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2017-05-27 の記事 - 2017-05-27
台湾 同性婚認めない民法の規定は憲法違反

日本がみんなで楽しく後退国をやっている中でも、世界は日に日に前へ進んでいっているようです。

私は未だ、同性婚を認めない合理的な理由を見たことがありません。
生物学的に子を残すのが婚姻の目的であるとするならば、子を持つつもりがないカップル、高齢のカップル、身体的事情で子が持てないカップルの結婚は一切認められてはならず、また病気や負傷、年齢などの事情で子を持つことが望めなくなった既婚者は即時離婚することが義務付けられていなければならないはずですが、そのような規定は存在していませんし、仮に存在するなら私は断固として廃止を主張するでしょう。
結局、これに反対する主要な理由は「異質なものに対する拒否感」であり、要するにホモフォビア、レイシズムです。他にこまごました理由を挙げる人もいるかもしれませんが、それらはおそらく大半の反対者の間で広く共有されたものではなく、この感情こそが大半の反対者によって共有された動機でしょう。
人間である以上、自分とは異なる属性に対する感情的な排除欲求、すなわち差別感情を覚えてしまうところまでは仕方がありません。しかし、それは理性と知性によって克服すべきもので、それを言動として表に出すならば差別的言動やヘイトスピーチとなりますし、ましてや政治的な主張の根拠にするなら大問題です。
ヘテロセクシャルであることも、ホモセクシャルであることも、いずれも偶然そちらに属しているだけのことでしかありません。そして、たまたまヘテロセクシャルに生まれた人は結婚制度を利用でき、たまたまホモセクシャルに生まれた人は制度の外に置かれるのですから、理不尽であると言わざるを得ません。

同性婚に賛成する立場と反対する立場には、絶対的な非対称性があります。すなわち、同性婚に賛成する人のほぼ全員が異性婚を完全に認めていて、異性婚に対して一切の否定を行わない一方で、反対する側は他人が同性婚を行うことを否定している、ということです。
これと同様の非対称性は夫婦別姓にも見られ、多くの別姓支持者は同姓にしたい人の権利を完全に守る意思を示している一方、別姓否定者は別姓にしたい人の権利を否定しています。自分が同姓にすることは全く否定も妨害もされていないのに、別姓を希望する他人を否定して妨害しようとするその根性を、私は全く理解することができませんし、また理解したくもありません。
この両方の問題において、根底にはLGBT差別や性差別があり、賛成側は非対称性の解消を求めていて、否定側は非対称性の維持を求めています。この絶対的な非対称性が存在する限りにおいて、私は否定側に「理」を認めることは一切できず、したがって同性婚・別姓婚はどちらも認められるのが妥当であるものと考えています。

2017-05-21 の記事 - 2017-05-21
一橋大学がよりにもよってあのテロ予告レイシストの百田氏を学園祭の講演会に登壇させる予定となっており、批判を受けている問題について。

KODAIRA祭 百田尚樹講演問題

一橋大学内部からの視点のようですが、まとめの部分がなかなか良くできています。

>今回の取材を通じ、気になる点があった。それは、本件について論じる際、往々にして百田氏の政治的立場と、レイシスト的言動が混同されているということだ。政策について左右いずれかの立場を取ることと、特定民族を誹謗中傷する行為は「言論の自由」という言葉で一括りにして語られるべきではない。後者については明確に否定されなければならないという前提を共有したうえで、慎重な議論を期待したい。

例えば「殺人」や「傷害」は思想ではありません。思想に基づく殺傷事件が発生することはありますが、それは動機が思想性を帯びているのであって、殺傷が思想なのではありません。
百田氏のようなレイシスト的言動、すなわちヘイトスピーチは魂に対する殺人や傷害であり、また物理的な殺傷をも扇動する加害行為です。したがって、ヘイトスピーチもまた思想とみなすことはできません。しかも、殺傷などの加害行為には正当防衛などやむを得ないもの、動機には一応考慮する余地があるものなどもありますが、やむを得ない差別なるものは原理上存在し得ません。差別は現代日本における娯楽であり、ヘイトスピーチは例えるなら快楽目的の通り魔殺人(商売レイシストの場合は金銭目的の通り魔殺人)に近いものです。
言うまでもなく、「快楽目的の通り魔殺人」は思想に関係なく確実に否定されるべきものです。「快楽殺人をしてもよいとする立場と許されないとする立場を同格に扱い、そのどちらにも肩入れしないことを中立と称する」「快楽殺人を思想の1つと認め、思想を問う場ではないという理由により批判を排除する」「思想に関しては話さないという条件付きだから問題ないと言い張り、快楽殺人鬼を登壇させる」、これらはいずれも快楽殺人に市民権とお墨付きを与える行為に他なりません。
現実に起きた例で考えるならば、「快楽殺人」の部分を「相模原の事件」や「(ナチスやルワンダなどの)ジェノサイド」に置き換えてみてもよいでしょう。それがいかに異常なことであるか、そして現実に生命の危険を引き起こしかねないものであるかが良く分かるはずです。
ヘイトスピーチという加害行為をさも思想であるかのように扱う時点で、差別主義者に対して100%の肩入れをしている状態であることを忘れてはいけません。

なお私は、川口氏の「外部からの反発に応じてイベントの中止や趣旨変更を行うべきではないでしょう」には全く賛同できません。
呼んだ以上は歓待の義務がある、外部からの反発でどうこうというのは、一橋大学内部の都合です。被差別者の立場からしてみれば、そんなものは知ったことではありません。一方、(実際に会場で直接的な差別的言動を行うか否かにかかわらず)レイシズムにお墨付きを与えることは被差別者の生命や身体の危険につながります。ある大学内の都合のために、どうして何の落ち度もない被差別者が危険を押し付けられなければならないのでしょうか
まして、百田氏はこの前にもテロ予告をしたばかりであり、そこには扇動された者らによる大量の賛同・同調コメントが寄せられるなど、氏は被攻撃者・被差別者に対する現実的な脅威となっています。批判的な立場から百田氏を呼ぶならまだしも、肯定的な立場から登壇を要請して歓待する以上、それは大学としてこうした差別・攻撃扇動行為を容認するというメッセージを社会に送ることを意味します。
「外部からの反発に応じるべきではない」は問題が内部で解決する場合には成り立ち得ますが、外部に被害を与える可能性がある場合には成り立ちません。公害など生産活動の副作用としての加害でさえ、外部の被害と向き合わないとすれば無責任も甚だしいですが、それどころか加害自体が主目的であり、かつ実行せずとも特に困るわけでもないヘイトスピーチの問題となればなおのこと。「ルワンダのラジオは放送局内部の問題であって、外部からの反発に応じて中止や趣旨変更などを行ってはならない」が成り立たないのと同じことです。
「差別には必ず被害者がいる」、このあまりに当たり前すぎてよく忘れられてしまう事実を、常に忘れてはならないのです。

2017-05-14 の記事 - 2017-05-14
日本人でよかった!? ポスターの“波紋”

神社本庁カルト連中による異様なポスターとして、人種差別に反対する者の間では以前から結構有名な代物でしたが、とうとうNHKにも取り上げられる始末。

>そして、高さんは次のように指摘しています。
>「ネット上に投稿された『日本人でよかった』という言葉が、とりわけ『外国人・他民族ではなく日本人でよかった』という含意をもって受け止められ、ナルシシスティックな気持ちの悪さや、日本人というメンバーシップを共有しない人々への無神経さを読み取った人々に批判されているのだと思う」


「含意をもって」というより、「そっくりそのままその通りの意味で」受け取られたと考えるのが正確です。

神社本庁・日本会議が人種差別を思想の根底の一つとしていることは知られており、それは森友学園の問題でも裏付けられました。彼らの言うところの「愛国」は「他国を貶める」ことと不可分であり、ポスターは他国への直接的な罵詈雑言こそ用いられてはいないものの、排他主義的な本質を全く隠せていなかったために当然批判された、というだけのことに過ぎません。
仮に彼らが「日本社会の一員として、国内の差別をなくそう」「日本は世界と交流し、相互理解を深めよう」といった、自国と同様に他国も尊重するまともな「愛国」の持ち主ならば、どこをどう間違ってもこのようなポスターが作られることはなかったでしょう。

>ポスターが作られたのは、6年前の東日本大震災の直後。
>当時、被災者が避難所で整然と並んで支援物資を受け取る姿が海外メディアから称賛されていました。
>神社本庁の担当者は「日本人は、譲り合いの精神や礼儀正しさを当たり前のことと考えていたが、海外からの称賛を受け、すばらしさに気付かされた。そうした社会状況を踏まえ、あのコピーを考えたと聞いている。当時は広く受け入れられたようだ」と話しました。


東日本大震災時には外国人が犯罪を働いているといったデマが流されたり、実際に排外主義者がヘイトクライムをやりかねない状態にまで至っていましたが、その程度のことも知らないのでしょうか。
また、その時には中国や韓国は日本に様々な支援を提供していますが、これに対して散々デマを流して侮辱したばかりか、挙句の果てには世界第5位の義援金を贈ってくれた韓国に対し、韓国から日本赤十字に直接送られた金額が20位以内に入っていないことを理由として大喜びで侮辱した(そもそも金額で評価するのは間違っているが、その金額すらデマによって捻じ曲げてヘイトの材料にする二重の救いようのなさ)のが日本の「愛国者」なのですが、これをどう考えているのでしょうか。
さらに熊本大震災では、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」だの「猟銃持っている家は自警団に加わるべき」だの、関東大震災にて効果が実証済みの虐殺扇動デマまで流され、実際に事件が多発しているなどのデマにつられて熊本に乗り込んで自警しようとする者まで現れたのですが、これについて何か言うことはないのでしょうか。
日本人への称賛とやらを無邪気に受け入れるのは結構ですが、ではこうした最低な行為を日本人の恥として受け入れる覚悟はあるのでしょうか。事の重大性から言っても、「被災者が称賛される行いをした」ことを「自分ら(日本人)はすごい」にすり替えなくても特に誰かが死ぬことはありませんが、人種差別や虐殺扇動デマは被差別者の生命や身体の危険に直結するもので、かつ自分自身が能動的に差別をしなくても日本社会としてそれを放置・容認すれば大事に至りますから、後者こそ深刻に評価しなければならないはずです。
結局のところ、この手の日本スゴイは称賛は日本人の手柄とし、醜態は見ないふりをするか、または外国人のせいにしているだけ(例えば被災地で犯罪があった場合に外国人犯罪と決めつけたり、安易にそうしたデマを信じたりするなど)です。

>担当者は「いろいろ誤解を招いているようだが」と前置きしたうえで、「昔は祝日に多くの家庭で国旗を掲揚していたが、今は少なくなっている。日本の伝統と文化を尊重する意味で、祝日に国旗を掲げることを啓発しようと作った」と説明しました。

別に誰も「誤解」などしておらず、そっくりそのままその通りの意味で認識された結果として批判が起きているだけですから、その辺は前置きの必要はないでしょう。

このポスターが訴えているのは「誇りを胸に日の丸を掲げよう」ですが、では神社本庁の連中は日の丸を掲げて「○○人をぶっ殺せ!」と怒鳴り、街中を練り歩いている連中に対して何か対抗行動を取ったのでしょうか。排外主義者がああいうことをするたび、日本社会において誇りを胸に日の丸を掲げることがどんどん難しくなっていくのは想像に難くないはずですが。
当然、やっているわけがないことは承知の上で言っています。神社本庁・日本会議と在特一派らは排外主義の点において価値観を共有する存在であることなど今さら言うまでもなく、せいぜい口先でこそ「あのようなやり方はよくない」くらいは言うかもしれませんが、本気で止めに入るわけがありません。
ちなみに差別に反対する人々は、日の丸を掲げて殺せ殺せと騒ぐ連中に対して「日の丸下ろせ」ときっちり叱りつけています。日の丸の誇りとやらを汚損しているのがまさに神社本庁・日本会議や自称愛国者であり、それに対抗する人々が日の丸の誇りを守っているというおなじみの図式です。

そしてついたオチがこれ。

>話題のポスター、今週になってさらに新たな事実が明らかになりました。
>起用された女性モデルが、日本人ではなく中国人なのではないかというのです。
>広告や報道向けに画像を提供するサイトに同一の写真があり、この写真に関連づけられたキーワードに「中国人」という表記があるのがネットで指摘されました。
>サイトの運営会社に取材すると、「モデル自身が国籍などを記した書類から中国人であることが確認できた」と話しました。


こうした事実が分かってみると、なかなか味わい深いポスターにも見えてきます。この華麗なまでの自爆芸により、これまでは排外主義ポスターであったものが、どこの国の人だろうと関係ないという、世界的な立場からのポスターに早変わり。
日本人スゴイ信奉とでもいうべき排外主義は本屋やメディアなどにあふれていますが(そして京都にもあふれていたのが今回の問題の発端でしたが)、それがいかに無意味でくだらないものか、このポスターを見て再確認してみるのもなかなか悪くないものでしょう。

2017-05-06 の記事 - 2017-05-06
NHK世論調査 憲法の改正 必要43% 必要なし34%

憲法変えるかの議論 “深まっていない”が3分の2

かなり危険な状況です。

現在の自民・日本会議一派にとって、もはや9条改正は悲願でもなんでもありません。憲法違反の法律を無理やり通し、それを国民が追認してしまった以上、必要があればまた憲法を無視すれば足りるのであり、せいぜい「別に変えなくてもいいが、変えた方が気分が良いので機会があれば変えたい」という、部屋のカーテンの色か何かを変えるのと同程度の存在でしかありません。
自民・日本会議一派にとっての本丸は、あくまで緊急事態条項に他なりません。共謀罪は最後から2歩目で、その後は最後の1歩である緊急事態条項をごり押ししてくるであろうことなど、少しでも物を知っている人なら誰でも予想していたことでしょうし、実際にそうなるでしょう。
緊急事態条項が通ればもはや終わりです。そして当然、これさえ通してしまえば後はどうにでもできると知っている自民・日本会議一派は、あらゆる詭弁や見せかけの譲歩を用いて緊急事態条項を通そうとしてくるでしょう。
そのために使い勝手が良いのが9条の存在です。9条の改正を最大の論点であるかのように位置づけ、国民の注目や反対派の批判の矛先を9条に向けさせておいて、これを改正しないか現状追認程度の改正にとどめると表明すれば、さも唯一最大の問題が解決されたかのような印象を与えることができ、かつ反対派は批判の手立てを失います。すでに無力化されていて主要な論点ではない9条の改正を譲歩の材料とすることで、たやすく本丸を落としてしまえるのです。
現行憲法に定められている基本的人権その他の規定、立憲主義などに関しても同様です。現在の自民案に見られる、立憲主義を無視したり、人権を制限したり、国民を縛るような規定などは、緊急事態条項を通す上で邪魔になると見たら緩和または削除してしまうこともあり得るでしょう。とにかく緊急事態条項さえ通してしまえば、基本的人権など後でいくらでも踏みにじることができます。その場合に縛りとなるものがあるとすれば、同条項内の「最大限に尊重されなければならない」という具体性も何もない有名無実的な文言だけです。

以上はいずれも、ここでかねてから述べてきたことの繰り返しでしかありませんが、今回のNHK世論調査は私の危惧を完全に裏づけるものとなっています。

>9条改正「必要」25% 「必要ない」57%

もし9条を守るべきと考えるのであれば、違憲の法律を通された後の選挙で与党側を敗北に追い込むしかありませんでした。国民はその最後の機会を与えられていながら、それをわざわざ自分の手で放棄した以上、もう自民・日本会議一派の目的は達せられており、「名(9条改正)を捨てて実(緊急事態条項)を取る」ためであれば、彼らは9条改正に対して無制限の譲歩が可能となっています。
無論、自民・日本会議一派に「名」も取らせないために9条を守ることは否定しませんが、それは「実」を守れて初めて意味を成すものです。まずは「実」を取らせないようにする必要があります。

>国民が憲法で国家権力の行使の在り方を定める「立憲主義」について、憲法解釈や憲法改正を議論するにあたって重視すべきかどうか聞きました。「重視すべきだ」が65%、「重視する必要はない」が7%、「どちらともいえない」が14%でした。

今の自民党案は立憲主義も何もあったものではない内容となっていますが、必要に応じて立憲主義を無視した改正案を破棄または緩和して譲歩の姿勢を見せることは、自民・日本会議一派にとっては許容できる範囲でしょう。
ただ、おそらく自民・日本会議一派が2番目に狙っているのがここで、9条よりもこちらの方が重要とみなしているはずですので、通せる見込みがあるようなら積極的に通そうとしてくる可能性はあります。「公共の福祉」が全く異なる概念である「公益」にすり替えられていたり、拷問の禁止から「絶対に」が消えていたりと、極めて露骨な内容となっているため、通れば終わりの緊急事態条項に比べればいくらかマシとしても害悪は極めて大きく、到底認められるものではありません。

>テロや大きな災害などが起きたときに、政府の権限を強める「緊急事態条項」については、憲法に加えるべきだという意見がある一方で、法律で十分対応できるので、憲法を変える必要はないという意見もあり、どちらの意見に近いか聞きました。
>「憲法に加えるべきだ」という意見に、「近い」と「どちらかといえば近い」を合わせると53%、「憲法を変える必要はない」という意見に「近い」と「どちらかといえば近い」を合わせると40%でした。


そしてこの通り、まさに危機的です。
要するに、9条や立憲主義の面で譲歩する姿勢さえ見せれば、もうこの瞬間にも緊急事態条項を含む憲法案を通せる可能性は高いわけです。しかも実際に改正の段となれば、テロや災害などの危機をさらに煽り立て、また教育など本来憲法とは無関係な規定を憲法に入れるなどのイメージ戦略も用いてくるはずですから、なおさら改正成立の危険は高くなります。

ここが終了に至る最後のステップです。踏みとどまることができるのか、それとも国民が「不断の努力」を忘れたらどうなるかを実践してみせることになるのか。後者の可能性が高いであろうと考える程度には、私はこの国について期待も信用もしていません。

2017-04-30 の記事 - 2017-04-30
アマゾン アカウント乗っ取り被害相次ぐ 勝手に出品

私は基本的に店頭で買えるものを通販で買うことはなく(割引クーポンなどで非常に割安になる場合などは例外)、輸入品や地域限定品を購入するのに利用しているため、今のところAmazonの出品物を購入したことはなく、利用した例のすべてがマーケットプレイスの出品者出荷商品です。

それで本件ですが、このところあり得ない値段の商品がそこかしこに出品されており、当然のごとく出品者フォーラムは大混乱、という状況になっていました。
これでは出品者の方々も大変だ、などと考えつつフォーラムを見ていましたが、そこで「シナ人」なる蔑称が用いられた書き込みを見てしまってげんなり。たとえ中国の詐欺グループがかかわっていたとしても、悪いのは詐欺師であって、中国人を侮蔑的に呼んでいい理由にはなりません。
実際、このフォーラムには返品詐欺にあったなどの切実な声がたびたび書き込まれていて、その詐欺犯の多くが日本人であることは疑いようもありません。しかし、日本人の詐欺師がいることを理由として日本人を蔑称で表記した書き込みなど見たことがありません。
詐欺師に対して憤るのは当然の感情ですし、商売に大きな打撃を受けた出品者、あるいは乗っ取りの被害者ともなればなおさらでしょう。しかし、この異常事態における怒りが詐欺師ではなく、特定の人種・民族などの属性に向いてしまったらどうなるか。これがレイシズムの恐ろしさです。

そして当然ながら、マーケットプレイスの出品者について評価や出品物、価格などの下調べを行い、詐欺やトラブルにあう可能性を十分に下げることはできますが、出品者がレイシストであるか否かなど調べようがありません。
運悪くヘイト出品者に発注してしまったとして、もし何らかの理由で自分がマイノリティなど「攻撃しても構わない属性の相手」と認識されたらどうなるか。あるいは、日本に暮らす中国人や韓国人の方、日本人でも海外にルーツを持つなどの理由から中国・韓国風の名前の方などが注文したらどうなるか。公開のフォーラムにおいてすら、中国人からの注文はキャンセルしているだの、Amazon日本法人の社長が中国系だから詐欺と結託しているだの(Amazon上層部への批判はあっていいが、人種を持ち出すのはおかしい)と発言されるほどですから、フォーラムにはとても書けないような差別的対応を受けたとしても不思議ではありません。
今回の詐欺の件に関しては、一部で「マーケットプレイスの商品には危険がある。Amazon販売の商品を選ぶべき」のような報道がなされている例があるようで、出品者から憤りの声が出ていましたが、別の意味ながら報道は正しいと言わざるを得ません。少なくとも私は、この詐欺問題によって利用を控えようとは考えない一方、フォーラム上のレイシズムは利用への警戒を呼び起こすのに十分なものでした。これでは特にマイノリティの方々などは、不安なく利用できなくなってしまうでしょう。他者の批判的な報道には敏感である割に、自分たちが負の広告塔になっていることには無自覚ないい例です。
しかし、歩いていたら透明の棒にあたった気分というか、なぜこんなところでまでヘイトを目にする羽目になるのか。頭が痛い限りです。

「国内の敵を潰す」という百田尚樹氏 つぶやきは「共謀罪」認定?

残念ながら、自民党一派に尻尾切りされるようなことをやらかした場合を除き、百田氏が何を放言しても共謀罪に問われることはないでしょう。

ところで、問題はここです。

>百田氏に発言の真意を問うと、こう答えた。

>「冗談半分に決まっているじゃないですか。言葉が過ぎたのは事実なので、その文言は削除しました。ただ、それだけ朝日の記事に腹が立ったということです」


まさに予想通りの返答です。
百田氏の望みは、マイノリティや「敵」を自らの手を汚して殺すことではありません。世の中の差別を扇動し、他人が「敵」への攻撃行動を取るように誘導するのが目的なのです。
これはつまり、ルワンダのラジオや関東大震災の流言、幸いにも大事にはなりませんでしたが熊本の虐殺扇動デマツイートなどと同じです。ラジオ放送や流言、虐殺扇動ツイートなどをいくら行ったところで、物理的に人を殺すことはできません。しかし、これらによって他人を扇動し、虐殺を起こさせることなら可能です。

もしヘイトスピーチの危険性を理解していない有名人が、つい冗談のつもりで過激な差別的発言をしてしまい、そこに「参加します」「自分も殺ります」などといった狂気じみた返信が寄せられたら、さすがにこれはまずいと気づくことでしょう。このような不用意な発言は冗談では済まされないものと悟り、その後は控えるようになるはずです。
しかし、百田氏はヘイトスピーチを長きにわたって何度も繰り返してきた人物です。たまたま冗談のつもりで言ったら大騒ぎになった、などというラインはとっくの昔に超えています。そして当然、ヘイトスピーチがどれほど重大で危険なものかはこれまで多数の人から散々指摘されているはずですが、意に介す様子もありません。百田氏はまず間違いなく、自分の差別扇動行為の効果を理解しています。
しかし同時に、自分が手を汚すつもりもありません。差別デモ参加者の中には自ら事件を起こして逮捕される者もいましたが、百田氏はおそらくそうはなりません。今回の件を「本気です。日本の敵を半殺しにして何が悪い」と答えるならまだ異常者ではあっても筋は通っていますが、「冗談半分に決まっている」なる返答の仕方からも、巧妙に逃げ道を残すように立ち回っていることが見て取れます。
もし百田氏の発言に扇動されて事件を起こす者が現れても、百田氏は間違いなく何食わぬ顔で犯人を切り捨てにかかるでしょう。それこそ「あんな発言は冗談半分に決まっている」と鼻で笑いながら。

差別扇動といえば、このほど今村氏がまたバカをやって辞任しましたが、それで「復興大臣が避難者に対する攻撃を解禁した」事実が消えることはありませんし、今村氏や内閣はそれを打ち消す努力をしてもいません。それどころか氏を擁護する論外な者までいる始末で、事の重大性が全く見えていないようです。
内閣のメンバーが事実上の対被災者版在特会となり、避難者に対する差別を扇動した余波は、人種や障碍などに対する差別ほど表立ったものとはならないにしても、今後とも社会に残り続けることでしょう。

2017-04-23 の記事 - 2017-04-23
現状のヘイトまみれ、デマまみれ、脅威扇動の日本を見る限り、北朝鮮がどうたらこうたらと言うまでもなく、勝手に殺し合いでも始めて自滅するのではないかと冗談ではなく考えざるを得ない今日この頃。閣僚の発言、NHK経営委員をやっていた百田氏の発言、筒井氏の発言、しまいには強盗事件にかこつけた韓国人ヘイトなど、いくらなんでも異様すぎます。

J1:ガ大阪、旗や横断幕などの使用、無期限で全面禁止

>サッカーJ1・ガンバ大阪のサポーターがナチス親衛隊の「SSマーク」に酷似した応援旗を掲げた問題を受けてガ大阪は21日、アウェーを含む全ての公式戦で、ガ大阪を応援する旗や横断幕などの使用を無期限で全面禁止すると発表した。また、使用したサポーターグループを特定し、所属する60〜70人を無期限の入場禁止処分とした。

この手の問題に対し、断固たる措置で臨むのは当然です。

ナチスの意匠というのは非常に見栄えがします。それもそのはず、実際に見栄えを十分計算して作られているためです。そういった手段を駆使してナチスが権力を掌握した結果が、ユダヤ人や同性愛者などの虐殺、T4作戦、戦争などの悲劇であるのは周知の通りです。
ここまで計算して作りこんである以上、当時ナチスの意匠に引っかかった人が出てしまったことは、ある意味無理もないものではありました。
しかし、幸いにも現代人はナチスが何をもたらしたのかをよく知っています。したがって、現代におけるナチスの意匠は見えている落とし穴に等しいもので、落ちに行こうとでもしない限り落ちることはありません。それでも落ちる者がいるならば、歴史を知った上でわざと社会を落とし穴に投げ入れようとしている者か、あるいはろくに歴史を学びもせずに自分の欲望のまま過ちを繰り返そうとしている者か、このどちらかとなります。
「ナチスは悪だが、デザインが良いなら取り入れて何が悪い」なる教育勅語理論もしばしば見かけますが、全くバカげています。「ナチスは悪だが、○○は取り入れてもよい」を認めるならば、「ロゴ」の次は「服装」、次は「敬礼」といった具合に防波堤がじりじりと削り取られ、そのたびに社会におけるナチス的なものへの抵抗感や嫌悪感は徐々に薄れていき、いずれ「○○」には「T4作戦」か何かが入ることになるでしょう。大げさなと言うなかれ、見栄えのいいデザインを間口として思想の支持にまで至る受容のプロセスは、まさにナチスがかつてやってみせたことと全く同じです。
そして事実、日本のレイシストはナチスの旗を掲げて人種差別デモを行うなど、ナチスの意匠を実際に差別の場に投入しています。「デザインとナチス思想は別」と何百回と繰り返したところで、事実としてそうなっているのですから何の意味もありません。

この国ではすでに個人によるT4作戦が決行され、しかもそれを支持する者が大勢存在すること、有名アナウンサーが特定疾患患者へのシステムとしての殺害を扇動していることを忘れてはいけません。街角で平然と特定人種へのジェノサイドが扇動され、内閣の面々や都知事がそれを扇動した者たちと懇意であり、NHK経営委員まで務めた小説家がレイシズムをまき散らし、災害となればジェノサイドの扇動が飛び交う状態であることを忘れてはいけません。
すでに重大なヘイトクライムまで経験していながら、この国における差別への意識というのは恐ろしいほど軽いのです。障碍者の方々が何十人も殺傷されてなお、殺戮に理解を示すような人間は論外として、差別の重大性について「そんな大げさな」と言えてしまう人間が山のようにいるほど軽いのです。
現状、まだ社会にはかろうじて「差別は不公正でおかしいもの」という意識が残っていて、それが何とか表立った差別をある程度抑制する機能を果たしていますが、もし今後「差別はカッコ良いもの」となってしまったらどうなるか、想像したくもありません。
デザインがどうたらというお粗末な言い訳に惑わされることなく、ナチス的なものには断固として対抗していかなければなりません。

2017-04-16 の記事 - 2017-04-16
先日、料理をしていたら勝手にWindows UpdateがPCを再起動してしまい、作業中のデータが吹き飛ぶ羽目に。寝てしまって吹き飛ぶのであればまだあきらめもつきますが、これではうかうか料理どころかコーヒーすら作っていられません。
即刻グループポリシーでそれらしい項目を探し、自動再起動を切っておきましたが、Home版でグループポリシーは使えないそうですし、よくもまあこんな理不尽な仕様を組み込めたものだと感心します。
そんな中、Windows 10 Creators Updateの通知が出ていましたので機能を確認してみましたが、設定画面から再起動を抑制する設定が可能になったのだとか。一応改善点ではありますが、むしろなぜ今までなかったのかが不可解です。

しかし、かねてから私が待ち望んでいる機能、例えばCortanaの言語を自由に変更する機能などに触れた情報は見当たりません。これを追加するつもりがないのであれば、なぜCortanaの設定項目に「Cortana Language」なるものがあるのか、誰か教えてほしいのですが
また、IEは今後全く実用に耐えなくなるのは時間の問題で、それに代わるブラウザが直ちに望まれますが、Edgeはどうやら「シンプル」をはき違えた方針を続けるらしく、情報を見る限りではゴミのまま。Chromeは機能面がボロボロな上、非アクティブタブのアクティブ化時に勝手に再読み込みする場合があるなど論外な挙動が多く、Firefoxは機能面では有用な代わりに重量級といった出来栄えで、中間的なIEは使い勝手がよかっただけに、Edgeの体たらくは極めて迷惑です。なお、Creators Update版のIEのタブバーには「Edgeを開く」なるボタンが追加されているとか。Edgeがゴミだから仕方なく旧式のIEを使わねばならないのに、神経逆なでも節度を持ってやるべきです。
他にも、スタートメニューへの項目の追加・削除・移動など、一覧をいじる機能は現に20年前から搭載されていた基本的なものですので、自由に行えない現状は異常です。こちらはどうなっているのかの情報がありませんが、特に情報がないからには期待できないと考えるべきでしょうか。一方、ライブタイルはフォルダにまとめておくことが可能になるのだとか。ああ、そうですか。
このような、昔は当然できていたこと、あるいは本来できなくてはおかしいことが追加されず、落書き機能の強化だのペイントの3D化だのを新機能と言われても少々反応に困ります。あるいはゲームモード。人によってはありがたく、人によっては微妙な更新でしょう。ちなみに私は後者。
別に機能を増やすのは構いませんが、「実用機に3D化ペイントやゲームモードを導入させるのがWindows as a Service」なのだとすると、さすがに少々笑えません。

毎度お騒がせのレイシスト小説家・百田氏が、今度は「テロ組織を作る」だのとバカげたことを書き散らしています。

>もし北朝鮮のミサイルで私の家族が死に、私が生き残れば、私はテロ組織を作って、日本国内の敵を潰していく。

金王朝に殴り込みをかけるというなら理屈としてはまだ理解できますが、なんと国内を対象にテロを起こすと宣言する異常ぶり。ミサイル有事を利用した火事場泥棒ならぬ火事場テロとは、有事には北朝鮮とタッグを組んで日本の足を引っ張りたいようです。そして、前提条件その他からして氏は自分の手を汚すつもりなどなく、北朝鮮への憎悪を利用して他人がそれをすることを煽り立てるのが目的、すなわち差別扇動行為であることは明白です。
氏はいわゆるお友達人事としてNHK経営委員に加わっていたことがあるなど、政権に近い人間であることが知られています。そして、百田氏やその支持者・同調者の手によって、現政権のやり方を批判する人々には「北朝鮮の手先」だの「国内の敵」だの「テロ等準備罪に反対するのはテロリスト」だのと訳の分からない言葉が浴びせられています。
さて、共謀罪が作られて誰かが適用対象にされるとなった時、逮捕されるのは堂々とテロ組織を作るなどと公言している政権のお友達・百田氏でしょうか。それとも、政権のお友達・百田氏に北朝鮮の手先だのと言いがかりをつけられ、潰す敵であると指名されている側の人々でしょうか。

なお、私は百田氏がやっているようなヘイトテロ扇動行為は決して許されず、法によって規制されねばならないと考えています。すでに日本では相模原障碍者虐殺という重大なヘイトクライムが発生しており、このまま放置しておけば関東大震災虐殺やルワンダの虐殺の悲劇を繰り返すのは時間の問題であるためです。
ただし、それを取り締まるのは共謀罪であってはなりませんし、また氏はどれほど異常な言動をしようと共謀罪の対象とされることはないでしょう(自民一派と仲たがいしたり、切り捨てられた場合を除く)。ヘイトテロ扇動行為はヘイトスピーチを禁止する実効性ある法律によって規制されるべきです。

2017-04-08 の記事 - 2017-04-08
どうやら自らが人間であることを放棄したいらしい、胸糞悪い今村氏と筒井氏の件。

復興大臣発言に便乗? 新潟の避難者施設に電話「帰れ」

これがまさに、復興相を名乗る今村氏の発言の怖さです。

かつて石原氏ら有力レイシストは人種差別や障碍者差別などを吐き散らし、また在特会は「○○人を殺せ」などの異常な言動を繰り返すことにより、社会の差別に対するハードルを大きく下げる役割を担いました。
こと、名の知れた人物、責任のある人物が公然とヘイトを吐き散らすことの効果は大きく、これによって大勢の潜在的差別主義者に「あの有名人・地位のある者でさえ堂々とここまで言っているのだから、自分もここまでなら言っても大丈夫」と認識させることになりますので、今までは到底認められなかったような言動ですら、その後は当たり前のものとなってしまうのです。彼らはいわば、「タブー」の壁を破壊する存在となるわけです。
なお、「タブー」には「本来ならそのような批判はあって当たり前なのに、それがなされない状態」のニュアンスを含む場合が多く、一方で差別や被災者攻撃は何ら落ち度のない人間への卑劣な加害行為ですから、一般的なニュアンスにおいてこれをタブー破りと位置付けることは不適当です。しかし、ともかく他人に対するヘイト行為の意思を潜在させている攻撃者にとっては、平然と異様なヘイトを吐き散らす有名人は攻撃のライセンスを与えてくれるパイオニアであり、壁を破ってくれる存在であることに違いはありません。

今回、復興相を名乗る今村氏は、閣僚の立場を利用して、被災者に対する誹謗中傷や自己責任論を解禁しました。
これは人種差別において在特会が果たした役割と何ら変わるところがなく、氏はいわば対被災者版在特会の役割を果たしたわけです。しかも、あろうことかそれを閣僚、それも復興相の立場を利用して行ったのですから、その異常さと影響力の大きさは在特会の比ではありません。
今回新潟の避難者支援施設に電話をかけてきたという人物は、せいぜい氷山の一角でしかありません。例えば相模原障碍者虐殺のようなヘイトクライムの実行には至らなくても、障碍者は殺戮・排除すべきと考える人間は決して少なくはありませんが、同じく中傷電話のような行為はまだ実行していなくても、以前からこれと同様の思想を持っていた、あるいは復興相を名乗る今村氏の発言を知って「そのような言動をしてもいい」と認識し、同様の思想を解禁した人間は決して少なくないはずです。そうした連中の枯草の束のような差別意識に対し、今村氏は堂々と火を放ってみせたのです。
これはもう、「復興相としての資質に欠ける」程度の小さな話ではなく、閣僚・復興相の立場を利用した、被災者に対する積極的加害行為以外の何物でもありません。私はこの復興相を名乗る今村氏という人物を、断じて許すことができません。

これだけでも憂鬱なのに、ひどいケースがもう1件。

筒井康隆氏、慰安婦像への侮辱促す? 「炎上狙った」

当該ツイートはさすがにあんまりな内容のもので、ここで取り上げることも少々はばかられますが、差別の被害者はこうした中傷を何の遠慮もなく浴びせられている現実があります。こういったものは「○○人を殺せ」などと同様、下手にオブラートで包むのではなく、そのおぞましさをしっかり認識した上で立ち向かわなくてはならないものと考えますので、以下にその内容を引用します。

>…長嶺大使がまた韓国へ行く。慰安婦像を容認したことになってしまった。あの少女は可愛いから、皆で前まで行って射精し、ザーメンまみれにして来よう。

これもまた、一般的なニュアンスでの「タブー」には到底該当し得ない意味での「タブー破り」です。記事タイトルも「慰安婦像への侮辱促す?」となっていますが、まさにその「促す」効果が差別扇動表現のキモであり、このような言い分が社会において平然と許容される水準になったらと考えるとぞっとします。

なお、氏は記事中で言い訳を試みており、

>「ぼくは戦争前から生きている人間だから、韓国の人たちをどれだけ日本人がひどいめに遭わせたかよく知っています。韓国の人たちにどうこういう気持ちは何もない」

と述べてはいるものの、ツイート上での「慰安婦像を容認したことになってしまった」という表現とかみ合っておらず、典型的なまでにお粗末な言い逃れにしかなっていません。

当然のことながら、いくら言い訳を連ねたところで、氏の主張は明確なセカンドレイプかつ差別扇動行為以外の何物でもありません。それは被害者側を直接的に激しく傷つけるのみならず、社会の差別のハードルを下げて後続のヘイトスピーチやヘイトクライムをも誘発する、言うなれば街中で銃を乱射するような行為です。
また、もし万が一にもこの記事で語ったことが実際に真意であったとして、それが何だというのでしょうか。これによって直接傷つけられ、かつ社会の差別が扇動されることによってさらに傷つけられる被害者側にとって、氏の真意など何の価値も持ちません。以前、韓国ヘイトデマサイトの開設者は韓国について「好きも嫌いもない」などと発言していましたが、作家先生がこれと似たようなことを言うとあっては唖然とせざるを得ません。
もちろん、作家がタブーを破る表現をすることは大いに結構です。また、大使の件は政治問題ですから、それに対して意見を表明するのも勝手です。しかし、「批判があって当然のはずなのに、社会的な圧力などからそれがなされない状態を破ること」と、「売春婦だのタカり民族だのと言われ、政治家や作家などからも平然とヘイトがなされ、街中で平然と死ね殺せと言われるなど殺戮の扇動すらもなされ、取り囲まれてリンチを受けている人々に対して、得意げに唾(氏の表現を借りるなら、唾どころかザーメンですが)を吐きかけること」、この両者の区別すらもつかないのであれば、もう口を開くべきではありません。

2017-04-02 の記事 - 2017-04-02
クローズアップ2017 教科書検定 道徳、修正細部まで

大マヌケな日本文化スゴイの類を放置していた結果、とうとうここまで行き着きました。
実にバカバカしい話ではありますが、もはやそういったバカらしいことが大手を振って堂々と教育の場でまかり通るようになってきているのです。コントはコントだから笑っていられるのであって、現実に持ち込まれればそんなものは悲劇でしかありません。

大相撲 差別的なやじ報道で事実確認

照ノ富士に「モンゴルへ帰れ」のヘイトヤジ...それを肯定したスポーツ新聞と黙認した日本相撲協会の差別体質

相撲が国技などと言うのなら、事実が確認できた時点で最低でもサッカーと同等の処分及び対応が必要です。サッカーと同程度の身ぎれいさすらも維持する気がないのなら、もう二度と「国技」を名乗るべきではありません。普段から品格品格と言っている以上、きっちりと品格を示さなければなりません。
そして残念ながら、この件の事実がどうあれ、インターネット上などではこのヤジのような言い分を容易に見つけることができます。

ところで、今さら言うまでもないことでしょうが、この件には前日談とでも呼ぶべき要素があります。それこそが例の「日本出身力士優勝」などがことさら大きく騒ぎ立てられてもてはやされるなどした「日本力士スゴイ」旋風です。
あの騒ぎは極めて違和感のあるものでしたが、正面切って文句をつけづらいものでもありました。あれは建前上は「日本出身力士の活躍」を喜んでいるのであって、直接的に他の力士を貶めるような表現が出てきているわけではなく、表層には攻撃的な部分が見えないようになっていたためです(実際のところ、特定の人物を努力や成果ではなくその属性に基づく部分で他者よりも称賛するならば、十分に公平性を欠くものではありますが)。
ただし、だからといってそれを放置していればこの通り、必ず他属性の人への攻撃として表面化します。ヘイトスピーチを放置してはならないのは、それが他人の尊厳を傷つけるのみならず、ヘイトクライムやジェノサイドといった重大な犯罪行為に結び付くためです。そして、その1つ前の段階がこうしたスゴイ論というわけです。したがって、これを放置することはできません。
いい加減、あのような「日本力士スゴイ」論、あるいは力士に限らずスゴイ論は容易に凶器としての形を取ることに、私たちは自覚的であるべきです。日本社会はすでに相模原障碍者虐殺事件という稀代のヘイトクライムを体験し、かつこれまでにも日本称賛本がヘイト本と相互補完的な地位を占めるなど、日本スゴイ論がヘイト製造機としての役割を果たしてきたことも経験しているはずなのに、現状の日本社会はその危険性に対してあまりにも無頓着すぎます。

「日本会議」系が集会、改憲へ気勢 国会議員ら700人

この異常者集団ですが、このところ露出を避けることをやめつつあるのでしょうか。
そろそろ身を隠すまでもなく理想を実現できそうだと踏んでいるのか、様々な媒体に加えて森友学園の件で表ざたになってきてなりふり構わなくなったのかは知りませんが、仮にこの連中の思想が実現されたらどのような社会が到来するかは、森友学園の問題がごく小規模なモデルとして示してくれています。森友学園はたかだか1つの学校法人でしかありませんが、あれが日本社会にそのまま適用されるわけです。
森友学園は抵抗もできない幼児を虐待し、ヘイトスピーチを行い、幾人もの人間をズタズタに傷つけました。今回の件で問題が表面化したからいいようなものの、そうでなければ小学校も無事に開校した可能性があり、もっと大勢の人間が傷つけられていたでしょう。籠池氏1人がこれだけの人間をズタズタにするのなら、この日本会議及び共鳴者の集団を放置した場合、果たしてどれほどの人間を傷つけることでしょうか。
狂気の集団・日本会議カルトを止めることは、日本の責任です。

2017-03-24 の記事 - 2017-03-24
証人喚問によって籠池氏に良いイメージを持つ人が出てきてしまっているようですので、ここで一応取り上げておきます。

「安倍首相の耳に悪い情報を入れた人がいた」森友学園・籠池氏、記者会見で国有地売却問題に言及

これは日本外国特派員協会主催の記者会見での籠池氏の言い分ですが、例の選手宣誓の正当性について述べるなど、まさにこの人物の本質がレイシストであり、年端もいかない幼児に異様な教育を施そうとする異常者であることが見て取れるものとなっています。他にも日本人は優しい民族だの性善説だの、陳腐な日本人至上主義という以前の問題として、まず鏡を見てから物を言えと言わざるを得ない言葉が並んでいます。
ただ、はっきり言って今の日本社会はレイシズム天国ですから、こうしたレイシズムですら自然に受け入れられかねない空気があることは否めません(なお、もしこの会見内容を読み、人種差別の観点からさほどおかしいと感じなかった人は相当毒されています。それこそ、もはや「○○人は死ね、殺せ」の言葉が出てこない限りはおかしいと感じなくなるほど感覚がマヒしています)。
そういう意味では、より客観的にレイシズムを見ることができるであろう外国特派員協会の会見でこれが行われてよかったと言えるかもしれません。

籠池氏への好印象という、いわば泥棒が人助けをした時に大きく持ち上げられる現象に対抗するためにあえてはっきり書いておきますが、籠池氏は人種差別、すなわち立場の弱い相手をその属性に基づきターゲットとする行為を平然と行い、かつ教育の名を借りて反論も抵抗もできない幼児を虐待するなど、自分よりも弱い相手を平気で踏みにじり、人としての尊厳をズタズタに引き裂く、まさに人間のクズの見本のような存在です。
無論、それでも籠池氏が証言をするのなら聞くべきですし、その証言が全容解明に役立つのなら当然それは適切に活用されるべきです。しかし、そんなものは救いようのない凶悪犯罪者が仲間に見捨てられて捕まり、怒り狂って共犯者の情報を自白しているのと同じです。その情報は適正に評価し、有用なものに関しては活用されるべきですが、その人物は救いようのない凶悪犯罪者以外の何者でもありません。
籠池氏は信奉していた保守派とやらに次々と切断処理されており、そういう意味では気の毒ではありますし、同情には値するかもしれません。しかも籠池氏自身は何の力も持たない一人の異常者でしかなく、本人だけで大それたことができるわけがありませんから、氏をいわば実行犯として用いておいて、しかも騒ぎになったと見たら切り捨てている者がいることも確かでしょう。その観点からは氏もまた被害者の一人であると考えることは可能です。
しかし、人種差別や児童虐待を行ったのは籠池氏本人の意思であり、少なくともこの点について氏は一方的な加害者に他ならず、正当化の余地は一切存在しません。教育者という自らの立場を最大限悪用し、立場が弱く抵抗することができない他人の尊厳を容赦なく踏みにじる、まさにカス以下のカスに対する同情の言葉を、私は一言たりとも持ちません。
この人物はもはや、日陰から出してはならない存在です。少なくとも「差別は過ちでした。被差別者の方々、すみませんでした」「あれが教育などとは間違っていました。私がやったことは虐待でした。許されないことです」と自らの行いを正しく認識して反省し、二度としないことを確約し、しかもそれを誠実に遵守しない限り、決して日向を歩かせてはならない存在なのです。
氏について「そのうち候補者にでもなるのでは」と評する声を見かけましたが、まさに今の異常化した日本を見る限り、それが当たらずとも遠からずになってしまいかねない嫌なリアリティがあります。長谷川豊氏の件などを見た後では、これを笑って済ませることはできません。
本件を政治問題として考えた場合に、氏がいくら捨て犬のようなかわいそうな存在に見えたとしても(それこそ日本会議や安倍一派のような連中にぶら下がった時点で、私には自業自得にしか見えませんが)、一方で氏が自らの意思で能動的に人種差別と児童虐待を行い、何ら落ち度のない他人をズタズタに傷つけた人物であることを、決して忘れてはいけません。

なお、差別や虐待に関しても、籠池氏だけを断罪すれば済む問題ではないことは念のため言い添えておきます。日本会議や安倍一派もまた、氏と人種差別や虐待教育の理念を共有する存在であることは言うまでもありません。そもそも政治問題以前の話として、差別と虐待を理由として日本会議や安倍一派を追放することは、日本人が果たさねばならない責任なのです。

2017-03-19 の記事 - 2017-03-19
籠池氏の証人喚問ですが、私は特に期待していません。自民党が同意した以上、籠池氏を呼んでもダメージを受けないような準備が整っていると考える方が自然であり、自民党にとっては籠池氏に責任や汚点、嘘つきの烙印を押し付け、一連の問題ごと切り捨てても何のダメージもありません。
偽証ができないこととされている証人喚問の席で「なかった」と言わせれば、それが事実にせよ虚偽にせよ否応なく説得力を持ってしまいますし、あるいは逆に籠池氏に明らかな虚偽事実をベラベラしゃべらせて大嘘つきに仕立て上げ、追及を全部無力化してしまうことすら可能です。
野党は無理にこれを突破口にしようとするよりも、籠池氏が真実を語ろうとも、嘘八百を並べ立てようとも、問題があったと証言しようとも、なかったと証言しようとも、安倍一派の切り捨てに怒って報復する気であろうとも、逆に懐柔済みであろうとも、どう出てきたとしても無関係に、内閣追及を継続できる姿勢を整えておくべきです。
ここで無傷のまま逃げられれば、マスコミのコントロールはより強化され、問題が報道されることはもはや期待できなくなりますし、緊急事態条項も十分に射程範囲内となるでしょう。あのような異様な教育が行われるような国こそが安倍一派や日本会議の理想ですが、その狂った理想の世界に行き着くまでの距離はもう決して長くないのです。

人権電話相談、英語・中国語→6カ国語対応に 法務省

これ自体はよいことです。
ただし、いくら相談対応言語を増やしたところで、相談の効果が薄ければ仏作って魂入れずというものです。街角でのヘイトデモから一対一での人種差別に至るまで、差別によって蹂躙されている人はいくらでも存在しますが、問題はそうした卑劣な加害行為に対し、何か有効な手立てを打てているのか否かです。
街角でのヘイトデモは市民活動の結果として減少しましたが、震災時には虐殺扇動デマが飛び交い、障碍者虐殺事件や透析患者を殺せといった異様な行為や言葉が横行し、沖縄ヘイトが平然と電波に乗って垂れ流され、ヘイト学校法人と政治が懇ろなどというのは、状況としては明らかに異質な方向へと進んでいると言うことができるでしょう。
異常事態だから相談言語を拡張するのだとすれば、それはそれで教科書的な意味で正しい対応ではありますが、現実的にはあまり意味のあるものとはなりません。結局、これでどれだけ加害を食い止められているか、言語を増やすことでより加害を食い止められるのかどうかが重要なのです。

さて、最近話題になっている宅配業者の負担と値上げの話。
これを「アベノミクスの成果」などと称する、「良いことは神様のおかげ、悪いことは努力が足りないから」と同等のことを言う無能者のおかげで、もはや安倍氏の経済政策や内閣は「信仰」の類であることがよく分かりましたが(*)、今回これは置いておきましょう。
値上げ自体は支持しますが、それで解決する問題ではありません。無理がある状態で少々の価格転嫁を行ったとしても、せいぜい無理な状況を若干遅延させる程度の効果しかないでしょう。それより問題は、日本社会が妙な価値観から脱却できるかどうかです。

(*)悪いことに対する例: 麻生氏「(結果を)出していないのは、よほど運が悪いか、経営者に能力がないから」
良いことに対する例: 菅氏「ネット通販の急成長と昨今のアベノミクスの成果で、需要・供給両面から宅配、運送業のコストが高まってきている」

私は海外のパッケージ版ソフトウェアが欲しい場合に輸入することがありますが、その場合の発送は必ずしも十分なサービスと呼べるものではありません(なお、海外では現地の業者、日本に入ってからは日本郵便の取り扱いになるので、日本に来てからの扱いは通常の郵便物と同様)。理論上は1週間ほどで十分なはずが、発送通知後3週間ほど待たされても怒らない寛容さが必要ですし、インターネット上ではなかなか悲惨な目にあった人の体験談などもちらほら見かけることができます。
日本のサービスは世界一、であるかまでは分かりませんが、こと運送に関しては非常に高い水準のサービスとなっていることは間違いないでしょう。
しかし、日本没落の結果として異様な日本スゴイ論が吹き荒れる中、考えもなしに「さすが日本はスゴイ!世界が驚く日本!」などと反応するようではどうしようもありません。はっきり言ってそんなものは、博多で危険な陥没事故が発生したにもかかわらず「あっという間に復旧がなされた!日本スゴイ!」と適当なことを吹聴していた連中と何も変わらず、無益などころか有害です。運送業が切羽詰まった状況にまで追い込まれてしまっている現状を考えれば、ここは逆に「日本の恥だ」と考える方が正解だと言っても過言ではありません。
非常に良質なサービスを低価格で受けることは、普通は不可能です。それが実現しているとするならば、どこかに必ずそのしわ寄せを受けている人がいます。今回問題となっている宅配業界はもとより、飲食店業界などでも問題になったことがありますが、まさにそれを被るのが業界の末端の人々であるわけです。世界一のサービスとやらは、誰かを足蹴にすることによって実現されているのです。
ちなみに、これは最近見直されているという「古き良き地域コミュニティ」的なものに関しても同様で、どうしてこれが一部の人にとって非常に良いもので、しかも(少なくとも都市部では)崩壊したかというと、そのために犠牲になる人々がいたからです。このところ、日本を「古き良き時代」に戻そうとする人々が嫌というほど醜態をさらしていますが、単純に時計の針を戻すことがあってはならないのです。
非常に高い水準の利用料金を支払うのが嫌ならば、ほどほどのサービスで満足するようにしなければ、運送業から飲食店、交通業、その他様々な業界が抱えるこの種の問題が解決することはないでしょう。これはつまり、上記の通り「低価格で世界一のサービス、日本スゴイ」から「低価格で世界一のサービス、日本の恥だ」への価値観の大転換が必要であり、相当に困難なのは確かです。
普段はおもてなしなどと言いつつ、肝心の外国人には散々ヘイトスピーチをくれてやっておいてサービスもないものですが、こと国内向きな部分について言うならば、今の日本に必要なのは「おもてなしの精神」とやらではなく、「おもてなしなどクソくらえの精神」です。

2017-03-11 の記事 - 2017-03-11
森友・籠池理事長、退任の意向 娘に引き継ぐ考え

【森友学園】小学校の認可申請取り下げ、籠池理事長は辞任へ 長男「安倍晋三総理以下、どうぞよろしく」

籠池氏の責任の取り方としても、一連の政治問題としても、どちらの観点から見ても全くの無意味です。

氏が理事長を辞めたところで、同様の思想を持つ一族に地位を譲るのでは引責になっていませんし、それで自分は完全引退して二度とかかわらないと確約するならまだしも、籠池氏は今後とも何らかの形で運営にかかわり、学校開設にも再びチャレンジする意向を平然と語っています。これではただ理事長の名前が書き変わるだけに過ぎず、実質的には何の意味もありません。
安倍記念小学校の認可が絶望的となって取り下げられたこと自体は、何ら落ち度のない児童が虐待される恐れがなくなったので喜ばしいことですが、このような学校が認可される可能性があったこと自体が最初からおかしかったのであって、ただ本来通り得ないものが通らなかっただけです。通っていたら莫大なマイナスであったものがゼロになっただけで、何かが良くなったわけではありません。
当然、本人は何が悪かったのかなど全く理解していません。たとえ腹の中では再びやる気であったとしても、これを悪事だと認識していれば口先では取り繕うはずで、堂々と今後もかかわるだの再申請だの口にするわけがありません。今後も条件さえ整えば、不正でも虐待でもヘイトスピーチでも行うことにためらいはないでしょう。安倍一派や日本会議関係者の例に漏れず、あまりにも異常な人間と言わざるを得ません。
繰り返しますが、状況は何一つとして変わっていません。尻尾を切られて責任を押し付けられたはずの籠池氏すら、責任を取るようなことは何もしていないのです。

そして当然、この「何も責任を引き受けていない引責」によって一連の政治問題を終わらせることがあってはいけません。
そもそも今回のような幕引き演出は、以前からある程度予想されていたことです。さすがにここまで徹底的に責任を取らない引責によってそれがなされるというのは悪い意味で予想以上でしたが、いずれにせよこの問題に触れられたくない自民や維新といった連中にとって、森友学園や籠池氏は鼻つまみ者でしかありませんでした。
あれだけ大絶賛して懇意にしていた相手を少しは擁護してやるどころか、そろいもそろって情け容赦なく切り捨てにかかる様は無残としか言いようがなく、安倍氏と食事友達のマスコミの面々には「籠池氏は明日のあなただ。本当にそれでいいのか」と問いたいところですが、ともかくこれが彼らにとっての最適な落としどころであるわけです。
しかし言うまでもなく、森友学園と政治をめぐる問題には現状ほとんど手が付けられていません。安倍夫妻やその同類と仲良しの日本会議の相手に対し、国民の財産から異常なプレゼントがなされ、認可がやたらと上手くいき、しかも虐待ヘイト教育が安倍夫妻などから大絶賛されていたことについて、まだ事実はほとんど解明されておらず、しかも誰一人として責任を取った者はいません。籠池氏らは単に妄想をこじらせた異常者でしかなく、政治の力なしには大それた不正も小学校設立も何もできなかったはずなのに、です。ここで追及が消滅するならば、本件は「うやむや」どころか「一切不明のまま」終わることになります。
繰り返し述べていますが、この問題は現代日本社会の病理が表面化したもので、その地下には安倍内閣、日本会議、自民、維新、自称保守が実現させようとしている教育、ヘイトスピーチといった現代日本をむしばむドス黒い根が広がっています。これに切り込まないことはつまり、現代日本の問題に背を向けることと言っても過言ではありません。
同時に、在特会のヘイトスピーチ、親学による発達障碍児に関する偏見扇動などがそうであるように、また今回も安倍一派・日本会議連中らの理想の教育(虐待)やヘイトスピーチによる被害者が出たように、彼らの妄想が実現されれば必ず被害者となる人が出ます。決して放置してはならない問題なのです。

そして、仮にこのままこの問題が消滅してしまい、事実を明らかにすることも政治家に責任を取らせることもなく終わってしまったらどうなるか。
政治家連中がどれほど悪質で根が深い不正を行っても、下っ端が引責にも何にもなっていない引責ごっこをすれば万事解決、という最悪の前例が作られることになるのです。いらなくなった者を切り捨てて済ますのは連中の定番ですが、それどころか籠池氏のようなつまらない下っ端にすらダメージがない、不正連中にとってはこの上なく最高の展開です。
今回の件ほど(主に登場人物のせいで)次から次へとボロが出るような問題もそうそうなく、それですら今のところ責任を取った者は事実上一人もいませんので、これさえ前例にできればもはや大抵の不正はフリーパス、今後は政治家はおろか鉄砲玉ですらもろくに責任を取らなくてよい状態となることでしょう。

今回の問題、籠池氏の辞任や認可申請取り下げによって終了させようとする試みを見ても分かるように、安倍一派が一定の危機感を持ったことはおそらく確かです。マスコミが連日この問題を報じ、森友の問題は世の中に広く知られることになりましたので、とうとう支持が揺らぎかねないというわけです。
ただ、安倍内閣は政治でも閣僚の不正でも教育思想でも差別扇動でも、これまでいくらでも問題となるようなことをやってきました。森友の件はその多数の問題の中の1つでしかなく、違いといえばある程度の報道がなされたか否かだけです。たかだか森友の一件だけでここまで簡単に大騒ぎとなり、内閣の支持が揺るぐほどの衝撃となるのであれば、これまでの問題がしっかり報道されていればどうなっていたかは言うまでもありません。
森友学園の教育やヘイトスピーチなどは異常なものとして世の中に強い印象を与えましたが、安倍夫妻が教育方針を絶賛したことからも分かるように、安倍一派が同様の思想を持っていることは以前から周知の事実でした。今さら異常だ異常だと騒がれても、たかだか学校法人の理事長が異常と発覚したら報道する割に、その異常な思想を持つ内閣が何年も前から日本のトップに君臨して政治を動かしているのにそれを報道しなかったのは何なのかと言わざるを得ません。
また、本件によって支持離れが発生しているとしても、おそらくその理由の多くは「森友学園の疑惑が報道されているから」であって、「森友学園が見せつけてきた異常さを通じて、自らが支持していた内閣の狂気と異常さを認識するに至ったから」である割合は残念ながら低いであろうと言わざるを得ません。であるならば、これで報道が先細りになれば問題はすぐにでも消滅してしまうことでしょう。
安倍一派・権力にとって危機的であるこの問題が、たとえ不十分であってもしっかり真相究明に向けて追及されていくか、このまま消滅することで逆に好き放題不正を行っても大丈夫な前例に作り替えられてしまうかは、メディア次第の状況です。そして私は、つくづくそれに期待していません。

2017-03-05 の記事 - 2017-03-05
今なお次々にやりたい放題が明らかとなっている安倍記念小学校問題。
実際のところ、私は本件には必ずしも期待していません。もし以前の通りに報道が機能していれば、この政権や自民党はもうすでに指折り数えても指が足りない程度の回数は倒れていたはずであり、今までにそれすら全く行えていない以上、現状に期待することなどできません。
ただ、あくまで希望を述べるならば、最低でも安倍氏の首は取るべきと考えます。

現政権は「盤石」などとも言われていましたが、現実にはこの政権は全くそれとは程遠いところにありました。立憲主義違反から強権的手法、閣僚の不正や暴言まで、ありとあらゆる種類のゴミにまみれた政権でありながら、ゴミを埋めて隠すことによって盤石であると見せかけていただけなのです。
今回の安倍記念小学校問題にしても、今までは徹底的に見て見ぬふりを決め込んできたマスコミが、ようやくゴミを指さして「ゴミがあるぞ」と言い出しただけにすぎません。マスコミがそれを指摘したか否かに関係なく、ゴミは以前から変わらずそこに鎮座していたのであり、ただ報道がその役目を放棄していただけです。
事実、安倍政権がもともと異常な思想を持ち、教育に介入したがり、親学カルトと通じ、日本会議と関係が深く、人種差別を根底の思想としていることなど、少しでも政治について知識のある人なら誰でも知っていました。塚本幼稚園にしても、安倍夫人が絶賛する異様な幼稚園として以前からそれなりには知られていました。今回の一連の問題はそれが単に表面化したものですが、そんなものは「今さら」なのです。

今回、ようやくメディアが報道せざるを得ない状況となっていますが、野党にせよまともなマスコミにせよ、ここで可能な限り深く切り込み、最低でも安倍氏、可能ならば日本会議まで踏み込んで首を取る決意が必要です。というのは、この数年にわたってゴミの山を指さして「ゴミがあるぞ」と言うことさえ放棄してきたマスコミと、そのせいで実態はボロボロであるのに何年も継続してしまった現政権の悪夢を見る限り、ここを逃せばそのまま終了まで行ってもおかしくはないためです。
無論、それで本当に終了なのか否かを知るすべはありません。しかし、秘密保護法、安保による立憲主義無視に加え、共謀罪の成立、そして危機をあおることによって憲法改正の機運を高め、緊急事態条項が成立してしまえば、もはやこれまでです。これがあれば選挙を行わないことさえも可能となり、かつデモはテロと放言するような連中が共謀罪などを好き放題に振り回すことになります。
現実の状況を見ても、テロを口実にした共謀罪などの準備は着々と進められており、安倍記念小学校問題が発覚しなければ特に障害となるものはなかったはずですし、問題があってすらこの状況です。メディアにしても安倍記念小学校の問題は報道せざるを得なくなりましたが、今後は別の政治問題や不正行為を報道してくれる保証は全くありません。この件で政府がマスコミ掌握をさらに強めれば、今後はもうこのようなことは二度と望めないかもしれません。
緊急事態条項まで行ってしまえば、もはや選挙をするかどうかすら自民党のお情け次第となります。そして、ここを逃せば自民党を食い止められるだけの機会が再び訪れるかは分かりません。したがって、少なくとも野党側には「ここで戦えなければ、もはや自力優勝はない」程度の覚悟が必要となります。

そしてまた、政治家にきっちり不正の代償を負わせる必要があるという意味でも、安倍氏を追い込むことは非常に重要です。
たとえ森友学園に土地を返却させたり、学校を不認可にしたとしても、それだけではあまり意味がありません。不正がバレてしまい、どれほど大きなスキャンダルを引き起こしても、最悪でも学校側などの末端に責任を押し付けて切り捨てれば済むとなれば、不正政治家にとっては大した痛手とはなりません。しかも、現実にはここまで巨大でドス黒い問題などそうそうありませんから、これよりも軽い大抵の不正のハードルは相当低いものとなるでしょう。
そして、これほどの問題を起こしてもなお辞任でも何でも回避できてしまうのなら、それは今後このような異常な学校が日本各地に次々と現れ始めたり、お友達への国有財産プレゼントが平然とまかり通るようになってもおかしくないことを意味します。国の財産によって資産面で支援された日本会議系の学校法人が、政治家の庇護と看板の下、児童を虐待し、教育勅語を朗読させ、安倍総理を称賛させ、外国へのヘイトを刷り込む、という悪魔のような学校がそこかしこに誕生したならば、これはもう悪夢と呼んで差し支えないでしょう。
あの教育を大絶賛する安倍夫婦や、講演を行うなど森友との関係があった自称保守の面々を見ても分かるように、あのような教育こそが日本会議や自民一派にとっての理想なのです。あれをやっても政治家にダメージが及ばないことが裏付けられれば、もう歯止めとなるものはありませんから、彼らが今後とも日本会議関係者への利益供与を行い、また塚本幼稚園や安倍小学校と似たようなものを(さすがに多少は手を変え品を変えるとしても)さらに作りたがるのは必然と言ってもいいでしょう。
したがって、政治家によるお友達への国有財産プレゼントを行わせず、また二度と日本会議カルトによる児童虐待やヘイトスピーチがなされないようにするために、何としても安倍氏やその他の関係者に責任を取らせる必要があるのです。そして当然、日本の病巣である日本会議にまで切り込んでいくことも重要です。

ただ繰り返しますが、私はそれほど期待はしていません。きっちりとそれができる国ならば、ここまでひどい状況に陥ることはなかったはずです。
立憲主義破壊の時点で「立憲主義は破壊させない」という意思を示すことすらできなかったこの国で、お友達に国有財産をプレゼントして異常な虐待ヘイト教育をさせたことに対して「不正はさせない、虐待ヘイト教育はさせない」との意思表示がなされるかといえば、全く期待できないと言うしかありません。

2017-02-26 の記事 - 2017-02-26
安倍晋三記念小学校の件。役者は安倍内閣、安倍夫人、役所、維新、日本会議など腹黒オールスター勢揃いといった面々であり、その問題もまた行政側による不透明で異常な便宜、安倍氏を称賛する教育、安倍夫人による絶賛、神道カルト、ヘイトスピーチ、児童虐待など日本の闇を全部ねじ込んだかのような異様なものだけに、切断処理、爆弾の押し付け合いが始まっています。

昭恵氏、新設小学校の名誉校長を辞任 森友学園問題

安倍晋三記念小学校の名誉校長であるばかりか、児童虐待幼稚園である塚本幼稚園を大称賛していた安倍夫人、名誉校長を辞任。断ったのに勝手に名誉校長とされ、結局断れなかったということになったようです。あれだけ大絶賛していたのなら、少しはかばってあげてもよさそうなものですが、薄情なものです。

「安倍晋三記念」名で寄付集め、首相が抗議 森友学園に

安倍氏もお得意の尻尾切りを始めました。やましいことがある時には激昂したり、野党がどうのこうのと言い出すので、ある意味で非常に分かりやすい人物です。学園側もよくも学校にこんな人物の名前を付けようなどと考えたものですし、そこまでやった末に待っているのはこの通り、切断処理です。

大阪知事、不認可の可能性に言及 森友学園の小学校

本件については、やたら認可が容易に進んでいることについても疑問視する声がありますが、ここへきて松井氏も尻尾切りですか。虐待ヘイト学校法人に小学校などやらせるわけにはいきませんから、不認可自体は必要と考えますが、実にあわれな話です。なお松井氏は、森友学園の理事長と面識はないと主張しています。

国有地問題、財務省は調査を 松井大阪府知事

金額を誰がどう見積もったかが一番の問題で、明らかにすべきだ」だそうです。また、氏は職務怠慢として近畿財務局も批判しています。この分だと役人の誰かが責任を背負わされ、腹を切らされるのでしょうか。

稲田防衛相:森友学園に感謝状「取り消しも検討」

感謝状まで贈った相手にこれですか。マスメディアを含め、この内閣と蜜月関係にある面々は、少しでも都合が悪くなると明日にも責任を押し付けられて腹を切らされかねないことを、よく自覚しておくべきでしょう。

維新幹事長 「森友学園問題」維新の関与否定…民進のイメージ戦略と不快感

維新も切り捨てに入っています。この辺の変わり身の速さはさすがです。

橋下氏 森友学園の不可解売却に「やはり政治介入か」

橋下氏に言われてはおしまいですが、「こんなことを役所だけの意思でやるのか。やはり政治介入か」というのは、いわば大阪の役所から政治へと爆弾を投げ返したようなものでしょうか。

森友学園の幼稚園指導法、文科相「大阪府に報告求める」

その教育を大絶賛した人が安倍夫人であり、おまけに安倍夫人によれば「こちらの教育方針は大変主人もすばらしいという風に思って」いるそうですから、大阪に問題を投げる前に、ひとまず安倍夫婦にでも聞いてみてはいかがでしょう。

この問題もようやく、様々なマスメディアで見かけるようになってきました。ただし、現代日本の闇が一体となって形作られたのがこの問題であり、逆に言えばこれらの一部だけを取り上げてもあまり意味はありません。そして現状、ヘイトスピーチや神道カルトなどの部分については、土地に比べてあまり取り上げられていないと言わざるを得ません。
これらが全方位から取り上げられない限り、問題はどこかがうやむやのまま終わるでしょう。

2017-02-19 の記事 - 2017-02-19
安倍晋三記念小学校の件。近年まれにみるほどドス黒い根が複雑に絡み合った問題です。これがほんの少し前の日本であれば、大スキャンダルとして連日報道された上で一発で終わりになっていたでしょう。
以下、報道などで示されたことを簡単にまとめておきます。

・大阪府豊中の国有地が、学校法人「森友学園」に対して異常に安い価格(近隣の1割程度)で売却される。なお、鑑定評価額は9億5600万円、売却価格は1億3400万円、その差8億円以上。理由は「ごみの撤去費用を差し引いた」ためで「適正」であるという。
・また、これとは別に学園側にはごみ撤去費用として1億3176万円が支払われている。つまり、学園側は実質無料に近い額でこの土地を手に入れたことになる。
・このような土地の売却価格については原則公開となっているが、この土地の売却価格は学園側が非公開に同意したとして公開されていなかった。
・この土地の購入を考えていた別の学校法人は、11年にごみの撤去費用まで考慮して5億8000万円の購入を希望。ところが財務局から価格が低いと指摘されて断念した。
・国から異様な便宜を受けていたとしか考えようのないこの学校、現在名称は「瑞穂の國記念小學院」となっているが、資金の寄付を募っていた時の名称は「安倍晋三記念小学校」となっていた。
・しかも学校の名誉校長を務めるのは安倍夫人。なお、安倍夫人は塚本幼稚園(後述)を絶賛していることでも知られている。
・学校法人「森友学園」は「塚本幼稚園」を運営しているが、ここでは保護者に対して「よこしまな考え方を持った在日韓国人や支那人」などと書いた文書を配布。ヘイトスピーチの恐れがあるとして大阪府は園長らから事情を聴いた。
・また同幼稚園は、「当園に対する不当な誹謗・中傷記事が書かれたブログが立ち上げられ」ていて、調査の結果投稿者は「巧妙に潜り込んだK国人・C国人等の元不良保護者である」ことが判明したとするヘイト声明を公開。なお、伏字の部分を「韓国・中華人民共和国人」と伏字なしで書かれている版の文書も発見されている。
・当然、園児に対して中国・韓国への差別意識を植え付けるような教育も行われており、運動会の選手宣誓では園児に中国・韓国の批判をさせ、安倍首相頑張れと言わせていたという。
・この幼稚園に関しては、元園児の保護者を名乗る人がその実態を書いたブログを公開。それが事実であるとするならば、ほぼ虐待と言っていいような事例、理不尽な事例が並んでいる。
・もちろんというかなんというか、「森友学園」理事長の籠池氏は大阪の日本会議の代表委員である。さすが日本会議は期待を裏切らないといったところか。

実際にはもっと色々ありますし、判明していないことも多いはずですが、ひとまずこの辺で。これだけでも安倍氏周辺、政治癒着・不正、日本会議、ヘイトスピーチなど、現代日本の闇で数え役満ができるほどの異常に黒い案件であることが分かります。現在のマスコミの状態ではうやむやのまま終わるいつものパターンに入ることが十分予想できますが、はっきり言って異常事態でしょう。
そして、ここまで徹底的にドス黒い役満案件ですらうやむやに終えられることになれば、ましてや世の中の多くの黒い問題を追及できようはずもなく、まとめて手の届かないものとなることでしょう。

2017-02-12 の記事 - 2017-02-12
東京MXの番組「ニュース女子」(DHCシアターら制作)にて、沖縄に関するヘイトデマを垂れ流したとして問題になっている件。

MXテレビ番組をBPO審議へ

「ニュース女子」BPO審議へ 基地反対運動めぐる放送

私はBPOをそれほど信頼できる存在であるとは考えていませんが、それでも良識ある判断を期待せざるを得ません。
なお本件をめぐっては、「のりこえねっと」の辛氏の言動をあげつらうことで問題を正当化しようとする異様な主張も散見されますが、それで沖縄ヘイトデマの垂れ流し番組が容認されると本気で考えているのであれば、おかしいどころか狂っています
ちなみに、制作会社のDHCシアターの見解においては、なんと堂々と「基地反対派の言い分を聞く必要はないと考えます」と明言されています。

>そもそも法治国家である日本において、暴力行為や器物破損、不法侵入、不法占拠、警察官の顔写真を晒しての恫喝など数々の犯罪や不法行為を行っている集団を内包し、容認している基地反対派の言い分を聞く必要はないと考えます。

この理屈が成り立つならば、沖縄問題に限らず、人種や障害などへの差別、公害その他の国家の責任による病気や事故の賠償、政治への抗議、その他この世に存在するありとあらゆる問題について、抗議者のうちの誰かが不法行為を働いた事実があれば、あるいはそのような言いがかりをつけさえすれば、抗議側の言い分など一切聞かずに自由にデマを垂れ流して構わないということになります。
ついでにこちらも傑作。

>これら言論活動を言論の場ではなく一方的に「デマ」「ヘイト」と断定することは、メディアの言論活動を封殺する、ある種の言論弾圧であると考えます。

頭に「ある種の」と付いてはいるものの、言うに事欠いて「言論弾圧」とは。なぜこの手の人々はこういう言葉が大好きなのでしょう。言うまでもありませんが、これを「デマ」と指摘している人々は、言論活動によってデマであると非難しているのであり、DHCシアターに番組制作をやめさせたり同社作成の番組を放送させない公的な権力など有していませんので、どうあがいても「言論弾圧」などできようはずもありません。
仮にこのようなお粗末な理屈が成り立つならば、民主主義の法治国家における日本で展開されている抗議活動について、放送の伝播力を利用してデマを垂れ流すことこそ、ある種の卑劣な弾圧行為と言っていいでしょう。

ところで、問題となった番組の司会を務めていたのは長谷川幸洋氏であり、東京新聞・中日新聞論説副主幹を務める人物です。東京新聞側はこの件を「他メディアで起きたことではあっても責任と反省を深く感じています」「副主幹が出演していたことについては重く受け止め、対処します」としています。
しかし、長谷川氏本人の言い分はパターン通りのお粗末なものです。

東京新聞の「反省」、言論の自由侵害

東京新聞の論説主幹と私が話し合ったこと

DHCの「言論弾圧」に続いて出ました、伝家の宝刀「言論の自由」。もういい加減飽きてきたので、別の言い訳を考えてほしいものですが。
東京新聞がどうすれば「言論の自由」を侵害できるのか、という観点は先の繰り返しになるので見逃してあげるとして、言論の自由を守るためには、言論の自由の看板を使い捨てにしてデマやヘイトを垂れ流す連中とまず戦わなくてはならないことは言うまでもありません。

無論、会社が賛成と言っている問題に対し、単にその構成員が別の場所で反対と表明すること(あるいはその逆)自体は制限されるようなことではありません。それが他人の権利の侵害、人種や民族、障碍などに対する差別の扇動、犯罪の教唆といった行為である場合は別として、各人が何を主張しようと基本的には自由でしょう。
しかし本件の場合、まず番組は言論ではなくデマの垂れ流しが問題にされているのですから、主張の違い以前の問題です。氏によれば「論説副主幹を名乗ってテレビで発言したり意見を発表したのは、昨日今日に始まった話ではない。論説委員時代も含めれば、10年以上前からそうだ」「私はかねてから東京新聞と異なる主張をしてきた」そうですが、つまり単なる主張の違いに関しては、現に長らく問題とされてこなかったのであり、デマを垂れ流したから問題にされたとしか考えようがないのです。
そして、そのデマ垂れ流しによって何がなされたかといえば、沖縄ヘイトであり、他人の名誉を踏みにじる行為です。いくら主張は自由といっても、ヘイトを扇動していい自由、他人を踏みにじってもいい自由など存在しません(東京新聞は憲法が縛る対象ではありませんが、言論の自由なる言葉を振りかざされたからには持ち出すならば、憲法にすら「公共の福祉」は明記されています)。こんな蛮行がなされたとあっては、いくらなんでも東京新聞にとっては「本紙のこれまでの報道姿勢および社説の主張と異なる」ことでしょう。
それも、言論に無関係な会社なら「当該人物の主張は当社には関係ありません」で逃げ切れるかもしれませんが、言論機関である新聞社ともなれば、「テレビでデマを垂れ流し、ヘイト扇動行為にかかわった者は当社論説副主幹ですが、その主張は当社には関係ありません」で済まされては困りますし、そちらの方が「言論の自由」を預かる言論機関としての責任放棄です。
当然、会社の責任としても、また言論の自由を守る意味でも、厳正に対処することが必要なのです。

2017-02-05 の記事 - 2017-02-05
韓国デマサイトは広告収入が目的 運営者が語った手法「ヘイト記事は拡散する」

あまりにも許しがたいヘイトスピーチ(差別扇動)であり、レイシズムです。

>「怒っている人がいることは想像できますが、これが誰かの人生や、実生活に影響を及ぼすことはないんじゃないでしょうか」

無論、これは完全に間違っています。ヘイトスピーチは被害者を大きく傷つけ、多大なダメージや不安を与えます。激しい精神的苦痛から身体へのダメージまでもを引き起こしたり、身の危険を感じる人もいることは、在特会などの被害からも分かっていることです。
そして言うまでもなく、ヘイトスピーチはヘイトクライムを引き起こします。障碍者施設が襲撃されて大勢の人々が虐殺された事件は記憶に新しいですし、他にも模造刀で他人に斬りかかったり、現に児童がいる学校に嫌がらせ攻撃をしたり、事務所に押し入って事務員を脅したりと、幸いにも死者は出なかった例まで含めると、挙げるのもきりがないほどです。
本件のデマニュースにしても、デマであることを暴いた情報はデマほど広がっておらず、またデマ暴きを見てもなお韓国人が悪いと強弁する者もいます。これらの者が憎悪を募らせたり、あるいは情報が再拡散されて別の者が憎悪にまみれていくうち、また新たなヘイトクライムを引き起こす可能性は十分にあります。
無論、その場合でもこのデマニュースが犯罪を引き起こしたと確定することはほぼ不可能なのですが、それは言うなれば犯人が「自分は確かに街中で人ごみに機関銃を乱射したが、他にも乱射した者がいたから自分のせいで誰かが死傷したわけではない。文句は他の奴に言え」と主張するようなものです。
このようなデマは誰かの人生や実生活に対し、多大な被害を及ぼす可能性があるものです。ゆえに差別について最低限の知識を持つ人は、このような悪質なデマに対して怒るのです。

では、このデマ流しの犯人はレイシストなのか。

>男性自身は、韓国について「好きも嫌いもない」。韓国に行ったこともなければ、韓国人と喋ったこともない。ハングルだって読めない。

とのことですが、実際には明らかなレイシストと言っていいでしょう。
まずヘイトスピーチの重大性を理解していないような発言からして眉唾ものです。この犯人はSNS上のヘイト情報について分析済みで、「ヘイトを煽る」記事が拡散されると認識していて、高田誠を何らかの方法で知っていて、しかも氏を拡散に用いるターゲットに定め、そのための策略まで練って実行に移し、実際に成功しています。そこまで周到に下調べをしてデマの拡散を狙うような人物が、ヘイトスピーチの重大性に関する基礎知識だけは偶然にも全く得ることはなかったと考える方が無理があります
また、天文学的なまでの低確率ではありますが、万が一にもヘイトスピーチが犯罪を引き起こすことを知らなかったとしても、芸能人デマの法的リスクに触れていたり、実在の人名や企業名を用いるリスクについて認識している以上、デマが他人に対して被害を与える認識があったことは確実です。したがって、最低でもデマの垂れ流しによって直接誰かが傷つく可能性があることは、犯人も間違いなく承知していたはずです。

他人を死傷させれば、いくらかの金が、それも大きな額ではなくごく少量の小遣い程度の金額が手に入るとしましょう。たとえ法的リスクが低いとしても、あなたはそれで他人を死傷させようと考えるでしょうか。私には無理です。相手が「好きも嫌いもない」ような者だろうと、死傷させることはできません。
それを、この犯人は平然とやってのけたのです。「韓国人ならば死傷してもいい。ごく少量のお小遣いを得るため、彼らを死傷させることになっても全く構わない」と考えていなければ、このようなことは不可能です。これは当然、字面通りの意味で「好きも嫌いもない」相手に取れるような態度ではありません。
まして、この犯人は一度はてなブログでデマニュースサイトを開設しようとして、公開停止の措置を受けたのだといいます。自分の行いがいかなるものかをここで認識し、踏みとどまることもできたはずですが、あえて二度目の行動に出ているのです。韓国人なら死傷させてもいいと確信していて、一線を踏み越えるのに全く抵抗がないらしいことがうかがえます。
この犯人が自らのレイシズムを実際に自覚できていないのか、それとも自覚しつつも当たり障りのない応答をしているのかは、私には分かりません。しかし、いずれにせよその背景にはぞっとするほど凶悪な「透明のレイシズム」とでも呼ぶべきものが存在していることは確かだと、私は見ています。

そしてこれはまた、現実的で多大な恐怖でもあります。
大災害や内乱で法が機能不全に陥った時、「○○人を襲う」ことに何らかのごく小さな利益(金銭的利益かもしれないし、名誉や称賛など無形の利益かもしれない)があるとしたら、この犯人のような人間はどのような行動に出るでしょうか。
あるいは、ナチス政権下のように法がレイシストの味方となった時、「○○人を通告する」ことにごく小さな利益があるとしたら、この犯人のような人間はどうするでしょうか。
「相手が○○人ならば、自分が法的リスクを負わない限りにおいて、ごく小さな利益のためにでも死傷させて構わない」と考える者がいるというのは、そしてそれを大した罪悪感もなく平然と実行に移せてしまう者がいるというのは、すなわちそういうことなのです。

2017-01-29 の記事 - 2017-01-29
天皇退位に関して。BBCを聞いていたところ、「現政権が一代限りの適用を望んでいるのは、永続的な見直しをするとなれば女性を認める改正などの気運が出ることも避けられず、それを回避したいため」といった分析がなされていました。
私は天皇制周りの件に関して全く興味を持っていませんが、本件においては人権上あまりにも問題があること、また社会制度や差別意識に与える影響が大きいことから、触れておくことにします。

1.天皇制の是非
天皇制自体を廃止すべきと考えています。理由は以下の通り。

・本来、天皇は単なる象徴としてしか位置づけられていないが、保守派とやらが権威の衣服を無理やり大量に着せたことにより、天皇に多大な権威づけがなされてしまった。もし今後、政治的権力の獲得を画策する者が天皇となり、天皇の権威を利用したい保守派とやらと手を組んだなら、もはや歯止めが利かなくなる可能性が高い。
なお、言動や退位の念に見られるように、現天皇自体はおそらく権威を得たいなどとは考えておらず、これは天皇の意思とは関係ないところでなされている。
・80歳を超えるおじいさんを、天皇が大事などとほざく保守派とやらが未だこき使おうとしていて、おまけに退位の意思に対してまで文句を垂れる始末。老齢までこき使われ、辞めると言っても横やりを入れられるのであれば、人権上多大な問題がある。

私自身は現天皇に対して特に負の感情はありませんし、天皇制も特に必要と考えてこそいないにしても、政治上・人権上の問題を起こす危険がない限りは黙認して構いませんが、保守派とやらの手によってなされている上2つの件はこの両方の問題を引き起こすものですから、こうなると天皇制に反対の意思を表明せざるを得ません
以上、文句がある人は保守派とやらにどうぞ。

2.天皇に対する言葉遣いの是非
日本のマスコミでよく見かける「○○さまが○○されました」というあれです。
私はこれを廃止し、一般的なニュースで見られる通常の言葉遣いにすべきと考えています(芸能ニュースでもあるまいし、あれ自体が必要かというのは別の問題なので置くとして)。

人類の生活を大きく進歩させたり、人命を救うために多大な貢献をしたりと、世の中には素晴らしい成果を残した人が存在します。
ところが、いくら多大な成果を上げ、何千何万の命を救い、世界中の人々の尊敬されようとも、彼らが「○○さまが○○の研究成果を発表されました」などと報じられることはありません。その一方、皇族一家に関してのみは、功績など上げようもない赤ん坊すら「○○さま」と呼ばれ、大げさな敬語が使われるのです。
これは理不尽かつ無意味であり、全く道理に合いません。皇族に対して権威づけをする道具としかなっておらず、その権威が天皇の政治的利用という形で結実すれば、誰にとっても最悪の結末にしかなりません。よって、通常の言葉遣いによる報道とするのが妥当です。
なお私は、現天皇は「人として」まともな人間であるとは考えていますが、「天皇だから」尊敬しようなどとは全く考えません。その人の人間性や功績ではなく、肩書や属性(出自、人種、民族、肌の色、性別など)を理由として尊敬すべきか貶めるべきか決めるなどという思想を、私は一切容認しません。

3.女系天皇の是非
当然、認めるべきです。

天皇の血筋がどうなろうが私には関係ありませんが、天皇制が堂々と女性排除をやっていることには国内の性差別を助長する効果しかありません。
「伝統」などと意味不明なことを並べ立てる輩もいますが、そんなものは知ったことではありません。しめ縄を飾るなり、豆をまくなり、伝統を重んじたいなら他者に迷惑をかけない方法でご自由にどうぞ。しかし、道のど真ん中に縄を張ったり、人ごみに対して豆を投げつけたり、手前勝手な伝統とやらによって人に迷惑をかけるのであれば、それを認めることはできません。
天皇は良くも悪くも日本の象徴であり、日本社会に与える影響が大きいものです。この象徴的制度が性差別を公然と行い、社会に対して性差別の見本を示している状況を容認することなど絶対にできないのは言うまでもありません。

4.一代限りの規定の是非
言うまでもなく、一代限りではなく永続的な改正とすべきです。

結論ありきで有識者会議とやらを用いる安倍氏のやり方は第一次の時から全く変わっていませんが、現行規定を変更されたくないという欲望に基づく、自称保守や自称有識者会議のつまらない有識者ごっこに付き合ってやる必要などありません。
一代限りの適用とすることは、すなわち現行の非人道的かつ差別的な規定は今後とも温存し、今回の件はあくまで例外であると宣言することを意味します。そのようなものでお茶を濁させるべきではありません。永続的な改正とし、かつ現行の理不尽・非合理・人権無視・差別的な部分に大幅に切り込むべきです。
なお、現天皇の退位と他の制度改正については別物とする意見もありますが、私はとりあえず人道を優先して現天皇の退位を先行することには反対しないものの、今回の退位問題は現行制度の非人道・非人権・差別性が表面化したうちの一つであって、これらは明らかに連続した問題と考えています。

2017-01-21 の記事 - 2017-01-21
原作漫画版の「この世界の片隅に」は読了していましたが、このほど映画版を鑑賞する機会があったため、それについていくつか書いておきます。必要もなく詳細に踏み込まないように注意してはいますが、それでも内容に触れないわけにはいかないため、未読・未鑑賞の方はご注意ください。

映画自体は娯楽作品としてはよくできています。おおむね原作に忠実な映画化であり、素材(原作)が良質なため映画の質も高く、良作と言っていい作品です。ただし、私はこの映画について高い評価をすることはできません。
例えば、良質なバンズとレタス、トマトを使用し、肉を一切使用しないものが「ハンバーガー」と称して提供された場合、ハンバーガーが何かを知らない人なら十分に満足して食べることができるでしょう。ただし、ハンバーガーが何かを知っている人ならば、肉がないことに大きな不満を抱くのは避けられません。この映画はまさにそれであり、良質な野菜サンドイッチとして味わうことはできる一方で、原作からごっそり肉を抜き去ってしまった存在でもあるのです。

大きな変更点の一つに、遊郭関連のエピソードがごっそり削られていることがあります。ここは監督も残念と考えているそうですが、尺の都合で削ったとのこと。
漫画版では「代用品」などのエピソードがあるために、その後の水原とのやり取り、周作との関係も生きたものとなりますが、その辺がごっそり抜け落ちている映画では掘り込みが足りなくなっている印象は否めません。一言で言えば、各人の行動がやや駆け足的で突飛なものとなっています。
すずは確かに強い自己主張をするタイプではないながら、原作では細かな心情描写や遊郭関連のエピソードから個のある人間として描かれていますが、映画では原作と比較して意思が見えにくくなっています。周作もまた、原作ではこうしたエピソードによって人間らしさ、すずにとっての一種のわだかまりが描かれている一方で、映画ではあまり個性を見つけることのできない存在となっています。

ただ、削減に関してはまだ尺の都合と考えれば仕方がありません。長大で密度の高い原作を映画にしようとすれば、どこかしら削らないわけにはいかず、どこを削っても疑問の声が出るのは避けられません。一部が削られたことによって違和感が出てしまっている部分を、違和感を与えないように描写していない点については批判点かもしれませんが、これにしても原作を下手に改変するよりは良いとも言えますので、許容できる範囲ではあるでしょう。
しかし、終盤のすずの象徴的なセリフを改変したことには、「否」の評価を下すしかありません。この一点のみで、原作の根底に流れるものをぶち壊しにしてしまっています。

私が考えるに、この物語は大きく3つに分かれています。「戦前〜戦時中の日常」「負傷後の世界」「すずにとっての戦争が終わった後」です。
まず、戦争の影が徐々に忍び寄り、食糧事情は日に日に貧しくなりつつも、工夫を凝らして案外楽しく生活している部分。ここは漫画でも3巻中の約2巻を占めている部分で、中盤までの展開となります。家族が戦死したりはするものの、それにしても直接的な描写がなく、実は生きていてもおかしくないような認識となっているため、悲壮感はあまり描かれていません。
戦争も末期になると広島周辺も攻撃対象となり、たびたび空襲警報にさらされたり、建物疎開が行われたりもしますが、すずたち一家が暮らす建物は取り壊されることもなく、危機に対して深刻に悩むような描写もあまりなく、この時点でもまだすずは戦争状態の生活をそれなりに楽しく過ごしていきます。
しかし、終盤に入る時期になってようやく、すずは戦争というものに直面します。身近な人が死に、しかも自身も一生癒えない傷を負ってしまうのです。どこか戦争状態の生活を楽しんでいたような内容は、これを境に否が応にも戦争に直面したものへと変わり、原作ではゆがんだ絵なども用いられ、効果的に描写されています。
そうこうしているうちに広島に新型爆弾が落とされ、何か大変なことが起きたらしいという描写もなされ、実家がどうなったかもしばらく把握できない状況となります。
ここですずは、敵国の飛行機に対して「そんとな暴力に屈するもんかね」と口にします。すずにとっては自らは、敵国の理不尽な暴力によって攻撃された被害者なのです。憎むべき敵国によって攻撃を受け、親しい人を失った上に自分も大けがを負ったとなれば、このような認識に至るのは自然なことです。

それからまもなく終戦の日を迎え、すずたちは玉音放送により日本の降伏を知ります。
原作ではこの後、すずは自分の国が正義ではなかったことを悟り、自分たちが必ずしも被害者の立場ではなく、実は加害者でもあったことを理解します。今まで信じてきた価値観が完全に突き崩されてしまったわけです。原作のこれまでの様々な描写は、ここでの逆転のために積み上げられてきたと言っても過言ではないでしょう。
実際、この作品では常にすずの視点で物語が描かれており、ここまでに攻撃を受ける被害者としての視点はいくらでも出てきた一方、日本が他国への加害行為に出るような描写はありません。アジア各国の人々や、敵国に対する差別憎悪的な表現すらもなされず(*)、すず本人も読み手も終戦の時まで加害行為を実感することはありません。今まで見てこなかったものの存在を、すずは敗戦の時になって悟ることになったわけです。ここが物語中の2つ目の区切りであり、すずにとっての「戦中」と「戦後」を分ける線であるものと、私は考えています。
ところが、映画ではこの描写が完全に改変され、別物となっています。原作のすずはおぼろげにでも自分たちの加害性を認識し、それに直面した上で嗚咽した一方で、映画版のすずはあくまで被害者であり、戦争にしっかり向き合うことは最後までできませんでした。
この一点により、原作と映画のベクトルは全く異なったものとなっています。

(*)現実には戦前から戦中に至るまでアジア諸外国への蔑視や差別の意識はありましたし(現在まで残っているのを見れば一目瞭然でしょう)、当時の婦人誌は「アメリカ人をぶち殺せ」などと記載したりしています。当然、戦時下の日本では米国ら他国に対する憎悪扇動的なスローガンなども用いられていたはずですが、すずは「まだ左手も両足も残っとるのに」となんとも大日本帝国らしいことを言って降伏に対して納得できない気持ちをあらわにするものの、憎悪扇動的な文言は作中に登場しません。
つまり、本土においても加害性を持った要素はいくつも存在したはずですが、こうした情報が出れば読み手は加害性を嫌でも認識することになりますので、すずは作中において、加害的な要素からあえて隔離されていたわけです。

監督は以下の記事において、この描写の改変をした理由を語っていますが、ある意味で非常に腑に落ちるものではありました。

11/12(土)公開『この世界の片隅に』(原作:こうの史代 監督:片渕須直)

>それまでのすずさん自身が、朝鮮の方に暴力を振るっている場面があったか?というと無いんですよ。そういうところを彼女は目撃もしていない。なのに、すずさんが突然そんなことを言っても、拳を振り上げて戦争反対と言っている姿勢とあまり変わらなくなっちゃうような気がして。

なるほど、「拳を振り上げて戦争反対と言っている姿勢とあまり変わらなくなっちゃう」、それが改変の動機ですか。映画のすずのルーツがなんとなく分かったような気がします。
現状の日本では、諸外国の人々を差別し中傷するような自称言論が平然とまかり通っているばかりか、大日本帝国は諸外国に対する加害側であったにもかかわらず、被害者ぶろうとする言説すら横行しています。南京問題、慰安婦問題なども含め、その実例はいくらでも挙げることができます。
映画で描かれたすずはまさに、この日本の価値観が投影されたキャラクターなのです。終戦当時の日本人がどれほど自分たちの加害性を認識していたのかは、当時を生きていない私には分かりません。ただ、少なくとも現状の日本における意識は加害性を軽視する側に立っており、そういう意味では原作のすずこそ異端的な存在であり、映画のすずが標準的な存在であるともいえるのです。
すずは確かに、直接他国の人々に加害行為を働いたわけではありません。先に述べた通り、作中でのすずは加害行為的なあらゆるものから完全に隔離されています。だからこそ、すずの過酷な体験は非情な理不尽さ、強烈な被害者意識として結実し、読み手にも強烈な印象を与えるのであり、その強烈な被害者意識があるからこそ、終戦の場面において自分も加害者の立場にあったという大逆転、終戦と同時に自分の中での戦争もまた崩れ落ちるシーンが生きてくるのです。もしすずが他国の人々に直接的に加害行為を働いていたならば、敵国に被害者意識を抱いたとしても身勝手なものとしかみなされないでしょうし、価値観の崩壊も当然の結末としかなり得ません。
自らに直接加害の体験がないからこそ、読み手に強烈な印象を残す価値観の崩壊」を原作では余すことなく描き切り、自国から正義が飛び去る認識や、自らの加害を悟ったことにより、実際の戦争と同時にすずの中での「戦争」にも決着をつけました。それを、映画では「直接加害の体験がない」ことを理由に排除し、終戦はただの終戦というイベント以上の結果を描くものとはなりませんでした。
映画は全体的に原作に忠実に描かれていますが、ここはあえて原作が大きく改変された数少ない部分の一つです。となれば、監督としてもこだわりはあったのでしょうし、またここに賛否が集中するのもまた当然といえるでしょう。そして私は、すずの中での戦争を描き切った原作を強く支持します

と、ここまで書き終えてから読んだインタビューがこちら。どうやら本当に、あのシーンにおける映画のすずは「日本の価値観が投影されたキャラクター」で間違いなかったようです。

『この世界の片隅に』片渕須直監督インタビュー前編「この空間を想像力で埋めてはいけないと思った」

>庶民の側には、普通に国が戦争をやってるからくっついていっただけ、みたいな感じがある。庶民は「アメリカのほうが科学力や物量に優れていて、単純にそれで負けた」と思っていて、実は「正義」とかっていう言葉は入ってきようがない。まだ、きちんとした認識が生まれていないんです。なので、すずさんが生活者視点でそういった意識に近いことを気づくとしたら、どういった言葉になるのか? と考えて、セリフを変えています。

さすがにあり得ません。これには唖然としました。
敵国の飛行機に「暴力に屈するもんかね」と言ったり、降伏に対して怒るシーンがあるように、すず自身は一種の信念を持った人物です。すずはある意味で自国の正当性のようなものを信じていて(たとえそれが苦境の自分を支えるためのものであれ)、日本が加害者であるとは認識せずに(すず視点の作品中において、加害の要素は実際にほぼ描かれずに)戦中を生き抜き、負傷して親しい人も失い、「不当な暴力の被害者」となったのです。この信念が玉音放送のその瞬間まで続いたことは、「左手と足」の発言を見ての通りです。
それなのに国はあっさり降伏し、しかも実は日本が加害者であることを認識したならば、「言っていることが違うじゃないか、やっていることが違うじゃないか」と嘆きたくなるのも無理のないことでしょう。この価値観の根底からの崩壊を描いたシーンがまさに、「正義が飛び去っていく」〜「暴力」のくだりです。
そもそも「庶民は物量と科学力の差で負けたと考えていた」からと「あのシーンから正義の語を排除する」という発想自体があんまりですが、加えて作中のすずは上記のような行動に見られるように、すずなりの思考を持ち、また厳しい体験もしています(これは読み手も追体験しています)。それを、すずというキャラクターは原作のままに、終戦の時の総括だけを「物量と科学力で負けた」と考える庶民の声とやらにすり替えてしまったのです。映画のあれはもはや、すずが発した言葉ではなくなっていたのです。
どうやら、私が映画に抱いた印象は間違っていなかったようです。すなわち、やはり映画のすずは物語の最後まで戦争と向き合うことができなかったのです。なぜならば、自分が抱いてきた信念の崩壊に対し、自分の言葉で総括する機会を、映画のすずは持つことができなかったのですから。
もしこの映画の監督が庶民の声で総括をさせたかったのであれば、「この世界の片隅に」のすずをその道具とするのではなく、当時の庶民を平均化したような行動パターンと思考、性格を持ったキャラクターを作り、それを主人公とした映画を撮るべきでした。もしそういうキャラクターが主人公ならば、あの終戦のシーンは強い意味を持ってくるでしょうし、逆に原作のすずのような言葉は違和感のあるものとなるでしょう。

原作のすずが終戦と同時に自分の中の戦争を終わらせ、戦後の世界を生きていくのに対し、映画のすずはおそらく、以後もおぼろげな戦中を生きていくのでしょう。
素材が優れているだけに、映画は消化不良気味で惜しい作品です。削りは仕方ないとして、改変がなければ十分素晴らしい作品になっていたはずです。
映画だけを鑑賞した皆様におかれましては、ぜひ原作を読むことをおすすめします。

2017-01-14 の記事 - 2017-01-14
UWPでは音声入力APIが提供されており、比較的簡単なプログラムで音声認識をさせることができます。命令を受け付ける場合などには入力候補を指定することができ、逆に語彙を限定しない方法での使用も可能と、なかなか面白い機能です。
となれば、外国語の音声を聞き取って認識させることにより、字幕を生成できるのではないかと考えるのは当然というものでしょう。これが実用可能なレベルで、それもリアルタイムに可能なのであれば、たとえ認識精度が限定的なものであったとしても、言語学習にとって大きな助けになることは想像に難くありません。
そこで、ひとまず私が導入している3言語(イギリス英語、簡体中国語、日本語)について精度を確認してみることにしました。音声はPC上で再生し、それをステレオミキサーによって入力します。

E1.BBC World Serviceを聞かせる
ちょうどイギリス英語の言語パックを導入していることですし、手始めにBBCを聞かせてみました。音声は早すぎず遅すぎず、おおむね一般的なニュースの読み上げ速度であり、理解には苦労しない程度のものでした。コメディやミュージック、くだけた番組ならともかく、真面目なラジオ番組の内容が聞き取れることは、実用上の最低ラインと言っていいでしょう。
結果ですが、全くダメでした。ほぼ認識を開始することすらできず、たまに認識を試みようとするものの、言葉をいくらか拾ってはそれ以上の認識ができなくなってしまうことの繰り返しでした。

E2.VOA Learning Englishを使用する
通常の英語ではダメとなれば、初学者の強い味方・VOA Learning Englishはどうでしょうか。学習者のために速度を落としてある英語で、私もずいぶんお世話になったものです。
こちらはひとまず、認識はされます。精度は必ずしも高くなく、たびたび文節が飛ばされることもあり、実用レベルに達するにはまだまだ壁が厚そうですが。


分かるような、分からないような。

C1.C-POPを聞かせる
演奏に邪魔されて声を拾えないようでは困りますので、ここはひとまず「矜持」を聞かせてみました。演奏が少ないため、カラオケで歌おうとするとリズムを取るのに若干苦労するような曲です。
結果、ほぼダメでした。中国語には声調があるため、歌を正しく認識させることは困難であろうと予想はしていましたが、それ以前に認識を開始することがほとんどできていませんでした。

C2.CCTVのニュースを聞かせる
ニュースキャスターによるニュースの読み上げです。これがまともに聞き取れないようでは、実用するのは難しいと言っていいでしょう。
結果は英語でBBCを聞かせた時と同様、まともに認識を開始することさえできませんでした。

C3.中国語の朗読を0.5倍速で聞かせる
普通に聞かせてもまともに認識させられない朗読音声(おおむね標準的な速さ)を、0.5倍速で再生して聞かせてみました。
結果、上手くいけば多少の認識はされます。ごく一部の文節では完璧な認識を見せてもくれました。が、デタラメな認識や聞き取れない部分も多く、基本的にはまともに使えません。中国語は英語にもまして、認識が難しい言語のようです。

J1.radikoを聞かせる
アメリカやイギリス、中国の放送がタダで聞けてしまうこの時代、在住都道府県外の放送を聞くのにすら金を取るradikoの姿勢を見て、私は日本のラジオの行く末を悟り、それ以来radikoを含めて日本のラジオを聞くことをやめました。が、この際ですから利用させていただくとしましょう。
結果、認識精度はお世辞にも高いとは言い難いものでしたが、そもそも認識されないことさえ多い他の言語と比較すれば、かなり頑張って認識してくれました。やはり日本語は(発音に関しては)比較的簡単な言語のようです。

J2.NHKニュースを聞かせる
日本語読み上げの「標準」を挙げるとするならば、おそらくNHKニュース。独立性を担保するための公共放送なのに権力にヘーコラしていようが、経営委員に悪質なデマ垂れ流しレイシストが紛れ込んだことがあろうが、ヤクザまがいの受信料取り立て範囲拡大をたくらんでいようが、日本語読み上げの精度に限っては腐っても天下の日本放送協会です。たぶん。
結果、例によって認識内容こそかなりデタラメではあるものの、こちらもそれなりに認識されてくれました。


とりあえず、寒いということが言いたいらしいのは分かります。他の言語ではそもそもまともに音声を拾ってさえくれないことが多いため、この結果ですら上出来です。

2017-01-01 の記事 - 2017-01-01
using System;class Pg{static int year=17;static void
Main(string[]args){int[]a=new int[32];for(int i=year
/2;i<year;i+=2){a[i]=((year+0x100)<< 2)*year+i/11*((
               i%3-2)      *7/2+3
               ); int      r=1+(1
               +i)%6/      5; a[(
  year-2)/r]=a[i+year-2]=r*(year*7)*year-3+9*(r+3)
  ;}int d=5;for(int i=0;i<8;i++){int m=(2<<(i+5))+
  (i<3||i>5?0:(5-i)*16)+(i/5)*4+(i/7)*-8;if(i!=2){
  a[d]=m      ;if(i%       2==0){           a[20+i
  /2+ i/      6* 3]=       year *           132-21
  *i-15*     (i>4?4        :i);a[    10*(   3-i/2)
  /3+18]     =((1<<        (year-    4))+   year *
  year*3    +year+          7)*i/2  +((1    <<8)-6
  )*(i<1    ?0:1)+           year+8;}}      d+=(i<
  1?-1:1   )*(i<4              ?4:0)+       (i==4?
  11:-7*  (i-4)*                            (i/5))
  ;}for(                                    int i=
  0;i<3;                                    i++) {
  if(i<2){a[11+(year+2)*i] =(1<<(year-3+i))+(year-
  4)*(1-i)-year+2; a[(year+2)*i]=(42*year+8)*year+
  14/(i+1)+1;}a[(i+1)*2]= (((1<<11)+year*2+3)*year
  +11-(-                                    9+year
  *year*                                    8)*i)%
  ((64<<                                    9)-11-
  year*22);}for(int i=0;i<32;i++){for(int j=0;year
  >j;j++){Console.Write((i%2==0&j==0?"\n":"")+((a[
  i]&(1<<j))!=0?""+year:"  "));}}Console.Read();}}
あけましておめでとうございます。
新年早々から憂鬱な話もなんですが、昨年はかなりひどい年でした。海外の動向もさることながら、国内でも熊本大震災での大量の虐殺扇動、相模原の障碍者虐殺事件、警察まで相乗りした沖縄ヘイトなど、これまでと比較しても数段階は進んでしまった差別の数々を、私は今後決して忘れることはないでしょう。そしてそれらは、私たち日本のマジョリティが差別に立ち向かってこなかったがために引き起こされたものに他なりません。
カルト政治家が新年どころか年末から靖国騒動を引き起こす始末で、どうしようもないヘイトカルトの蔓延には頭の痛いところですが、来年の課題を早速提示してくれたともいえるでしょう。逆に言えば、ヘイトカルト政治家が大っぴらに行動を起こせる状況にまでなってしまった以上、これを放置していれば今後は現状以上のカルト政治や差別が繰り返されることをも意味します。
当面は差別や神道カルトに抵抗し、いずれはカルト神社から英霊利権を剥奪して新設施設なり千鳥ヶ淵なりにそれを持たせることが、今後の日本人が果たさねばならない責任です。

宿題は山積みですが、どうか本年がいかなる属性の人にとっても良い年となりますように。

2016-12-25 の記事 - 2016-12-25
貧困と生活保護(45) 在日外国人は保護を受けやすいという「デマ」

読売のものとしては、主要な論点がまとめられた良記事です。ただ、できることなら10年ばかり早く出してほしかった、とは言いたいところですが。
とりあえず、書き出しから「外国人・他民族を差別・侮蔑・排斥するヘイトスピーチは、日本の恥です」としっかり書き、立場を明確にしていることからして好感が持てます。本来当然のことですが、これをしっかりできるメディアというのはかなり少ないのです。
特に悪質なのが両論併記で、非対称性を無視した両論併記ほど残虐なものはありません。基本的にヘイトスピーチは双方の立場の非対称性を利用して行われるものですので、差別者と被差別者の間には歴然とした力の差が存在します。これを「両論併記」として同じリングに上げることは、すなわち子どもや老人とヘビー級ボクサーを同じリングに立たせて殴り合わせるようなものでしかなく、これをした時点でリングを用意した者も共犯です。おまけに「私はリングを用意しただけで、殴っていませんよ」という逃げ道が確保できるおまけつき。それならば、メディア自らが「ヘイトスピーチをして何が悪い」とでも主張した方が、自ら言論への責任を負っているだけマシというものです。
したがって、差別や権力絡みなど双方が非対称的な問題において、両論併記や結論を濁すような報道をすることは、まさに公正な報道の対極に位置するものであり、報道機関が公正に「ヘイトスピーチはダメだ」と述べることは重要なのです。

内容自体はヘイトスピーチ問題を少しでも知っている人にとってはほぼ全部常識でしょうが、それがしっかり書かれていることには非常に価値があります。
「在日特権」はいわば都市伝説の類であり、「日本の戦前戦後の行為に問題があり、かつ差別が激しかったせいで在日には貧困が多い」という、それ自体は同情の要素にはなりこそすれ非難にはなりようのない「火種」を、因果関係を逆転させることによって煙を立てる道具に仕立て上げ、それにデマや誤読、曲解、伝言ゲームの類が積み重なって意味不明な伝説ができあがってしまったわけです。
しかもそのせいで、「○○はさすがにデマだが、在日特権はなくすべきだ」のような荒唐無稽な意見が一見して中立的とみなされるようになってしまい、それによって中立に見える部分がどんどん異常な方向に振れていくという、いわばデマの自家中毒が構成されてしまっています。今では公党の議員や有名な作家などの有力者までもが平然とヘイトスピーチの垂れ流しを行っており、拡散力の強さに加えて「有名人が言っているなら間違いない」といった心理も作用し、歯止めが利かない状態となっています。
対して、デマを指摘する情報の伝播力は非常に低く、かつ日々量産される差別の材料すべてに反論していくこともできません。したがって、基本的なことを大手媒体がしっかり記載し、「デマ、あるいは妄想」ときっちり言い切ってくれることは、極めて大事なのです。
逆に言えば、メディアが散々見て見ぬふりをしたり、結論を濁したり、両論併記と称して現実には差別思想を拡散するお手伝いをしたりしたがために、本来なら一笑に付されるべきくだらない都市伝説がこれほどまでに蔓延し、他人をズタズタに傷つける道具となってしまったのです。
そして、ヘイトスピーチが人の尊厳や精神を殺すのみならず、物理的にも殺すことは、無残極まりない相模原の事件が証明しています。放置や両論併記などでヘイトスピーチに事実上加担するということは、すなわち「殺す」のに加担することなのです。

このほど発生した新潟の火災もまた、ヘイトスピーチの材料として使われています。なにせ東京の停電すらヘイトデマの材料にされたのですから、火災を差別扇動の道具にすることなど差別者連中にとってはお手の物です。
このようにして作られた「事実」は、紆余曲折を経て都市伝説の一部となったり、あるいは被差別者に対する「なんとなく嫌な感じ」を人々に植え付け、なおさら差別を悪化させていきます。そしてそれは、ふとした拍子に、あるいは大規模災害時などに、ヘイトクライムとして噴出することになります。
恥を恥と書き、デマをデマと書き、妄想を妄想と書く、この記事のような公正で正確な記事が、今後とも多く発信されていくことが必要です。

2016-12-18 の記事 - 2016-12-18
ロシアの件、極めて腹が立っています。

日本のメディアがどうだかは知りませんが、少なくとも海外のBBC World Serviceでは報道がアレッポ一色と言っていいような状況となっていました。アレッポの惨状が、世界の主要国にとって重大な関心事であることは説明するまでもありません。そんな中での今回の会談でした。
なお、EUは15日にウクライナ紛争に関する対ロシア制裁を6か月延長し、またシリアの即時停戦を求める共同声明を採択しています。

EU、対露経済制裁を半年間延長…首脳合意

はっきり言って、最低限まともな判断能力を持っている人の中に、今回の外交に期待をしていた者は誰一人としていないでしょう。バラマキをした上に成果を出せないのは今に始まったことではなく、まして今回の相手はあのしたたかなロシアです。領土問題を解決することはできず、対価だけは取られるであろうことなど分かり切っていました。
ただ、金を取られるだけならそれはそれで仕方がありません。現政権が金は出して成果は出さないのは分かり切ったことであり、それを国民が支持するということは、おそらく国民は意味もなく他国に金をプレゼントすることが大好きなのでしょう。年金や介護などの福祉カットが行われている真っ最中、しかも学費や給食に困る子どももたくさんいる状況下で、なんともお人よしな話ではありますが、「子どもや困窮者に出す金はないが、他国に献上する金ならある(それも人道支援ではなくバラマキ)」というのが日本人の選択とあれば、それも仕方ありません。
しかし、アレッポの件に関しては「自国の金をドブに捨てるだけ」では済みません。おまけにロシア側からは、シリアについて日本と立場がほとんど一致しているという発言まで飛び出す始末。あの大歓迎ムードといい、あまりにも能天気というべきか、場違いというべきか、状況を理解できているようには全く見えません。

沿道に市民2時間…プーチン氏の車は素通り

地元住民を責めるのは少々酷かもしれませんが、それでも能天気極まりないとは言っておかなければなりません。アレッポが破壊されているその時に、蹂躙側の主要人物を大歓待でお出迎えという絵面がどういうものか、いい大人ならば分からないわけではないでしょう(子どもは仕方ありませんが。誘導した大人の責任)。彼らはどのような責任と覚悟をもって、あのお出迎えを行ったのでしょうか。

そして当然、そうまでして行った会談に成果はなく、バラマキを濡れ手に粟のごとく手にする意味と国際的孤立を避けた意味の両方で、ロシアにとっておいしい会談となりました。

与党内にも落胆 二階氏「国民はがっかり」

日ロ首脳会談「国民の大半はがっかり」 自民・二階氏

>国民はみな(北方領土問題が)今度解決するんだと思ったと思う。何の進歩もなくこのまま終わると言うんだったら、いったいあれは何だったんだと。

これに関しては、少なくとも「国民はみな」そう考えるほどバカではありません。安倍氏が成果を上げられないことなど、最初から分かり切っていましたし、もともと安倍内閣に外交的成果を求めることは一般小学生に高等数学で合格点を取ることを求めるも同然ですから、別に「がっかり」などしません。しかし、これが「がっかり」するような結果であることに関しては、党側の人間も認めているわけです。

バラマキについてはもう怒る気力も失せましたが、痛烈な文句や抗議活動でもくれてやったならまだしも、蹂躙が行われているまさにその瞬間の蹂躙者への接待については、人道的にも国際立場上も極めて危険なものであり、到底許すことはできません。

2016-12-11 の記事 - 2016-12-11
TPP・カジノ・福祉カットの3つが最重要課題。どこまで堕ちたのでしょうか、この国は。国民が民主主義に対する不断の努力を怠ったらどうなるか、見本を示しているかのようです。

最近のWindows 10で困り果てているのが、アップデートで勝手に接続帯域を全部持って行ってしまうこと。普通こういうのはユーザーの邪魔をしないように行うか、許可を得て行うか、最悪でも進行状況の確認や一時停止が可能な通知を出すくらいはすべきですが、そんなものはおかまいなしに妨害ばかりしてくれます。邪魔になり次第タスクマネージャから片づけていますが、迷惑千万です。
そんな極めて困ったWindows 10で有用なものの一つが、ライブタイル機能でしょう。重要なものならトースト通知(効果音とともにアクションセンターに出てくるアレ。「トースト通知」やら「ハンバーガーメニュー」やら、なぜ食べ物の名前が多いのでしょう)を使うとして、さして重要でもないものでいちいち通知を出されてはうっとうしいことこの上ありません。スタートメニューのライブタイルであれば、押し付けられることもなければ読み飛ばすことも少なく、読み飛ばしそうならタイルのデザインやサイズを工夫することで対処でき、「トースト通知はいらないが見逃したくはないもの」を広くカバーすることができます。
ただ困ったことに、初期状態のWindows 10のライブタイルは異常にケバケバしいため、逆にうっとうしい機能だと誤解されがちではあります。無理もありませんが。逆に、自分にとって最適なものを自分で作ってしまえば、これがなかなか便利なのです。

それで、データが定期的に更新されるライブタイルの作り方ですが、最低限この3つ(とロゴ画像)だけ用意すればよいので実に簡単なものです(見事な落とし穴がありましたが。これは後述)。

1.browserconfigファイル。デフォルト名はbrowserconfig.xmlだが、名前は何でもよい。
2.タイルに表示する内容を記述したXML。これは動的に変化しなくては意味がないので、プログラムによって自動生成させるか、あるいはサーバーサイド言語によってXMLを吐き出すようにする。
3.browserconfigの場所をmetaタグで指定したHTMLファイル。中身はどれほどぞんざいでも構わない。

あとはEdgeでHTMLを開き、スタートメニューにピン留めしてやるだけです。

まずbrowserconfigですが、この辺に解説があります。ごくシンプルに書けば
<?xml version="1.0" encoding="utf-8"?>
<browserconfig>
  <msapplication>
    <tile>
      <square150x150logo src="(中サイズタイル用のロゴの場所)" />
      <TileColor>#0078D7</TileColor>
    </tile>
    <notification>
      <polling-uri src="(タイル内容のXMLの場所)" />
      <frequency>30</frequency>
      <cycle>0</cycle>
    </notification>
  </msapplication>
</browserconfig>
といったところ。ロゴはpngなりなんなりの画像を適当に用意すれば可。サイズはタグ名からして150x150とされていますが、少々違っても動きます。たぶん。
通知のfrequencyは読み込み間隔(分)を指定するもので、説明では「30, 60, 360, 720, or 1440」とされています。ここでは通知が正しく更新されることを手早く確認するため、30としました。
cycleはタイル内容のURIが複数ある場合の挙動を指定するもので、今回は1つしか用意しないので0(どのサイズのタイルに対しても内容の切り替えをしない)としました。

お次はタイル内容のXMLですが、これはバージョンによって方法や自由度にかなり違いが出ています。
Windows 8対応の書き方をするならこの辺り、Windows 10ではより自由度の高い記述が可能とされています。無論、8の書き方は10でも動作します。
ひとまず10用に簡単に。なお、本来ならこのXMLはサーバーサイド言語なりに生成させるはずのものですが、ここではひとまず普通のXMLとします。
<?xml version="1.0" encoding="utf-8"?>
<tile>
  <visual>
    <binding template="TileMedium">
      <text hint-style="title">Hello!</text>
      <text>Hello World!</text>
    </binding>
  </visual>
</tile>
HTMLはごく簡単で、適当なHTMLのhead中に次の一行を入れるだけ。なお、名前としてbrowserconfig.xmlを使っている場合には、勝手に読みに行ってくれるため、これを書く必要すらありません。
<meta name="msapplication-config" content="(browserconfigの場所)" />
最後にEdgeからこのHTMLを開き、スタートメニューにピン留めするだけです。正しくピン留めできたら、タイル内容のXML内のテキストを適当に変更して30分ほど放置してみて、ライブタイルが更新されたようなら成功です。

さて、これで原理上は動作するはずですが、私のApacheにファイルを配置して動かしてみても全く動作しませんでした
どこか間違ったかと散々駆けずり回って探しましたが、何をやっても全くダメ。もうどうしようもなく、とりあえず適当なサーバーにアップロードしてみたところ、なんとその場合は動作するではありませんか。
つまり、どうやらこの方法ではlocalhost上のものをピン留めさせても正しく動作させられないらしいのです。世の中、サーバーサイドプログラムを書いてlocalhost上に置き、自分用の環境として利用している人は多いはずですが、これが不可能だというのです。なんたる悪質な嫌がらせでしょうか。

ちなみにUWPを使えば、localhost上からもタイル内容を問題なく取得することができます。お手軽さは完全に消滅しますが。これはまたいずれ。


左:スタートメニューにピン留めした後、通知が読み込まれるまでの様子。browserconfigで指定したロゴが表示される。
中央:通知を読み込んだ後の様子。
右:タイル内容のXMLのテキストを書き換えてアップロードし、30分ほど待った後の様子。

2016-12-04 の記事 - 2016-12-04
今年の流行語大賞について。

神ってる
カープ絡みとのこと。少なくとも私は流行語という意味では全く聞かなかった(そういう言い方は以前からあり、これと関係なく使われていたものについては別)言葉ですが、どこで流行ったのでしょうか。
なお、カープに対しては謹んでお祝いを申し上げるとともに、このような状況下で原爆ドーム保存などのための寄付を行ったことに敬意を表します。

聖地巡礼
そのような言葉があることは知っていましたが、これもまたどこで流行ったのでしょうか。やはり聞いたことがありません。

トランプ現象
安倍内閣には大きく水をあけられているものの、排外主義の権化であるトランプ氏。
日本では早速「トランプ氏も案外現実主義の政策を行うし、悪くないのでは」といった印象を与える報道まで散見されますが、マイノリティの生存権を脅かし、国家の伝統的な差別者と被差別者を分断することで支持を獲得したことに対して何一つ言い訳になっていませんし、ゆえに生存権を脅かされている被差別者、あるいは自身は被差別者でなくても隣人が生存権を脅かされている人が、生存権をかけてデモを行う事態になったわけです。
さて、日本のマスコミはどうでしょう。現内閣の構成員が差別デマサイトをシェアする首相であり、在特会と懇ろの閣僚であり、日本会議系がワラワラ存在し、ヘイトとカルトの集団であることを、どれだけの者が報じているでしょうか。石原氏や小池氏などの東京都知事をレイシストという文脈で報じた者がどれだけいるでしょうか。
レイシズムの問題において、日本はトランプ現象をとっくの昔に経験し(おそらく石原氏あたりで)、現状はいわば「トランプが現実路線を取らずに強硬な政策を継続し、かつそれが30年続いた世界」に生きています。マスコミが報じるべきこと、デモやその他言論活動で対抗すべきこと、政治の世界からお引き取りいただくべき者などは山積みであり、これはもはや米国の比ではありません。
なぜ外国のことは面白おかしく見るくせに、自分の国がそれを何十年も前からやっていることについては見て見ぬふりなのでしょうか。

ゲス不倫
知りませんでしたが、文春の話ですか。文春がしばしば大きなスキャンダルを暴くことは知っていますが、政治やらなにやらの話ならともかく、このような話には興味がありませんゆえ。

マイナス金利
これについては、流行語大賞側からの説明を読んでいただくのがよいでしょう。

>2016年2月、日銀はマイナス金利を導入した。ところが企業の投資などへの資金需要は小さく、貸出しはあまり伸びていない。

人々に金がなく、したがって需要もなく、ない需要のために投資する需要もなく、効果はそれほどなかった、という当然すぎる結末です。
何をやっているのか、政策担当者はどこまで無能なのか、と言いたくなるところではありますが、どちらかといえば単なるパフォーマンスであって、効果がないことなど最初から分かっていると考えるのが妥当なのかもしれません。

盛り土
いつまで「石原タブー」を存在させておく気でしょうか。レイシズムを道具に支持を集め、当選したらデタラメな政治を行うという、いわば安倍政権の先駆者にあたる者について総括することなしに、現在の日本の政治やレイシズムの問題に切り込むことはできません。

保育園落ちた日本死ね
非常に力を持つ一言でした。しかも単なる強い言葉だけにとどまらず、ブログの内容もまた非常に妥当性が高く、それがこの言葉をさらにしっかりと支えています。
この言葉が持つ力は2つ。1つは、現状の福祉・保育の貧弱さを強く世の中に問いかけたこと。もう1つは、それでも現状に無視を決め込みたい連中を白日の下にさらしたことです。
クラスでひどいいじめがあり、被害者が黙って耐えていたらいじめは日に日にエスカレートし、周囲も見て見ぬふり。「やめてください、助けてください」と声を出したら、いじめ加害者は面白がってさらにいじめを行い、周囲も「そんな元気があるんなら大丈夫だ」「もっと辛い人だっているんだよ」と嘲笑。とうとう「ふざけんな、死ね」と言ったら「言葉が汚い」からと即座に学級裁判にかけられ、いじめ加害者も周囲の加担者も総出で被害者を攻撃する。この言葉を取り巻く日本社会の現状は、ざっとこんなところでしょう。
特に「日本スゴい」ドラッグの中毒者にとって衝撃は大きかったようで、この強力な一言でドラッグの効果が吹き飛ばされたため、ブログ主やら民進党やらユーキャンやらに八つ当たりを繰り返しています。日本はスゴいものでなくてはならず、こういう形で否応なく日本の暗部を直視させられると、気持ちよくなれなくなってしまうのです。
もし日本にスゴくあってほしいのであれば、「日本死ね」とまで言わしめた日本の暗部を解消していかなければなりません。暗部に光を当てて立ち向かう行動こそが「日本をスゴくする」行動なのであり、ドラッグを邪魔されたからと喚き散らしてそれを妨害する行動はまさに「日本をダメにする」行動です。
「日本死ね」に対象は存在しません。しかしあえて対象が存在すると考えるなら、日本社会の暗部や救いを求める声について今まで散々嘲笑し続け、「日本スゴい」ドラッグで気持ちよくなっていたところを、とうとう強烈な言葉で現実を突きつけられて酔いが覚めたからと、ピーピーキャーキャーとこの言葉を攻撃している、という救いようのない日本社会の病理を、「死ね」の対象とみなすべきでしょう。
この言葉は、日本社会の病理を明確に示し、かつ日本社会の病理を明確におびき出してみせたわけです。
なお、本件を言葉が汚いなどとして非難するほど倫理観の強い人ならば、「朝鮮人を殺せ」だの「土人」「シナ人」だのにはさぞかし怒り狂っていることだろうと言いたくもなるところですが、例によって本件を批判している者の大半はそちらには極めて受容的、もしくは加担している者ばかりというのが、きれいにオチになっています。

ポケモンGO
これが肯定的現象とみなされていることに違和感があります。ちなみに「歩きスマホ」が候補30語の中にノミネートされています。

(僕の)アモーレ
PPAP
よく知らないのでコメントできません。

日本のみならず世界中がレイシズムや自国一番ドラッグに明け暮れ、そしてまたレイシズムに対抗する人も世界中にいる。そんな一年でした。流行語大賞にも「EU離脱」がノミネートされ、またオーストリアなど各国でも排外主義が強まる傾向があります。
レイシズムにおいて主要国中で最も先行していて、おまけに自国スゴいドラッグが米国以上に蔓延する、世界をリードする排外主義国家・日本。果たしてこれから、排外主義にどのように立ち向かっていかなければならないのでしょうか。そうしたことを考えさせられる流行語大賞でした。

2016-11-27 の記事 - 2016-11-27
首相、TPP早期成立の必要性訴え 参院本会議

>TPP離脱を唱えるトランプ次期米大統領の翻意を促す考えを示した。

>ロシアが北方領土の択捉島と国後島に地対艦ミサイルを配備したことには「外交ルートを通じて、我が国の立場と相いれず、遺憾である旨を申し入れた」と表明した。

首相、TPP批准方針変わらず…蓮舫氏は批判

>質疑では、民進党の蓮舫代表がTPP発効が困難視される中、「なぜ貴重な時間と税金を使って審議を進めるのか」と批判し、「日本が批准したら、トランプ氏が翻意する確信を持っているのか」とただした。首相は「確信はない」とした上で「保護主義の台頭に歯止めをかける役割を担うべきだ」と主張した。

TPP国会承認 首相「トランプ氏の翻意促すため迅速に」

>この中で、安倍総理大臣は、アメリカのトランプ次期大統領が就任初日にTPP=環太平洋パートナーシップ協定からの離脱を表明する考えを示したことについて、「自由で公正な経済圏という旗を、日本までもが降ろしてしまったら、自由貿易の深化はそこで終わってしまう。アメリカが政権移行期にあり、世界的に保護主義の懸念が高まり、動揺が広がる今こそ、ぶれてはならず、速やかにTPPを承認することで固い決意を世界に発信し、TPPの意義をアメリカに粘り強く訴えていきたい」と述べました。

大量のお金をバラまくことで外交を進めようとする安倍外交の成果には、非常に目を見張るものがあります。歴代の内閣を考えても、ここまで成果を上げられた者はまれでしょう。これを見ると、安倍外交の華々しいまでの「成功」に対し、確かに民主党時代の外交などは「失敗」していたと言わざるを得ません。

インドネシア→高速鉄道失敗
オーストラリア→潜水艦失敗
アジア諸国→みんなでAIIBに加入
ベトナム→原発の受注取り消し
アメリカ→世界初の会談と大はしゃぎするも、トランプ氏はTPP断固反対を表明
ロシア→北方領土にミサイル

これらの成果に対し、安倍氏をATMであると揶揄する口が悪い人も見かけますが、あまりにも失礼と言わざるを得ません。もしわざわざテクテク海外まで出かけて行って、少々おだてられたらポンポン金を吐き出すATMが存在するならば、言うまでもなく故障品として即刻撤去されます。そんな訳の分からないATMなど存在しない以上、表現として極めて不穏当かつ不適切です。

TPPに関しては、もはや何をしたいのかさっぱり分かりません。そのうち超大幅譲歩を提供する見返りにトランプ氏に翻意を促し、それを成果として喧伝するなど、相当バカなことをやりだすのではないかと恐れています。

なお、安倍氏の「世界的に保護主義の懸念が高まり、動揺が広がる今」、日本が「保護主義の台頭に歯止めをかける役割を担うべきだ」といった主張については(どうせブレーンが考えた文言でしょうが)、非常に珍しいことにある程度は同意できます。
ただし、世界的に高まっている懸念は「保護主義」というよりは「排外主義」に対するものである、という点を除いては。

いつまでも過去の幻想にとらわれ、自国こそは偉大な国であると錯覚し、「自国スゴイ」論が臆面もなく語られたり、「強いロシアの再建」「偉大なアメリカを取り戻す」に代表されるように、懐古主義的な「○○を取り戻す」論が横行する。
トランプ氏が「中国や日本に打ち勝つ」と言ったり、フィリピン大統領が過激な発言をしたりすることに代表されるように、何らかの分かりやすい「敵」を定めては叩いてみせることを繰り返し、憎悪を支持につなげようとする。
アメリカのAlt-rightなどにみられるように、インターネットで人種差別思想やデマを垂れ流すなどの工作を行い、それによって特定政党や特定候補への支持を集めたり、ヘイトクライムが発生しやすい環境を作り上げる。
黒人やムスリムなど、人種や民族、宗教、障碍、性的立場などにおけるマイノリティを排撃対象とし、出て行けだの吊るせだの殺せだのとヘイトスピーチを浴びせたり、ヘイトクライムを起こしたりする。
一国のリーダー自らが救いようのないレイシストであり、自分の周囲に排外主義者、人種差別団体と関係の深い者などを従わせたり、差別デマサイトを嬉々としてシェアしてみたりと、平然と排外主義的言動をやってのける。
これらのような異常行為はマイノリティの人権を侵害し、生存権を脅かすものであるにもかかわらず、マジョリティがそれを支持し、あるいは否定しないため、排外主義勢力が国政などにおいて多数派を占めてしまい、排外主義的政策が実施されたり、民主主義が脅かされたりする。

これこそが、今の世界において高まっている懸念であり、社会や世界を分断させ破壊する思想であり、私たちが絶対に打ち勝たねばならない相手なのです。

2016-11-20 の記事 - 2016-11-20
日系人強制収容「前例」に批判 トランプ氏側有力者が発言

>トランプ次期米大統領の政権移行チームが検討しているとされるイスラム系移民の登録制度に関し、トランプ氏の有力支持者が第2次大戦中の日系人強制収容を引き合いに出して批判を浴びている。

トランプ派がイスラム教徒登録論=「日本人で前例」発言に批判

>米海軍特殊部隊の元兵士で、トランプ氏の政治資金団体幹部のカール・ヒグビー氏は16日、FOXニュースの番組で、イスラム系移民の登録制度は法的にも導入可能だと指摘。「第2次大戦中に日本人に対しても行った。前例がある」と語った。

ここまで来ましたか(一応断っておきますが、引き合いに出したのが「日系人」だから批判するのではありません。念のため)。
これで「選挙で結果が決まったのに」トランプ反対者がなぜデモなどで対抗しようとするのか、よく分かるというものでしょう。
彼らはただ選挙結果を受け入れることができないのではありません。自身の、あるいは自身の隣人の生存権を守り、暮らしと身の安全を守るには、民主主義で認められた投票権以外の権利を行使せねばならない状況に置かれているのです(ちなみに日本はとっくの昔にその段階にあり、今も公人が公然とヘイトスピーチを行っています)。
ここで食い止めようとしなければ、本当に日系人収容の二の舞になる恐れがあるのです。

差別について理解するにあたり、まず必ず突き当たる根源的な問いは「どうして差別はいけないのか」です。
例えば「社会的立場の弱い側を、その力の差を用いて攻撃する行為だから」など、理由は色々存在しますが、最も根本的なものは「本人の罪や落ち度によらず、ただ属性に基づき相手を攻撃する行為だから」というものになるでしょう。
かねてから、差別にはそれを正当化する理由付けが試みられてきました。時には「野蛮で非常識な民族」などと称し、時には優生思想をも持ち出して。しかし、理由付けのための理屈はいくらでも生み出されてきましたが、正当な理由をつけることは決してできません。自分に責任のないことについて、属性を理由に攻撃される理由など、どこにも存在し得ないためです。
日系人収容問題は最も象徴的な差別の一形態です。彼らはただ「日系人だから」という理由で収容されたのであって、彼らが収容されるに足る罪を犯したわけではありません。また、これは同時に「差別を批判する者は差別」をはじめとする意味不明な言い分を完全に否定します。「差別」という卑劣な行為に出た者を批判することは、「その者の行為に対する批判」であって、本人に責任のないことについて属性を理由に攻撃しているわけではありません。
こんなものは少し考えてみれば分かります。例えば黒人の悪人に殴られたとして、今後は黒人を見つけるたびに誰彼構わず「反撃」することが許されるでしょうか。どこかで態度の悪い中国人に遭遇してムカついたなら、中国人を見つけるたび暴言を吐いて回ることは許されるでしょうか。ある日本人が人を殺したら、全日本人は投獄されるべきでしょうか。
よくある言い逃れとして「○○は犯罪率が高いから差別的取り扱いは妥当」などと主張するものがありますが(真偽は別として、パターンとしては本件もまさにそれ)、悪いことをしていない人を属性により攻撃する行為を正当化することは、いかなる言い訳をもってしても不可能です。例えば男性は女性と比較して有意に犯罪率が高いことが知られていますが、では男性は何も悪いことをしていない人も含めて攻撃や排除、投獄などをされるべきでしょうか。
日系人収容はまさに典型的な差別であり、これを肯定的な文脈で引き合いに出すことがどれだけ危ういことかはすぐに分かります。これを認めたら最後、あらゆるマイノリティは何も悪いことをしなくても国家や公的な権力によって、あるいは人々によって迫害される恐れが生じることになります。
なお、やはりこれは日本の方が大きく先を行っていて、日本では三国人発言などがほぼ平然と容認されてきました。米国では大規模デモを招くなど大きな批判を浴びる差別的価値観が、日本ではすでに広く認められているといえるでしょう。

さすがに私も、「ただちに」イスラム系移民をはじめとする様々な被差別者がかつての日系人と全く同じ目に合うとまでは考えていません。しかし、いわば差別の見本である収容問題を肯定的に扱う発言が有力者から公然となされることそれ自体が危機的であり、また世の中の差別主義者に油を注ぎ、「そんな価値観を公然と口にしても大丈夫」とお墨付きを与えることになりますので、世の中の差別を扇動する、すなわちヘイトスピーチとして機能することになります。トランプ氏自身が選挙期間中に散々差別発言を行い、結果として各所でヘイトクライムを誘発することになったのと同様です。
このような価値観が蔓延して当たり前になっていけば、個人レベルでの差別憎悪感情にとどまらず、いずれは「まさか」というようなことが国家や自治体により実行される日が来るかもしれません。
この発言は非常に危険であり、かつ許しがたいと言わざるを得ません。

2016-11-12 の記事 - 2016-11-12
米大統領選はトランプ氏の勝利となりました。半分覚悟はしていましたが、絶望的です。
日本も異常な状態となっている中、米国にまでミニ安倍(*)が誕生してしまったことには頭を抱えざるを得ません。

(*)日本のレイシズムの異常さを知らない人、というよりここまで目立つ形でレイシズムが横行している以上、見ないふりを決め込んでいる人と呼ぶのが適切でしょうが、そうした人にとってはピンと来ないかもしれませんが、日本のレイシズムは米国などの主要国と比較して途方もないほど先を行っています。
日本はもう何年も前から、歴史修正主義者の集団が政権を担い、差別デマサイトである保守速報をシェアするような者が首相であり、在特会と懇ろの連中が平然と内閣に入り、異常な差別的言動を繰り返した石原氏、在特会と懇ろの小池氏といったレイシストが東京都知事となるような国なのです。
アメリカの大統領が周囲をKKKと懇意の者で固めれば大問題になるでしょうし、ドイツの首相がネオナチ系デマサイトをシェアするほどのネオナチであり、与党がナチスの悪行を捏造であると触れ回るならやはり大問題になることは言うまでもありませんが、日本ではこれら全部と同じことが平然と行われているわけです。
おそらく、トランプ氏がこれから仮に30年ほど大統領をやり続け、ヘイト政策を次から次に実行に移したとしても、レイシズムにおいて日本に追いつくことはできないでしょう。

私は政策面において、トランプ氏について一定の悲観はしているものの、極端なまでの悲観はしていません。非現実的な政策を実行に移すことは不可能または非常に困難であり、ある程度は現実路線での対応を余儀なくされるであろうと予想できるためです。
無論、それが「現実路線の範囲内における最悪の悪夢」となるのか、それとも「想像もつかないほど融和的で穏健な対応」となるのかは、実際の政権運営を見てみないことには分かりませんが。
ただし、今回のトランプ氏の最大の「罪」は、実は政策ではありません。仮に氏の過激な発言は単なるポーズであり、実際には大統領として十分的確な人物であったとしても、それは全く変わることはありません。

この大統領選において最悪であったのは、実に投票者の半分もの人がトランプ氏の差別的言動を肯定しているか、少なくとも否定するつもりがないことを示したという点にあります。
日本のマスコミは「米国が分断された」などと言ったりしていますが、現実にはその程度の甘っちょろいものでありません。これは要するに、人種や宗教などのマイノリティに対し、隣人たちが自分を迫害し平然と踏みにじるような思想を持っているのかもしれない、いや、おそらく持っているのだ、と示す結果に他ならず、これはマイノリティにとって身の安全を脅かされかねない、極めて現実的な危機なのです。
現に、トランプ氏勝利が明らかになった前後の米国では、黒人やヒスパニックなどの人種的マイノリティ、メキシコ人とみなされた人、同性愛者、トランスジェンダーなどに対するヘイトクライムが複数件発生しています。
なお、選挙結果確定後にはトランプ反対デモが発生していますが、あれも単に選挙結果を受け入れたくないがためのデモとして片づけるべきではありません。マイノリティにとっては実際に命や身体への危機であり、単に「選挙結果が嫌だ」で済むようなものではないのです。

レイシズム先進国である日本でも、同様のことはたびたび発生しています。
人種差別的言動を全くはばかることのない石原氏、在特会と懇ろの小池氏などは多くの票を集めて東京都知事となり、人種差別と歴史修正主義にまみれたヘイト内閣は直近の選挙にて大勝を成し遂げました。沖縄では機動隊が「土人」「シナ人」とレイシズムを叫び、政治家の一部もそれに賛同する始末です。
「朝鮮人を殺せ」と街中で叫び立てるなど人種差別を扇動してきた在特会元会長・高田誠は、東京都知事選において落選こそしたものの、決して無視できるものではないほどの票を獲得しました。在特会自体も一定の支持を集めており、多くの者がその主張に賛同しています。
相模原障碍者大量殺戮事件は近代日本史上でも津山に次ぐほどの大量殺戮であり、障碍者を標的とした明確なヘイトクライムですが、このような最悪な殺戮犯に対してすら、賛同・共感する者も少なくはありません。透析患者に対する虐殺の扇動にしても同様です。
すなわち、これらは人種・民族・宗教・性的立場・障碍・疾患などにおけるマイノリティにとって、「○○(自分の属性)を殺せ」と叫ぶような連中に共感する者、あるいは実際に○○を大量虐殺した犯人に賛意を示すような者、何かのきっかけがあれば自分を殺しに来るかもしれないような者が、自らの隣人であるということを示すものなのです。
これがどれほどの恐怖であるか、またこれが単なる取り越し苦労ではなく、実際に身の危険に直結するものであることについては、いちいち説明するまでもないでしょう。
米国ではトランプ氏に公然と反対する有名人も多く、当選に対してはデモが発生しましたが、私たち日本人はこうしたマイノリティの現実的な恐怖に対してあまりにも無頓着すぎました。結果、何年も前から彼らの生存権を脅かし続け、朝鮮学校襲撃事件や教職員組合襲撃事件、相模原障碍者殺戮などの凶悪なヘイトクライムを防ぐことができませんでした。このまま見て見ぬふりを続け、彼らの隣人として彼らへの迫害に手を貸し続けるのであれば、今後ともマイノリティの生存権はますます脅かされるでしょうし、いずれ関東大震災虐殺のような大規模虐殺の再来を招くことになるでしょう。

これがまさにトランプ氏の罪であり、また現在進行形でこの日本社会でも起こっていることなのです。人種差別を平然と行う者が現れ、それに触発されて多くの者が賛同を表明し、レイシズムが「当たり前」のものとなっていく。これはまさに、ヘイトスピーチ、差別扇動表現そのものです。

次に、トランプ氏が日本社会に与える影響について。
氏は日本について、防衛してほしければもっと金を払うべきとの主張をしていますし、核武装にも言及しています。となればほぼ間違いなく、日本国内では「憲法を変えて軍備増強すべき」「核武装すべき」といった論が出てくることになるでしょう。
金を余分に払うのが嫌だから軍備を整えよう、などとプラモデルの戦車でも買うように簡単に言ってくれるものですが、「そんなことをすれば余計金がかかるから本末転倒」と正論を言っても無駄です。こうしたことを主張する連中は、単にトランプ氏を口実として利用しているだけであって、氏の当選による日本への影響などといったことを考える気は最初からないのです。
なお、米国依存から脱却の上で強力な防衛力を整え、中国に対抗するために軍拡するなどというなら、少なくとも出口戦略くらいは明確に示されねば話になりません。通常、軍拡や戦争といったものは開始するのは簡単でも、終了するのは難しいものです。そして現在、国力も経済力も日本より中国の方が上であり、競争し続ければ必ず日本はついていけなくなります。後に残るのは、軍備費の増大によって荒廃した国家経済と、巨大化した周辺国の軍備、そして互いの国に対する強烈な憎悪感情、軍事力で大きく劣った中での一触即発の状況だけです。これはまさに最悪の事態と言えるでしょう。無論、かつての関東軍のような輩が現れたり、安倍氏のような差別主義者が自身の憎悪感情を優先させれば、実際に肥大化した軍事力同士が衝突して戦争となることもあり得ます。
何の考えもなく軍拡競争をはじめ、破綻するまでやめないというのなら、単なる亡国の策ですから論外です。途中でやめる方策があるというのなら、それが確実に成功することについて確信が持てなければなりませんし、軍拡をやって途中でやめる方が最初からそれをしない場合より明確に得をすることも示されなければなりません。
核武装に至っては、米国としては実際に使用することもできないお邪魔虫兵器などよそに追いやりたいのは当然でしょうし、核は実際には「こちらには核があるぞと言い張り、他国が理性をもって攻撃してこないでくれることに信頼し期待する」兵器です。現に冷戦期、各地で戦争が止むことはありませんでしたし、そのわずか数十年のうちに核戦争の危機を複数回起こしています。それほど相手のことを強く信頼できるなら、金銭や外交的立場をドブに捨て、核戦争のリスクを背負う方法によって、人命と国土を全部賭けてまで相手を信頼するより、もっと安全で安価な方法で関係を築こうとしてはいかがでしょうか。
なお、「米国が日本をあまり助けようとしなくなるかもしれない」ということについては、同意する以外にありません。ただし、トランプ氏とは無関係に。
日本の現政権がやっていることは、要するに米国の威を借りて周辺国の神経を逆なでし、都合が悪くなれば米国を持ち出して閉口させたり、金をバラまいて黙らせることです。このバラまきがろくな成果も挙げられていないことは、インドネシア高速鉄道やAIIB参加国などを見れば分かりますし、それ以前の問題として歴史修正主義的なことを一切しなければ、周辺国の神経を逆なですることを減らせ、しかもコストは全くかかりません。
米国は日本のこうした行動の尻拭いをせねばならないのであり、最悪の場合は自国の若者の命を代償とすることになるかもしれません。トランプ氏だろうがその他の大統領だろうが、こんなことは誰でも御免なのは当たり前でしょう。
となると、日本が取るべきであった、そして今からでも取るべきである手はひとつしかありません。軍拡競争などという荒唐無稽な夢は捨て、歴史修正主義を誇示するのをやめ、相手をバカにしてから金で黙らせるのをやめ、周辺国との友好に努めることです。今まで米国の威を借りることでそれを怠るばかりか、マイナスにしてきた分を回収するわけですから、その道は決して平坦ではありませんが、実質的にそれ以外に取れる手段は存在しません。
融和は非現実的思想なのではなく、実は最もしたたかで安上がり、費用が少なく利益が大きい外交手段です。ですから世界各国、領土などで争いがある場合でも、無駄な敵対よりも融和に努めようとするのです。このところ何かと話題のフィリピンなどですら、ただ過激なばかりでないことを見れば分かるでしょう。それに大げさな話でもなく、ただ単に歴史修正をやめるだけでもずっとマシになります。今すぐ仲良くするのが無理というなら、靖国参拝や大日本帝国に問題はなかった論をやめ、他国への包囲網を作るだの歴史戦に勝つだの、できもしないことをいちいち息巻いて喧伝するのをやめ、何の得もないのにわざわざケンカを売るのだけでもやめればよいのです。
「米国の威を借りて他国の神経を逆なでし続け、とうとう米国があきれて助けてくれなくなったら窮地に陥る」、こんなものは当たり前です。このような状況にならないための答えもまた、明らかなのです。
トランプ氏当選を唯一良いことのきっかけにできるとしたら、これしかないでしょう。ただ、現実には人種差別主義者連中がその憎悪感情に基づき、悪い方向に変えてしまう展望しか見えないのがつらいところです。

なお、日本のTPPの動きに関してはあきれ果てています。私自身は「加入しないことができないならば、仕方がないから有利な条件を飲ませろ」として消極的賛成としてきましたが、大統領候補が両者ともに(クリントン氏はポーズの可能性もあるにせよ)反対を公然と表明したならもはや急ぐ必要はありませんし、おまけに大反対派であるトランプ氏が当選したとなれば、そこに乗っかるのは当然とすらいえます。
家を取り壊す日に家の修理に来てもらうようだというか、水筒の中身が空なのを確認してから遠足に持っていくようだというか、もうコントにしか見えないほどに滑稽すぎます。

2016-11-06 の記事 - 2016-11-06
レイシズムジャパン、お次はナチスの服装です。これが意図してナチスを模したものであるなら問題ですし、意図しなくてもナチス風のものが安易に作られるほどナチス的なものが社会に氾濫しているとすれば、それもまた問題です。
これに対する批判については、「そのくらいで何が問題なのか」なる不勉強極まる意見もあるようですが、これがまさに排外主義の怖さです。これが許容されるなら、次は公然とナチスの仕草をする者(海外ではナチス式敬礼をしたスポーツ選手が強い非難を浴びた)がいても「そのくらい」論が噴出してくるでしょう。その次はナチスの標語を公然と掲げる者がいても、やはり「そのくらい」論が出ることになります。
もともとナチスが「魅せ方」をよく研究していたことは知られており、服装もオリンピックなどのイベントもその一環として機能していました。このナチス的なものに対する受容のプロセスは、まさにかつて行われたことの繰り返しでしかありません。
事実、日本の排外主義者はたびたびナチスの旗を掲げて人種差別デモなどを行っており、ナチスの意匠とレイシズムは不可分の関係にあります。「ナチスの意匠は思想とは関係ない」「日本ではそういった意味合いはない」などの言い訳は、どうあがいても成立し得ません。いくら正当化してみたところで、レイシスト自らがそれを証明しています。
ナチスはユダヤ人を迫害する人種差別の他、身体・精神障碍者や同性愛者の殺戮も行っており、これは今の日本と非常に親和性の高いものです。ナチスが肯定的な意味合いで公然と受け入れられるような状況は、社会として極めて危険なのです。
無論、私はありとあらゆるナチス的表現の排除を主張するわけではありません。排外主義批判や問題提起などをはじめとする用途のため、過去の経緯とその恐ろしさを十分に認識した上で使用する限り、そうそう簡単に今回のような問題に至ることはありません。
しかし、排外主義者がナチス旗を掲げているように、これをナチズムに賛同する意味合いで使用するのには大きな問題があるのは当然として、今回のように不特定かつ多数の人々に対し、カジュアルに受け入れられやすいような方法で使用するのにはますます問題があります。思想的なハードルなどを全く超える必要なしに、ナチス的なものが特に抵抗なく受け入れられてしまうためです。
今回の問題が深刻なものであることは疑いようもなく、海外で報じられるなどして問題視されたことも当然でしょう。
ちなみに、イスラエル大使館などこの問題に懸念を表した者に対しては、意味不明な連中から本件とは無関係の国へのレイシズムを含む嫌がらせコメントが寄せられるなどしており、いかなる連中が本件を無問題ということにしようと試みているかを自らの手で示す結果となっています。
繰り返しますが、「日本ではすでに排外主義者がナチスの意匠を掲げ、○○人を殺せと言って街を練り歩いている」「本件を問題視した者に対し、無関係の国へのヘイトスピーチを含んだ嫌がらせコメントが寄せられている」のです。これだけでも本件は日本のレイシズムと極めて親和性が高く、見過ごすことは決してできないことが分かります。

なお、差別扇動行為に「差別思想を拡散するつもりはなかった」「悪気はなかった」「知らなかった」などの言い訳は通用しません。
発信者に差別の自覚があろうがなかろうが、よく勉強していようが不勉強だろうが、本気だろうが遊び半分だろうが、同じように差別を発信したならば、同じように差別が扇動されます。それが行き着く先もまた同じであり、発信者に悪気がなかったから結果が手加減される、などということはあり得ません。

在特会への賠償命令確定 徳島県教組事件「人種差別行為」

これにて436万円が確定しました。直接的に被差別者を襲撃しなくても「人種差別」とされた高裁判決が維持されたものであり、ひとまず確定して一段落といったところでしょうか。
ナチス服の件といい、「表現の自由」は人種差別思想に対してフリーパスを与えるものではないのです。「自由」の名のもとに殺戮強奪を繰り返す輩がいれば自由が成り立たないように、「表現の自由」の名のもとに差別のナイフで通り魔を繰り返す輩を許しておけば、表現の自由は遠からず壊滅します。表現の自由を守ろうとするならば、表現の自由の悪用を許す選択肢はありません。

2016-10-30 の記事 - 2016-10-30
「長谷川豊さんになぜ強く反論しなかったのか」対談した腎臓病の女性患者が疑問の声に答える

議論に「負けない」ことは、実は非常に簡単です。
最も容易な方法は、例えば日本語で議論する際に日本語を知らない人が出ることです。言葉が通じないならば、負けることはありません。これは極端な話としても、相手の話を聞き入れる意思が全くなく、しかも議論する事柄について何も知識がない人は、そうでない人に比べて議論において圧倒的優位に立つ(ように見せる)ことができます。
この辺は、慎重な判断が求められる医療問題で聞きかじりをもとに殺戮扇動を行い、それでいてトリアージすら知らなかったとしてこの対談相手の方に驚かれている長谷川氏や、自分が三権のどこに属するのかすら知らず、ベラベラと前言と矛盾することを平気でしゃべる安倍氏、どれほどおかしいか説いても絶対に理不尽な差別をやめない連中などを見れば、よく分かるでしょう。
そういった連中に勝つことは、残念ながらほぼ不可能です。そのような場合に取るべき手段は、一対一の無意味な対談とするのではなく、周囲に訴える論法により、どちらの言い分に正当性があるか多数の人に問うことです。
例えばレイシストが「○○人は殺すしかない。当たり前だ」と強弁し、まるで議論にならなかったとしても、これを多数の人に広く問うことができれば、まともな神経を持った人ならレイシストに同調することはありません。もっとも、在特会と懇ろのヘイト政権が支持される現在の日本においては、それすらも怪しいかもしれませんが。
今回、この対談相手の方の取った方法は、極めて合理的で妥当なものです。「強く反論」しようにも、最初から聞く耳がなく、おまけに議論の前提となる最低限の基礎知識すら欠如した人には何を言っても無駄です。いわば透析患者の代表的な存在として対話に臨むことになってしまったこの方としては、無理に反論して長谷川氏が優位に立ったように見える現象を発生させてしまえば、そちらの方が社会への害悪が圧倒的に大きいわけですから、非常に深い配慮の上での対応といえるでしょう。
この寄稿の内容も説得力のあるものであり、長谷川氏とこの方、どちらがよりジャーナリストの精神を持つかと問われたならば、間違いなくこの方です。

>インターネットの世界について、きつい言葉や非常にショッキングなワードがないと振り向いてもらえないと仰っていましたが、そのようなことはないと思います。むしろネットはいまや現実世界の一部にしか過ぎません。伝わりやすく丁寧に話したほうが、テーマ性のある内容は広く受け入れてもらえますし、議論が活発になります。

これを自らの寄稿で証明したことは、まさに見事の一言です。長谷川氏の言葉が一部の「いらない奴は殺せ」論者以外には相手にされなかった一方で、この方の行動は署名からこの寄稿に至るまで、多くの賛同を呼んでいます。

ただし、こんなものはいちいち言うまでもないほど自明なことであり、現に対談相手の方は言い方以外の問題点もほぼ全部きっちり指摘していますが、長谷川氏の言い分が受け入れがたいのは「言い方が悪い」からではないことについては、ここで屋上屋を承知で書いておくとしましょう。
レイシストが「○○人は死ね」の代わりに「○○人の皆様、ぜひ早急に苦しい人生を終えられ、争いなき平和な黄泉の国でゆっくりお休みください」と言ったとしても、要するに死ねと言っているのであり、意味は変わりません。言葉のトゲをなくしたところで、これは差別の扇動表現、ヘイトスピーチです。
「アブとハチのどちらかを殺さねばならない。アブを殺せ」は、よりポジティブな言葉を使用して、「ハチを生かせ」に置き換えることができます。こちらも意味としては同じですが、言葉によって受ける印象はかなり異なったものとなります。
さて、長谷川氏は特定疾患の方々の殺戮を扇動しました。これによって世論が扇動されれば、2種類の殺戮やその他の加害行為が発生する可能性が高まります。すなわち、個人や集団によるヘイトクライムが発生する可能性、及びナチスのように国家のシステムとして加害行為が行われる可能性です。この両者の区別は時にあいまいですが、ここでは便宜上この2つがあるとしておきます。
ただし、前者はともかく後者がいきなり殺戮に至ることはあまり考えられません。昨日まで○○(人種、民族、性的立場、障碍、疾患など)とそうでない人が同じ社会に暮らしていたのに、突然「我が国では明日から○○を殺します」と言われれば、多くの人はさすがにその異常性に気づくことができますし、社会は混乱することでしょう。
そのような意味で、長谷川氏の国家システムとしての透析患者殺戮は、「殺せ」が現実のものとなるか否かという点では、当面の実現可能性がないものではあります。
ただし、それは「永久に実現されない」ことを意味しません。ナチスにしても、障碍者への憎悪を扇動するような広報を行ったり、ユダヤ人を徐々に区別し追い込んで行った上で、とうとう国家システムとしての大規模な殺戮が動き始めたのです。

最初から「自業自得(と自分が認定した疾患や状態の者)は殺せ」と主張して殺戮扇動を始める長谷川氏ほどのおバカさんなら別として、少しでも知恵が回る人ならば、まずは「自業自得(と自分が認定した者)には一定の負担や損害を我慢してもらう」とでも言い出すのが無難であることくらいは分かります。
ただ、それでもなお批判を浴びることは避けられませんから、さらに婉曲に「自業自得(と自分が認定した者)ではない人の負担が減るようなシステムを作ろう」という言い方をすることでしょう。これは要するに「アブを殺す」を「ハチを生かす」に言い換えるのと同じで、意味としては全く変わりません。
対談相手の方は長谷川氏を「ピュア」と述べていましたが、おそらく実際その通りです。泥棒にもやり方というものがあります。結局、長谷川氏はあまりにピュアで知識量も足りていなかったために、いわばわざわざ脅迫状を出し、実名を名乗ってから泥棒に入るようなマネをやらかし、大失敗して徹底的に非難される羽目になったわけです。
一方、同じ泥棒でもやり方をわきまえてさえいれば、長谷川氏を非難していたような人々からの賛同すらも集めることができます。こういった「プロの泥棒」こそが本当に警戒すべき相手であり、国家システムとしての差別や見殺しを推進する機能を担うことになるのです。
長谷川氏は結局、レギュラー番組をすべて失いました。職業を利用して殺戮の扇動を行える立場にあった以上、被害を防ぐためには当然のことでしょう。それでは、私たちは長谷川氏よりもさらに悪質な「プロの泥棒」相手に、氏に対して行ったそれと同じだけの対応を取ることができているでしょうか。

え?「アブを殺せ」を「ハチを生かせ」に言い換えたとて、そんなもの誰にでも見破れるだろうって?そんなバカなことを言う奴はいない、いるんならそのトラを屏風から出してみろって?では、どうぞ。

小泉進次郎議員ら、「健康ゴールド免許」創設を打ち出す

実際にはたかだか小泉氏程度の小物では頭が足りていませんが、それですら引っかかっている人はそれなりに見られます。これで知恵者が出てきたらどうなることでしょうか。
なお、本当に健康の維持について考えるのであれば、まず貧困や労働の問題に立ち向かうことなしにその件は語れません。それをしない、あるいはそれに逆行していながら健康を口にする人間は、ほとんどが健康を口実または人質にしているだけです。

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