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2016-11-20 の記事 - 2016-11-20
日系人強制収容「前例」に批判 トランプ氏側有力者が発言

>トランプ次期米大統領の政権移行チームが検討しているとされるイスラム系移民の登録制度に関し、トランプ氏の有力支持者が第2次大戦中の日系人強制収容を引き合いに出して批判を浴びている。

トランプ派がイスラム教徒登録論=「日本人で前例」発言に批判

>米海軍特殊部隊の元兵士で、トランプ氏の政治資金団体幹部のカール・ヒグビー氏は16日、FOXニュースの番組で、イスラム系移民の登録制度は法的にも導入可能だと指摘。「第2次大戦中に日本人に対しても行った。前例がある」と語った。

ここまで来ましたか(一応断っておきますが、引き合いに出したのが「日系人」だから批判するのではありません。念のため)。
これで「選挙で結果が決まったのに」トランプ反対者がなぜデモなどで対抗しようとするのか、よく分かるというものでしょう。
彼らはただ選挙結果を受け入れることができないのではありません。自身の、あるいは自身の隣人の生存権を守り、暮らしと身の安全を守るには、民主主義で認められた投票権以外の権利を行使せねばならない状況に置かれているのです(ちなみに日本はとっくの昔にその段階にあり、今も公人が公然とヘイトスピーチを行っています)。
ここで食い止めようとしなければ、本当に日系人収容の二の舞になる恐れがあるのです。

差別について理解するにあたり、まず必ず突き当たる根源的な問いは「どうして差別はいけないのか」です。
例えば「社会的立場の弱い側を、その力の差を用いて攻撃する行為だから」など、理由は色々存在しますが、最も根本的なものは「本人の罪や落ち度によらず、ただ属性に基づき相手を攻撃する行為だから」というものになるでしょう。
かねてから、差別にはそれを正当化する理由付けが試みられてきました。時には「野蛮で非常識な民族」などと称し、時には優生思想をも持ち出して。しかし、理由付けのための理屈はいくらでも生み出されてきましたが、正当な理由をつけることは決してできません。自分に責任のないことについて、属性を理由に攻撃される理由など、どこにも存在し得ないためです。
日系人収容問題は最も象徴的な差別の一形態です。彼らはただ「日系人だから」という理由で収容されたのであって、彼らが収容されるに足る罪を犯したわけではありません。また、これは同時に「差別を批判する者は差別」をはじめとする意味不明な言い分を完全に否定します。「差別」という卑劣な行為に出た者を批判することは、「その者の行為に対する批判」であって、本人に責任のないことについて属性を理由に攻撃しているわけではありません。
こんなものは少し考えてみれば分かります。例えば黒人の悪人に殴られたとして、今後は黒人を見つけるたびに誰彼構わず「反撃」することが許されるでしょうか。どこかで態度の悪い中国人に遭遇してムカついたなら、中国人を見つけるたび暴言を吐いて回ることは許されるでしょうか。ある日本人が人を殺したら、全日本人は投獄されるべきでしょうか。
よくある言い逃れとして「○○は犯罪率が高いから差別的取り扱いは妥当」などと主張するものがありますが(真偽は別として、パターンとしては本件もまさにそれ)、悪いことをしていない人を属性により攻撃する行為を正当化することは、いかなる言い訳をもってしても不可能です。例えば男性は女性と比較して有意に犯罪率が高いことが知られていますが、では男性は何も悪いことをしていない人も含めて攻撃や排除、投獄などをされるべきでしょうか。
日系人収容はまさに典型的な差別であり、これを肯定的な文脈で引き合いに出すことがどれだけ危ういことかはすぐに分かります。これを認めたら最後、あらゆるマイノリティは何も悪いことをしなくても国家や公的な権力によって、あるいは人々によって迫害される恐れが生じることになります。
なお、やはりこれは日本の方が大きく先を行っていて、日本では三国人発言などがほぼ平然と容認されてきました。米国では大規模デモを招くなど大きな批判を浴びる差別的価値観が、日本ではすでに広く認められているといえるでしょう。

さすがに私も、「ただちに」イスラム系移民をはじめとする様々な被差別者がかつての日系人と全く同じ目に合うとまでは考えていません。しかし、いわば差別の見本である収容問題を肯定的に扱う発言が有力者から公然となされることそれ自体が危機的であり、また世の中の差別主義者に油を注ぎ、「そんな価値観を公然と口にしても大丈夫」とお墨付きを与えることになりますので、世の中の差別を扇動する、すなわちヘイトスピーチとして機能することになります。トランプ氏自身が選挙期間中に散々差別発言を行い、結果として各所でヘイトクライムを誘発することになったのと同様です。
このような価値観が蔓延して当たり前になっていけば、個人レベルでの差別憎悪感情にとどまらず、いずれは「まさか」というようなことが国家や自治体により実行される日が来るかもしれません。
この発言は非常に危険であり、かつ許しがたいと言わざるを得ません。