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2016-12-25 の記事 - 2016-12-25
貧困と生活保護(45) 在日外国人は保護を受けやすいという「デマ」

読売のものとしては、主要な論点がまとめられた良記事です。ただ、できることなら10年ばかり早く出してほしかった、とは言いたいところですが。
とりあえず、書き出しから「外国人・他民族を差別・侮蔑・排斥するヘイトスピーチは、日本の恥です」としっかり書き、立場を明確にしていることからして好感が持てます。本来当然のことですが、これをしっかりできるメディアというのはかなり少ないのです。
特に悪質なのが両論併記で、非対称性を無視した両論併記ほど残虐なものはありません。基本的にヘイトスピーチは双方の立場の非対称性を利用して行われるものですので、差別者と被差別者の間には歴然とした力の差が存在します。これを「両論併記」として同じリングに上げることは、すなわち子どもや老人とヘビー級ボクサーを同じリングに立たせて殴り合わせるようなものでしかなく、これをした時点でリングを用意した者も共犯です。おまけに「私はリングを用意しただけで、殴っていませんよ」という逃げ道が確保できるおまけつき。それならば、メディア自らが「ヘイトスピーチをして何が悪い」とでも主張した方が、自ら言論への責任を負っているだけマシというものです。
したがって、差別や権力絡みなど双方が非対称的な問題において、両論併記や結論を濁すような報道をすることは、まさに公正な報道の対極に位置するものであり、報道機関が公正に「ヘイトスピーチはダメだ」と述べることは重要なのです。

内容自体はヘイトスピーチ問題を少しでも知っている人にとってはほぼ全部常識でしょうが、それがしっかり書かれていることには非常に価値があります。
「在日特権」はいわば都市伝説の類であり、「日本の戦前戦後の行為に問題があり、かつ差別が激しかったせいで在日には貧困が多い」という、それ自体は同情の要素にはなりこそすれ非難にはなりようのない「火種」を、因果関係を逆転させることによって煙を立てる道具に仕立て上げ、それにデマや誤読、曲解、伝言ゲームの類が積み重なって意味不明な伝説ができあがってしまったわけです。
しかもそのせいで、「○○はさすがにデマだが、在日特権はなくすべきだ」のような荒唐無稽な意見が一見して中立的とみなされるようになってしまい、それによって中立に見える部分がどんどん異常な方向に振れていくという、いわばデマの自家中毒が構成されてしまっています。今では公党の議員や有名な作家などの有力者までもが平然とヘイトスピーチの垂れ流しを行っており、拡散力の強さに加えて「有名人が言っているなら間違いない」といった心理も作用し、歯止めが利かない状態となっています。
対して、デマを指摘する情報の伝播力は非常に低く、かつ日々量産される差別の材料すべてに反論していくこともできません。したがって、基本的なことを大手媒体がしっかり記載し、「デマ、あるいは妄想」ときっちり言い切ってくれることは、極めて大事なのです。
逆に言えば、メディアが散々見て見ぬふりをしたり、結論を濁したり、両論併記と称して現実には差別思想を拡散するお手伝いをしたりしたがために、本来なら一笑に付されるべきくだらない都市伝説がこれほどまでに蔓延し、他人をズタズタに傷つける道具となってしまったのです。
そして、ヘイトスピーチが人の尊厳や精神を殺すのみならず、物理的にも殺すことは、無残極まりない相模原の事件が証明しています。放置や両論併記などでヘイトスピーチに事実上加担するということは、すなわち「殺す」のに加担することなのです。

このほど発生した新潟の火災もまた、ヘイトスピーチの材料として使われています。なにせ東京の停電すらヘイトデマの材料にされたのですから、火災を差別扇動の道具にすることなど差別者連中にとってはお手の物です。
このようにして作られた「事実」は、紆余曲折を経て都市伝説の一部となったり、あるいは被差別者に対する「なんとなく嫌な感じ」を人々に植え付け、なおさら差別を悪化させていきます。そしてそれは、ふとした拍子に、あるいは大規模災害時などに、ヘイトクライムとして噴出することになります。
恥を恥と書き、デマをデマと書き、妄想を妄想と書く、この記事のような公正で正確な記事が、今後とも多く発信されていくことが必要です。