にすればよいのです。
それですら日本会議派や靖国史観の連中は政治利用の道具にしてしまうかもしれませんが、そこまでになるともう施設の側でどうこうできる問題ではありません。日本社会の良識が試されるところです。もっとも、極めて明瞭な靖国の欺瞞すら十分問題にされていない今の日本社会にそのような良識があるかと問われると、限りなく怪しいと言わざるを得ませんが。むしろ良識があれば千鳥ヶ淵で十分なのであり、ゆえに私は日本社会の良識が足りなかった場合に少しでもダメージが少なくなる中立施設を推しています。

2.靖国から一切の「英霊利権」の剥奪
靖国史観の者が、どこかの片田舎の神社でピーピー騒いでいたところで、そんなものはピエロでしかありません。靖国は立地や知名度もさることながら、「英霊」が祭られている場所とされている現実と歴史的経緯があり、しかも首相や政治家が参拝するなどして公的な権威づけを次々と与えてしまったため、靖国史観がいわば「英霊利権」の後ろ盾を受けて大々的に垂れ流される状態となっています。
したがって、靖国からは「英霊を祭る権利」を剥奪し、その役割を中立の慰霊施設に与える必要があります。それが戦前戦中の「国策」と、戦後それを放置してきたことに対する日本の責任です。それでもなお靖国がみっともなく英霊利権にすがろうとするようならば、「日本政府は靖国を慰霊施設とは一切認めないし、靖国の主張するデマ歴史には公式に反対する」と宣言することによって、靖国を日本国の公式見解としてモグリ・カルト認定してしまうべきです。靖国はその歴史的性質上、非常に政治的色彩を帯びた施設となっていますから、靖国が何か日本の見解に反するようなことを主張するたび、日本政府としてそれを公式に否定し非難することは特に重要です。
要するに、ピエロが巨大な利権を用いることによって怪物化しているのが靖国なのですから、ピエロはピエロに戻すべきなのです。軍服コスプレをしているピエロと一緒に戯れているくらいが、現状の靖国の本来の「格」でしょう。

3.「もったいない精神」の排除
「日本のためとして若者が戦って死んだが、結局日本は空襲や食料の欠乏でたくさんの犠牲を出し、原爆を落とされた末に敗戦し、何一つ止められなかった。しかし戦死者を犬死に認定するのはもったいないから英雄にする」。このような精神は百害あって一利なしです。
開戦時点で敗北は予期されており、負けが込んできたら特攻や無茶な作戦などで若者を殺し、それで勝てたかというと結局は無条件降伏したのですから、これははっきり言って無駄死にです。そこは認めなくてはなりません。無論、無駄死にしたのは本人のせいではなく、若者の命を捨て去った責任のある者がいて、また後世への反省ともしなければならないわけですが、「もったいないので無駄死にではない」とすることはそれらすべてを否定するものであり、愚かにもほどがあります。
単純に考えて、敗北は避けられない状態で命を捨てさせられた若者が死なずに済んだとして、彼らが復興と経済成長のために尽力したならば、日本はより豊かな国になっていたわけです。「もったいない精神」に基づく慰霊など、慰霊ではなく単なる自己満足でしかあり得ません。これらが「無駄な死」であったことをまず認めなくては、遺族の個人的な慰霊ならまだしも、より広い意味での慰霊のスタートラインに立つことすらできません。
慰霊の場を作るにせよ、既存の場をより公式的な場にするにせよ、これは必要となります。慰霊の場がうかつにも「彼らの死は無駄ではない。意味がある死だった」などの精神を表明しようものなら、人の命を無尽蔵につぎ込んででも国体とやらを持ち上げようとする連中に、いずれ付け込まれることになるでしょう。

無論、これらは仮に実現できるとしても先の話であり、とりあえず今は次善の場として千鳥ヶ淵などが正当な慰霊施設となります。
現状において慰霊をしたい政治家は千鳥ヶ淵、または広島、長崎、沖縄、その他各地の慰霊の場を訪問すべきであり、慰霊を口実にして靖国史観のピエロ神社に連れション参拝をし、戦没者を政治利用して冒涜、他国の神経を逆なですることにより、軍服コスプレ野郎やヘイト野郎、その同類どもの支持を得ようと試みるような最低な政治家を絶対に許さないことを、私は数え切れぬ人の命を奪った戦争が終わった日を前に、明確に宣言しておきます。

2016-08-06 の記事 - 2016-08-06
ブラウザ劣化競争・2016年夏季大会

Edgeを使えるようになったことから、当サイトおなじみ・ブラウザ劣化競争の評価を行います。なお、「退化」は進化の一形態であり、意味のある行為ですから、これは「退化」競争ではなく「劣化」競争です。したがって、機能が充実しているか否かではなく、「ブラウザまたはUIの基礎として当然あるべきものがない」ことを種目としています。
ブラウザに求められる要素には、閲覧速度、安全性、標準への準拠度など色々ありますが、ここでは原則としてUIのみを取り上げます。なぜなら、速度や安全性その他はUIにほとんど影響を与えずに改善可能であり、UIもまた他の機能にかかわらず改善が可能だからです。また、今ではどのブラウザでもそれなりに速度は出ますし、何が何でも速度が必要な分野は限られ、必要ならばその時にのみ適切なブラウザを使えば足ります。標準の準拠についても、実際にはどのブラウザでも大抵のサイトは閲覧可能です。どれを使っても性能的にはさほど差のない状況では、重要な決め手はUIとなるわけです。
以下の種目について各ブラウザを評価し、点数(劣化競争なので少ない方が優良)をつけてみました。劣化部分は赤色、劣化に対抗する部分は青色で表記します。劣化部分1つにつき1点、劣化部分があっても完璧な代替手段があれば問題はないので0点、不十分なら0.5点をつけています。
なお、機能の追加がアドオンなどの導入によって可能となる場合、それを言い出せばきりがなくなってしまうため、「できる」とはみなされません。あって当然の機能が標準搭載でないこと自体が、ブラウザの劣化に他なりません。

種目の解説
  • アドレスバーと検索バーの統合
    この両者は全く異なる方向性の機能であり、「テキストを入力するという意味では同じだから」として無理やり統合するようでは困ります。「建造物や拳銃が必要という点で同じだから」といって、警察署と暴力団事務所を統合するでしょうか。
    検索ワードとURLを同時に保持できず、タブを切り替えた時の挙動が厄介なのが大きな問題点。検索ワード・URLをタブごとに別々に保持するのなら、とある入力を新しいタブや別のタブで開きたいと考えてもそれができず、共通なら別のタブを押してもそのURLを確認できなくなる、または検索ワードが消えてしまうことになります。
  • 更新・停止ボタンの統合
    重いサイト、安全性に疑問が持たれるサイトなどを開いてしまい、「中止」ボタンを押そうとしたら、その瞬間に読み込みが終わっていて「更新」されてしまう事態が起こります。また、重くてなかなか操作を受け付けてくれない場合に、中止ボタンを連打すると悲劇が起こることも。おまけにページによっては数回の遅延読み込みを繰り返すことがあり、その際には「更新」と「中止」が頻繁に切り替わるため、統合ボタンによる制御は事実上不可能となります。キーボードショートカットを使う手もありますが、それを言い出すとボタン自体が無意味化します。
    思想的には「読み込み完了時には中止ボタンには意味がないし、更新と統合してしまえばいい」程度のものなのでしょうが(ただし、逆に更新中に更新を重ねたいことなら割とある)、これは「アクセルを踏んでいる間はブレーキは踏まないし、車が移動していない時にはブレーキは役に立たない。だからブレーキペダルを配置するのは無駄だ」と車のアクセルとブレーキを同じペダルにするようなもの。私はそのような車、絶対に乗りたくありません。正反対の機能を同じボタンに持たせてはならないというUI上の基本の好例です。
  • メニューバーの廃止
    機能へのアクセスに手間がかかるようになります。また、お気に入り・ブックマークへはメニューバーからアクセスできるのが普通ですが、これがなくなってしまった場合、お気に入り・ブックマークバーを嫌でも表示することになりかねず、そうなるとメニューバーと同じだけの領域をお気に入り・ブックマーク機能を使うためだけに浪費することになります。
    別の言い方をすれば、メニューバーはブラウザの機能にアクセスする役割を持ち、かつお気に入り・ブックマークバーの役割も併せ持つ、複合的なシステムであるわけです。そこからわざわざ機能アクセスの要素を削除し、同じだけの画面領域は浪費するのがお気に入り・ブックマークバー、すなわちこれはメニューバーのモンキーモデルなのです。好きな方を使えるようにするのならまだしも、メニューバーは廃止しておいてお気に入り・ブックマークバーを残すなど、マヌケとしか言いようがありません。
  • オプションからJavaScriptのON/OFFを設定できる機能を排除
    セキュリティやパフォーマンス上の重大な懸念を生み出します。「初心者が誤ってOFFにしないように」なる言い訳がつけられますが、万一間違ってOFFにしてもチェック1つつけ直すだけで解決します。これをOFFにできなかったせいでトラブルが発生する方がよほど問題は厄介です。いわば「誤って非常口に入る人がいると困るから」と言って非常口に鍵をかけるようなもの。
    オプションから比較的容易に設定できるのではなく、難解な設定に深入りしなければできないような場合、実用上変更ができるとみなすのは難しく、しかも誤って設定を破壊してしまう恐れが強くなるため、「設定できる機能」とはみなしません。「初心者がJavaScriptの設定を誤って変更する」ことを抑止するために、「初心者が設定をする際に他の設定を壊す可能性がある」ようにしてしまうのですから、これは初心者に対して大変厳しい仕様です。
  • オプションの設定項目の縮小
    設定ができればできるほど、ブラウザ環境は自由度を増します。設定可能な項目が少ないことは、そのままブラウザの評価に直結します。過去(非タブブラウザ主流時代)より設定項目が大幅に減っているようでは話にならないので、この辺を十分か否かの基準とします。
  • ボタンなどのカスタマイズ性の低下
    ボタン配置はユーザーにとってこだわりのある部分です。人によってよく使うボタン、あまり使わないボタンが変わってくるためです。これが設定できるならばユーザーにとってありがたいブラウザとなりますし、さもなければ開発者の自己満足UIリサイタルに付き合うしかありません。それがまともなUIならまだしも、更新・中止の統合であったり、右側メニューであったりするのでは、ご遠慮申し上げたいところです。
  • 右側メニュー
    人間工学・UIの原則に反し、全方位にケンカを売った最低最悪のインターフェイス。左から右に文字を読む多くの文化圏において、これほど不自然なものもありません。まさにUI史に残る最悪の発明といえるでしょう。もしこんなものが本当に良いUIだというのなら、メニューバーは右側寄せで描画され、「スタート」ボタンも右側に置かれているはずです。そうでないことがそのまま、これが史上最低のデザインであることを物語っています。
    なお、右側メニューを横展開式にしないことによってUI上の不便さは軽減できますが、そうするとメニュー内で提供できる機能が大変少なくなり、これとは別にメニューバーなどを用意せねばならない無意味な事態に陥るか、あるいは機能自体を徹底的に削減して不便にするかの二択となります。
  • リンクをタブバー、特定のタブ、自タブなどにドラッグできない
    言うまでもない。絶対必要な機能です。なお、自タブへのドラッグは新しいウィンドウを開かせたくない場合、リンクのトレースを無効化したい場合などに便利で、タブブラウザでなくても持っているべき機能です。持っていないとすれば商品未満だ、と言いたいところですが、恐ろしいことにそういうブラウザも存在するのです。
  • 勝手に再読み込み
    開いておいたタブが勝手に無効化されているらしく、切り替えた途端に再読み込みされることがあります。信じられませんが、そういうブラウザがあるのです。もはや嫌がらせ。
  • 貧弱な履歴機能
    通常、ブラウザで見た何もかもをお気に入りやブックマークには放り込んではいられませんが、後で読み返したいもの、後から読み返す必要性が出てくるものは多々あります。これを早く正確に見つけるには、豊富な履歴機能が絶対に不可欠であり、ただダラダラと並べられるだけでは探すことすらままなりません。
  • お気に入り・ブックマークへのアクセスの悪さ
    お気に入り・ブックマークはユーザーにとっては重要な起点であり、好きな時に即刻アクセスできないようでは困ります。クリック数・マウスを動かす量が少なければ少ないほど快適さは増します。結構多くの項目が収録されがちな関係上、スクロールなども少ない方が楽になります。また、多くの人にとって重要である性質上、ブックマークバーなるものを表示して領域を食わずとも、普通に使えるものであるべきです。
項目名 Internet Explorer Edge Firefox Chrome
アドレスと検索バー 統合 統合 統合だが標準で検索バーが使える 統合
更新・停止の統合 統合 統合 統合 統合
メニューバー 使用できる 使用できない 使用できる 使用できない
JavaScriptのON/OFF できる できない(グループポリシーで設定) できない(複雑なコンフィグの変更が必要) できる
オプションの設定項目 かなり充実 寂しい かなり充実 寂しい
ボタンなどのカスタマイズ ほぼ不可 ほぼ不可 できる肝心なことはほぼ不可 ほぼ不可
右側メニュー あるメニューバーで完全に代替可、横展開あり 使わねばならないが横展開なし あるメニューバーで完全に代替可、横展開なし 使わねばならない上に横展開あり
リンクをタブバーにドラッグ さすがにできる なんと不可能 さすがにできる さすがにできる
勝手に再読み込み いくらなんでもしない いくらなんでもしない いくらなんでもしない してしまう
履歴機能 左側にバーを表示して行う。充実 右側メニューのバー式で、使えないではないやりづらい 別ウィンドウで行う。充実 むごたらしい
ブックマークへのアクセス メニューバーから 右側ボタン→お気に入り。横展開ではないが展開のたびクリック。またはバー メニューバーから 右側メニュー→ブックマーク。右側メニューなのに横展開式。またはバー
得点 3点 9.5点 2.5点 9点
なかなかレベルの高い戦いとなりました。特にUI上、最もやってはならない基本中の基本である「更新と中止の統合」と「右側メニュー」を全ブラウザが採用していることは、これら基本の蹂躙が劣化競争において当然化したことを意味します。メニューバーをなくしてUI上最悪な右側メニューを強制的に使わせる、JavaScriptの設定を困難にする、お気に入り・ブックマークにアクセスするのを面倒にするなどの手段により、ユーザーのストレスをよりきめ細やかに蓄積させていくことが、ここしばらくのトレンドのようです。
劣化大賞はEdgeとなりました。おめでとうございます。Chromeも0.5点の差を競り合う大健闘。ただ、元祖劣化ブラウザであり、かつ他のブラウザに影響を与えてブラウザ全体の強力な劣化を誘発したChromeでしたが、Microsoft肝入りの大劣化ブラウザの前には一歩及びませんでした。単純な操作感からしても、この2つは本当、飛びぬけて使いづらいですから、競り合うのも納得です。今後も精進してください。
ちなみにEdgeに関しては、調査中何でもないようなところでいちいち固まるという症例も繰り返し見受けられました。今回は速度に関しては対象にしませんでしたが、全方位的に完璧だと言っていいでしょう。ただ、Edgeがリンクをドラッグする機能を競技時点で追加していればChromeの勝利となったほどの僅差であり、どちらが勝ってもおかしくない内容でした。
以下、競技に参加した選手たちの健闘を称え、一言ずつコメントをつけておきます。

Microsoft Edge
堂々たる王者です。さすがは劣化王者というだけの強力な風格と威厳を備えていて、ひとたび使えばなぜこれが劣化王者なのか、誰でもすぐに理解できることでしょう。Chromeの劣化部分はほとんど取り入れ、まだしもマシな部分は自分で劣化させ、ただひたすら劣化を極めたその姿には、劣化機能美が極限まで凝縮されています。当サイトのイチオシ劣化ブラウザです。その究極の使い勝手の悪さを、ぜひ一度は体験してみてください。

Google Chrome
Chromeには劣化の代わりに軽さというウリがありましたが、時は流れて軽さがあまり長所にならなくなったことから、劣化具合をより純粋に評価できるようになってきました。最初期からそれほど変わらぬ姿に、時代を先取りした革命的な大劣化具合がよく分かります。このブラウザが登場しなければ、他のブラウザがこれほどまでにむごたらしく使いづらくなることもなかったでしょう。まさに劣化競争の風雲児と呼ぶにふさわしい存在です。今回は優勝とはなりませんでしたが、きっと近いうち、想像もできないような大劣化を私たちに見せつけ、戦慄させてくれるに違いありません。ちなみに以前、スクロールバー上下の矢印ボタンが削除されたことがあります。さすがに文句が大量に出て、すぐに戻されましたが。この絶望的までの想像力のなさこそが、きっとブラウザ劣化競争のパイオニアとしての地位を支えているのでしょう。

Internet Explorer
このブラウザは今からすると若干古いですから、この競争は不公平なものではあります。劣化の進歩は早く、次々と劣化の新機軸が生み出される現代において、少しの世代の遅れは致命傷となります。スコアには含めていませんが、アクセラレータも自作すれば辞書やピンイン表示など色々便利に使えるので、劣化大賞を狙うには力不足に過ぎました。基本的にはまずまず使いやすいブラウザの地位にあるため、これに見切りをつけてEdgeを後継とし、劣化競争に一気に参戦したMicrosoftの決断は、Chromeと渡り合える劣化ブラウザを作る上では正しかったといえるでしょう。

Mozilla Firefox
非常に使いやすいブラウザであったのを、JavaScriptのON/OFFを排除するというChromeですらやらなかった大暴挙に出る(かつユーザーの阿鼻叫喚の声を全部無視)など本気を見せて劣化競争に参戦したはいいものの、その後もIEと競り合うのがやっとであり、劣化は最下位に終わりました。競争の世界は厳しかったようです。他にも「更新」と「中止」を統合する、右側メニューを導入する、自由にできたボタンのカスタマイズを排除するなど、堅実な歩みなれどチクチクと不快感を催させる劣化を少しずつ進めていただけに、不本意な結果でしょう。堅実な劣化程度では、もう劣化競争にはついていけないのかもしれません。検索バー、メニューバーなど、他のブラウザが劣化を進めるため廃止した要素も維持しており、独自路線を歩んでいるようにも見えます。今後の劣化に期待しましょう。

現状、Chromeのシェアがブラウザ界を圧倒しているといいます。軽さはともかく、UIに関しては何一つとして見るべき点のなかったChromeの殴り込みに対し、それを真似ようとした結果としてデッドコピーと成り下がり、逆に泥沼に飲まれることになった他のブラウザの状況を憂慮します。また、シェアが危機的だからと撤退する陣営が出てくれば、近隣商店をことごとく叩き潰した唯一の大型店のような図式となってくるでしょう。
なぜ現状でもIE系やFirefoxを使う人がそれなりに残っているのか。ChromeのUIその他に疑問を持っている人が多いからです。それなのにChromeのデッドコピーと成り下がったらどうなるか。今使っている人たちはいなくなり、逆にデッドコピーをあえて使おうとChromeから乗り換えてくる人も少ないでしょう。ではどうすればいいか。劣化の流れを断ち切るしかありません。
最低限、「アドレス・検索バーの分離」「メニューバーの復活」「右側メニューの全面廃止」「更新・中止の分離」だけでも構いません。ただそれだけの変更が、ストレスを半減させます。「自分が必要ないと考えるUIは廃止する。お前らがどう考えていようと知らない。お前ら使うな」からの脱却、これがそのまま劣化競争からの脱却なのです。

2016-07-30 の記事 - 2016-07-30
ついに日本でも、憎むべきヘイトクライムが大勢の人の命を奪ってしまいました。この事件の犯人、ならびにこの事件の犯人と同等の主張を行ったり、その行いを評価している者に対し、人として許される限りの最大限の怒りと侮蔑の意思を表明します
健常者も障碍者も、マジョリティもマイノリティも、社会的強者も弱者も、その全員が人間です。そのいずれかを人間として扱わないような者は、それこそ自らが人間であることを放棄しているのです。

本件は日本社会において予想外の事件などではなく、起こるべくして起こったものです。私は再三、「レイシズムによる殺戮は、もはや起こるかどうかではなく、いつ起こるかの段階である」と言い続けてきましたし、これと同様の見解を表明していた人は多くいます。言うなれば、日本社会は毎日、重大なヘイトクライムが起こるか否かのクジ引きをしていたのであり、今まではたまたま良いクジを連続で引いていたから何も発生しなかっただけなのです。
そして本件により、「特定の属性の人間を殺すというような意思表明をしている者は、機会さえ整えば口だけではなく本当に人を殺す」「レイシズムは人を殺す」ということが、誰の目にも明らかになったことでしょう。社会のレイシズムを放置する、あるいは特定の属性への差別を行う者を放置することは、重大な事件を引き起こし、社会不安を引き起こします。
現状でもインターネットで「○○氏を殺す」と書き込めば逮捕されます。殺人を予告しているのですから当然のことでしょう。しかしながら、「障碍者を殺す」「○○人を殺す」に関してはさほど問題視されておらず、殺意を発露したり扇動するような書き込みは山ほど見ることができます。それどころか街中で平然とそう叫ぶ者さえ存在しており、あろうことか警察までがそれを護衛する始末。しかし、これらが行き着く先がどこであるか今回はっきりと示された以上、今後ともこれらを放置することは殺戮への加担にも等しい行為です。
現実で叫ぶ者は当然として、インターネットでこのような書き込みをしている者に対しても、断固とした措置を取ることは絶対に必要です。特定個人を殺すと言えば逮捕される以上、「障碍者・○○人を殺す」が無問題とされることはそもそもおかしいのです。「殺す」を放置していれば奴らは本当に人を「殺す」、この今回の教訓を活かすことは社会の責任です。
同時に、この社会にはびこる「殺すと言わないだけの在特会」とも戦わなければなりません。レイシズムのない社会でいきなり特定の属性の人々を殺すといった主張が飛び交い、差別思想に基づく大量殺人が起きることは考えられません。ピラミッドのように「殺すと言わないレイシスト」が「殺すと言うレイシスト」を支え、そして「殺すと言うレイシスト」が「実際に人を殺傷するレイシスト」を支えているのです。上の方だけを取り除いたところで、土台がある限りは何度でも「次」が現れます。
そしておそらく、一番下で「殺すと言わないレイシスト」をがっちり支えているのは、「在特とやらもカウンターもうるさい」「ヘイトスピーカーに対するヘイトスピーチ」などと平然と言い、「○○人を殺す」を「殺すと言うな」と同列のものとして自然に受け入れている連中です。
ピラミッド型の構造は、底辺部分の面積を広くすればするほど、高くそびえ立つことができます。「差別デモが街中で平然と行われる」「レイシズムによる大量殺人が起こる」ということはすなわち、「レイシズムの土台はそれほどに広く大きい」ことをも意味しているのです。

そしてまた、(人種差別は自分に関係あろうとなかろうとそれ自体が問題なのであり、このような言い方は少々はばかられますが)差別への積極的な加担であるか、無関心による加担であるかを問わず、差別の加担者らが排外主義・障碍者差別は外国籍の者・障碍者に「のみ」作用すると考えているのであれば、おマヌケもいいところと言わざるを得ません。ナチスの虐殺やニーメラーを出すまでもなく、排外主義・障碍者差別の次は性的マイノリティなどが犠牲となるでしょうし、そうして犠牲者を平らげては次の層を犠牲者としていけば、いずれは自分の番が来ます。その時にあわてて助けを求めても、誰も助けてはくれません。自分がかつて他国籍の人や障碍者に対して吐き捨てた言葉を、今度は自分が「上の」層から吐き捨てられ、同じ目に合うだけです。
なお、やはりナチスの手口をなぞるかのように、デマの山である在日特権ならぬ「障碍者特権」なるものが差別を正当化する理由とされることがありますが、これなどはまさに噴飯ものです。それほど障碍者が素晴らしい特権的地位にあるというのなら、今すぐにでも手や足を破壊するなり、目を潰すなり、脳への酸素供給を妨げるなり、任意の方法で障碍者になって特権とやらを手に入れればいいのです。しかし、私はそうして特権を手に入れ、幸せに暮らしている差別主義者を寡聞にして知りません。つまり、実は差別主義者どもは障碍者になってもうまみなどないということを、非常によく理解しているのです。理解していながら特権などと言い張り、差別を行っているのです。このような連中のゲスさ加減は、私が知る限りの最大限の侮蔑の言葉をもってしてもなお全く表しきれません。
レイシズムは被差別者にとって、明日は本当に殺されるかもしれないと感じさせるほどの恐怖です。そして事実、取り越し苦労ではなく本当に殺されうることを今回の事件は証明しました。したがって、社会が「犯人の言うことも理解できる」と言うのならば、それは被差別者にとっては極めて大きな現実的脅威であり、逆に「断じて許せない事件だ。社会は断固として障碍者の方々を守る。傷つけようとする者がいるなら許さない」と被差別者に示すことは非常に重要なのです。さて、今の日本社会にそれができるでしょうか。

今回の事件のような悲劇をこれ以上発生させることがあってはなりません。そのためには、障碍、性的立場、人種・民族など、あらゆる対象へのレイシズムを絶対に許さないという姿勢が必要ですし、それができなければ今後も大量殺戮などのヘイトクライムが発生したり、最悪の場合は関東大震災やルワンダの虐殺、ナチス・ドイツの再来に至ることでしょう。
今の日本はもはや、「レイシズムによる犯罪が懸念される社会」ではなく、「レイシズムによって大勢の人が殺戮され、さらに犠牲者を増やそうとしている社会」なのです。日本社会にはもう、何の猶予もありません。

2016-07-24 の記事 - 2016-07-24
とうとう観念してWindows 10を導入しました。UI周りやバグだらけの標準ソフトなど不満点は多々ありますが、これは次回に回すとして、せっかくならば楽しもうということで、ひとまず英語版と中国語版のCortanaと戯れてみました。

外国語版のCortanaを使用する場合、最低限以下のことが必要になります。

1.設定画面の「時刻と言語」内の「地域と言語」タブにおいて、目的の言語を追加する。
2.その言語について、「オプション」から音声認識と言語パックをインストールしておく。

その上で、「時刻と言語」内で設定可能な以下の3つをすべて、目的の言語のものにしなくてはなりません(たぶん。1つくらい外れていてもいいのかもしれませんが、詳細には確認していません)。設定に食い違いがある場合、Cortanaに文句を言われ、動作させることができません。

1.「地域と言語」の「国または地域」を、目的の言語が使用される地域に設定する(英語なら英語圏の地域、中国語なら中国、など)。
2.「地域と言語」の「言語」で、目的の言語を既定の言語に設定する。なお、設定変更を完了するにはサインアウトして再びサインインせねばならない。
3.「音声認識」タブにおいて、目的の言語を選択する。

冷やかして遊ぶだけにしては、かなり面倒です。私はイギリス英語と中国語を導入して使用し、動作の確認が取れました。日本語版のコルタナの動作は現状では確認していませんが、おそらく動くのではないでしょうか。

Cortanaは設定により、"Hey Cortana"と呼びかけることで起動可能にできますが、リソースを食うということで標準ではOFFにされているようです。せっかくなのでONにしてみても面白いのではないでしょうか。ただし、終わったらOFFにすることを忘れずに
まともなマイクが手元になかったので、しばらくCCDカメラの内蔵マイクを使って試してみましたが、この場合にはひどい認識精度でした。しかもどういうわけか、異常なほど下品な言葉に解釈される傾向があります。さらにそれを検索しようとするので本気で困ります。おそらくBingの履歴にかなりマズい検索ワードがいくつも残ってしまったはずです。勝手に検索さえしなければ、まだ笑い話で済むのですが。
「ユーザーはアプリケーションを開いてくれと言っているのに、勝手にそれを性的ワードだと勘違いして"Nope"と拒絶する人工知能」なる場面を目の当たりにすると、人工知能とは一体何なのかという奇妙な疑問が湧いてきます。とりあえず、"I want to open Firefox"を"I want to have sex"と勘違いするのはどうなのでしょう。人工知能ならばおそらく学習をさせているはずですが、どういうデータを使ったのか問い詰めたいです。
ともかく、これには本音を言ってヘコみました。マイクの性能を言い訳にしてみたところで、私の発音がとんでもなくひどいと客観的に示されているのですから。本物のネイティブの人間ならある程度意味をくみ取って解釈もしてくれますし、少々下手でもほめてくれるでしょうが、人工知能は容赦などしてくれません。
仕方がないのでヘッドセットを調達(120円。こんな価格設定でいいのか?)し、どうせ変わりはしないだろうと話しかけてみましたが、これで認識精度は実用レベルまで向上しました。まさかマイクがこれほど大事だとは。Cortanaと遊ぶのであれば、安物でもいいのでちゃんとしたマイクを用意しましょう。といっても、カメラ内蔵のマイクで話しかける人はほとんどいないでしょうが。



左側:"I would like to see Voice of America website"と言ってみた結果。しっかりデフォルトのブラウザでVOAを開いてくれます。
右側:北京の時間を調べてもらう。インターネットには距離の壁がなく、代わりに時差の壁があるので、これは割と便利。天気などを聞く場合にも場所を指定できます。

なお、CortanaでGroove Musicを使うこともできるようですが、私の環境のGroove Musicはローカルファイルを一切認識してくれないため、試すことができていません。Groove Musicをアンインストールして再インストールしたり、sfcを使ってみたり、やれそうなことは全部やりましたが全部ダメ。普通に考えてファイルが見えないはずがないので、おそらくファイルを読むのではなくインデックスを使っているのだろうと予想し、インデックスを再構築したりしましたが、やはりダメ。さすがにお手上げです。

Cortanaには結構お遊びも入っているようで、"What is Cortana?"や"What is Siri?"、"Do you like Halo?"、さらには"I want to see you"なども受け付けてくれました(本当に画像が出る)。変に手が込んでいます。

中国語の方は、簡単な単語や定番の文ならば案外たやすく認識させられます。声調もしっかり聞いているようで、デタラメだとそれなりの結果にしかなりません。ちなみに定番のあいさつ文などの場合は、若干声調が崩れていても認識してくれました。



左側:本日はよいお日和で。
右側:「テレサ・テン」なんてのもしっかり認識してくれるのです(辞書に入っているらしいのがすごい)。

ただ英語版に比べ、いちいちEdgeを開こうとするのがなんとも。英語版の場合、ブラウザではなくその場で示してくれることも多いので、その辺は少々不便な印象を受けます。

惜しむべきは、言語の切り替えが非常に面倒であること。国際化の時代ですし、この辺は簡単な操作で切り替え可能にしてほしいところです(Cortanaの設定から簡単に切り替え可能にし、呼びかけ起動の際は呼びかけた言語やワードによってモードが変わるなど)。