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2017-06-11 の記事 - 2017-06-11
表現は自由…でも差別的? 百田氏、一橋大の講演中止に

この問題、こうして新聞で取り上げられるまでになっていますが、こちらもまた頭が痛くなります。メディアはいつまで傍観者を決め込む気でしょうか。

マスメディアが堂々と「人殺しはいけない」「いじめは許されない」「酒を飲んだら運転するな」「ドラッグはダメ」などと報道しても、行動の自由の侵害やら、特定の思想に肩入れしているとして言いがかりをつけられることはありません。むしろ「娯楽のために人を殺すのは自由」「いじめを止めるのは弾圧行為だ」などと主張する方が、特定の思想とみなされたり、問題視されることでしょう。
当然、「差別は許されない」もこれらと同様であって、「差別をするのは自由」こそが特定の思想とみなされるべきものです。それを未だに、「差別はいけない」との立場を明確にした上での報道もできないのでしょうか。
まして、先日もイオ信用組合での放火未遂事件、アメリカで差別を止めに入った3人が殺傷される事件など、凶悪なヘイトクライムが発生したばかりです。相模原での障碍者殺戮事件にしてもそうですが、差別が何を招くかが明確に示されている状況にありながら、一体何を見ているのか全く理解できません。

記事では百田氏が「言論弾圧」などと主張していることにも触れられていますが、権力者でもない人間が「言論弾圧」などできようはずもないのは当然として、対して「差別は加害行為である」「差別こそが言論を圧殺する」ことにはまともに触れられておらず、全体的に差別が極めて過小評価されています。
また、百田氏の言動について、

>昨年11月には、千葉大生の集団強姦(ごうかん)事件の犯人像をめぐって「在日外国人たちではないかという気がする」とツイートし、「人種差別」と批判を浴びた。

>ARICの梁英聖(リャンヨンソン)代表(34)は「百田氏は差別を扇動してきた。講演会を開けば、大学が差別を容認することになる」と主張。

などといった書き方を行い、書き手として百田氏の言動を差別であると記述することを八方手尽くして回避しており、非常に煮え切らないものとなっています。グレーゾーン的な言動に対して差別であるとの批判が出た場合ならまだしも、このツイートの件などは人種差別ど真ん中なのですから、最低でも「〜と人種差別ツイートを行い、批判を浴びた」と書くべきでしょう。

差別は属性に対する攻撃です。すなわち、ただ単にマイノリティに属しているだけで理不尽な攻撃の対象とされ、自分に罪もないことで人としての尊厳を否定されるのです。しかも差別は力関係の差を前提として行われるものですから、マイノリティの側は抵抗するのも極めて困難であり、ほとんどの場合において押しつぶされて沈黙を強いられることになります。
そして、先のアメリカの事件は「差別に反対の声を上げた者ですら命の危険にさらされる」ことを可視化しました。止めに入った人でも平然と殺されるのですから、直接のターゲットであるマイノリティが自ら抵抗するならそれこそ命を捨てる覚悟が必要です。
それは今回の百田氏の問題でも同じで、記事中では

>梁代表のツイッターには百田氏を支持する人たちから「圧力かけたバカ」といった非難のコメントが相次いだ。

とだけ書かれていますが、たかだか「バカ」程度のどうでもいいものでは全くなく、おぞましいヘイトスピーチの嵐です。脅迫まで来ていることを梁氏は明らかにしており、さらには氏の写真などの情報をさらす者も出現しているなど、極めて危険な状況となっています。
差別扇動を受けて憎悪をたぎらせ、脅迫までするようなタガの外れたレイシスト連中が、氏の写真などの個人情報を閲覧し、それをもとに氏を襲撃する者が1人でも出てきたならば、これでもう重大なヘイトクライムが完成します。そこまでの距離は非常に短いのです。また、実際に身体への危害にまでは至らなくても、その可能性があるだけでも十分な脅威ですし、本人だけでなく家族や身近な人にも危険が及ぶかもしれません。そのような脅迫にさらされてもなお萎縮しないでいることは極めて困難です。
差別という重大で理不尽な加害行為について、抵抗をすればさらなる差別や脅迫を受け、何をされるか分からない。これこそがまさに言論の圧殺と呼ぶべきものに他なりません。

すなわち、よくある「差別に反対するのは言論の自由の侵害」論は次のように言い換えることができます。
「言論の圧殺もまた言論の自由であるので、認められなければならない。しかし、言論の圧殺に反対することは言論の圧殺であり、言論の自由を侵害する。したがって認められない」
「ナチスに反対するのはナチス」「不寛容に対して寛容でないのは不寛容」と並ぶ、いつものレイシスト論法です。「言論弾圧」なる差別主義者の言い分を取り上げた以上、差別こそが言論の圧殺であることを解説して打ち消すのは報道機関の責務であって、それをしないなら記事はレイシストの主張の垂れ流しでしかありません。

ここまで危機的な状況にありながら、記事中の「表現規制に詳しい」とされる人物のコメントはあまりにものんきです。

>話す機会を奪うのではなく、講演を聴いておかしいと思えば議論するのが高等教育の場にふさわしい姿では

実際にはおかしいと思った時点でもう手遅れです。
ヘイトスピーチとは街中で機関銃を乱射するようなもので、実際に人を殺傷します。これはもう、ルワンダ虐殺などを引くまでもなく分かり切ったことです。散々差別の銃を乱射して人々を傷つけてきた人間が、今度もまたゆうゆうと機関銃を搬入して組み立て始めれば止める人が出てきて当然ですし、それに対して「機会を奪うな」などと言うならばおふざけにもほどがあります。
そして、「おかしいと思えば」の時点ではもう機関銃が火を噴いていて、何人もの人が血を流しているのです。同時に、災害時などに芽を出しかねないドス黒い差別の種が、聴衆や社会に植え付けられているのです。その時点になって「あなたが銃を撃ったから人が傷ついた。やめてくれ」と言いに行き、しかも銃乱射者と「議論」を開始しなければならないのでしょうか。おまけに実行委側は注意事項として「企画を妨害する行為」を行ったら退場していただくと明記しており、それも厳重な警備体制が大きくなりすぎたために中止にしたとしているほどですから、差別がなされた場合にそれを指摘したり、「議論」を開始するなど到底困難であることは想像に難くありません(ちなみに、このコメントにおいて「議論する」相手は百田氏であると明記はされていませんが、「百田氏が差別をしても放置し、後で百田氏以外の人々の間でその正当性を議論する」と解釈するなら、要するに講演では差別を垂れ流しにさせろと言っているに等しいですから、好意的に取って百田氏が相手だと解釈しておきます)。
また、この記事は誤解を招くような内容となっていますが、もともとARIC側は必ずしも講演会の中止を求めてはいません。「運営側で差別を許さないルールを策定し、百田氏などの登壇者に遵守を確約させ、絶対に差別をさせないようにするか、それができないなら中止せよ」がARICの求めで、極めて妥当かつ相当譲歩した要求です。
なお、中止が決まった後で実際にどうなったかといえば、百田氏はこの中止の件を最大限活用してデマに仕立て上げ、相変わらず人種差別を繰り返しています。氏が今までの差別を深く反省し謝罪しているのに壇上に乗せなかったというならまだ話は分かりますが、こんな人間を壇上に登らせ、おかしなことを言ったら議論しろなどとはどこまでふざけたことを言うのかと怒りを覚えます
差別の銃火にさらされれば傷もつくし死にもする生身の人間を、マネキン人形か何かと勘違いしているのでしょうか。

アメリカで発生した事件を見ても分かるような現実的脅威に対し、差別を止めようとして現に脅迫にさらされている人がいる状況で、「識者」が机上の空論にて注文をつけ、メディアは「差別をする自由」と「差別をしてはならない」の中間を中立であるかのようにして、差別を差別と言うことすら避けて報じる。これもまた、今まで何度も繰り返されてきた光景です。ただ、この記事はそれらの点でかなり徹底しており、数年前に戻ったかのような錯覚を受けました。
そうしている間にも災害時の虐殺扇動やら障碍者殺戮やら色々起きていますが、数十人もの人々が殺傷される大事件があってすらもなお理解できないのなら、一体どれだけの規模のヘイトクライムにまで至れば理解するのでしょうか。

なお私は、差別に反対するとは実に命がけであるとアメリカの事件(と今回の問題)で改めて認識させられたところですが、レイシストの眼前に立って抗議するのをやめることはありませんし、社会もそれをやめてはならないと考えます。「差別を黙認しなければ、自分が危害を加えられるかもしれない」の図式が極限までエスカレートしたものが「マチェッテで被差別者を斬り殺さなければ、自分が殺される」であり、現状を放置して社会をそのような状況に近づけるならば、後でもっと大きな代償を払うことになります。