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2017-07-23 の記事 - 2017-07-23
結局、蓮舫氏の国籍問題問題は最悪の展開となりました。公表しても意味不明な言いがかりまでつけられる始末で、「差別主義者がこれを攻撃するのは差別が目的だから、戸籍を公表しようが無意味どころか追撃材料にされるだけ」という分かり切った憂慮が完全に的中する結果となりました。

反差別行動において、在日コリアンやLGBTなど被差別者の人々は必死です。この国では平然と「○○人を殺せ」がまかり通り、警察がそれを警護しています。災害のたびに流れるのは虐殺扇動デマ。障碍者はすでに殺戮されましたし、透析患者などへの殺戮を扇動する者もいます。LGBTにしてもアウティング死などが発生していますし、LGBTへの無自覚な偏見は国籍差別にも勝るものがあります。
要するに、実際に命がかかっているため、文字通り必死にならざるを得ないのです。
そして当然、そうした行動において「前に出て」いるマジョリティもまた必死です。醜悪でおぞましいヘイトスピーチを最前線で見ていて、またそれらが何を招くかも大いに理解しているためです。
したがって、差別に反対する人々は、差別主義者と対峙したり、行政や企業に申し入れをしたり、あるいはマイノリティとつながりをもって理解を深めたりといった、賽の河原に石を積むような作業をひたすら行ってきました。そしてそれは、その緊急性・必要性に対して非常にゆっくりとしたペースではあるものの、多少なりとも実を結びつつありました。
無論、そうした努力は現代の反差別者だけのものではありません。部落問題から障碍者差別、人種差別、その他ありとあらゆる差別に対し、昔から多くの人々が改善の努力を行ってきました。現代人はそれを引き継ぎ、少しずつ発展させてきたのです。
ところが、このほど鬼が出現し、部落問題全盛の時代から現在の人種差別に至るまで、人々が積み上げ続けてきた石の山をぶち壊していきました。その鬼を「民進党」といいます。差別を実質的な党是とする自民党や日本会議一派も間接的にはかかわっていますが、ここで直接的な鬼となったのは多様性を党是とする民進党でした。

蓮舫氏は「私を最後にしてほしい」と述べていますが、残念ながらこれは最初となるでしょう。本件によって差別主義者が気に入らないマイノリティに戸籍を要求する前例ができましたので、今後は国会から民間まであらゆる場所で類似の踏み絵を迫るケースが出てくる可能性が大幅に高まりました。
私は政治家としての蓮舫氏はあまり評価していませんが、被差別者としての蓮舫氏の立場ならまだ分かりますし、「私を最後に」の言葉に込められた意思も分かります。また、家族を気にかけていることも理解できます。
それゆえに、実際にはこれで「最初」が作られてしまい、しかも日本のダイバーシティを大幅に後退させ、差別主義者を勢いづかせ、これで差別の波が力を増せば蓮舫氏の子世代のマイノリティを直撃しかねない(例えばいじめや就職差別、結婚差別などは、いずれも若い世代の打撃が大きい)という皮肉で残酷なまでの結末は、非常にやりきれないものがあります。

この国籍問題問題については、差別政党である自民党ですら表立って攻撃するのを控えてきました。さすがに筋の悪すぎる攻撃であることを認識していたためで、つまりは自ら触れれば火だるまになりかねない地獄の扉であったわけです。そして自民党にすらできなかったことをやってのけたのが、あろうことか民進党なのです。
なお重ね重ね述べますが、私は本件において蓮舫氏を責める気にはなりません。何が何でも踏みとどまってほしかったのは確かですが、差別は行う者が100%悪いのであって、これは曲げてはならない大原則です。ここで被害者を攻撃するのは、「被差別者は右の頬を叩かれたら左の頬を差し出せ」と要求するようなもので、これが常態化した場合、殴られるのに耐えられるだけの体力や地盤のない多くの被差別者は表に出てくることが困難になるでしょう。つまり、それ自体が萎縮効果を生むのです。
となると、問題は民進党内での主導権争いを有利に進めるため、蓮舫氏の出自という自らの意思ではどうしようもないものを利用し、差別主義者に相乗りして攻撃をかけた身内の差別主義者です。彼らは単に蓮舫氏に対して人種差別を行ったのみならず、日本のダイバーシティに対して大きなダメージを与え、今までの日本社会の積み重ねをぶち壊しにした、安倍内閣に匹敵するほどの差別主義者連中に他なりません。

私は民進党内に多様な政治的立場の人々が存在すること自体を直ちに問題とはしません。立憲主義が破壊されそうな時に内輪もめに明け暮れたり、選挙の結果次第で緊急事態条項などを含む改憲がなされかねない状況下で共闘可能な相手に砂をかけたり、政府の不正が山ほど明らかになっていて切り込まなければならない状況下で、党内の権力争いにうつつを抜かしたりしないのであれば、多様な考えを持つのもご自由に。
ただし、差別を行う者のみは断じて容認できません。差別をすることに一切の正当性はなく、他人を差別してはならないのは小学生でも知っています。実際には差別が思想の根源である自民党ですら、口先だけでは「差別はダメ」と言うのです。民進党の一部の議員はそのレベルにさえ達しておらず、その度合いたるや臆面もなく怪文書に名を連ねたりするほどで、かつ党内の良識ある議員による差別反対の声でそれを圧倒できない状況は、深刻であると言わざるを得ません。
無論、現状でうかつに党勢を削ぐのは得策とは言い難い面もあり、蓮舫氏と差別を許さない所属者らが組んでヘイト勢力を抑え込めるのならそれでも良いでしょう。個人的には蓮舫氏の政治思想にはあまり賛同しませんが、こちらも泥水を飲んで選挙の状況次第では民進党を支持しているのですから、蓮舫氏も泥水を飲んで共闘でもなんでもやってくれれば結構(できなければ代表の座をそれができる人に明け渡してもらっても結構)。しかし、本件の存在は抑えが全く機能しておらず、蓮舫氏の側もそれを撃退するなり受け流すなりができない状態にあることを示しています。
もういい加減、それなりの決着をつけてもらわなければ困ります。これではもはや現状の民進党の存在自体が、石を積み上げるかのように地道に行われてきた反差別の動きへの妨害でしかなく、このままではいつ再び石の山を突き崩されるか分かったものではありません。

差別政党に対抗するため、にわか差別政党を作っても勝てるわけがありません。仮に勝てるとしても、差別政党として勝つのならば勝たなくて結構です。
日本会議一派による政治に反対する人々は、差別を否定して多様性を尊重し、政権交代または最低でも日本会議派政党の行動を牽制できる規模の政党を待ち望んでいます。そしてそれは、沖縄などへの地域・民族差別の否定に始まり、障碍者の生存権を守ること、基本的人権や立憲主義を守ること、労働者を無賃残業などから守ること、市民を貧困から守ること、教育を受ける権利を守ることなど、あらゆる人々の人権を守ることと地続きであって、これらはすべて日本会議・新自由主義の対立軸としての政党に求められていることです(これは逆もまたしかりで、人種国籍差別を行う層は、沖縄を侮辱したり、障碍者の人権を否定したり、テレビのインタビューに応じた貧困高校生などを攻撃した層とかなり重なっていて、さらにその多くが自民その他の日本会議勢力に親和的、かつ民進党に敵対的です)。
差別を否定し多様性を尊重すること。これが日本会議勢力と対峙する上での、おそらく実質上唯一の「解」となります。

なお本件に関して本音を書いておくなら、かなりの徒労感を覚えてはいます。差別に反対している人々、つまり選挙で戦略的投票先として民進党に投票することが期待できる人々が、差別に屈して戸籍を出せば日本のダイバーシティが後退すると必死で訴え、民進党に申し入れなどもしているのに、それを全部切り捨てて絶対に民進党に投票しない差別主義者の要求の方を取ったとあっては、「この党は私たちの言葉を聞く気があるのか?差別にかかわることですらこれでは、ましてや共闘や一般政策なら?」と考えるのは仕方のないことでしょう。

2017-07-15 の記事 - 2017-07-15
蓮舫氏の国籍問題問題(*)、実に頭が痛くなります。

(*)いわゆる「国籍問題」なるものに問題としての実体は存在しませんが、この「国籍問題」なるものを利用して蓮舫氏を貶め、ハーフなど外国にルーツがある人々に対する差別を扇動する問題ならば存在します。したがって、当サイトではこれを「国籍問題問題」と呼称しています。

当然のことながら、蓮舫氏が戸籍を(たとえ一部でも)公開することは絶対にあってはなりません。このような差別の前例を作ってしまえば、今後マイノリティが議員として活動するにあたって、マジョリティに対してなら到底要求され得ないような無茶苦茶な要求や言いがかりを突きつけられることが常態化する恐れがあり、これによる萎縮の効果はかなりのものとなるでしょう。
また、国民の代表である国会議員の間ですら堂々と人種差別がまかり通るならば、一般社会における人種差別はこの程度では済まなくなります。部落出身でないか確認するため結婚相手の戸籍を調べていた時代に逆戻りです。同時に、これで「ハーフは差別してもよい」というメッセージを発してしまえば、ハーフなどのマイノリティは今まで以上に容赦なく差別を受けるようになり、現状でまともに人権が守られているかどうかすら怪しい在日外国人などに至っては、それよりさらに「格下」に位置づけられることになるでしょう。
以下の記事によると、

民進:党内から差別助長危惧の声 蓮舫代表戸籍公開方針

>大串博志政調会長は「通常は絶対あってはならず、多様性を求める党是にも合わない。ただ、野党第1党の党首という立場を考えるとやむを得ない」と話した。

だそうですが、確かに野党第一党の党首は影響力が大きい存在です。したがって、絶対に戸籍を公表してはいけません
蓮舫氏はおそらく、日本で最も大きな政治的影響力を持つハーフです。多様性を党是とする野党第一党党首として、日本の多様性尊重をリードすることが期待される立場です。そのような人物が差別に屈したならば、日本中の多様性尊重の意識が大幅に後退するのは避けられません。「立場」も何も、差別主義者からすれば蓮舫氏1人を落とすだけで日本のダイバーシティを大きく破壊できるのですから、ここを落としに来るに決まっています。立場を考えるならば、絶対に落とされてはいけないのです。

ただ、私としてはあまり蓮舫氏を責める気にはなりません。
差別とは力関係の非対称性を利用して行われるものです。より立場の強い者が、より立場の弱い者を攻撃する。それが差別です。そして差別は属性に対する攻撃ですから、被害者はどうすることもできません。例えば「イエローモンキーは死ね」と言われたからと、黄色人種をやめることはできません。
これはいわば、巨人の大群に蹂躙されるようなものです。おまけに蓮舫氏の場合、人種差別と女性差別の複合差別にさらされています。結果、経歴上差別について考えることも多く、かつ今までも様々なバッシングにさらされてきたであろう蓮舫氏ですら耐えられなくなってしまうのです。はっきり言って、こんなものに耐えられる被差別者などそうそう存在しません。圧倒的な力の差で殴られるというのは、そういうことなのです。
その上、民進党議員の一部は署名付き怪文書を出すことに始まり、都議選の敗因を蓮舫氏の出自に押し付けたり、差別にタダ乗りして蓮舫氏を攻撃したりとやりたい放題。生身の人間が巨人に殴られている状況下で、友軍はそれを助けようとするどころか、背中に機銃掃射を浴びせかけているわけです。
その惨状たるや、むしろ今までよく耐えたものだと感心するほどです。
なお、「説明が二転三転している」として問題視する意見は、今回に限れば全くその通りであると私も考えます。すなわち、「戸籍を公表しない」で終わった問題を、なぜか今になって蒸し返して「公表する」と言い出し、批判を浴びたら「公表するのは必要な部分だけ」と言い出すのは、確かに全く必要のない騒ぎであると言わざるを得ません。何らかの形で公表すれば、差別に反対する程度の良識は持っている人々を大いに失望させますし、公表しなければ話が違うなどと言われて批判を浴びますから、わざわざ袋小路にハマりに行っているわけです。
といっても、氏をこういった支離滅裂な行動を取らざるを得ない状況に追い込んだのはまさに「差別」ですから、やはり氏ばかりを責める気にはなりません。

カウンター行動の基本は「マジョリティは前に出ろ」です。差別側と被差別側に圧倒的な力の差がある以上、被差別者を矢面に立たせておいてはならず、差別側と同じ立場にいる日本のマジョリティが前に出て被差別者の壁となると同時に、図式を「社会的多数者 VS 社会的少数者」から「社会的多数者(差別集団) VS 社会的多数者(反差別・多様性を尊重する者)」に塗り替える必要があります。
見て見ぬ振りも差別への加担と同じです。圧倒的に強い側と弱い側、放置しておけば弱い側が一方的に蹂躙されるに決まっていますから、放置は中立ではあり得ません。
したがって、本件についても「民進党議員のマジョリティは前に出ろ」の一言です。

民進党が受け皿となれないのはなぜか。国籍問題問題の一件を見ても明らかでしょう。
外国にルーツがある人、LGBT、障碍者などの社会的マイノリティにとって、排外主義・差別主義・立憲主義否定・人権軽視の自民党(あるいは日本会議)政治は現実的な脅威です。この社会ではすでに障碍者殺戮事件が発生しています。閣僚の中には「○○人を殺せ!」と叫んで街頭を練り歩く連中と懇ろであった者もいます。そして首相は差別デマサイトをシェアするような人物です。
現状でもマイノリティは人権が守られているかすら怪しい状況に置かれていますが、立憲主義の否定によって権力に権利を守らせることが難しくなり、また人権がこれ以上軽視されるようになれば、まずマイノリティがそのあおりを食うことになります。実際、ナチスでは障碍者や同性愛者への迫害が行われていましたし、相模原の事件への反応、長谷川豊氏の一件などを見ても分かるように、そういう「空気」は現代日本にも蔓延しています。
自身が何らかのマイノリティである者。親族や友人にマイノリティがいる者。そうした人が身近にはいなくても差別はおかしいと考える者。そうした人々は、多様性を尊重して差別を否定し、その上で十分な力のある政党を待ち望んでいます。
自らもマイノリティである人物が党首を務め、多様性を党是とし、また有田氏をはじめとして反差別に積極的な議員も存在している民進党は、そういう意味では理想的な政党であるはずです。
しかし、実際の民進党はそれほど信用されていません。一番肝心な時に裏切りかねない政党であるとみなされているためです。
今回の国籍問題問題はその典型的な例です。都民ファーストなる茶番劇の中でも、立場をはっきり示している共産党が堅実に議席を積み増す一方、民進党はいまひとつ存在感を発揮できませんでした。当然の結果ではありますが、そこで敗戦の責任を蓮舫氏の出自に押し付け、党内の主導権争いのために差別を利用するという離れ業をやってのけたのが民進党内部の議員であるわけです。
自党の党首すらかばうでもなく、差別を利用して背後から撃つ者さえいて、党首もそれに屈してしまうような状態の政党を、国民が「この党なら大丈夫だ。差別と戦い、多様性を尊重してくれるに違いない」とみなして信用するとでも考えているのでしょうか
少なくとも私は、今回の公表騒動には大いに失望し、「こんな政党、もし有田氏のような差別に立ち向かう議員がおらず、かつ現状が立憲主義の危機でないならば、絶対に支持しないのに」というほど強い憤りを覚えています。
このような有様で受け皿になれるとしたら、そちらの方が不思議というものでしょう。

現状、民進党は差別主義者に蛇蝎のごとく嫌われています。そして、差別主義者に嫌われるのは多様性を尊重する政党として名誉なことであり、よりいっそう差別主義者に嫌われるような態度を貫くべきではあっても、彼らのご機嫌を取る必要など一切ありません。蓮舫氏が戸籍を公表して彼らの目的(ハーフかつ女性である蓮舫氏に対する嫌がらせ、かつ日本のダイバーシティを大きく後退させ排外主義を推し進めること)を成就させたとして、彼らが民進党を支持することなど絶対にありません。味をしめて二匹目のドジョウを狙いに来る可能性ならあるでしょうが。
差別勢力はもう間に合っています。確かに差別主義は日本において相当なボリュームゾーンですが、自民・公明・維新・都民と魑魅魍魎がひしめき合う中、民進党が彼らの食べ残しをあさるような真似をしたところで、党勢回復などできるわけがありません。仮にできたとしても、それは単に日本会議システムに組み込まれ、傀儡として役割が与えられただけです。
民進党がすべきなのは、「反差別・多様性尊重・立憲主義擁護・基本的人権の尊重」を掲げて差別主義・排外主義・立憲主義否定・人権軽視に対峙することです。党として差別を許さないという強力な態度とメッセージを即刻示すべきであって、この状況ですらそれを示せないようなら手遅れです。
党内ですら多様性を尊重できず、党首すらも差別から守れないような政党が、日本社会の多様性を尊重し、一般市民を差別から守れるわけがありませんから、これは極めて重要です。そして、これは蓮舫氏の決定だけの問題ではありません。民進党内のマジョリティのうち、誰が前に出て、誰が前に出たがらないのか。これもまた問われているのです。

2017-07-08 の記事 - 2017-07-08
さて、「自民 VS 都民ファースト」なる図式が演出された、茶番劇の都議選について。結果は実に予想通りのものでした。当選者・関係者の経歴やらその後の展開もまた実に「らしい」もので、こちらもひとまずは予想を裏切らない状況です。

勢力選挙前選挙後増減
日本会議カルト勢86102+16
共産党1719+2
民進党75-2
ネット31-2
無所属130-13


※「日本会議カルト勢」には都民ファーストによって追加公認された無所属候補も含む。

日本会議カルトが大幅増、その他の政党は微増または微減となっています。もともと議席の多くを保有していた日本会議カルトが、さらに躍進して大勝したのが今回の選挙です。これは地方選挙ながら、今後とも日本会議一強は続くものとなりそうです。

今までの異様な政権擁護姿勢にしてもそうですが、今回の都議選もまた報道に問題がありすぎました。
少しでも物事の分かった人なら誰でも知っている通り、今回の選挙は「自民大敗・都民ファースト大勝」で片付くものではありません。言うなれば、日本会議カルト・ヘイトスピーチ・アンド・リビジョニズム・ホールディングスの子会社である自民党から、同じく子会社の都民ファーストに対し、リソースの移動と人事異動が行われただけです。
自民党や安倍氏が勝ったか負けたかでいえば微妙なところですが、あれだけ山ほど問題が噴出した中で上手く日本会議勢力を躍進させたという意味では、勝ったともいえるでしょう。一方、茶番ながらも逆風が見える形で示された意味では負けたともいえますが、そんなものは単なる日本会議HD内での派閥争いであって、日本会議グループ各社の上層部以外の人間には関係がありません。
X社傘下のA社が不祥事を起こして批判を浴び、そこでライバルとしてB社が登場、話題をかっさらって大きなシェアを獲得するも、実はここがX社の子会社だとバレたらどうでしょうか。マスコミは大喜びで非難合戦を繰り広げるのではないでしょうか。
東京は知事としてレイシストを何度も輩出している場所であり、実際の図式を伝えたところで日本会議勢力の躍進にはそうそうブレーキはかからないでしょうが、この際議席がどうのこうのは置いておくとして、これを伝えなくてよいということにはなりません。都民ファーストが何らかの方法で国政にまで浸食してくる可能性もあるとなれば、これがまともに報道されなかったことは日本全国に後々まで響いてきます。

ところで、こちらも大方の予想通り日本第一党候補は余裕で落選だそうです。小池氏が在特とのかかわりを持っていたり、お騒がせの稲田氏が在特と蜜月であったように、自民・都民ファーストともに「きれいな在特会」ですから手放しには喜べませんが、とりあえずはおめでとうございます。どうか手遅れとならないうちに、日本会議カルト勢もこれと同じ道をたどりますように。

2017-07-02 の記事 - 2017-07-02
なぜ声をあげた障害者がバッシングを受けるのか?バニラ・エア問題、本当の争点はどこにある

バニラ・エアに事前連絡したが乗れなかった車いす女性

どこかで見たような問題ですが、それもそのはず。なにしろ日本社会は何度も何度も何度も何度も似たような問題を繰り返してきたのですから。
反差別カウンターへの批判、デモへの批判、「保育園落ちた日本死ね」への批判などは、どれもこれも本件と極めて類似した構造を持っています。また川崎バス闘争など、公共交通機関のバリアフリー自体がこのような方法で勝ち取られてきた経緯があります。

本件を「やり方が悪い」などとしてつるし上げ、糾弾する者がいますが、ならばその者は自らが考える「正しいやり方」を実行し、それによって障碍者と健常者の間にある差を縮めるなり、問題を可視化するなりしておけばよかったのです。この問題が発生するまでに実践する時間はいくらでもあったはずですし、それをしていれば当事者自らが行動を取る必要もありませんでした。
また、障碍者・バリアフリーの問題はこれで終わりではなく、今後とも社会の重要なテーマであり続けますから、今まで何もしなかったことはもう仕方ないとして、今後は「正しいやり方」を用いてバリアフリーを推進すればよろしい。きっとその「正しいやり方」によってさぞや目覚ましい成果を上げてくれることでしょう。
なお、1人の人間が持っているリソースは有限ですから、社会にバリアフリーなどの問題にかかわらない人が存在すること自体は仕方がなく、直ちに責められるべきものではありません。ただ、それなら障碍者が行動を起こした場合にもその方針を貫けば済む話であって、頼まれてもいないのに「やり方が悪い」などとつるし上げることで能動的に問題にかかわるという選択を自ら望んで行った以上、その者には当然、「正しいやり方」を実践することが求められます。
無論、以上は糾弾者の大半がそんなことをするわけがないと分かった上で言っています。自分は何もしないくせに一人前に文句だけは言う人間の望み通りにしてあげたとして、それによって彼らが障碍者の側に立って行動することは決してありません。なお、自分は活動を行っていて、かつ今回の件に懸念を示している人にはお気の毒としか言いようがありませんが、そうした人の割合は少数であろうことは想像に難くありません。

本件について、問題提起をした人が活動家であるなどとして非難する動きもありますが、同じことでも活動家のAさんがやった場合には問題にするが、道の端っこを歩いているしおらしい障碍者のBさんがやったら許してやるとでも言う気でしょうか。また、当事者は自分たちの立場を向上させるための活動をしてはいけないのでしょうか。そのような遠回しな言い方などせず、「障碍者は健常者様に注文など付けず、道の端っこを歩いてろ」とでも本音を言った方がまだ潔いというものです。
もし問題提起者の主張なり思想なりが気にくわないとして、それを批判するのは言うまでもなく自由です。それが属性への攻撃の要素を含まない限り、単なる批判であって必ずしも差別とはなりません。ただし、「自分が気にくわない者であれば、障碍を理由に排除・否定されても構わない」なる理屈を認めることは断じてできません。
「障碍者優遇」的な言い分に至っては論外。問題提起者が「障碍者にはキャビアと高級ワインをよこせ」などと言ったなら不当な要求でしょうが、実際には「搭乗」を求めて得ただけです。バリアフリーなどの是正策が実現されたとしても、それは障碍者にとっては「どんなに良くても健常者と同等、通常はそれより不便な範囲において、施設内の移動やサービスの利用ができる」程度のものであって、当然ながら健常者以上の利得が得られることはありません
また、実際にバニラエア側も対策を打ち出したように(それ以前から対策を進めていたとの情報もありますが、いずれにせよ合理的な範囲での対策であることの証明ではある)、必要となる対策は合理的・常識的な範囲のものでしかなく、実現困難で不合理な対処が求められているわけではありません。通常の航空会社ならともかくLCCだから配慮の必要はないとの意見もあるようですが、通常航空会社なら差別はいけないが格安なら差別をしてもいい、などという理屈はどこから出てくるのか、理解に苦しみます。

そして前述の通り、これは日本社会において何度も繰り返されてきたことです。
例えば保育園問題では、批判者はそれまでにいくらでも活動をして問題の解決を試みる機会があったはずですが、実際には何もしませんでした。また、強い言い方がなされる以前には、より穏健な言い方で何度も問題提起がなされてきていますが、やはり批判者は何もしませんでした。そしてとうとう、「保育園落ちた日本死ね」が社会的な注目を集めるに至り、批判者は何もしないくせに批判だけは一人前に行い始めました。
より穏健な言い方で問題提起がなされている時点で何もしなかった人間が、「保育園落ちた日本死ね」に対して「言い方が悪い」と文句をつけるのは質の悪い冗談でしかありません。結局、「良い言い方」を用いようが「悪い言い方」を用いようが、批判者は批判以外は何もしないのです。
反差別カウンター問題でも同様で、よく「あんなやり方ではダメだ」と文句をつけてくる者がいますが、そうした人物が「ダメではないやり方」によって差別と対峙することはまずありません。もしやり方が気に入らないのであれば、自分が正しいやり方を用いて差別を解消すればよく、そうなれば誰も「ダメなやり方」などする必要はなくなりますが、批判者は反差別側に文句を言う以上のことは決して行いません。
差別者と反差別者に対する「どっちもどっち」論もまたこの類型です。別に「どっちもどっち」でも構いませんが、それなら差別・反差別の争いという点においては少なくとも差別側も同罪、かつ差別側は被差別者を一方的に攻撃しているわけですから、その分も足さなくてはいけません。しかし、「どっちもどっち」論者はほぼ間違いなく反差別側を一方的に攻撃し、差別側にそれと同等以上の攻撃を加えることはありません。
「保育園落ちた日本死ね」は日本社会に対する強力な問題提起となり、カウンターは差別デモを規模・回数ともに大きく縮小させるなど、現に成果を上げました。一方、批判者の望むようにふるまったところで彼らは何もしませんから、聞き入れていれば単に問題解決が遠のいていたでしょう。

デモとは何か。カウンターとは何か。本件や保育園問題で問題提起者が行ったのは何なのか。早い話が、ピエロ役を買って出ることです。
自ら体を張って汗を流して、それで得られるのは嘲笑、中傷、罵声、批判のみ。無様なものです。しかし、公民権運動から障碍者差別、人種差別の問題に至るまで、ピエロがいなければ世の中は変わらなかったでしょう。
そして、そのいずれの場合においても、ピエロをバカにする人間が何かをしたことはありません

なお、障碍者やその他のマイノリティに対して合理的な配慮ができる社会、あるいは不当な差別的言動がなされない社会は、健常者にとってもフレンドリーになることはあれ、その逆はまずありません。また、人間はいつでも病気やケガなどで弱者の立場に置かれる可能性がありますし、誰でも生きていればいずれ老います。また、仮に健康は維持できても、社会的立場は時の社会情勢によっていくらでも変動します。
「障碍者叩き」は実際には、「他人をも巻き添えにした自分叩き」に他なりません。

2017-06-25 の記事 - 2017-06-25
ヘイトスピーチで在特会が再び敗訴 大阪高裁が一審支持

女性差別との複合差別も認定され、それ自体は申し分のない判決です。ただ、賠償額がたった77万円なのは行いに対して安すぎますし、裁判費用や労力を考えると金銭的には無駄であり、被害にあった人々が訴えを起こして被害を回復できるような額では到底ありません。
つまり、散々侮辱されて傷つけられた被害者が、さらに時間と労力と金をドブに捨て、傷をえぐられることを覚悟の上で立ち上がり、いわば捨て身か痛み分けのような方法で反撃しなければならず、さもなければ差別主義者には何の被害もないわけですから、被害者の訴え任せではヘイトスピーチの拡大を防ぐことは極めて困難です。
さらに言えば、現状のヘイトスピーチ自体が法の欠陥を突いていて、今回の件では李信恵さんという特定個人が対象であったために裁判が起こせたものの、特定の個人・団体を指定せずに属性を攻撃する行為には明確な被害者が存在しないため、裁判などの手段すら取れない場合が多いのが現実です。
ヘイト本があふれかえった理由もここで、実在の人間についてあることないこと書き連ねるのと比べてリスクが圧倒的に低く、嘘でもデマでも何でも書くことができます。李さんはヘイトデマサイトの保守速報も同時に訴えていますが、これにしても自身に対する誹謗中傷を理由に訴えているのであって、特定個人を対象としない差別にはまともに対抗できません。結果、差別は極めて手軽で安全な趣味や商売道具と化しているわけです。
ただし、実際にはヘイトスピーチは被差別者を傷つけ、さらには重大なヘイトクライムを引き起こします。熊本の震災では虐殺扇動デマが垂れ流され、相模原では障碍者の殺戮が発生しました。戦前や海外の例まで含めれば、最悪の事態に至った実例はいくつもあります。事の重大性に法が全く追い付いていないのです。

「民族差別と女性差別の複合差別」在特会に賠償命じる

>判決について在特会=「在日特権を許さない市民の会」と元会長の代理人を務める弁護士は「思想統制や表現規制を招くヘイトスピーチ規制の危険性について警鐘を鳴らし続けたい」というコメントを出しました。

ヘイトスピーチこそが立場の弱い人々を委縮させて自由な言論を封じ、また甚だしくはルワンダでフツ穏健派も殺害されたように思想統制を招くため、ヘイトスピーチを認めることと表現・思想の自由の保証は決して両立し得ません。表現や思想の自由を守るには、ヘイトスピーチと戦う必要があります。

2017-06-17 の記事 - 2017-06-17
共謀罪。まさにデタラメを絵にかいたような異常な法案が、名前をテロ対策のように見せかけただけであっさり通過してしまいました。国民は相当侮られていますし、これでますます侮られるでしょう。
言うまでもなく大変なことですが、これですら自民・日本会議一派にとっては通過点でしかなく、最後から2歩目です。この次には最後の1歩である緊急事態条項が待っています。

民主主義とは何か。ごく簡単に言えば、本来なら全然難しくもないことをいちいち面倒にすることです。すぐにやればすぐにできることを、いちいち所定の手続きを踏み、書類や資料などを用意し、あれこれと回りくどい方法によって実行しなければなりません。ただ、そのおかげで失敗の可能性も最小限に抑制できるシステムでもあるわけです。
トランプ政権は早速、その壁に阻まれています。異常な大統領令などは三権分立によって無力化され、地方政治家などからも公然と反対の声が上がり、好き放題ができなくなっていますので、民主主義によるフェイルセーフがある程度正しく機能しているといえるでしょう。
日本ではそのようなことは全く期待できませんが、それでも国民には止める機会が与えられてきました。しかし、安保の時には野党を勝利させれば立憲主義を守る望みがありましたが、国民はその機会を自ら放棄しました。共謀罪に関しても、森友や加計の問題も浮上している状況であり、世論によって実質上通すことが難しい状況に追い込むことは可能でしたが、その機会すらも放棄しました。
終了へのラストステップである緊急事態条項に対しても、国民投票により踏みとどまる機会が設けられることでしょう。それでは、国民はその機会を生かすのでしょうか。それとも放棄するのでしょうか。

共謀罪が成立しても、その日からただちに暗黒の時代になるわけではありません。今後「共謀罪が成立したが、世の中何も変わらないじゃないか」と嘲笑する人間も出てくるでしょうが、そんなものは当たり前です。日没の直後に深夜となることはありませんが、民主主義の日没もそれと同じです。
そして私は、共謀罪はそれ単体でも十分に強い力を持ってはいるものの、緊急事態条項と合わせて手元に置いてこそ、その本来の破壊力を発揮できる武器であると考えています。
それでは、緊急事態条項が成立したらそれですぐに暗黒の時代になるのかというと、これもまたそうはならないでしょう。ただ、成立すれば終わりであることに変わりはありません。
緊急事態条項が通ることは、出口のない迷路に放り込まれるようなものです。アドベンチャーゲームで言うならば、同条項の成立はどうあがいても死ぬしかないルートに進んでしまうのと同じと考えればよいでしょう。その後も物語は何事もなかったかのように継続していきますし、その途中ではおそらく分岐も現れるでしょうが、どう進んでも最終的には死ぬしかありません。

今回をもって、戦後民主主義に張り巡らされてきたフェイルセーフ、「遊び」の部分はほぼ使いつくされました。これまでは何とか今までの民主主義の貯蓄で破滅だけは免れてきましたが、この次こそが本丸で、ここを落とされれば破滅が待っています。
なお当然ではありますが、共謀罪にせよ緊急事態条項にせよ危険性は少し調べればすぐに分かることで、踏みとどまる機会を自ら放棄して足を踏み出したなら、もはや後で他人のせいにはできません。これもまた民主主義というものです。

タイミングよく以下の判決も出ています。

稲田氏の上告棄却、敗訴確定 サンデー毎日記事

当然の判決ですが、それにしても昨日までの友達とつるんでいたことを書かれただけで「名誉棄損」呼ばわりなのですから。森友の時といい、よくもまあここまであっさり、しかも臆面もなく尻尾を切れるものです。
連中にとってはこういった「昨日までお友達であった鼻つまみ者」が一番邪魔なのです。ゴロツキ集団と組んでのし上がった成功者が、成功した途端に邪魔なゴロツキを始末するなどというのはフィクションですら定番ですし、昔から「狡兎死して走狗烹らる」という言葉もあります。それが「走狗」どころか無能な犬となればなおのこと。また、反対派だけを攻撃するとなると角が立つ場合、放っておいても邪魔なだけの身内をついでにゴミ箱に叩き込めば、批判を回避した上にゴミ処理までできるので一石二鳥です。
未だ「共謀罪に反対するのはテロを行おうとしている人間だけ」などといった寝言を言える人々のおめでたさにはあきれますが、この手の尻尾切りを見ても誰がターゲットなのか分からないとしたら、おめでたさも極まれりといったところでしょう。

2017-06-11 の記事 - 2017-06-11
表現は自由…でも差別的? 百田氏、一橋大の講演中止に

この問題、こうして新聞で取り上げられるまでになっていますが、こちらもまた頭が痛くなります。メディアはいつまで傍観者を決め込む気でしょうか。

マスメディアが堂々と「人殺しはいけない」「いじめは許されない」「酒を飲んだら運転するな」「ドラッグはダメ」などと報道しても、行動の自由の侵害やら、特定の思想に肩入れしているとして言いがかりをつけられることはありません。むしろ「娯楽のために人を殺すのは自由」「いじめを止めるのは弾圧行為だ」などと主張する方が、特定の思想とみなされたり、問題視されることでしょう。
当然、「差別は許されない」もこれらと同様であって、「差別をするのは自由」こそが特定の思想とみなされるべきものです。それを未だに、「差別はいけない」との立場を明確にした上での報道もできないのでしょうか。
まして、先日もイオ信用組合での放火未遂事件、アメリカで差別を止めに入った3人が殺傷される事件など、凶悪なヘイトクライムが発生したばかりです。相模原での障碍者殺戮事件にしてもそうですが、差別が何を招くかが明確に示されている状況にありながら、一体何を見ているのか全く理解できません。

記事では百田氏が「言論弾圧」などと主張していることにも触れられていますが、権力者でもない人間が「言論弾圧」などできようはずもないのは当然として、対して「差別は加害行為である」「差別こそが言論を圧殺する」ことにはまともに触れられておらず、全体的に差別が極めて過小評価されています。
また、百田氏の言動について、

>昨年11月には、千葉大生の集団強姦(ごうかん)事件の犯人像をめぐって「在日外国人たちではないかという気がする」とツイートし、「人種差別」と批判を浴びた。

>ARICの梁英聖(リャンヨンソン)代表(34)は「百田氏は差別を扇動してきた。講演会を開けば、大学が差別を容認することになる」と主張。

などといった書き方を行い、書き手として百田氏の言動を差別であると記述することを八方手尽くして回避しており、非常に煮え切らないものとなっています。グレーゾーン的な言動に対して差別であるとの批判が出た場合ならまだしも、このツイートの件などは人種差別ど真ん中なのですから、最低でも「〜と人種差別ツイートを行い、批判を浴びた」と書くべきでしょう。

差別は属性に対する攻撃です。すなわち、ただ単にマイノリティに属しているだけで理不尽な攻撃の対象とされ、自分に罪もないことで人としての尊厳を否定されるのです。しかも差別は力関係の差を前提として行われるものですから、マイノリティの側は抵抗するのも極めて困難であり、ほとんどの場合において押しつぶされて沈黙を強いられることになります。
そして、先のアメリカの事件は「差別に反対の声を上げた者ですら命の危険にさらされる」ことを可視化しました。止めに入った人でも平然と殺されるのですから、直接のターゲットであるマイノリティが自ら抵抗するならそれこそ命を捨てる覚悟が必要です。
それは今回の百田氏の問題でも同じで、記事中では

>梁代表のツイッターには百田氏を支持する人たちから「圧力かけたバカ」といった非難のコメントが相次いだ。

とだけ書かれていますが、たかだか「バカ」程度のどうでもいいものでは全くなく、おぞましいヘイトスピーチの嵐です。脅迫まで来ていることを梁氏は明らかにしており、さらには氏の写真などの情報をさらす者も出現しているなど、極めて危険な状況となっています。
差別扇動を受けて憎悪をたぎらせ、脅迫までするようなタガの外れたレイシスト連中が、氏の写真などの個人情報を閲覧し、それをもとに氏を襲撃する者が1人でも出てきたならば、これでもう重大なヘイトクライムが完成します。そこまでの距離は非常に短いのです。また、実際に身体への危害にまでは至らなくても、その可能性があるだけでも十分な脅威ですし、本人だけでなく家族や身近な人にも危険が及ぶかもしれません。そのような脅迫にさらされてもなお萎縮しないでいることは極めて困難です。
差別という重大で理不尽な加害行為について、抵抗をすればさらなる差別や脅迫を受け、何をされるか分からない。これこそがまさに言論の圧殺と呼ぶべきものに他なりません。

すなわち、よくある「差別に反対するのは言論の自由の侵害」論は次のように言い換えることができます。
「言論の圧殺もまた言論の自由であるので、認められなければならない。しかし、言論の圧殺に反対することは言論の圧殺であり、言論の自由を侵害する。したがって認められない」
「ナチスに反対するのはナチス」「不寛容に対して寛容でないのは不寛容」と並ぶ、いつものレイシスト論法です。「言論弾圧」なる差別主義者の言い分を取り上げた以上、差別こそが言論の圧殺であることを解説して打ち消すのは報道機関の責務であって、それをしないなら記事はレイシストの主張の垂れ流しでしかありません。

ここまで危機的な状況にありながら、記事中の「表現規制に詳しい」とされる人物のコメントはあまりにものんきです。

>話す機会を奪うのではなく、講演を聴いておかしいと思えば議論するのが高等教育の場にふさわしい姿では

実際にはおかしいと思った時点でもう手遅れです。
ヘイトスピーチとは街中で機関銃を乱射するようなもので、実際に人を殺傷します。これはもう、ルワンダ虐殺などを引くまでもなく分かり切ったことです。散々差別の銃を乱射して人々を傷つけてきた人間が、今度もまたゆうゆうと機関銃を搬入して組み立て始めれば止める人が出てきて当然ですし、それに対して「機会を奪うな」などと言うならばおふざけにもほどがあります。
そして、「おかしいと思えば」の時点ではもう機関銃が火を噴いていて、何人もの人が血を流しているのです。同時に、災害時などに芽を出しかねないドス黒い差別の種が、聴衆や社会に植え付けられているのです。その時点になって「あなたが銃を撃ったから人が傷ついた。やめてくれ」と言いに行き、しかも銃乱射者と「議論」を開始しなければならないのでしょうか。おまけに実行委側は注意事項として「企画を妨害する行為」を行ったら退場していただくと明記しており、それも厳重な警備体制が大きくなりすぎたために中止にしたとしているほどですから、差別がなされた場合にそれを指摘したり、「議論」を開始するなど到底困難であることは想像に難くありません(ちなみに、このコメントにおいて「議論する」相手は百田氏であると明記はされていませんが、「百田氏が差別をしても放置し、後で百田氏以外の人々の間でその正当性を議論する」と解釈するなら、要するに講演では差別を垂れ流しにさせろと言っているに等しいですから、好意的に取って百田氏が相手だと解釈しておきます)。
また、この記事は誤解を招くような内容となっていますが、もともとARIC側は必ずしも講演会の中止を求めてはいません。「運営側で差別を許さないルールを策定し、百田氏などの登壇者に遵守を確約させ、絶対に差別をさせないようにするか、それができないなら中止せよ」がARICの求めで、極めて妥当かつ相当譲歩した要求です。
なお、中止が決まった後で実際にどうなったかといえば、百田氏はこの中止の件を最大限活用してデマに仕立て上げ、相変わらず人種差別を繰り返しています。氏が今までの差別を深く反省し謝罪しているのに壇上に乗せなかったというならまだ話は分かりますが、こんな人間を壇上に登らせ、おかしなことを言ったら議論しろなどとはどこまでふざけたことを言うのかと怒りを覚えます
差別の銃火にさらされれば傷もつくし死にもする生身の人間を、マネキン人形か何かと勘違いしているのでしょうか。

アメリカで発生した事件を見ても分かるような現実的脅威に対し、差別を止めようとして現に脅迫にさらされている人がいる状況で、「識者」が机上の空論にて注文をつけ、メディアは「差別をする自由」と「差別をしてはならない」の中間を中立であるかのようにして、差別を差別と言うことすら避けて報じる。これもまた、今まで何度も繰り返されてきた光景です。ただ、この記事はそれらの点でかなり徹底しており、数年前に戻ったかのような錯覚を受けました。
そうしている間にも災害時の虐殺扇動やら障碍者殺戮やら色々起きていますが、数十人もの人々が殺傷される大事件があってすらもなお理解できないのなら、一体どれだけの規模のヘイトクライムにまで至れば理解するのでしょうか。

なお私は、差別に反対するとは実に命がけであるとアメリカの事件(と今回の問題)で改めて認識させられたところですが、レイシストの眼前に立って抗議するのをやめることはありませんし、社会もそれをやめてはならないと考えます。「差別を黙認しなければ、自分が危害を加えられるかもしれない」の図式が極限までエスカレートしたものが「マチェッテで被差別者を斬り殺さなければ、自分が殺される」であり、現状を放置して社会をそのような状況に近づけるならば、後でもっと大きな代償を払うことになります。

2017-06-04 の記事 - 2017-06-04
先日の件の続報。一大学のことなど本来どうでもよいといえばそうなのですが、百田氏の悪質な差別扇動及びテロ予告に関する問題でもあり、また差別に対する日本社会の出来事として実に典型的な経緯をたどった一件ですので、取り上げておきます。

百田尚樹氏 講演会中止

百田氏が登壇することによる直接的な差別被害発生の可能性、かつ差別・テロ扇動者を国立大学側が登壇させることにより、レイシズムに社会的な裏付けが与えられてしまう事態、すなわち被差別者に対する加害行為が回避されたのは、ひとまずは喜ばしいことです。
この講演会は外部の被差別者に対してもダメージを与える危険を持つものでありながら、企画側は外部の声には耳を傾けない理不尽な姿勢であったため、差別に反対する一橋大学内部の方々が抗議の声を上げておられ、その効果は大きいものがあったようです。そうした方々に深い敬意を表するとともに、今後ともアウティング事件などの教訓が無にされることがないよう願っています。

しかし、この中止の言い訳は一体何なのでしょうか
悪質な差別扇動者として知られる百田氏を(それも否定的な意図によらず)登壇させようともくろみ、おまけに氏がテロ予告発言などを行って批判が高まっても、運営側として何ら有効な対策を取ることもなく、それどころか神経を逆なでするような行動を取り、差別被害を憂慮する多くの声に真摯に答えるどころか開き直ったような態度を取った果てに、「本講演会がKODAIRA祭の理念に沿うものでなくなってしまった」から中止の発表とは、怒ったり悲しんだりという以前に意味が理解できません。
このような決定はテロ予告後の騒動の時点でもできたはずですし、この時点で下手を打てば批判が高まることも容易に予想できたはずです。その時点で「さすがにテロ予告は容認できないのでお断りする」と伝達すれば角も立ちにくく、テロ予告を事実上容認する状態ともならず、直前中止などより相当傷が浅くて済んだであろうことは疑う余地もありません。
また、たとえ登壇させるにしても、例えば「今までの差別やテロ予告をすべて公に謝罪し、今後一切同様の加害行為をしないことを確約、Twitter上及び壇上でこれを宣言することは最低限必要となる」「差別は許されないものであるから、これを宣言できないなら登壇させられない」と百田氏に通告して了承を得た上での登壇であれば、ここまでひどいことにはならなかったでしょう。
わざわざ車輪がさび付いた荷車を持ち出し、油をさすどころか接着剤を流し込み、運ぶ必要もないガラクタを大量に積み込み、それを引っ張ろうとしても抵抗ばかりが大きくなることなど最初から分かり切っています。散々注意されていながらそれを強行し、案の定到底引っ張れるものではなくなってしまい、注意の声を容れなかったことに対する自省もなしに、道の真ん中に荷車をポイ捨てして逃げた、というのがこの騒動でしょう。
むしろ、ここまで徹底して自ら抵抗を増やしておきながら、他の参加団体の企画が犠牲になるなどのしわ寄せが発生する理解も覚悟もなかったとすれば、そちらの方が驚愕に値します。なぜこれだけ露骨なことをしておいて、本件が降って湧いた災難でもあるかのような書き方となっているのでしょうか。

そして、この文章に「差別」の言葉が全く用いられていないことには失望を禁じ得ません。本件における問題の中心は「差別」であって、これに言及せずに本件を語るのは不可能です。
運営側が立場上、百田氏を差別主義者として非難することが難しいのは理解しますし、さすがにそこまでは求めませんが、例えば「差別に関する指摘を多くいただきました。これを差別について考えるきっかけにしていきます」といったような無難な書き方で触れることは可能であり、また最低限求められていることでしょう。
なお、反レイシズム情報センター(ARIC)が4月末、差別のない学園祭を求める提案を送付した際にも、運営側からは差別に一切言及しない回答が寄せられたとして、ARIC側が失望を表明していました。差別への意思表明を意図的に避けていなければ、ここまで奇妙なことにはなりません。
本件を差別の問題として認識できない、あるいは差別の問題として認識することをあえて避け続けるならば、たとえ本件が中止になろうと根本的な問題は全く解決されていないと言わざるを得ません。
ちなみにARICなどが求めていたのは「差別を許容しないこと」であって、厳密には「講演会の中止」ではありません。私もほぼ同意見です(といっても、百田氏が差別を手放すとは考えられませんので、中止するしかない状況となった可能性は高いですが)。要するに、講演会と差別を許容しないことを両立できるならすればよく、どちらかを放棄せねばならないなら講演会の方を中止すべきと述べているわけです。したがって、講演会中止の決定をしてまで差別と向き合うことを回避し続けている運営の態度は極めて残念です。

やはりというか例によってというか、百田氏は言論弾圧がどうたらと大はしゃぎしています。「差別はダメだから」ではなく「厳重な警備体制が大きくなりすぎたから」中止などと表明すれば、こうなることは分かり切っていました。
無論、差別扇動・テロ予告者が国立大学側の招きで堂々と登壇するならそちらの方が異常ですし、元NHK経営委員で権力とも近い関係でありながら気に入らないメディアをつぶすなどと発言している百田氏でもあるまいし、氏の差別を批判している側には何の権力もありませんから、批判側に言論を「弾圧」することは不可能ですが、デマ発信者にとっては事実など何の意味も持ちません。これもヘイトの材料の1つとして「消費」されてしまうことでしょう。
一体どこまで、外部に迷惑をかければ気が済むのでしょうか。差別という一方的かつ本来必要のない蹂躙行為に関する問題について、内部の件だとして外からの口出しを拒絶するのなら、外の社会にこういった害毒を一切まき散らさずにすべて内部で処理する責任感くらいは持つべきです。

そして困ったことに、この手の対応は日本社会において標準すぎるほどに標準的なものです。「差別」と批判を受けている状況で、運営が誠実に対応するどころか放置や燃料投下を行い、問題の中心であるはずの差別の論点に向き合うことを避け続け、散々延焼させた末、正面から差別に言及せずに中止表明を行い、レイシストが「言論弾圧」などとバカなことを言い張って被害者ぶるためのネタを提供する、といったようなパターンが何度繰り返されてきたことか、一向に学ばず進歩しない日本の現状に頭が痛くなります。

2017-05-27 の記事 - 2017-05-27
台湾 同性婚認めない民法の規定は憲法違反

日本がみんなで楽しく後退国をやっている中でも、世界は日に日に前へ進んでいっているようです。

私は未だ、同性婚を認めない合理的な理由を見たことがありません。
生物学的に子を残すのが婚姻の目的であるとするならば、子を持つつもりがないカップル、高齢のカップル、身体的事情で子が持てないカップルの結婚は一切認められてはならず、また病気や負傷、年齢などの事情で子を持つことが望めなくなった既婚者は即時離婚することが義務付けられていなければならないはずですが、そのような規定は存在していませんし、仮に存在するなら私は断固として廃止を主張するでしょう。
結局、これに反対する主要な理由は「異質なものに対する拒否感」であり、要するにホモフォビア、レイシズムです。他にこまごました理由を挙げる人もいるかもしれませんが、それらはおそらく大半の反対者の間で広く共有されたものではなく、この感情こそが大半の反対者によって共有された動機でしょう。
人間である以上、自分とは異なる属性に対する感情的な排除欲求、すなわち差別感情を覚えてしまうところまでは仕方がありません。しかし、それは理性と知性によって克服すべきもので、それを言動として表に出すならば差別的言動やヘイトスピーチとなりますし、ましてや政治的な主張の根拠にするなら大問題です。
ヘテロセクシャルであることも、ホモセクシャルであることも、いずれも偶然そちらに属しているだけのことでしかありません。そして、たまたまヘテロセクシャルに生まれた人は結婚制度を利用でき、たまたまホモセクシャルに生まれた人は制度の外に置かれるのですから、理不尽であると言わざるを得ません。

同性婚に賛成する立場と反対する立場には、絶対的な非対称性があります。すなわち、同性婚に賛成する人のほぼ全員が異性婚を完全に認めていて、異性婚に対して一切の否定を行わない一方で、反対する側は他人が同性婚を行うことを否定している、ということです。
これと同様の非対称性は夫婦別姓にも見られ、多くの別姓支持者は同姓にしたい人の権利を完全に守る意思を示している一方、別姓否定者は別姓にしたい人の権利を否定しています。自分が同姓にすることは全く否定も妨害もされていないのに、別姓を希望する他人を否定して妨害しようとするその根性を、私は全く理解することができませんし、また理解したくもありません。
この両方の問題において、根底にはLGBT差別や性差別があり、賛成側は非対称性の解消を求めていて、否定側は非対称性の維持を求めています。この絶対的な非対称性が存在する限りにおいて、私は否定側に「理」を認めることは一切できず、したがって同性婚・別姓婚はどちらも認められるのが妥当であるものと考えています。

2017-05-21 の記事 - 2017-05-21
一橋大学がよりにもよってあのテロ予告レイシストの百田氏を学園祭の講演会に登壇させる予定となっており、批判を受けている問題について。

KODAIRA祭 百田尚樹講演問題

一橋大学内部からの視点のようですが、まとめの部分がなかなか良くできています。

>今回の取材を通じ、気になる点があった。それは、本件について論じる際、往々にして百田氏の政治的立場と、レイシスト的言動が混同されているということだ。政策について左右いずれかの立場を取ることと、特定民族を誹謗中傷する行為は「言論の自由」という言葉で一括りにして語られるべきではない。後者については明確に否定されなければならないという前提を共有したうえで、慎重な議論を期待したい。

例えば「殺人」や「傷害」は思想ではありません。思想に基づく殺傷事件が発生することはありますが、それは動機が思想性を帯びているのであって、殺傷が思想なのではありません。
百田氏のようなレイシスト的言動、すなわちヘイトスピーチは魂に対する殺人や傷害であり、また物理的な殺傷をも扇動する加害行為です。したがって、ヘイトスピーチもまた思想とみなすことはできません。しかも、殺傷などの加害行為には正当防衛などやむを得ないもの、動機には一応考慮する余地があるものなどもありますが、やむを得ない差別なるものは原理上存在し得ません。差別は現代日本における娯楽であり、ヘイトスピーチは例えるなら快楽目的の通り魔殺人(商売レイシストの場合は金銭目的の通り魔殺人)に近いものです。
言うまでもなく、「快楽目的の通り魔殺人」は思想に関係なく確実に否定されるべきものです。「快楽殺人をしてもよいとする立場と許されないとする立場を同格に扱い、そのどちらにも肩入れしないことを中立と称する」「快楽殺人を思想の1つと認め、思想を問う場ではないという理由により批判を排除する」「思想に関しては話さないという条件付きだから問題ないと言い張り、快楽殺人鬼を登壇させる」、これらはいずれも快楽殺人に市民権とお墨付きを与える行為に他なりません。
現実に起きた例で考えるならば、「快楽殺人」の部分を「相模原の事件」や「(ナチスやルワンダなどの)ジェノサイド」に置き換えてみてもよいでしょう。それがいかに異常なことであるか、そして現実に生命の危険を引き起こしかねないものであるかが良く分かるはずです。
ヘイトスピーチという加害行為をさも思想であるかのように扱う時点で、差別主義者に対して100%の肩入れをしている状態であることを忘れてはいけません。

なお私は、川口氏の「外部からの反発に応じてイベントの中止や趣旨変更を行うべきではないでしょう」には全く賛同できません。
呼んだ以上は歓待の義務がある、外部からの反発でどうこうというのは、一橋大学内部の都合です。被差別者の立場からしてみれば、そんなものは知ったことではありません。一方、(実際に会場で直接的な差別的言動を行うか否かにかかわらず)レイシズムにお墨付きを与えることは被差別者の生命や身体の危険につながります。ある大学内の都合のために、どうして何の落ち度もない被差別者が危険を押し付けられなければならないのでしょうか
まして、百田氏はこの前にもテロ予告をしたばかりであり、そこには扇動された者らによる大量の賛同・同調コメントが寄せられるなど、氏は被攻撃者・被差別者に対する現実的な脅威となっています。批判的な立場から百田氏を呼ぶならまだしも、肯定的な立場から登壇を要請して歓待する以上、それは大学としてこうした差別・攻撃扇動行為を容認するというメッセージを社会に送ることを意味します。
「外部からの反発に応じるべきではない」は問題が内部で解決する場合には成り立ち得ますが、外部に被害を与える可能性がある場合には成り立ちません。公害など生産活動の副作用としての加害でさえ、外部の被害と向き合わないとすれば無責任も甚だしいですが、それどころか加害自体が主目的であり、かつ実行せずとも特に困るわけでもないヘイトスピーチの問題となればなおのこと。「ルワンダのラジオは放送局内部の問題であって、外部からの反発に応じて中止や趣旨変更などを行ってはならない」が成り立たないのと同じことです。
「差別には必ず被害者がいる」、このあまりに当たり前すぎてよく忘れられてしまう事実を、常に忘れてはならないのです。

2017-05-14 の記事 - 2017-05-14
日本人でよかった!? ポスターの“波紋”

神社本庁カルト連中による異様なポスターとして、人種差別に反対する者の間では以前から結構有名な代物でしたが、とうとうNHKにも取り上げられる始末。

>そして、高さんは次のように指摘しています。
>「ネット上に投稿された『日本人でよかった』という言葉が、とりわけ『外国人・他民族ではなく日本人でよかった』という含意をもって受け止められ、ナルシシスティックな気持ちの悪さや、日本人というメンバーシップを共有しない人々への無神経さを読み取った人々に批判されているのだと思う」


「含意をもって」というより、「そっくりそのままその通りの意味で」受け取られたと考えるのが正確です。

神社本庁・日本会議が人種差別を思想の根底の一つとしていることは知られており、それは森友学園の問題でも裏付けられました。彼らの言うところの「愛国」は「他国を貶める」ことと不可分であり、ポスターは他国への直接的な罵詈雑言こそ用いられてはいないものの、排他主義的な本質を全く隠せていなかったために当然批判された、というだけのことに過ぎません。
仮に彼らが「日本社会の一員として、国内の差別をなくそう」「日本は世界と交流し、相互理解を深めよう」といった、自国と同様に他国も尊重するまともな「愛国」の持ち主ならば、どこをどう間違ってもこのようなポスターが作られることはなかったでしょう。

>ポスターが作られたのは、6年前の東日本大震災の直後。
>当時、被災者が避難所で整然と並んで支援物資を受け取る姿が海外メディアから称賛されていました。
>神社本庁の担当者は「日本人は、譲り合いの精神や礼儀正しさを当たり前のことと考えていたが、海外からの称賛を受け、すばらしさに気付かされた。そうした社会状況を踏まえ、あのコピーを考えたと聞いている。当時は広く受け入れられたようだ」と話しました。


東日本大震災時には外国人が犯罪を働いているといったデマが流されたり、実際に排外主義者がヘイトクライムをやりかねない状態にまで至っていましたが、その程度のことも知らないのでしょうか。
また、その時には中国や韓国は日本に様々な支援を提供していますが、これに対して散々デマを流して侮辱したばかりか、挙句の果てには世界第5位の義援金を贈ってくれた韓国に対し、韓国から日本赤十字に直接送られた金額が20位以内に入っていないことを理由として大喜びで侮辱した(そもそも金額で評価するのは間違っているが、その金額すらデマによって捻じ曲げてヘイトの材料にする二重の救いようのなさ)のが日本の「愛国者」なのですが、これをどう考えているのでしょうか。
さらに熊本大震災では、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」だの「猟銃持っている家は自警団に加わるべき」だの、関東大震災にて効果が実証済みの虐殺扇動デマまで流され、実際に事件が多発しているなどのデマにつられて熊本に乗り込んで自警しようとする者まで現れたのですが、これについて何か言うことはないのでしょうか。
日本人への称賛とやらを無邪気に受け入れるのは結構ですが、ではこうした最低な行為を日本人の恥として受け入れる覚悟はあるのでしょうか。事の重大性から言っても、「被災者が称賛される行いをした」ことを「自分ら(日本人)はすごい」にすり替えなくても特に誰かが死ぬことはありませんが、人種差別や虐殺扇動デマは被差別者の生命や身体の危険に直結するもので、かつ自分自身が能動的に差別をしなくても日本社会としてそれを放置・容認すれば大事に至りますから、後者こそ深刻に評価しなければならないはずです。
結局のところ、この手の日本スゴイは称賛は日本人の手柄とし、醜態は見ないふりをするか、または外国人のせいにしているだけ(例えば被災地で犯罪があった場合に外国人犯罪と決めつけたり、安易にそうしたデマを信じたりするなど)です。

>担当者は「いろいろ誤解を招いているようだが」と前置きしたうえで、「昔は祝日に多くの家庭で国旗を掲揚していたが、今は少なくなっている。日本の伝統と文化を尊重する意味で、祝日に国旗を掲げることを啓発しようと作った」と説明しました。

別に誰も「誤解」などしておらず、そっくりそのままその通りの意味で認識された結果として批判が起きているだけですから、その辺は前置きの必要はないでしょう。

このポスターが訴えているのは「誇りを胸に日の丸を掲げよう」ですが、では神社本庁の連中は日の丸を掲げて「○○人をぶっ殺せ!」と怒鳴り、街中を練り歩いている連中に対して何か対抗行動を取ったのでしょうか。排外主義者がああいうことをするたび、日本社会において誇りを胸に日の丸を掲げることがどんどん難しくなっていくのは想像に難くないはずですが。
当然、やっているわけがないことは承知の上で言っています。神社本庁・日本会議と在特一派らは排外主義の点において価値観を共有する存在であることなど今さら言うまでもなく、せいぜい口先でこそ「あのようなやり方はよくない」くらいは言うかもしれませんが、本気で止めに入るわけがありません。
ちなみに差別に反対する人々は、日の丸を掲げて殺せ殺せと騒ぐ連中に対して「日の丸下ろせ」ときっちり叱りつけています。日の丸の誇りとやらを汚損しているのがまさに神社本庁・日本会議や自称愛国者であり、それに対抗する人々が日の丸の誇りを守っているというおなじみの図式です。

そしてついたオチがこれ。

>話題のポスター、今週になってさらに新たな事実が明らかになりました。
>起用された女性モデルが、日本人ではなく中国人なのではないかというのです。
>広告や報道向けに画像を提供するサイトに同一の写真があり、この写真に関連づけられたキーワードに「中国人」という表記があるのがネットで指摘されました。
>サイトの運営会社に取材すると、「モデル自身が国籍などを記した書類から中国人であることが確認できた」と話しました。


こうした事実が分かってみると、なかなか味わい深いポスターにも見えてきます。この華麗なまでの自爆芸により、これまでは排外主義ポスターであったものが、どこの国の人だろうと関係ないという、世界的な立場からのポスターに早変わり。
日本人スゴイ信奉とでもいうべき排外主義は本屋やメディアなどにあふれていますが(そして京都にもあふれていたのが今回の問題の発端でしたが)、それがいかに無意味でくだらないものか、このポスターを見て再確認してみるのもなかなか悪くないものでしょう。

2017-05-06 の記事 - 2017-05-06
NHK世論調査 憲法の改正 必要43% 必要なし34%

憲法変えるかの議論 “深まっていない”が3分の2

かなり危険な状況です。

現在の自民・日本会議一派にとって、もはや9条改正は悲願でもなんでもありません。憲法違反の法律を無理やり通し、それを国民が追認してしまった以上、必要があればまた憲法を無視すれば足りるのであり、せいぜい「別に変えなくてもいいが、変えた方が気分が良いので機会があれば変えたい」という、部屋のカーテンの色か何かを変えるのと同程度の存在でしかありません。
自民・日本会議一派にとっての本丸は、あくまで緊急事態条項に他なりません。共謀罪は最後から2歩目で、その後は最後の1歩である緊急事態条項をごり押ししてくるであろうことなど、少しでも物を知っている人なら誰でも予想していたことでしょうし、実際にそうなるでしょう。
緊急事態条項が通ればもはや終わりです。そして当然、これさえ通してしまえば後はどうにでもできると知っている自民・日本会議一派は、あらゆる詭弁や見せかけの譲歩を用いて緊急事態条項を通そうとしてくるでしょう。
そのために使い勝手が良いのが9条の存在です。9条の改正を最大の論点であるかのように位置づけ、国民の注目や反対派の批判の矛先を9条に向けさせておいて、これを改正しないか現状追認程度の改正にとどめると表明すれば、さも唯一最大の問題が解決されたかのような印象を与えることができ、かつ反対派は批判の手立てを失います。すでに無力化されていて主要な論点ではない9条の改正を譲歩の材料とすることで、たやすく本丸を落としてしまえるのです。
現行憲法に定められている基本的人権その他の規定、立憲主義などに関しても同様です。現在の自民案に見られる、立憲主義を無視したり、人権を制限したり、国民を縛るような規定などは、緊急事態条項を通す上で邪魔になると見たら緩和または削除してしまうこともあり得るでしょう。とにかく緊急事態条項さえ通してしまえば、基本的人権など後でいくらでも踏みにじることができます。その場合に縛りとなるものがあるとすれば、同条項内の「最大限に尊重されなければならない」という具体性も何もない有名無実的な文言だけです。

以上はいずれも、ここでかねてから述べてきたことの繰り返しでしかありませんが、今回のNHK世論調査は私の危惧を完全に裏づけるものとなっています。

>9条改正「必要」25% 「必要ない」57%

もし9条を守るべきと考えるのであれば、違憲の法律を通された後の選挙で与党側を敗北に追い込むしかありませんでした。国民はその最後の機会を与えられていながら、それをわざわざ自分の手で放棄した以上、もう自民・日本会議一派の目的は達せられており、「名(9条改正)を捨てて実(緊急事態条項)を取る」ためであれば、彼らは9条改正に対して無制限の譲歩が可能となっています。
無論、自民・日本会議一派に「名」も取らせないために9条を守ることは否定しませんが、それは「実」を守れて初めて意味を成すものです。まずは「実」を取らせないようにする必要があります。

>国民が憲法で国家権力の行使の在り方を定める「立憲主義」について、憲法解釈や憲法改正を議論するにあたって重視すべきかどうか聞きました。「重視すべきだ」が65%、「重視する必要はない」が7%、「どちらともいえない」が14%でした。

今の自民党案は立憲主義も何もあったものではない内容となっていますが、必要に応じて立憲主義を無視した改正案を破棄または緩和して譲歩の姿勢を見せることは、自民・日本会議一派にとっては許容できる範囲でしょう。
ただ、おそらく自民・日本会議一派が2番目に狙っているのがここで、9条よりもこちらの方が重要とみなしているはずですので、通せる見込みがあるようなら積極的に通そうとしてくる可能性はあります。「公共の福祉」が全く異なる概念である「公益」にすり替えられていたり、拷問の禁止から「絶対に」が消えていたりと、極めて露骨な内容となっているため、通れば終わりの緊急事態条項に比べればいくらかマシとしても害悪は極めて大きく、到底認められるものではありません。

>テロや大きな災害などが起きたときに、政府の権限を強める「緊急事態条項」については、憲法に加えるべきだという意見がある一方で、法律で十分対応できるので、憲法を変える必要はないという意見もあり、どちらの意見に近いか聞きました。
>「憲法に加えるべきだ」という意見に、「近い」と「どちらかといえば近い」を合わせると53%、「憲法を変える必要はない」という意見に「近い」と「どちらかといえば近い」を合わせると40%でした。


そしてこの通り、まさに危機的です。
要するに、9条や立憲主義の面で譲歩する姿勢さえ見せれば、もうこの瞬間にも緊急事態条項を含む憲法案を通せる可能性は高いわけです。しかも実際に改正の段となれば、テロや災害などの危機をさらに煽り立て、また教育など本来憲法とは無関係な規定を憲法に入れるなどのイメージ戦略も用いてくるはずですから、なおさら改正成立の危険は高くなります。

ここが終了に至る最後のステップです。踏みとどまることができるのか、それとも国民が「不断の努力」を忘れたらどうなるかを実践してみせることになるのか。後者の可能性が高いであろうと考える程度には、私はこの国について期待も信用もしていません。

2017-04-30 の記事 - 2017-04-30
アマゾン アカウント乗っ取り被害相次ぐ 勝手に出品

私は基本的に店頭で買えるものを通販で買うことはなく(割引クーポンなどで非常に割安になる場合などは例外)、輸入品や地域限定品を購入するのに利用しているため、今のところAmazonの出品物を購入したことはなく、利用した例のすべてがマーケットプレイスの出品者出荷商品です。

それで本件ですが、このところあり得ない値段の商品がそこかしこに出品されており、当然のごとく出品者フォーラムは大混乱、という状況になっていました。
これでは出品者の方々も大変だ、などと考えつつフォーラムを見ていましたが、そこで「シナ人」なる蔑称が用いられた書き込みを見てしまってげんなり。たとえ中国の詐欺グループがかかわっていたとしても、悪いのは詐欺師であって、中国人を侮蔑的に呼んでいい理由にはなりません。
実際、このフォーラムには返品詐欺にあったなどの切実な声がたびたび書き込まれていて、その詐欺犯の多くが日本人であることは疑いようもありません。しかし、日本人の詐欺師がいることを理由として日本人を蔑称で表記した書き込みなど見たことがありません。
詐欺師に対して憤るのは当然の感情ですし、商売に大きな打撃を受けた出品者、あるいは乗っ取りの被害者ともなればなおさらでしょう。しかし、この異常事態における怒りが詐欺師ではなく、特定の人種・民族などの属性に向いてしまったらどうなるか。これがレイシズムの恐ろしさです。

そして当然ながら、マーケットプレイスの出品者について評価や出品物、価格などの下調べを行い、詐欺やトラブルにあう可能性を十分に下げることはできますが、出品者がレイシストであるか否かなど調べようがありません。
運悪くヘイト出品者に発注してしまったとして、もし何らかの理由で自分がマイノリティなど「攻撃しても構わない属性の相手」と認識されたらどうなるか。あるいは、日本に暮らす中国人や韓国人の方、日本人でも海外にルーツを持つなどの理由から中国・韓国風の名前の方などが注文したらどうなるか。公開のフォーラムにおいてすら、中国人からの注文はキャンセルしているだの、Amazon日本法人の社長が中国系だから詐欺と結託しているだの(Amazon上層部への批判はあっていいが、人種を持ち出すのはおかしい)と発言されるほどですから、フォーラムにはとても書けないような差別的対応を受けたとしても不思議ではありません。
今回の詐欺の件に関しては、一部で「マーケットプレイスの商品には危険がある。Amazon販売の商品を選ぶべき」のような報道がなされている例があるようで、出品者から憤りの声が出ていましたが、別の意味ながら報道は正しいと言わざるを得ません。少なくとも私は、この詐欺問題によって利用を控えようとは考えない一方、フォーラム上のレイシズムは利用への警戒を呼び起こすのに十分なものでした。これでは特にマイノリティの方々などは、不安なく利用できなくなってしまうでしょう。他者の批判的な報道には敏感である割に、自分たちが負の広告塔になっていることには無自覚ないい例です。
しかし、歩いていたら透明の棒にあたった気分というか、なぜこんなところでまでヘイトを目にする羽目になるのか。頭が痛い限りです。

「国内の敵を潰す」という百田尚樹氏 つぶやきは「共謀罪」認定?

残念ながら、自民党一派に尻尾切りされるようなことをやらかした場合を除き、百田氏が何を放言しても共謀罪に問われることはないでしょう。

ところで、問題はここです。

>百田氏に発言の真意を問うと、こう答えた。

>「冗談半分に決まっているじゃないですか。言葉が過ぎたのは事実なので、その文言は削除しました。ただ、それだけ朝日の記事に腹が立ったということです」


まさに予想通りの返答です。
百田氏の望みは、マイノリティや「敵」を自らの手を汚して殺すことではありません。世の中の差別を扇動し、他人が「敵」への攻撃行動を取るように誘導するのが目的なのです。
これはつまり、ルワンダのラジオや関東大震災の流言、幸いにも大事にはなりませんでしたが熊本の虐殺扇動デマツイートなどと同じです。ラジオ放送や流言、虐殺扇動ツイートなどをいくら行ったところで、物理的に人を殺すことはできません。しかし、これらによって他人を扇動し、虐殺を起こさせることなら可能です。

もしヘイトスピーチの危険性を理解していない有名人が、つい冗談のつもりで過激な差別的発言をしてしまい、そこに「参加します」「自分も殺ります」などといった狂気じみた返信が寄せられたら、さすがにこれはまずいと気づくことでしょう。このような不用意な発言は冗談では済まされないものと悟り、その後は控えるようになるはずです。
しかし、百田氏はヘイトスピーチを長きにわたって何度も繰り返してきた人物です。たまたま冗談のつもりで言ったら大騒ぎになった、などというラインはとっくの昔に超えています。そして当然、ヘイトスピーチがどれほど重大で危険なものかはこれまで多数の人から散々指摘されているはずですが、意に介す様子もありません。百田氏はまず間違いなく、自分の差別扇動行為の効果を理解しています。
しかし同時に、自分が手を汚すつもりもありません。差別デモ参加者の中には自ら事件を起こして逮捕される者もいましたが、百田氏はおそらくそうはなりません。今回の件を「本気です。日本の敵を半殺しにして何が悪い」と答えるならまだ異常者ではあっても筋は通っていますが、「冗談半分に決まっている」なる返答の仕方からも、巧妙に逃げ道を残すように立ち回っていることが見て取れます。
もし百田氏の発言に扇動されて事件を起こす者が現れても、百田氏は間違いなく何食わぬ顔で犯人を切り捨てにかかるでしょう。それこそ「あんな発言は冗談半分に決まっている」と鼻で笑いながら。

差別扇動といえば、このほど今村氏がまたバカをやって辞任しましたが、それで「復興大臣が避難者に対する攻撃を解禁した」事実が消えることはありませんし、今村氏や内閣はそれを打ち消す努力をしてもいません。それどころか氏を擁護する論外な者までいる始末で、事の重大性が全く見えていないようです。
内閣のメンバーが事実上の対被災者版在特会となり、避難者に対する差別を扇動した余波は、人種や障碍などに対する差別ほど表立ったものとはならないにしても、今後とも社会に残り続けることでしょう。

2017-04-23 の記事 - 2017-04-23
現状のヘイトまみれ、デマまみれ、脅威扇動の日本を見る限り、北朝鮮がどうたらこうたらと言うまでもなく、勝手に殺し合いでも始めて自滅するのではないかと冗談ではなく考えざるを得ない今日この頃。閣僚の発言、NHK経営委員をやっていた百田氏の発言、筒井氏の発言、しまいには強盗事件にかこつけた韓国人ヘイトなど、いくらなんでも異様すぎます。

J1:ガ大阪、旗や横断幕などの使用、無期限で全面禁止

>サッカーJ1・ガンバ大阪のサポーターがナチス親衛隊の「SSマーク」に酷似した応援旗を掲げた問題を受けてガ大阪は21日、アウェーを含む全ての公式戦で、ガ大阪を応援する旗や横断幕などの使用を無期限で全面禁止すると発表した。また、使用したサポーターグループを特定し、所属する60〜70人を無期限の入場禁止処分とした。

この手の問題に対し、断固たる措置で臨むのは当然です。

ナチスの意匠というのは非常に見栄えがします。それもそのはず、実際に見栄えを十分計算して作られているためです。そういった手段を駆使してナチスが権力を掌握した結果が、ユダヤ人や同性愛者などの虐殺、T4作戦、戦争などの悲劇であるのは周知の通りです。
ここまで計算して作りこんである以上、当時ナチスの意匠に引っかかった人が出てしまったことは、ある意味無理もないものではありました。
しかし、幸いにも現代人はナチスが何をもたらしたのかをよく知っています。したがって、現代におけるナチスの意匠は見えている落とし穴に等しいもので、落ちに行こうとでもしない限り落ちることはありません。それでも落ちる者がいるならば、歴史を知った上でわざと社会を落とし穴に投げ入れようとしている者か、あるいはろくに歴史を学びもせずに自分の欲望のまま過ちを繰り返そうとしている者か、このどちらかとなります。
「ナチスは悪だが、デザインが良いなら取り入れて何が悪い」なる教育勅語理論もしばしば見かけますが、全くバカげています。「ナチスは悪だが、○○は取り入れてもよい」を認めるならば、「ロゴ」の次は「服装」、次は「敬礼」といった具合に防波堤がじりじりと削り取られ、そのたびに社会におけるナチス的なものへの抵抗感や嫌悪感は徐々に薄れていき、いずれ「○○」には「T4作戦」か何かが入ることになるでしょう。大げさなと言うなかれ、見栄えのいいデザインを間口として思想の支持にまで至る受容のプロセスは、まさにナチスがかつてやってみせたことと全く同じです。
そして事実、日本のレイシストはナチスの旗を掲げて人種差別デモを行うなど、ナチスの意匠を実際に差別の場に投入しています。「デザインとナチス思想は別」と何百回と繰り返したところで、事実としてそうなっているのですから何の意味もありません。

この国ではすでに個人によるT4作戦が決行され、しかもそれを支持する者が大勢存在すること、有名アナウンサーが特定疾患患者へのシステムとしての殺害を扇動していることを忘れてはいけません。街角で平然と特定人種へのジェノサイドが扇動され、内閣の面々や都知事がそれを扇動した者たちと懇意であり、NHK経営委員まで務めた小説家がレイシズムをまき散らし、災害となればジェノサイドの扇動が飛び交う状態であることを忘れてはいけません。
すでに重大なヘイトクライムまで経験していながら、この国における差別への意識というのは恐ろしいほど軽いのです。障碍者の方々が何十人も殺傷されてなお、殺戮に理解を示すような人間は論外として、差別の重大性について「そんな大げさな」と言えてしまう人間が山のようにいるほど軽いのです。
現状、まだ社会にはかろうじて「差別は不公正でおかしいもの」という意識が残っていて、それが何とか表立った差別をある程度抑制する機能を果たしていますが、もし今後「差別はカッコ良いもの」となってしまったらどうなるか、想像したくもありません。
デザインがどうたらというお粗末な言い訳に惑わされることなく、ナチス的なものには断固として対抗していかなければなりません。

2017-04-16 の記事 - 2017-04-16
先日、料理をしていたら勝手にWindows UpdateがPCを再起動してしまい、作業中のデータが吹き飛ぶ羽目に。寝てしまって吹き飛ぶのであればまだあきらめもつきますが、これではうかうか料理どころかコーヒーすら作っていられません。
即刻グループポリシーでそれらしい項目を探し、自動再起動を切っておきましたが、Home版でグループポリシーは使えないそうですし、よくもまあこんな理不尽な仕様を組み込めたものだと感心します。
そんな中、Windows 10 Creators Updateの通知が出ていましたので機能を確認してみましたが、設定画面から再起動を抑制する設定が可能になったのだとか。一応改善点ではありますが、むしろなぜ今までなかったのかが不可解です。

しかし、かねてから私が待ち望んでいる機能、例えばCortanaの言語を自由に変更する機能などに触れた情報は見当たりません。これを追加するつもりがないのであれば、なぜCortanaの設定項目に「Cortana Language」なるものがあるのか、誰か教えてほしいのですが
また、IEは今後全く実用に耐えなくなるのは時間の問題で、それに代わるブラウザが直ちに望まれますが、Edgeはどうやら「シンプル」をはき違えた方針を続けるらしく、情報を見る限りではゴミのまま。Chromeは機能面がボロボロな上、非アクティブタブのアクティブ化時に勝手に再読み込みする場合があるなど論外な挙動が多く、Firefoxは機能面では有用な代わりに重量級といった出来栄えで、中間的なIEは使い勝手がよかっただけに、Edgeの体たらくは極めて迷惑です。なお、Creators Update版のIEのタブバーには「Edgeを開く」なるボタンが追加されているとか。Edgeがゴミだから仕方なく旧式のIEを使わねばならないのに、神経逆なでも節度を持ってやるべきです。
他にも、スタートメニューへの項目の追加・削除・移動など、一覧をいじる機能は現に20年前から搭載されていた基本的なものですので、自由に行えない現状は異常です。こちらはどうなっているのかの情報がありませんが、特に情報がないからには期待できないと考えるべきでしょうか。一方、ライブタイルはフォルダにまとめておくことが可能になるのだとか。ああ、そうですか。
このような、昔は当然できていたこと、あるいは本来できなくてはおかしいことが追加されず、落書き機能の強化だのペイントの3D化だのを新機能と言われても少々反応に困ります。あるいはゲームモード。人によってはありがたく、人によっては微妙な更新でしょう。ちなみに私は後者。
別に機能を増やすのは構いませんが、「実用機に3D化ペイントやゲームモードを導入させるのがWindows as a Service」なのだとすると、さすがに少々笑えません。

毎度お騒がせのレイシスト小説家・百田氏が、今度は「テロ組織を作る」だのとバカげたことを書き散らしています。

>もし北朝鮮のミサイルで私の家族が死に、私が生き残れば、私はテロ組織を作って、日本国内の敵を潰していく。

金王朝に殴り込みをかけるというなら理屈としてはまだ理解できますが、なんと国内を対象にテロを起こすと宣言する異常ぶり。ミサイル有事を利用した火事場泥棒ならぬ火事場テロとは、有事には北朝鮮とタッグを組んで日本の足を引っ張りたいようです。そして、前提条件その他からして氏は自分の手を汚すつもりなどなく、北朝鮮への憎悪を利用して他人がそれをすることを煽り立てるのが目的、すなわち差別扇動行為であることは明白です。
氏はいわゆるお友達人事としてNHK経営委員に加わっていたことがあるなど、政権に近い人間であることが知られています。そして、百田氏やその支持者・同調者の手によって、現政権のやり方を批判する人々には「北朝鮮の手先」だの「国内の敵」だの「テロ等準備罪に反対するのはテロリスト」だのと訳の分からない言葉が浴びせられています。
さて、共謀罪が作られて誰かが適用対象にされるとなった時、逮捕されるのは堂々とテロ組織を作るなどと公言している政権のお友達・百田氏でしょうか。それとも、政権のお友達・百田氏に北朝鮮の手先だのと言いがかりをつけられ、潰す敵であると指名されている側の人々でしょうか。

なお、私は百田氏がやっているようなヘイトテロ扇動行為は決して許されず、法によって規制されねばならないと考えています。すでに日本では相模原障碍者虐殺という重大なヘイトクライムが発生しており、このまま放置しておけば関東大震災虐殺やルワンダの虐殺の悲劇を繰り返すのは時間の問題であるためです。
ただし、それを取り締まるのは共謀罪であってはなりませんし、また氏はどれほど異常な言動をしようと共謀罪の対象とされることはないでしょう(自民一派と仲たがいしたり、切り捨てられた場合を除く)。ヘイトテロ扇動行為はヘイトスピーチを禁止する実効性ある法律によって規制されるべきです。

2017-04-08 の記事 - 2017-04-08
どうやら自らが人間であることを放棄したいらしい、胸糞悪い今村氏と筒井氏の件。

復興大臣発言に便乗? 新潟の避難者施設に電話「帰れ」

これがまさに、復興相を名乗る今村氏の発言の怖さです。

かつて石原氏ら有力レイシストは人種差別や障碍者差別などを吐き散らし、また在特会は「○○人を殺せ」などの異常な言動を繰り返すことにより、社会の差別に対するハードルを大きく下げる役割を担いました。
こと、名の知れた人物、責任のある人物が公然とヘイトを吐き散らすことの効果は大きく、これによって大勢の潜在的差別主義者に「あの有名人・地位のある者でさえ堂々とここまで言っているのだから、自分もここまでなら言っても大丈夫」と認識させることになりますので、今までは到底認められなかったような言動ですら、その後は当たり前のものとなってしまうのです。彼らはいわば、「タブー」の壁を破壊する存在となるわけです。
なお、「タブー」には「本来ならそのような批判はあって当たり前なのに、それがなされない状態」のニュアンスを含む場合が多く、一方で差別や被災者攻撃は何ら落ち度のない人間への卑劣な加害行為ですから、一般的なニュアンスにおいてこれをタブー破りと位置付けることは不適当です。しかし、ともかく他人に対するヘイト行為の意思を潜在させている攻撃者にとっては、平然と異様なヘイトを吐き散らす有名人は攻撃のライセンスを与えてくれるパイオニアであり、壁を破ってくれる存在であることに違いはありません。

今回、復興相を名乗る今村氏は、閣僚の立場を利用して、被災者に対する誹謗中傷や自己責任論を解禁しました。
これは人種差別において在特会が果たした役割と何ら変わるところがなく、氏はいわば対被災者版在特会の役割を果たしたわけです。しかも、あろうことかそれを閣僚、それも復興相の立場を利用して行ったのですから、その異常さと影響力の大きさは在特会の比ではありません。
今回新潟の避難者支援施設に電話をかけてきたという人物は、せいぜい氷山の一角でしかありません。例えば相模原障碍者虐殺のようなヘイトクライムの実行には至らなくても、障碍者は殺戮・排除すべきと考える人間は決して少なくはありませんが、同じく中傷電話のような行為はまだ実行していなくても、以前からこれと同様の思想を持っていた、あるいは復興相を名乗る今村氏の発言を知って「そのような言動をしてもいい」と認識し、同様の思想を解禁した人間は決して少なくないはずです。そうした連中の枯草の束のような差別意識に対し、今村氏は堂々と火を放ってみせたのです。
これはもう、「復興相としての資質に欠ける」程度の小さな話ではなく、閣僚・復興相の立場を利用した、被災者に対する積極的加害行為以外の何物でもありません。私はこの復興相を名乗る今村氏という人物を、断じて許すことができません。

これだけでも憂鬱なのに、ひどいケースがもう1件。

筒井康隆氏、慰安婦像への侮辱促す? 「炎上狙った」

当該ツイートはさすがにあんまりな内容のもので、ここで取り上げることも少々はばかられますが、差別の被害者はこうした中傷を何の遠慮もなく浴びせられている現実があります。こういったものは「○○人を殺せ」などと同様、下手にオブラートで包むのではなく、そのおぞましさをしっかり認識した上で立ち向かわなくてはならないものと考えますので、以下にその内容を引用します。

>…長嶺大使がまた韓国へ行く。慰安婦像を容認したことになってしまった。あの少女は可愛いから、皆で前まで行って射精し、ザーメンまみれにして来よう。

これもまた、一般的なニュアンスでの「タブー」には到底該当し得ない意味での「タブー破り」です。記事タイトルも「慰安婦像への侮辱促す?」となっていますが、まさにその「促す」効果が差別扇動表現のキモであり、このような言い分が社会において平然と許容される水準になったらと考えるとぞっとします。

なお、氏は記事中で言い訳を試みており、

>「ぼくは戦争前から生きている人間だから、韓国の人たちをどれだけ日本人がひどいめに遭わせたかよく知っています。韓国の人たちにどうこういう気持ちは何もない」

と述べてはいるものの、ツイート上での「慰安婦像を容認したことになってしまった」という表現とかみ合っておらず、典型的なまでにお粗末な言い逃れにしかなっていません。

当然のことながら、いくら言い訳を連ねたところで、氏の主張は明確なセカンドレイプかつ差別扇動行為以外の何物でもありません。それは被害者側を直接的に激しく傷つけるのみならず、社会の差別のハードルを下げて後続のヘイトスピーチやヘイトクライムをも誘発する、言うなれば街中で銃を乱射するような行為です。
また、もし万が一にもこの記事で語ったことが実際に真意であったとして、それが何だというのでしょうか。これによって直接傷つけられ、かつ社会の差別が扇動されることによってさらに傷つけられる被害者側にとって、氏の真意など何の価値も持ちません。以前、韓国ヘイトデマサイトの開設者は韓国について「好きも嫌いもない」などと発言していましたが、作家先生がこれと似たようなことを言うとあっては唖然とせざるを得ません。
もちろん、作家がタブーを破る表現をすることは大いに結構です。また、大使の件は政治問題ですから、それに対して意見を表明するのも勝手です。しかし、「批判があって当然のはずなのに、社会的な圧力などからそれがなされない状態を破ること」と、「売春婦だのタカり民族だのと言われ、政治家や作家などからも平然とヘイトがなされ、街中で平然と死ね殺せと言われるなど殺戮の扇動すらもなされ、取り囲まれてリンチを受けている人々に対して、得意げに唾(氏の表現を借りるなら、唾どころかザーメンですが)を吐きかけること」、この両者の区別すらもつかないのであれば、もう口を開くべきではありません。

2017-04-02 の記事 - 2017-04-02
クローズアップ2017 教科書検定 道徳、修正細部まで

大マヌケな日本文化スゴイの類を放置していた結果、とうとうここまで行き着きました。
実にバカバカしい話ではありますが、もはやそういったバカらしいことが大手を振って堂々と教育の場でまかり通るようになってきているのです。コントはコントだから笑っていられるのであって、現実に持ち込まれればそんなものは悲劇でしかありません。

大相撲 差別的なやじ報道で事実確認

照ノ富士に「モンゴルへ帰れ」のヘイトヤジ...それを肯定したスポーツ新聞と黙認した日本相撲協会の差別体質

相撲が国技などと言うのなら、事実が確認できた時点で最低でもサッカーと同等の処分及び対応が必要です。サッカーと同程度の身ぎれいさすらも維持する気がないのなら、もう二度と「国技」を名乗るべきではありません。普段から品格品格と言っている以上、きっちりと品格を示さなければなりません。
そして残念ながら、この件の事実がどうあれ、インターネット上などではこのヤジのような言い分を容易に見つけることができます。

ところで、今さら言うまでもないことでしょうが、この件には前日談とでも呼ぶべき要素があります。それこそが例の「日本出身力士優勝」などがことさら大きく騒ぎ立てられてもてはやされるなどした「日本力士スゴイ」旋風です。
あの騒ぎは極めて違和感のあるものでしたが、正面切って文句をつけづらいものでもありました。あれは建前上は「日本出身力士の活躍」を喜んでいるのであって、直接的に他の力士を貶めるような表現が出てきているわけではなく、表層には攻撃的な部分が見えないようになっていたためです(実際のところ、特定の人物を努力や成果ではなくその属性に基づく部分で他者よりも称賛するならば、十分に公平性を欠くものではありますが)。
ただし、だからといってそれを放置していればこの通り、必ず他属性の人への攻撃として表面化します。ヘイトスピーチを放置してはならないのは、それが他人の尊厳を傷つけるのみならず、ヘイトクライムやジェノサイドといった重大な犯罪行為に結び付くためです。そして、その1つ前の段階がこうしたスゴイ論というわけです。したがって、これを放置することはできません。
いい加減、あのような「日本力士スゴイ」論、あるいは力士に限らずスゴイ論は容易に凶器としての形を取ることに、私たちは自覚的であるべきです。日本社会はすでに相模原障碍者虐殺事件という稀代のヘイトクライムを体験し、かつこれまでにも日本称賛本がヘイト本と相互補完的な地位を占めるなど、日本スゴイ論がヘイト製造機としての役割を果たしてきたことも経験しているはずなのに、現状の日本社会はその危険性に対してあまりにも無頓着すぎます。

「日本会議」系が集会、改憲へ気勢 国会議員ら700人

この異常者集団ですが、このところ露出を避けることをやめつつあるのでしょうか。
そろそろ身を隠すまでもなく理想を実現できそうだと踏んでいるのか、様々な媒体に加えて森友学園の件で表ざたになってきてなりふり構わなくなったのかは知りませんが、仮にこの連中の思想が実現されたらどのような社会が到来するかは、森友学園の問題がごく小規模なモデルとして示してくれています。森友学園はたかだか1つの学校法人でしかありませんが、あれが日本社会にそのまま適用されるわけです。
森友学園は抵抗もできない幼児を虐待し、ヘイトスピーチを行い、幾人もの人間をズタズタに傷つけました。今回の件で問題が表面化したからいいようなものの、そうでなければ小学校も無事に開校した可能性があり、もっと大勢の人間が傷つけられていたでしょう。籠池氏1人がこれだけの人間をズタズタにするのなら、この日本会議及び共鳴者の集団を放置した場合、果たしてどれほどの人間を傷つけることでしょうか。
狂気の集団・日本会議カルトを止めることは、日本の責任です。

2017-03-24 の記事 - 2017-03-24
証人喚問によって籠池氏に良いイメージを持つ人が出てきてしまっているようですので、ここで一応取り上げておきます。

「安倍首相の耳に悪い情報を入れた人がいた」森友学園・籠池氏、記者会見で国有地売却問題に言及

これは日本外国特派員協会主催の記者会見での籠池氏の言い分ですが、例の選手宣誓の正当性について述べるなど、まさにこの人物の本質がレイシストであり、年端もいかない幼児に異様な教育を施そうとする異常者であることが見て取れるものとなっています。他にも日本人は優しい民族だの性善説だの、陳腐な日本人至上主義という以前の問題として、まず鏡を見てから物を言えと言わざるを得ない言葉が並んでいます。
ただ、はっきり言って今の日本社会はレイシズム天国ですから、こうしたレイシズムですら自然に受け入れられかねない空気があることは否めません(なお、もしこの会見内容を読み、人種差別の観点からさほどおかしいと感じなかった人は相当毒されています。それこそ、もはや「○○人は死ね、殺せ」の言葉が出てこない限りはおかしいと感じなくなるほど感覚がマヒしています)。
そういう意味では、より客観的にレイシズムを見ることができるであろう外国特派員協会の会見でこれが行われてよかったと言えるかもしれません。

籠池氏への好印象という、いわば泥棒が人助けをした時に大きく持ち上げられる現象に対抗するためにあえてはっきり書いておきますが、籠池氏は人種差別、すなわち立場の弱い相手をその属性に基づきターゲットとする行為を平然と行い、かつ教育の名を借りて反論も抵抗もできない幼児を虐待するなど、自分よりも弱い相手を平気で踏みにじり、人としての尊厳をズタズタに引き裂く、まさに人間のクズの見本のような存在です。
無論、それでも籠池氏が証言をするのなら聞くべきですし、その証言が全容解明に役立つのなら当然それは適切に活用されるべきです。しかし、そんなものは救いようのない凶悪犯罪者が仲間に見捨てられて捕まり、怒り狂って共犯者の情報を自白しているのと同じです。その情報は適正に評価し、有用なものに関しては活用されるべきですが、その人物は救いようのない凶悪犯罪者以外の何者でもありません。
籠池氏は信奉していた保守派とやらに次々と切断処理されており、そういう意味では気の毒ではありますし、同情には値するかもしれません。しかも籠池氏自身は何の力も持たない一人の異常者でしかなく、本人だけで大それたことができるわけがありませんから、氏をいわば実行犯として用いておいて、しかも騒ぎになったと見たら切り捨てている者がいることも確かでしょう。その観点からは氏もまた被害者の一人であると考えることは可能です。
しかし、人種差別や児童虐待を行ったのは籠池氏本人の意思であり、少なくともこの点について氏は一方的な加害者に他ならず、正当化の余地は一切存在しません。教育者という自らの立場を最大限悪用し、立場が弱く抵抗することができない他人の尊厳を容赦なく踏みにじる、まさにカス以下のカスに対する同情の言葉を、私は一言たりとも持ちません。
この人物はもはや、日陰から出してはならない存在です。少なくとも「差別は過ちでした。被差別者の方々、すみませんでした」「あれが教育などとは間違っていました。私がやったことは虐待でした。許されないことです」と自らの行いを正しく認識して反省し、二度としないことを確約し、しかもそれを誠実に遵守しない限り、決して日向を歩かせてはならない存在なのです。
氏について「そのうち候補者にでもなるのでは」と評する声を見かけましたが、まさに今の異常化した日本を見る限り、それが当たらずとも遠からずになってしまいかねない嫌なリアリティがあります。長谷川豊氏の件などを見た後では、これを笑って済ませることはできません。
本件を政治問題として考えた場合に、氏がいくら捨て犬のようなかわいそうな存在に見えたとしても(それこそ日本会議や安倍一派のような連中にぶら下がった時点で、私には自業自得にしか見えませんが)、一方で氏が自らの意思で能動的に人種差別と児童虐待を行い、何ら落ち度のない他人をズタズタに傷つけた人物であることを、決して忘れてはいけません。

なお、差別や虐待に関しても、籠池氏だけを断罪すれば済む問題ではないことは念のため言い添えておきます。日本会議や安倍一派もまた、氏と人種差別や虐待教育の理念を共有する存在であることは言うまでもありません。そもそも政治問題以前の話として、差別と虐待を理由として日本会議や安倍一派を追放することは、日本人が果たさねばならない責任なのです。

2017-03-19 の記事 - 2017-03-19
籠池氏の証人喚問ですが、私は特に期待していません。自民党が同意した以上、籠池氏を呼んでもダメージを受けないような準備が整っていると考える方が自然であり、自民党にとっては籠池氏に責任や汚点、嘘つきの烙印を押し付け、一連の問題ごと切り捨てても何のダメージもありません。
偽証ができないこととされている証人喚問の席で「なかった」と言わせれば、それが事実にせよ虚偽にせよ否応なく説得力を持ってしまいますし、あるいは逆に籠池氏に明らかな虚偽事実をベラベラしゃべらせて大嘘つきに仕立て上げ、追及を全部無力化してしまうことすら可能です。
野党は無理にこれを突破口にしようとするよりも、籠池氏が真実を語ろうとも、嘘八百を並べ立てようとも、問題があったと証言しようとも、なかったと証言しようとも、安倍一派の切り捨てに怒って報復する気であろうとも、逆に懐柔済みであろうとも、どう出てきたとしても無関係に、内閣追及を継続できる姿勢を整えておくべきです。
ここで無傷のまま逃げられれば、マスコミのコントロールはより強化され、問題が報道されることはもはや期待できなくなりますし、緊急事態条項も十分に射程範囲内となるでしょう。あのような異様な教育が行われるような国こそが安倍一派や日本会議の理想ですが、その狂った理想の世界に行き着くまでの距離はもう決して長くないのです。

人権電話相談、英語・中国語→6カ国語対応に 法務省

これ自体はよいことです。
ただし、いくら相談対応言語を増やしたところで、相談の効果が薄ければ仏作って魂入れずというものです。街角でのヘイトデモから一対一での人種差別に至るまで、差別によって蹂躙されている人はいくらでも存在しますが、問題はそうした卑劣な加害行為に対し、何か有効な手立てを打てているのか否かです。
街角でのヘイトデモは市民活動の結果として減少しましたが、震災時には虐殺扇動デマが飛び交い、障碍者虐殺事件や透析患者を殺せといった異様な行為や言葉が横行し、沖縄ヘイトが平然と電波に乗って垂れ流され、ヘイト学校法人と政治が懇ろなどというのは、状況としては明らかに異質な方向へと進んでいると言うことができるでしょう。
異常事態だから相談言語を拡張するのだとすれば、それはそれで教科書的な意味で正しい対応ではありますが、現実的にはあまり意味のあるものとはなりません。結局、これでどれだけ加害を食い止められているか、言語を増やすことでより加害を食い止められるのかどうかが重要なのです。

さて、最近話題になっている宅配業者の負担と値上げの話。
これを「アベノミクスの成果」などと称する、「良いことは神様のおかげ、悪いことは努力が足りないから」と同等のことを言う無能者のおかげで、もはや安倍氏の経済政策や内閣は「信仰」の類であることがよく分かりましたが(*)、今回これは置いておきましょう。
値上げ自体は支持しますが、それで解決する問題ではありません。無理がある状態で少々の価格転嫁を行ったとしても、せいぜい無理な状況を若干遅延させる程度の効果しかないでしょう。それより問題は、日本社会が妙な価値観から脱却できるかどうかです。

(*)悪いことに対する例: 麻生氏「(結果を)出していないのは、よほど運が悪いか、経営者に能力がないから」
良いことに対する例: 菅氏「ネット通販の急成長と昨今のアベノミクスの成果で、需要・供給両面から宅配、運送業のコストが高まってきている」

私は海外のパッケージ版ソフトウェアが欲しい場合に輸入することがありますが、その場合の発送は必ずしも十分なサービスと呼べるものではありません(なお、海外では現地の業者、日本に入ってからは日本郵便の取り扱いになるので、日本に来てからの扱いは通常の郵便物と同様)。理論上は1週間ほどで十分なはずが、発送通知後3週間ほど待たされても怒らない寛容さが必要ですし、インターネット上ではなかなか悲惨な目にあった人の体験談などもちらほら見かけることができます。
日本のサービスは世界一、であるかまでは分かりませんが、こと運送に関しては非常に高い水準のサービスとなっていることは間違いないでしょう。
しかし、日本没落の結果として異様な日本スゴイ論が吹き荒れる中、考えもなしに「さすが日本はスゴイ!世界が驚く日本!」などと反応するようではどうしようもありません。はっきり言ってそんなものは、博多で危険な陥没事故が発生したにもかかわらず「あっという間に復旧がなされた!日本スゴイ!」と適当なことを吹聴していた連中と何も変わらず、無益などころか有害です。運送業が切羽詰まった状況にまで追い込まれてしまっている現状を考えれば、ここは逆に「日本の恥だ」と考える方が正解だと言っても過言ではありません。
非常に良質なサービスを低価格で受けることは、普通は不可能です。それが実現しているとするならば、どこかに必ずそのしわ寄せを受けている人がいます。今回問題となっている宅配業界はもとより、飲食店業界などでも問題になったことがありますが、まさにそれを被るのが業界の末端の人々であるわけです。世界一のサービスとやらは、誰かを足蹴にすることによって実現されているのです。
ちなみに、これは最近見直されているという「古き良き地域コミュニティ」的なものに関しても同様で、どうしてこれが一部の人にとって非常に良いもので、しかも(少なくとも都市部では)崩壊したかというと、そのために犠牲になる人々がいたからです。このところ、日本を「古き良き時代」に戻そうとする人々が嫌というほど醜態をさらしていますが、単純に時計の針を戻すことがあってはならないのです。
非常に高い水準の利用料金を支払うのが嫌ならば、ほどほどのサービスで満足するようにしなければ、運送業から飲食店、交通業、その他様々な業界が抱えるこの種の問題が解決することはないでしょう。これはつまり、上記の通り「低価格で世界一のサービス、日本スゴイ」から「低価格で世界一のサービス、日本の恥だ」への価値観の大転換が必要であり、相当に困難なのは確かです。
普段はおもてなしなどと言いつつ、肝心の外国人には散々ヘイトスピーチをくれてやっておいてサービスもないものですが、こと国内向きな部分について言うならば、今の日本に必要なのは「おもてなしの精神」とやらではなく、「おもてなしなどクソくらえの精神」です。

2017-03-11 の記事 - 2017-03-11
森友・籠池理事長、退任の意向 娘に引き継ぐ考え

【森友学園】小学校の認可申請取り下げ、籠池理事長は辞任へ 長男「安倍晋三総理以下、どうぞよろしく」

籠池氏の責任の取り方としても、一連の政治問題としても、どちらの観点から見ても全くの無意味です。

氏が理事長を辞めたところで、同様の思想を持つ一族に地位を譲るのでは引責になっていませんし、それで自分は完全引退して二度とかかわらないと確約するならまだしも、籠池氏は今後とも何らかの形で運営にかかわり、学校開設にも再びチャレンジする意向を平然と語っています。これではただ理事長の名前が書き変わるだけに過ぎず、実質的には何の意味もありません。
安倍記念小学校の認可が絶望的となって取り下げられたこと自体は、何ら落ち度のない児童が虐待される恐れがなくなったので喜ばしいことですが、このような学校が認可される可能性があったこと自体が最初からおかしかったのであって、ただ本来通り得ないものが通らなかっただけです。通っていたら莫大なマイナスであったものがゼロになっただけで、何かが良くなったわけではありません。
当然、本人は何が悪かったのかなど全く理解していません。たとえ腹の中では再びやる気であったとしても、これを悪事だと認識していれば口先では取り繕うはずで、堂々と今後もかかわるだの再申請だの口にするわけがありません。今後も条件さえ整えば、不正でも虐待でもヘイトスピーチでも行うことにためらいはないでしょう。安倍一派や日本会議関係者の例に漏れず、あまりにも異常な人間と言わざるを得ません。
繰り返しますが、状況は何一つとして変わっていません。尻尾を切られて責任を押し付けられたはずの籠池氏すら、責任を取るようなことは何もしていないのです。

そして当然、この「何も責任を引き受けていない引責」によって一連の政治問題を終わらせることがあってはいけません。
そもそも今回のような幕引き演出は、以前からある程度予想されていたことです。さすがにここまで徹底的に責任を取らない引責によってそれがなされるというのは悪い意味で予想以上でしたが、いずれにせよこの問題に触れられたくない自民や維新といった連中にとって、森友学園や籠池氏は鼻つまみ者でしかありませんでした。
あれだけ大絶賛して懇意にしていた相手を少しは擁護してやるどころか、そろいもそろって情け容赦なく切り捨てにかかる様は無残としか言いようがなく、安倍氏と食事友達のマスコミの面々には「籠池氏は明日のあなただ。本当にそれでいいのか」と問いたいところですが、ともかくこれが彼らにとっての最適な落としどころであるわけです。
しかし言うまでもなく、森友学園と政治をめぐる問題には現状ほとんど手が付けられていません。安倍夫妻やその同類と仲良しの日本会議の相手に対し、国民の財産から異常なプレゼントがなされ、認可がやたらと上手くいき、しかも虐待ヘイト教育が安倍夫妻などから大絶賛されていたことについて、まだ事実はほとんど解明されておらず、しかも誰一人として責任を取った者はいません。籠池氏らは単に妄想をこじらせた異常者でしかなく、政治の力なしには大それた不正も小学校設立も何もできなかったはずなのに、です。ここで追及が消滅するならば、本件は「うやむや」どころか「一切不明のまま」終わることになります。
繰り返し述べていますが、この問題は現代日本社会の病理が表面化したもので、その地下には安倍内閣、日本会議、自民、維新、自称保守が実現させようとしている教育、ヘイトスピーチといった現代日本をむしばむドス黒い根が広がっています。これに切り込まないことはつまり、現代日本の問題に背を向けることと言っても過言ではありません。
同時に、在特会のヘイトスピーチ、親学による発達障碍児に関する偏見扇動などがそうであるように、また今回も安倍一派・日本会議連中らの理想の教育(虐待)やヘイトスピーチによる被害者が出たように、彼らの妄想が実現されれば必ず被害者となる人が出ます。決して放置してはならない問題なのです。

そして、仮にこのままこの問題が消滅してしまい、事実を明らかにすることも政治家に責任を取らせることもなく終わってしまったらどうなるか。
政治家連中がどれほど悪質で根が深い不正を行っても、下っ端が引責にも何にもなっていない引責ごっこをすれば万事解決、という最悪の前例が作られることになるのです。いらなくなった者を切り捨てて済ますのは連中の定番ですが、それどころか籠池氏のようなつまらない下っ端にすらダメージがない、不正連中にとってはこの上なく最高の展開です。
今回の件ほど(主に登場人物のせいで)次から次へとボロが出るような問題もそうそうなく、それですら今のところ責任を取った者は事実上一人もいませんので、これさえ前例にできればもはや大抵の不正はフリーパス、今後は政治家はおろか鉄砲玉ですらもろくに責任を取らなくてよい状態となることでしょう。

今回の問題、籠池氏の辞任や認可申請取り下げによって終了させようとする試みを見ても分かるように、安倍一派が一定の危機感を持ったことはおそらく確かです。マスコミが連日この問題を報じ、森友の問題は世の中に広く知られることになりましたので、とうとう支持が揺らぎかねないというわけです。
ただ、安倍内閣は政治でも閣僚の不正でも教育思想でも差別扇動でも、これまでいくらでも問題となるようなことをやってきました。森友の件はその多数の問題の中の1つでしかなく、違いといえばある程度の報道がなされたか否かだけです。たかだか森友の一件だけでここまで簡単に大騒ぎとなり、内閣の支持が揺るぐほどの衝撃となるのであれば、これまでの問題がしっかり報道されていればどうなっていたかは言うまでもありません。
森友学園の教育やヘイトスピーチなどは異常なものとして世の中に強い印象を与えましたが、安倍夫妻が教育方針を絶賛したことからも分かるように、安倍一派が同様の思想を持っていることは以前から周知の事実でした。今さら異常だ異常だと騒がれても、たかだか学校法人の理事長が異常と発覚したら報道する割に、その異常な思想を持つ内閣が何年も前から日本のトップに君臨して政治を動かしているのにそれを報道しなかったのは何なのかと言わざるを得ません。
また、本件によって支持離れが発生しているとしても、おそらくその理由の多くは「森友学園の疑惑が報道されているから」であって、「森友学園が見せつけてきた異常さを通じて、自らが支持していた内閣の狂気と異常さを認識するに至ったから」である割合は残念ながら低いであろうと言わざるを得ません。であるならば、これで報道が先細りになれば問題はすぐにでも消滅してしまうことでしょう。
安倍一派・権力にとって危機的であるこの問題が、たとえ不十分であってもしっかり真相究明に向けて追及されていくか、このまま消滅することで逆に好き放題不正を行っても大丈夫な前例に作り替えられてしまうかは、メディア次第の状況です。そして私は、つくづくそれに期待していません。

2017-03-05 の記事 - 2017-03-05
今なお次々にやりたい放題が明らかとなっている安倍記念小学校問題。
実際のところ、私は本件には必ずしも期待していません。もし以前の通りに報道が機能していれば、この政権や自民党はもうすでに指折り数えても指が足りない程度の回数は倒れていたはずであり、今までにそれすら全く行えていない以上、現状に期待することなどできません。
ただ、あくまで希望を述べるならば、最低でも安倍氏の首は取るべきと考えます。

現政権は「盤石」などとも言われていましたが、現実にはこの政権は全くそれとは程遠いところにありました。立憲主義違反から強権的手法、閣僚の不正や暴言まで、ありとあらゆる種類のゴミにまみれた政権でありながら、ゴミを埋めて隠すことによって盤石であると見せかけていただけなのです。
今回の安倍記念小学校問題にしても、今までは徹底的に見て見ぬふりを決め込んできたマスコミが、ようやくゴミを指さして「ゴミがあるぞ」と言い出しただけにすぎません。マスコミがそれを指摘したか否かに関係なく、ゴミは以前から変わらずそこに鎮座していたのであり、ただ報道がその役目を放棄していただけです。
事実、安倍政権がもともと異常な思想を持ち、教育に介入したがり、親学カルトと通じ、日本会議と関係が深く、人種差別を根底の思想としていることなど、少しでも政治について知識のある人なら誰でも知っていました。塚本幼稚園にしても、安倍夫人が絶賛する異様な幼稚園として以前からそれなりには知られていました。今回の一連の問題はそれが単に表面化したものですが、そんなものは「今さら」なのです。

今回、ようやくメディアが報道せざるを得ない状況となっていますが、野党にせよまともなマスコミにせよ、ここで可能な限り深く切り込み、最低でも安倍氏、可能ならば日本会議まで踏み込んで首を取る決意が必要です。というのは、この数年にわたってゴミの山を指さして「ゴミがあるぞ」と言うことさえ放棄してきたマスコミと、そのせいで実態はボロボロであるのに何年も継続してしまった現政権の悪夢を見る限り、ここを逃せばそのまま終了まで行ってもおかしくはないためです。
無論、それで本当に終了なのか否かを知るすべはありません。しかし、秘密保護法、安保による立憲主義無視に加え、共謀罪の成立、そして危機をあおることによって憲法改正の機運を高め、緊急事態条項が成立してしまえば、もはやこれまでです。これがあれば選挙を行わないことさえも可能となり、かつデモはテロと放言するような連中が共謀罪などを好き放題に振り回すことになります。
現実の状況を見ても、テロを口実にした共謀罪などの準備は着々と進められており、安倍記念小学校問題が発覚しなければ特に障害となるものはなかったはずですし、問題があってすらこの状況です。メディアにしても安倍記念小学校の問題は報道せざるを得なくなりましたが、今後は別の政治問題や不正行為を報道してくれる保証は全くありません。この件で政府がマスコミ掌握をさらに強めれば、今後はもうこのようなことは二度と望めないかもしれません。
緊急事態条項まで行ってしまえば、もはや選挙をするかどうかすら自民党のお情け次第となります。そして、ここを逃せば自民党を食い止められるだけの機会が再び訪れるかは分かりません。したがって、少なくとも野党側には「ここで戦えなければ、もはや自力優勝はない」程度の覚悟が必要となります。

そしてまた、政治家にきっちり不正の代償を負わせる必要があるという意味でも、安倍氏を追い込むことは非常に重要です。
たとえ森友学園に土地を返却させたり、学校を不認可にしたとしても、それだけではあまり意味がありません。不正がバレてしまい、どれほど大きなスキャンダルを引き起こしても、最悪でも学校側などの末端に責任を押し付けて切り捨てれば済むとなれば、不正政治家にとっては大した痛手とはなりません。しかも、現実にはここまで巨大でドス黒い問題などそうそうありませんから、これよりも軽い大抵の不正のハードルは相当低いものとなるでしょう。
そして、これほどの問題を起こしてもなお辞任でも何でも回避できてしまうのなら、それは今後このような異常な学校が日本各地に次々と現れ始めたり、お友達への国有財産プレゼントが平然とまかり通るようになってもおかしくないことを意味します。国の財産によって資産面で支援された日本会議系の学校法人が、政治家の庇護と看板の下、児童を虐待し、教育勅語を朗読させ、安倍総理を称賛させ、外国へのヘイトを刷り込む、という悪魔のような学校がそこかしこに誕生したならば、これはもう悪夢と呼んで差し支えないでしょう。
あの教育を大絶賛する安倍夫婦や、講演を行うなど森友との関係があった自称保守の面々を見ても分かるように、あのような教育こそが日本会議や自民一派にとっての理想なのです。あれをやっても政治家にダメージが及ばないことが裏付けられれば、もう歯止めとなるものはありませんから、彼らが今後とも日本会議関係者への利益供与を行い、また塚本幼稚園や安倍小学校と似たようなものを(さすがに多少は手を変え品を変えるとしても)さらに作りたがるのは必然と言ってもいいでしょう。
したがって、政治家によるお友達への国有財産プレゼントを行わせず、また二度と日本会議カルトによる児童虐待やヘイトスピーチがなされないようにするために、何としても安倍氏やその他の関係者に責任を取らせる必要があるのです。そして当然、日本の病巣である日本会議にまで切り込んでいくことも重要です。

ただ繰り返しますが、私はそれほど期待はしていません。きっちりとそれができる国ならば、ここまでひどい状況に陥ることはなかったはずです。
立憲主義破壊の時点で「立憲主義は破壊させない」という意思を示すことすらできなかったこの国で、お友達に国有財産をプレゼントして異常な虐待ヘイト教育をさせたことに対して「不正はさせない、虐待ヘイト教育はさせない」との意思表示がなされるかといえば、全く期待できないと言うしかありません。

2017-02-26 の記事 - 2017-02-26
安倍晋三記念小学校の件。役者は安倍内閣、安倍夫人、役所、維新、日本会議など腹黒オールスター勢揃いといった面々であり、その問題もまた行政側による不透明で異常な便宜、安倍氏を称賛する教育、安倍夫人による絶賛、神道カルト、ヘイトスピーチ、児童虐待など日本の闇を全部ねじ込んだかのような異様なものだけに、切断処理、爆弾の押し付け合いが始まっています。

昭恵氏、新設小学校の名誉校長を辞任 森友学園問題

安倍晋三記念小学校の名誉校長であるばかりか、児童虐待幼稚園である塚本幼稚園を大称賛していた安倍夫人、名誉校長を辞任。断ったのに勝手に名誉校長とされ、結局断れなかったということになったようです。あれだけ大絶賛していたのなら、少しはかばってあげてもよさそうなものですが、薄情なものです。

「安倍晋三記念」名で寄付集め、首相が抗議 森友学園に

安倍氏もお得意の尻尾切りを始めました。やましいことがある時には激昂したり、野党がどうのこうのと言い出すので、ある意味で非常に分かりやすい人物です。学園側もよくも学校にこんな人物の名前を付けようなどと考えたものですし、そこまでやった末に待っているのはこの通り、切断処理です。

大阪知事、不認可の可能性に言及 森友学園の小学校

本件については、やたら認可が容易に進んでいることについても疑問視する声がありますが、ここへきて松井氏も尻尾切りですか。虐待ヘイト学校法人に小学校などやらせるわけにはいきませんから、不認可自体は必要と考えますが、実にあわれな話です。なお松井氏は、森友学園の理事長と面識はないと主張しています。

国有地問題、財務省は調査を 松井大阪府知事

金額を誰がどう見積もったかが一番の問題で、明らかにすべきだ」だそうです。また、氏は職務怠慢として近畿財務局も批判しています。この分だと役人の誰かが責任を背負わされ、腹を切らされるのでしょうか。

稲田防衛相:森友学園に感謝状「取り消しも検討」

感謝状まで贈った相手にこれですか。マスメディアを含め、この内閣と蜜月関係にある面々は、少しでも都合が悪くなると明日にも責任を押し付けられて腹を切らされかねないことを、よく自覚しておくべきでしょう。

維新幹事長 「森友学園問題」維新の関与否定…民進のイメージ戦略と不快感

維新も切り捨てに入っています。この辺の変わり身の速さはさすがです。

橋下氏 森友学園の不可解売却に「やはり政治介入か」

橋下氏に言われてはおしまいですが、「こんなことを役所だけの意思でやるのか。やはり政治介入か」というのは、いわば大阪の役所から政治へと爆弾を投げ返したようなものでしょうか。

森友学園の幼稚園指導法、文科相「大阪府に報告求める」

その教育を大絶賛した人が安倍夫人であり、おまけに安倍夫人によれば「こちらの教育方針は大変主人もすばらしいという風に思って」いるそうですから、大阪に問題を投げる前に、ひとまず安倍夫婦にでも聞いてみてはいかがでしょう。

この問題もようやく、様々なマスメディアで見かけるようになってきました。ただし、現代日本の闇が一体となって形作られたのがこの問題であり、逆に言えばこれらの一部だけを取り上げてもあまり意味はありません。そして現状、ヘイトスピーチや神道カルトなどの部分については、土地に比べてあまり取り上げられていないと言わざるを得ません。
これらが全方位から取り上げられない限り、問題はどこかがうやむやのまま終わるでしょう。

2017-02-19 の記事 - 2017-02-19
安倍晋三記念小学校の件。近年まれにみるほどドス黒い根が複雑に絡み合った問題です。これがほんの少し前の日本であれば、大スキャンダルとして連日報道された上で一発で終わりになっていたでしょう。
以下、報道などで示されたことを簡単にまとめておきます。

・大阪府豊中の国有地が、学校法人「森友学園」に対して異常に安い価格(近隣の1割程度)で売却される。なお、鑑定評価額は9億5600万円、売却価格は1億3400万円、その差8億円以上。理由は「ごみの撤去費用を差し引いた」ためで「適正」であるという。
・また、これとは別に学園側にはごみ撤去費用として1億3176万円が支払われている。つまり、学園側は実質無料に近い額でこの土地を手に入れたことになる。
・このような土地の売却価格については原則公開となっているが、この土地の売却価格は学園側が非公開に同意したとして公開されていなかった。
・この土地の購入を考えていた別の学校法人は、11年にごみの撤去費用まで考慮して5億8000万円の購入を希望。ところが財務局から価格が低いと指摘されて断念した。
・国から異様な便宜を受けていたとしか考えようのないこの学校、現在名称は「瑞穂の國記念小學院」となっているが、資金の寄付を募っていた時の名称は「安倍晋三記念小学校」となっていた。
・しかも学校の名誉校長を務めるのは安倍夫人。なお、安倍夫人は塚本幼稚園(後述)を絶賛していることでも知られている。
・学校法人「森友学園」は「塚本幼稚園」を運営しているが、ここでは保護者に対して「よこしまな考え方を持った在日韓国人や支那人」などと書いた文書を配布。ヘイトスピーチの恐れがあるとして大阪府は園長らから事情を聴いた。
・また同幼稚園は、「当園に対する不当な誹謗・中傷記事が書かれたブログが立ち上げられ」ていて、調査の結果投稿者は「巧妙に潜り込んだK国人・C国人等の元不良保護者である」ことが判明したとするヘイト声明を公開。なお、伏字の部分を「韓国・中華人民共和国人」と伏字なしで書かれている版の文書も発見されている。
・当然、園児に対して中国・韓国への差別意識を植え付けるような教育も行われており、運動会の選手宣誓では園児に中国・韓国の批判をさせ、安倍首相頑張れと言わせていたという。
・この幼稚園に関しては、元園児の保護者を名乗る人がその実態を書いたブログを公開。それが事実であるとするならば、ほぼ虐待と言っていいような事例、理不尽な事例が並んでいる。
・もちろんというかなんというか、「森友学園」理事長の籠池氏は大阪の日本会議の代表委員である。さすが日本会議は期待を裏切らないといったところか。

実際にはもっと色々ありますし、判明していないことも多いはずですが、ひとまずこの辺で。これだけでも安倍氏周辺、政治癒着・不正、日本会議、ヘイトスピーチなど、現代日本の闇で数え役満ができるほどの異常に黒い案件であることが分かります。現在のマスコミの状態ではうやむやのまま終わるいつものパターンに入ることが十分予想できますが、はっきり言って異常事態でしょう。
そして、ここまで徹底的にドス黒い役満案件ですらうやむやに終えられることになれば、ましてや世の中の多くの黒い問題を追及できようはずもなく、まとめて手の届かないものとなることでしょう。

2017-02-12 の記事 - 2017-02-12
東京MXの番組「ニュース女子」(DHCシアターら制作)にて、沖縄に関するヘイトデマを垂れ流したとして問題になっている件。

MXテレビ番組をBPO審議へ

「ニュース女子」BPO審議へ 基地反対運動めぐる放送

私はBPOをそれほど信頼できる存在であるとは考えていませんが、それでも良識ある判断を期待せざるを得ません。
なお本件をめぐっては、「のりこえねっと」の辛氏の言動をあげつらうことで問題を正当化しようとする異様な主張も散見されますが、それで沖縄ヘイトデマの垂れ流し番組が容認されると本気で考えているのであれば、おかしいどころか狂っています
ちなみに、制作会社のDHCシアターの見解においては、なんと堂々と「基地反対派の言い分を聞く必要はないと考えます」と明言されています。

>そもそも法治国家である日本において、暴力行為や器物破損、不法侵入、不法占拠、警察官の顔写真を晒しての恫喝など数々の犯罪や不法行為を行っている集団を内包し、容認している基地反対派の言い分を聞く必要はないと考えます。

この理屈が成り立つならば、沖縄問題に限らず、人種や障害などへの差別、公害その他の国家の責任による病気や事故の賠償、政治への抗議、その他この世に存在するありとあらゆる問題について、抗議者のうちの誰かが不法行為を働いた事実があれば、あるいはそのような言いがかりをつけさえすれば、抗議側の言い分など一切聞かずに自由にデマを垂れ流して構わないということになります。
ついでにこちらも傑作。

>これら言論活動を言論の場ではなく一方的に「デマ」「ヘイト」と断定することは、メディアの言論活動を封殺する、ある種の言論弾圧であると考えます。

頭に「ある種の」と付いてはいるものの、言うに事欠いて「言論弾圧」とは。なぜこの手の人々はこういう言葉が大好きなのでしょう。言うまでもありませんが、これを「デマ」と指摘している人々は、言論活動によってデマであると非難しているのであり、DHCシアターに番組制作をやめさせたり同社作成の番組を放送させない公的な権力など有していませんので、どうあがいても「言論弾圧」などできようはずもありません。
仮にこのようなお粗末な理屈が成り立つならば、民主主義の法治国家における日本で展開されている抗議活動について、放送の伝播力を利用してデマを垂れ流すことこそ、ある種の卑劣な弾圧行為と言っていいでしょう。

ところで、問題となった番組の司会を務めていたのは長谷川幸洋氏であり、東京新聞・中日新聞論説副主幹を務める人物です。東京新聞側はこの件を「他メディアで起きたことではあっても責任と反省を深く感じています」「副主幹が出演していたことについては重く受け止め、対処します」としています。
しかし、長谷川氏本人の言い分はパターン通りのお粗末なものです。

東京新聞の「反省」、言論の自由侵害

東京新聞の論説主幹と私が話し合ったこと

DHCの「言論弾圧」に続いて出ました、伝家の宝刀「言論の自由」。もういい加減飽きてきたので、別の言い訳を考えてほしいものですが。
東京新聞がどうすれば「言論の自由」を侵害できるのか、という観点は先の繰り返しになるので見逃してあげるとして、言論の自由を守るためには、言論の自由の看板を使い捨てにしてデマやヘイトを垂れ流す連中とまず戦わなくてはならないことは言うまでもありません。

無論、会社が賛成と言っている問題に対し、単にその構成員が別の場所で反対と表明すること(あるいはその逆)自体は制限されるようなことではありません。それが他人の権利の侵害、人種や民族、障碍などに対する差別の扇動、犯罪の教唆といった行為である場合は別として、各人が何を主張しようと基本的には自由でしょう。
しかし本件の場合、まず番組は言論ではなくデマの垂れ流しが問題にされているのですから、主張の違い以前の問題です。氏によれば「論説副主幹を名乗ってテレビで発言したり意見を発表したのは、昨日今日に始まった話ではない。論説委員時代も含めれば、10年以上前からそうだ」「私はかねてから東京新聞と異なる主張をしてきた」そうですが、つまり単なる主張の違いに関しては、現に長らく問題とされてこなかったのであり、デマを垂れ流したから問題にされたとしか考えようがないのです。
そして、そのデマ垂れ流しによって何がなされたかといえば、沖縄ヘイトであり、他人の名誉を踏みにじる行為です。いくら主張は自由といっても、ヘイトを扇動していい自由、他人を踏みにじってもいい自由など存在しません(東京新聞は憲法が縛る対象ではありませんが、言論の自由なる言葉を振りかざされたからには持ち出すならば、憲法にすら「公共の福祉」は明記されています)。こんな蛮行がなされたとあっては、いくらなんでも東京新聞にとっては「本紙のこれまでの報道姿勢および社説の主張と異なる」ことでしょう。
それも、言論に無関係な会社なら「当該人物の主張は当社には関係ありません」で逃げ切れるかもしれませんが、言論機関である新聞社ともなれば、「テレビでデマを垂れ流し、ヘイト扇動行為にかかわった者は当社論説副主幹ですが、その主張は当社には関係ありません」で済まされては困りますし、そちらの方が「言論の自由」を預かる言論機関としての責任放棄です。
当然、会社の責任としても、また言論の自由を守る意味でも、厳正に対処することが必要なのです。

2017-02-05 の記事 - 2017-02-05
韓国デマサイトは広告収入が目的 運営者が語った手法「ヘイト記事は拡散する」

あまりにも許しがたいヘイトスピーチ(差別扇動)であり、レイシズムです。

>「怒っている人がいることは想像できますが、これが誰かの人生や、実生活に影響を及ぼすことはないんじゃないでしょうか」

無論、これは完全に間違っています。ヘイトスピーチは被害者を大きく傷つけ、多大なダメージや不安を与えます。激しい精神的苦痛から身体へのダメージまでもを引き起こしたり、身の危険を感じる人もいることは、在特会などの被害からも分かっていることです。
そして言うまでもなく、ヘイトスピーチはヘイトクライムを引き起こします。障碍者施設が襲撃されて大勢の人々が虐殺された事件は記憶に新しいですし、他にも模造刀で他人に斬りかかったり、現に児童がいる学校に嫌がらせ攻撃をしたり、事務所に押し入って事務員を脅したりと、幸いにも死者は出なかった例まで含めると、挙げるのもきりがないほどです。
本件のデマニュースにしても、デマであることを暴いた情報はデマほど広がっておらず、またデマ暴きを見てもなお韓国人が悪いと強弁する者もいます。これらの者が憎悪を募らせたり、あるいは情報が再拡散されて別の者が憎悪にまみれていくうち、また新たなヘイトクライムを引き起こす可能性は十分にあります。
無論、その場合でもこのデマニュースが犯罪を引き起こしたと確定することはほぼ不可能なのですが、それは言うなれば犯人が「自分は確かに街中で人ごみに機関銃を乱射したが、他にも乱射した者がいたから自分のせいで誰かが死傷したわけではない。文句は他の奴に言え」と主張するようなものです。
このようなデマは誰かの人生や実生活に対し、多大な被害を及ぼす可能性があるものです。ゆえに差別について最低限の知識を持つ人は、このような悪質なデマに対して怒るのです。

では、このデマ流しの犯人はレイシストなのか。

>男性自身は、韓国について「好きも嫌いもない」。韓国に行ったこともなければ、韓国人と喋ったこともない。ハングルだって読めない。

とのことですが、実際には明らかなレイシストと言っていいでしょう。
まずヘイトスピーチの重大性を理解していないような発言からして眉唾ものです。この犯人はSNS上のヘイト情報について分析済みで、「ヘイトを煽る」記事が拡散されると認識していて、高田誠を何らかの方法で知っていて、しかも氏を拡散に用いるターゲットに定め、そのための策略まで練って実行に移し、実際に成功しています。そこまで周到に下調べをしてデマの拡散を狙うような人物が、ヘイトスピーチの重大性に関する基礎知識だけは偶然にも全く得ることはなかったと考える方が無理があります
また、天文学的なまでの低確率ではありますが、万が一にもヘイトスピーチが犯罪を引き起こすことを知らなかったとしても、芸能人デマの法的リスクに触れていたり、実在の人名や企業名を用いるリスクについて認識している以上、デマが他人に対して被害を与える認識があったことは確実です。したがって、最低でもデマの垂れ流しによって直接誰かが傷つく可能性があることは、犯人も間違いなく承知していたはずです。

他人を死傷させれば、いくらかの金が、それも大きな額ではなくごく少量の小遣い程度の金額が手に入るとしましょう。たとえ法的リスクが低いとしても、あなたはそれで他人を死傷させようと考えるでしょうか。私には無理です。相手が「好きも嫌いもない」ような者だろうと、死傷させることはできません。
それを、この犯人は平然とやってのけたのです。「韓国人ならば死傷してもいい。ごく少量のお小遣いを得るため、彼らを死傷させることになっても全く構わない」と考えていなければ、このようなことは不可能です。これは当然、字面通りの意味で「好きも嫌いもない」相手に取れるような態度ではありません。
まして、この犯人は一度はてなブログでデマニュースサイトを開設しようとして、公開停止の措置を受けたのだといいます。自分の行いがいかなるものかをここで認識し、踏みとどまることもできたはずですが、あえて二度目の行動に出ているのです。韓国人なら死傷させてもいいと確信していて、一線を踏み越えるのに全く抵抗がないらしいことがうかがえます。
この犯人が自らのレイシズムを実際に自覚できていないのか、それとも自覚しつつも当たり障りのない応答をしているのかは、私には分かりません。しかし、いずれにせよその背景にはぞっとするほど凶悪な「透明のレイシズム」とでも呼ぶべきものが存在していることは確かだと、私は見ています。

そしてこれはまた、現実的で多大な恐怖でもあります。
大災害や内乱で法が機能不全に陥った時、「○○人を襲う」ことに何らかのごく小さな利益(金銭的利益かもしれないし、名誉や称賛など無形の利益かもしれない)があるとしたら、この犯人のような人間はどのような行動に出るでしょうか。
あるいは、ナチス政権下のように法がレイシストの味方となった時、「○○人を通告する」ことにごく小さな利益があるとしたら、この犯人のような人間はどうするでしょうか。
「相手が○○人ならば、自分が法的リスクを負わない限りにおいて、ごく小さな利益のためにでも死傷させて構わない」と考える者がいるというのは、そしてそれを大した罪悪感もなく平然と実行に移せてしまう者がいるというのは、すなわちそういうことなのです。

2017-01-29 の記事 - 2017-01-29
天皇退位に関して。BBCを聞いていたところ、「現政権が一代限りの適用を望んでいるのは、永続的な見直しをするとなれば女性を認める改正などの気運が出ることも避けられず、それを回避したいため」といった分析がなされていました。
私は天皇制周りの件に関して全く興味を持っていませんが、本件においては人権上あまりにも問題があること、また社会制度や差別意識に与える影響が大きいことから、触れておくことにします。

1.天皇制の是非
天皇制自体を廃止すべきと考えています。理由は以下の通り。

・本来、天皇は単なる象徴としてしか位置づけられていないが、保守派とやらが権威の衣服を無理やり大量に着せたことにより、天皇に多大な権威づけがなされてしまった。もし今後、政治的権力の獲得を画策する者が天皇となり、天皇の権威を利用したい保守派とやらと手を組んだなら、もはや歯止めが利かなくなる可能性が高い。
なお、言動や退位の念に見られるように、現天皇自体はおそらく権威を得たいなどとは考えておらず、これは天皇の意思とは関係ないところでなされている。
・80歳を超えるおじいさんを、天皇が大事などとほざく保守派とやらが未だこき使おうとしていて、おまけに退位の意思に対してまで文句を垂れる始末。老齢までこき使われ、辞めると言っても横やりを入れられるのであれば、人権上多大な問題がある。

私自身は現天皇に対して特に負の感情はありませんし、天皇制も特に必要と考えてこそいないにしても、政治上・人権上の問題を起こす危険がない限りは黙認して構いませんが、保守派とやらの手によってなされている上2つの件はこの両方の問題を引き起こすものですから、こうなると天皇制に反対の意思を表明せざるを得ません
以上、文句がある人は保守派とやらにどうぞ。

2.天皇に対する言葉遣いの是非
日本のマスコミでよく見かける「○○さまが○○されました」というあれです。
私はこれを廃止し、一般的なニュースで見られる通常の言葉遣いにすべきと考えています(芸能ニュースでもあるまいし、あれ自体が必要かというのは別の問題なので置くとして)。

人類の生活を大きく進歩させたり、人命を救うために多大な貢献をしたりと、世の中には素晴らしい成果を残した人が存在します。
ところが、いくら多大な成果を上げ、何千何万の命を救い、世界中の人々の尊敬されようとも、彼らが「○○さまが○○の研究成果を発表されました」などと報じられることはありません。その一方、皇族一家に関してのみは、功績など上げようもない赤ん坊すら「○○さま」と呼ばれ、大げさな敬語が使われるのです。
これは理不尽かつ無意味であり、全く道理に合いません。皇族に対して権威づけをする道具としかなっておらず、その権威が天皇の政治的利用という形で結実すれば、誰にとっても最悪の結末にしかなりません。よって、通常の言葉遣いによる報道とするのが妥当です。
なお私は、現天皇は「人として」まともな人間であるとは考えていますが、「天皇だから」尊敬しようなどとは全く考えません。その人の人間性や功績ではなく、肩書や属性(出自、人種、民族、肌の色、性別など)を理由として尊敬すべきか貶めるべきか決めるなどという思想を、私は一切容認しません。

3.女系天皇の是非
当然、認めるべきです。

天皇の血筋がどうなろうが私には関係ありませんが、天皇制が堂々と女性排除をやっていることには国内の性差別を助長する効果しかありません。
「伝統」などと意味不明なことを並べ立てる輩もいますが、そんなものは知ったことではありません。しめ縄を飾るなり、豆をまくなり、伝統を重んじたいなら他者に迷惑をかけない方法でご自由にどうぞ。しかし、道のど真ん中に縄を張ったり、人ごみに対して豆を投げつけたり、手前勝手な伝統とやらによって人に迷惑をかけるのであれば、それを認めることはできません。
天皇は良くも悪くも日本の象徴であり、日本社会に与える影響が大きいものです。この象徴的制度が性差別を公然と行い、社会に対して性差別の見本を示している状況を容認することなど絶対にできないのは言うまでもありません。

4.一代限りの規定の是非
言うまでもなく、一代限りではなく永続的な改正とすべきです。

結論ありきで有識者会議とやらを用いる安倍氏のやり方は第一次の時から全く変わっていませんが、現行規定を変更されたくないという欲望に基づく、自称保守や自称有識者会議のつまらない有識者ごっこに付き合ってやる必要などありません。
一代限りの適用とすることは、すなわち現行の非人道的かつ差別的な規定は今後とも温存し、今回の件はあくまで例外であると宣言することを意味します。そのようなものでお茶を濁させるべきではありません。永続的な改正とし、かつ現行の理不尽・非合理・人権無視・差別的な部分に大幅に切り込むべきです。
なお、現天皇の退位と他の制度改正については別物とする意見もありますが、私はとりあえず人道を優先して現天皇の退位を先行することには反対しないものの、今回の退位問題は現行制度の非人道・非人権・差別性が表面化したうちの一つであって、これらは明らかに連続した問題と考えています。

2017-01-21 の記事 - 2017-01-21
原作漫画版の「この世界の片隅に」は読了していましたが、このほど映画版を鑑賞する機会があったため、それについていくつか書いておきます。必要もなく詳細に踏み込まないように注意してはいますが、それでも内容に触れないわけにはいかないため、未読・未鑑賞の方はご注意ください。

映画自体は娯楽作品としてはよくできています。おおむね原作に忠実な映画化であり、素材(原作)が良質なため映画の質も高く、良作と言っていい作品です。ただし、私はこの映画について高い評価をすることはできません。
例えば、良質なバンズとレタス、トマトを使用し、肉を一切使用しないものが「ハンバーガー」と称して提供された場合、ハンバーガーが何かを知らない人なら十分に満足して食べることができるでしょう。ただし、ハンバーガーが何かを知っている人ならば、肉がないことに大きな不満を抱くのは避けられません。この映画はまさにそれであり、良質な野菜サンドイッチとして味わうことはできる一方で、原作からごっそり肉を抜き去ってしまった存在でもあるのです。

大きな変更点の一つに、遊郭関連のエピソードがごっそり削られていることがあります。ここは監督も残念と考えているそうですが、尺の都合で削ったとのこと。
漫画版では「代用品」などのエピソードがあるために、その後の水原とのやり取り、周作との関係も生きたものとなりますが、その辺がごっそり抜け落ちている映画では掘り込みが足りなくなっている印象は否めません。一言で言えば、各人の行動がやや駆け足的で突飛なものとなっています。
すずは確かに強い自己主張をするタイプではないながら、原作では細かな心情描写や遊郭関連のエピソードから個のある人間として描かれていますが、映画では原作と比較して意思が見えにくくなっています。周作もまた、原作ではこうしたエピソードによって人間らしさ、すずにとっての一種のわだかまりが描かれている一方で、映画ではあまり個性を見つけることのできない存在となっています。

ただ、削減に関してはまだ尺の都合と考えれば仕方がありません。長大で密度の高い原作を映画にしようとすれば、どこかしら削らないわけにはいかず、どこを削っても疑問の声が出るのは避けられません。一部が削られたことによって違和感が出てしまっている部分を、違和感を与えないように描写していない点については批判点かもしれませんが、これにしても原作を下手に改変するよりは良いとも言えますので、許容できる範囲ではあるでしょう。
しかし、終盤のすずの象徴的なセリフを改変したことには、「否」の評価を下すしかありません。この一点のみで、原作の根底に流れるものをぶち壊しにしてしまっています。

私が考えるに、この物語は大きく3つに分かれています。「戦前〜戦時中の日常」「負傷後の世界」「すずにとっての戦争が終わった後」です。
まず、戦争の影が徐々に忍び寄り、食糧事情は日に日に貧しくなりつつも、工夫を凝らして案外楽しく生活している部分。ここは漫画でも3巻中の約2巻を占めている部分で、中盤までの展開となります。家族が戦死したりはするものの、それにしても直接的な描写がなく、実は生きていてもおかしくないような認識となっているため、悲壮感はあまり描かれていません。
戦争も末期になると広島周辺も攻撃対象となり、たびたび空襲警報にさらされたり、建物疎開が行われたりもしますが、すずたち一家が暮らす建物は取り壊されることもなく、危機に対して深刻に悩むような描写もあまりなく、この時点でもまだすずは戦争状態の生活をそれなりに楽しく過ごしていきます。
しかし、終盤に入る時期になってようやく、すずは戦争というものに直面します。身近な人が死に、しかも自身も一生癒えない傷を負ってしまうのです。どこか戦争状態の生活を楽しんでいたような内容は、これを境に否が応にも戦争に直面したものへと変わり、原作ではゆがんだ絵なども用いられ、効果的に描写されています。
そうこうしているうちに広島に新型爆弾が落とされ、何か大変なことが起きたらしいという描写もなされ、実家がどうなったかもしばらく把握できない状況となります。
ここですずは、敵国の飛行機に対して「そんとな暴力に屈するもんかね」と口にします。すずにとっては自らは、敵国の理不尽な暴力によって攻撃された被害者なのです。憎むべき敵国によって攻撃を受け、親しい人を失った上に自分も大けがを負ったとなれば、このような認識に至るのは自然なことです。

それからまもなく終戦の日を迎え、すずたちは玉音放送により日本の降伏を知ります。
原作ではこの後、すずは自分の国が正義ではなかったことを悟り、自分たちが必ずしも被害者の立場ではなく、実は加害者でもあったことを理解します。今まで信じてきた価値観が完全に突き崩されてしまったわけです。原作のこれまでの様々な描写は、ここでの逆転のために積み上げられてきたと言っても過言ではないでしょう。
実際、この作品では常にすずの視点で物語が描かれており、ここまでに攻撃を受ける被害者としての視点はいくらでも出てきた一方、日本が他国への加害行為に出るような描写はありません。アジア各国の人々や、敵国に対する差別憎悪的な表現すらもなされず(*)、すず本人も読み手も終戦の時まで加害行為を実感することはありません。今まで見てこなかったものの存在を、すずは敗戦の時になって悟ることになったわけです。ここが物語中の2つ目の区切りであり、すずにとっての「戦中」と「戦後」を分ける線であるものと、私は考えています。
ところが、映画ではこの描写が完全に改変され、別物となっています。原作のすずはおぼろげにでも自分たちの加害性を認識し、それに直面した上で嗚咽した一方で、映画版のすずはあくまで被害者であり、戦争にしっかり向き合うことは最後までできませんでした。
この一点により、原作と映画のベクトルは全く異なったものとなっています。

(*)現実には戦前から戦中に至るまでアジア諸外国への蔑視や差別の意識はありましたし(現在まで残っているのを見れば一目瞭然でしょう)、当時の婦人誌は「アメリカ人をぶち殺せ」などと記載したりしています。当然、戦時下の日本では米国ら他国に対する憎悪扇動的なスローガンなども用いられていたはずですが、すずは「まだ左手も両足も残っとるのに」となんとも大日本帝国らしいことを言って降伏に対して納得できない気持ちをあらわにするものの、憎悪扇動的な文言は作中に登場しません。
つまり、本土においても加害性を持った要素はいくつも存在したはずですが、こうした情報が出れば読み手は加害性を嫌でも認識することになりますので、すずは作中において、加害的な要素からあえて隔離されていたわけです。

監督は以下の記事において、この描写の改変をした理由を語っていますが、ある意味で非常に腑に落ちるものではありました。

11/12(土)公開『この世界の片隅に』(原作:こうの史代 監督:片渕須直)

>それまでのすずさん自身が、朝鮮の方に暴力を振るっている場面があったか?というと無いんですよ。そういうところを彼女は目撃もしていない。なのに、すずさんが突然そんなことを言っても、拳を振り上げて戦争反対と言っている姿勢とあまり変わらなくなっちゃうような気がして。

なるほど、「拳を振り上げて戦争反対と言っている姿勢とあまり変わらなくなっちゃう」、それが改変の動機ですか。映画のすずのルーツがなんとなく分かったような気がします。
現状の日本では、諸外国の人々を差別し中傷するような自称言論が平然とまかり通っているばかりか、大日本帝国は諸外国に対する加害側であったにもかかわらず、被害者ぶろうとする言説すら横行しています。南京問題、慰安婦問題なども含め、その実例はいくらでも挙げることができます。
映画で描かれたすずはまさに、この日本の価値観が投影されたキャラクターなのです。終戦当時の日本人がどれほど自分たちの加害性を認識していたのかは、当時を生きていない私には分かりません。ただ、少なくとも現状の日本における意識は加害性を軽視する側に立っており、そういう意味では原作のすずこそ異端的な存在であり、映画のすずが標準的な存在であるともいえるのです。
すずは確かに、直接他国の人々に加害行為を働いたわけではありません。先に述べた通り、作中でのすずは加害行為的なあらゆるものから完全に隔離されています。だからこそ、すずの過酷な体験は非情な理不尽さ、強烈な被害者意識として結実し、読み手にも強烈な印象を与えるのであり、その強烈な被害者意識があるからこそ、終戦の場面において自分も加害者の立場にあったという大逆転、終戦と同時に自分の中での戦争もまた崩れ落ちるシーンが生きてくるのです。もしすずが他国の人々に直接的に加害行為を働いていたならば、敵国に被害者意識を抱いたとしても身勝手なものとしかみなされないでしょうし、価値観の崩壊も当然の結末としかなり得ません。
自らに直接加害の体験がないからこそ、読み手に強烈な印象を残す価値観の崩壊」を原作では余すことなく描き切り、自国から正義が飛び去る認識や、自らの加害を悟ったことにより、実際の戦争と同時にすずの中での「戦争」にも決着をつけました。それを、映画では「直接加害の体験がない」ことを理由に排除し、終戦はただの終戦というイベント以上の結果を描くものとはなりませんでした。
映画は全体的に原作に忠実に描かれていますが、ここはあえて原作が大きく改変された数少ない部分の一つです。となれば、監督としてもこだわりはあったのでしょうし、またここに賛否が集中するのもまた当然といえるでしょう。そして私は、すずの中での戦争を描き切った原作を強く支持します

と、ここまで書き終えてから読んだインタビューがこちら。どうやら本当に、あのシーンにおける映画のすずは「日本の価値観が投影されたキャラクター」で間違いなかったようです。

『この世界の片隅に』片渕須直監督インタビュー前編「この空間を想像力で埋めてはいけないと思った」

>庶民の側には、普通に国が戦争をやってるからくっついていっただけ、みたいな感じがある。庶民は「アメリカのほうが科学力や物量に優れていて、単純にそれで負けた」と思っていて、実は「正義」とかっていう言葉は入ってきようがない。まだ、きちんとした認識が生まれていないんです。なので、すずさんが生活者視点でそういった意識に近いことを気づくとしたら、どういった言葉になるのか? と考えて、セリフを変えています。

さすがにあり得ません。これには唖然としました。
敵国の飛行機に「暴力に屈するもんかね」と言ったり、降伏に対して怒るシーンがあるように、すず自身は一種の信念を持った人物です。すずはある意味で自国の正当性のようなものを信じていて(たとえそれが苦境の自分を支えるためのものであれ)、日本が加害者であるとは認識せずに(すず視点の作品中において、加害の要素は実際にほぼ描かれずに)戦中を生き抜き、負傷して親しい人も失い、「不当な暴力の被害者」となったのです。この信念が玉音放送のその瞬間まで続いたことは、「左手と足」の発言を見ての通りです。
それなのに国はあっさり降伏し、しかも実は日本が加害者であることを認識したならば、「言っていることが違うじゃないか、やっていることが違うじゃないか」と嘆きたくなるのも無理のないことでしょう。この価値観の根底からの崩壊を描いたシーンがまさに、「正義が飛び去っていく」〜「暴力」のくだりです。
そもそも「庶民は物量と科学力の差で負けたと考えていた」からと「あのシーンから正義の語を排除する」という発想自体があんまりですが、加えて作中のすずは上記のような行動に見られるように、すずなりの思考を持ち、また厳しい体験もしています(これは読み手も追体験しています)。それを、すずというキャラクターは原作のままに、終戦の時の総括だけを「物量と科学力で負けた」と考える庶民の声とやらにすり替えてしまったのです。映画のあれはもはや、すずが発した言葉ではなくなっていたのです。
どうやら、私が映画に抱いた印象は間違っていなかったようです。すなわち、やはり映画のすずは物語の最後まで戦争と向き合うことができなかったのです。なぜならば、自分が抱いてきた信念の崩壊に対し、自分の言葉で総括する機会を、映画のすずは持つことができなかったのですから。
もしこの映画の監督が庶民の声で総括をさせたかったのであれば、「この世界の片隅に」のすずをその道具とするのではなく、当時の庶民を平均化したような行動パターンと思考、性格を持ったキャラクターを作り、それを主人公とした映画を撮るべきでした。もしそういうキャラクターが主人公ならば、あの終戦のシーンは強い意味を持ってくるでしょうし、逆に原作のすずのような言葉は違和感のあるものとなるでしょう。

原作のすずが終戦と同時に自分の中の戦争を終わらせ、戦後の世界を生きていくのに対し、映画のすずはおそらく、以後もおぼろげな戦中を生きていくのでしょう。
素材が優れているだけに、映画は消化不良気味で惜しい作品です。削りは仕方ないとして、改変がなければ十分素晴らしい作品になっていたはずです。
映画だけを鑑賞した皆様におかれましては、ぜひ原作を読むことをおすすめします。

2017-01-14 の記事 - 2017-01-14
UWPでは音声入力APIが提供されており、比較的簡単なプログラムで音声認識をさせることができます。命令を受け付ける場合などには入力候補を指定することができ、逆に語彙を限定しない方法での使用も可能と、なかなか面白い機能です。
となれば、外国語の音声を聞き取って認識させることにより、字幕を生成できるのではないかと考えるのは当然というものでしょう。これが実用可能なレベルで、それもリアルタイムに可能なのであれば、たとえ認識精度が限定的なものであったとしても、言語学習にとって大きな助けになることは想像に難くありません。
そこで、ひとまず私が導入している3言語(イギリス英語、簡体中国語、日本語)について精度を確認してみることにしました。音声はPC上で再生し、それをステレオミキサーによって入力します。

E1.BBC World Serviceを聞かせる
ちょうどイギリス英語の言語パックを導入していることですし、手始めにBBCを聞かせてみました。音声は早すぎず遅すぎず、おおむね一般的なニュースの読み上げ速度であり、理解には苦労しない程度のものでした。コメディやミュージック、くだけた番組ならともかく、真面目なラジオ番組の内容が聞き取れることは、実用上の最低ラインと言っていいでしょう。
結果ですが、全くダメでした。ほぼ認識を開始することすらできず、たまに認識を試みようとするものの、言葉をいくらか拾ってはそれ以上の認識ができなくなってしまうことの繰り返しでした。

E2.VOA Learning Englishを使用する
通常の英語ではダメとなれば、初学者の強い味方・VOA Learning Englishはどうでしょうか。学習者のために速度を落としてある英語で、私もずいぶんお世話になったものです。
こちらはひとまず、認識はされます。精度は必ずしも高くなく、たびたび文節が飛ばされることもあり、実用レベルに達するにはまだまだ壁が厚そうですが。


分かるような、分からないような。

C1.C-POPを聞かせる
演奏に邪魔されて声を拾えないようでは困りますので、ここはひとまず「矜持」を聞かせてみました。演奏が少ないため、カラオケで歌おうとするとリズムを取るのに若干苦労するような曲です。
結果、ほぼダメでした。中国語には声調があるため、歌を正しく認識させることは困難であろうと予想はしていましたが、それ以前に認識を開始することがほとんどできていませんでした。

C2.CCTVのニュースを聞かせる
ニュースキャスターによるニュースの読み上げです。これがまともに聞き取れないようでは、実用するのは難しいと言っていいでしょう。
結果は英語でBBCを聞かせた時と同様、まともに認識を開始することさえできませんでした。

C3.中国語の朗読を0.5倍速で聞かせる
普通に聞かせてもまともに認識させられない朗読音声(おおむね標準的な速さ)を、0.5倍速で再生して聞かせてみました。
結果、上手くいけば多少の認識はされます。ごく一部の文節では完璧な認識を見せてもくれました。が、デタラメな認識や聞き取れない部分も多く、基本的にはまともに使えません。中国語は英語にもまして、認識が難しい言語のようです。

J1.radikoを聞かせる
アメリカやイギリス、中国の放送がタダで聞けてしまうこの時代、在住都道府県外の放送を聞くのにすら金を取るradikoの姿勢を見て、私は日本のラジオの行く末を悟り、それ以来radikoを含めて日本のラジオを聞くことをやめました。が、この際ですから利用させていただくとしましょう。
結果、認識精度はお世辞にも高いとは言い難いものでしたが、そもそも認識されないことさえ多い他の言語と比較すれば、かなり頑張って認識してくれました。やはり日本語は(発音に関しては)比較的簡単な言語のようです。

J2.NHKニュースを聞かせる
日本語読み上げの「標準」を挙げるとするならば、おそらくNHKニュース。独立性を担保するための公共放送なのに権力にヘーコラしていようが、経営委員に悪質なデマ垂れ流しレイシストが紛れ込んだことがあろうが、ヤクザまがいの受信料取り立て範囲拡大をたくらんでいようが、日本語読み上げの精度に限っては腐っても天下の日本放送協会です。たぶん。
結果、例によって認識内容こそかなりデタラメではあるものの、こちらもそれなりに認識されてくれました。


とりあえず、寒いということが言いたいらしいのは分かります。他の言語ではそもそもまともに音声を拾ってさえくれないことが多いため、この結果ですら上出来です。

2017-01-01 の記事 - 2017-01-01
using System;class Pg{static int year=17;static void
Main(string[]args){int[]a=new int[32];for(int i=year
/2;i<year;i+=2){a[i]=((year+0x100)<< 2)*year+i/11*((
               i%3-2)      *7/2+3
               ); int      r=1+(1
               +i)%6/      5; a[(
  year-2)/r]=a[i+year-2]=r*(year*7)*year-3+9*(r+3)
  ;}int d=5;for(int i=0;i<8;i++){int m=(2<<(i+5))+
  (i<3||i>5?0:(5-i)*16)+(i/5)*4+(i/7)*-8;if(i!=2){
  a[d]=m      ;if(i%       2==0){           a[20+i
  /2+ i/      6* 3]=       year *           132-21
  *i-15*     (i>4?4        :i);a[    10*(   3-i/2)
  /3+18]     =((1<<        (year-    4))+   year *
  year*3    +year+          7)*i/2  +((1    <<8)-6
  )*(i<1    ?0:1)+           year+8;}}      d+=(i<
  1?-1:1   )*(i<4              ?4:0)+       (i==4?
  11:-7*  (i-4)*                            (i/5))
  ;}for(                                    int i=
  0;i<3;                                    i++) {
  if(i<2){a[11+(year+2)*i] =(1<<(year-3+i))+(year-
  4)*(1-i)-year+2; a[(year+2)*i]=(42*year+8)*year+
  14/(i+1)+1;}a[(i+1)*2]= (((1<<11)+year*2+3)*year
  +11-(-                                    9+year
  *year*                                    8)*i)%
  ((64<<                                    9)-11-
  year*22);}for(int i=0;i<32;i++){for(int j=0;year
  >j;j++){Console.Write((i%2==0&j==0?"\n":"")+((a[
  i]&(1<<j))!=0?""+year:"  "));}}Console.Read();}}
あけましておめでとうございます。
新年早々から憂鬱な話もなんですが、昨年はかなりひどい年でした。海外の動向もさることながら、国内でも熊本大震災での大量の虐殺扇動、相模原の障碍者虐殺事件、警察まで相乗りした沖縄ヘイトなど、これまでと比較しても数段階は進んでしまった差別の数々を、私は今後決して忘れることはないでしょう。そしてそれらは、私たち日本のマジョリティが差別に立ち向かってこなかったがために引き起こされたものに他なりません。
カルト政治家が新年どころか年末から靖国騒動を引き起こす始末で、どうしようもないヘイトカルトの蔓延には頭の痛いところですが、来年の課題を早速提示してくれたともいえるでしょう。逆に言えば、ヘイトカルト政治家が大っぴらに行動を起こせる状況にまでなってしまった以上、これを放置していれば今後は現状以上のカルト政治や差別が繰り返されることをも意味します。
当面は差別や神道カルトに抵抗し、いずれはカルト神社から英霊利権を剥奪して新設施設なり千鳥ヶ淵なりにそれを持たせることが、今後の日本人が果たさねばならない責任です。

宿題は山積みですが、どうか本年がいかなる属性の人にとっても良い年となりますように。

2016-12-25 の記事 - 2016-12-25
貧困と生活保護(45) 在日外国人は保護を受けやすいという「デマ」

読売のものとしては、主要な論点がまとめられた良記事です。ただ、できることなら10年ばかり早く出してほしかった、とは言いたいところですが。
とりあえず、書き出しから「外国人・他民族を差別・侮蔑・排斥するヘイトスピーチは、日本の恥です」としっかり書き、立場を明確にしていることからして好感が持てます。本来当然のことですが、これをしっかりできるメディアというのはかなり少ないのです。
特に悪質なのが両論併記で、非対称性を無視した両論併記ほど残虐なものはありません。基本的にヘイトスピーチは双方の立場の非対称性を利用して行われるものですので、差別者と被差別者の間には歴然とした力の差が存在します。これを「両論併記」として同じリングに上げることは、すなわち子どもや老人とヘビー級ボクサーを同じリングに立たせて殴り合わせるようなものでしかなく、これをした時点でリングを用意した者も共犯です。おまけに「私はリングを用意しただけで、殴っていませんよ」という逃げ道が確保できるおまけつき。それならば、メディア自らが「ヘイトスピーチをして何が悪い」とでも主張した方が、自ら言論への責任を負っているだけマシというものです。
したがって、差別や権力絡みなど双方が非対称的な問題において、両論併記や結論を濁すような報道をすることは、まさに公正な報道の対極に位置するものであり、報道機関が公正に「ヘイトスピーチはダメだ」と述べることは重要なのです。

内容自体はヘイトスピーチ問題を少しでも知っている人にとってはほぼ全部常識でしょうが、それがしっかり書かれていることには非常に価値があります。
「在日特権」はいわば都市伝説の類であり、「日本の戦前戦後の行為に問題があり、かつ差別が激しかったせいで在日には貧困が多い」という、それ自体は同情の要素にはなりこそすれ非難にはなりようのない「火種」を、因果関係を逆転させることによって煙を立てる道具に仕立て上げ、それにデマや誤読、曲解、伝言ゲームの類が積み重なって意味不明な伝説ができあがってしまったわけです。
しかもそのせいで、「○○はさすがにデマだが、在日特権はなくすべきだ」のような荒唐無稽な意見が一見して中立的とみなされるようになってしまい、それによって中立に見える部分がどんどん異常な方向に振れていくという、いわばデマの自家中毒が構成されてしまっています。今では公党の議員や有名な作家などの有力者までもが平然とヘイトスピーチの垂れ流しを行っており、拡散力の強さに加えて「有名人が言っているなら間違いない」といった心理も作用し、歯止めが利かない状態となっています。
対して、デマを指摘する情報の伝播力は非常に低く、かつ日々量産される差別の材料すべてに反論していくこともできません。したがって、基本的なことを大手媒体がしっかり記載し、「デマ、あるいは妄想」ときっちり言い切ってくれることは、極めて大事なのです。
逆に言えば、メディアが散々見て見ぬふりをしたり、結論を濁したり、両論併記と称して現実には差別思想を拡散するお手伝いをしたりしたがために、本来なら一笑に付されるべきくだらない都市伝説がこれほどまでに蔓延し、他人をズタズタに傷つける道具となってしまったのです。
そして、ヘイトスピーチが人の尊厳や精神を殺すのみならず、物理的にも殺すことは、無残極まりない相模原の事件が証明しています。放置や両論併記などでヘイトスピーチに事実上加担するということは、すなわち「殺す」のに加担することなのです。

このほど発生した新潟の火災もまた、ヘイトスピーチの材料として使われています。なにせ東京の停電すらヘイトデマの材料にされたのですから、火災を差別扇動の道具にすることなど差別者連中にとってはお手の物です。
このようにして作られた「事実」は、紆余曲折を経て都市伝説の一部となったり、あるいは被差別者に対する「なんとなく嫌な感じ」を人々に植え付け、なおさら差別を悪化させていきます。そしてそれは、ふとした拍子に、あるいは大規模災害時などに、ヘイトクライムとして噴出することになります。
恥を恥と書き、デマをデマと書き、妄想を妄想と書く、この記事のような公正で正確な記事が、今後とも多く発信されていくことが必要です。

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