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2017-04-08 の記事 - 2017-04-08
どうやら自らが人間であることを放棄したいらしい、胸糞悪い今村氏と筒井氏の件。

復興大臣発言に便乗? 新潟の避難者施設に電話「帰れ」

これがまさに、復興相を名乗る今村氏の発言の怖さです。

かつて石原氏ら有力レイシストは人種差別や障碍者差別などを吐き散らし、また在特会は「○○人を殺せ」などの異常な言動を繰り返すことにより、社会の差別に対するハードルを大きく下げる役割を担いました。
こと、名の知れた人物、責任のある人物が公然とヘイトを吐き散らすことの効果は大きく、これによって大勢の潜在的差別主義者に「あの有名人・地位のある者でさえ堂々とここまで言っているのだから、自分もここまでなら言っても大丈夫」と認識させることになりますので、今までは到底認められなかったような言動ですら、その後は当たり前のものとなってしまうのです。彼らはいわば、「タブー」の壁を破壊する存在となるわけです。
なお、「タブー」には「本来ならそのような批判はあって当たり前なのに、それがなされない状態」のニュアンスを含む場合が多く、一方で差別や被災者攻撃は何ら落ち度のない人間への卑劣な加害行為ですから、一般的なニュアンスにおいてこれをタブー破りと位置付けることは不適当です。しかし、ともかく他人に対するヘイト行為の意思を潜在させている攻撃者にとっては、平然と異様なヘイトを吐き散らす有名人は攻撃のライセンスを与えてくれるパイオニアであり、壁を破ってくれる存在であることに違いはありません。

今回、復興相を名乗る今村氏は、閣僚の立場を利用して、被災者に対する誹謗中傷や自己責任論を解禁しました。
これは人種差別において在特会が果たした役割と何ら変わるところがなく、氏はいわば対被災者版在特会の役割を果たしたわけです。しかも、あろうことかそれを閣僚、それも復興相の立場を利用して行ったのですから、その異常さと影響力の大きさは在特会の比ではありません。
今回新潟の避難者支援施設に電話をかけてきたという人物は、せいぜい氷山の一角でしかありません。例えば相模原障碍者虐殺のようなヘイトクライムの実行には至らなくても、障碍者は殺戮・排除すべきと考える人間は決して少なくはありませんが、同じく中傷電話のような行為はまだ実行していなくても、以前からこれと同様の思想を持っていた、あるいは復興相を名乗る今村氏の発言を知って「そのような言動をしてもいい」と認識し、同様の思想を解禁した人間は決して少なくないはずです。そうした連中の枯草の束のような差別意識に対し、今村氏は堂々と火を放ってみせたのです。
これはもう、「復興相としての資質に欠ける」程度の小さな話ではなく、閣僚・復興相の立場を利用した、被災者に対する積極的加害行為以外の何物でもありません。私はこの復興相を名乗る今村氏という人物を、断じて許すことができません。

これだけでも憂鬱なのに、ひどいケースがもう1件。

筒井康隆氏、慰安婦像への侮辱促す? 「炎上狙った」

当該ツイートはさすがにあんまりな内容のもので、ここで取り上げることも少々はばかられますが、差別の被害者はこうした中傷を何の遠慮もなく浴びせられている現実があります。こういったものは「○○人を殺せ」などと同様、下手にオブラートで包むのではなく、そのおぞましさをしっかり認識した上で立ち向かわなくてはならないものと考えますので、以下にその内容を引用します。

>…長嶺大使がまた韓国へ行く。慰安婦像を容認したことになってしまった。あの少女は可愛いから、皆で前まで行って射精し、ザーメンまみれにして来よう。

これもまた、一般的なニュアンスでの「タブー」には到底該当し得ない意味での「タブー破り」です。記事タイトルも「慰安婦像への侮辱促す?」となっていますが、まさにその「促す」効果が差別扇動表現のキモであり、このような言い分が社会において平然と許容される水準になったらと考えるとぞっとします。

なお、氏は記事中で言い訳を試みており、

>「ぼくは戦争前から生きている人間だから、韓国の人たちをどれだけ日本人がひどいめに遭わせたかよく知っています。韓国の人たちにどうこういう気持ちは何もない」

と述べてはいるものの、ツイート上での「慰安婦像を容認したことになってしまった」という表現とかみ合っておらず、典型的なまでにお粗末な言い逃れにしかなっていません。

当然のことながら、いくら言い訳を連ねたところで、氏の主張は明確なセカンドレイプかつ差別扇動行為以外の何物でもありません。それは被害者側を直接的に激しく傷つけるのみならず、社会の差別のハードルを下げて後続のヘイトスピーチやヘイトクライムをも誘発する、言うなれば街中で銃を乱射するような行為です。
また、もし万が一にもこの記事で語ったことが実際に真意であったとして、それが何だというのでしょうか。これによって直接傷つけられ、かつ社会の差別が扇動されることによってさらに傷つけられる被害者側にとって、氏の真意など何の価値も持ちません。以前、韓国ヘイトデマサイトの開設者は韓国について「好きも嫌いもない」などと発言していましたが、作家先生がこれと似たようなことを言うとあっては唖然とせざるを得ません。
もちろん、作家がタブーを破る表現をすることは大いに結構です。また、大使の件は政治問題ですから、それに対して意見を表明するのも勝手です。しかし、「批判があって当然のはずなのに、社会的な圧力などからそれがなされない状態を破ること」と、「売春婦だのタカり民族だのと言われ、政治家や作家などからも平然とヘイトがなされ、街中で平然と死ね殺せと言われるなど殺戮の扇動すらもなされ、取り囲まれてリンチを受けている人々に対して、得意げに唾(氏の表現を借りるなら、唾どころかザーメンですが)を吐きかけること」、この両者の区別すらもつかないのであれば、もう口を開くべきではありません。