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2017-11-25 の記事 - 2017-11-25
もはやレイシストの掃きだめと化しているTwitterですが、今度はクローズアップ現代で代表・笹本氏が語った見解が批判を浴びています。

>ヘイト自体は残念ながら、僕らの社会の一つの側面だと思う。それ自体がないものだとしてしまっても、実際にはあるわけですから、それ自体を認識しなくて社会が変わらなくなるよりは、それはそれで、ひとつあるということを認識して、社会全体が変えていくことになればと思います。

もう3周分は遅れているといいますか、未だにこの程度の見解でしかない人間などこの国には決して珍しいわけではありませんが、よりにもよってTwitter日本の代表がこのレベルのことを堂々と語るのですから驚愕を通り越して笑うしかありません。
笹本氏が無知ゆえにこれを言っているとすれば、その無知は人を殺します。このような人間はSNSの代表の座など預かるべきではありません。一方、何もかも分かった上での確信犯ならばますますタチが悪いと言わざるを得ません。
しかも単に建前かリップサービスとしてでも「差別は一切許さない。厳格に対処する」と言い切る必要すらないと考えているらしいのがまた、問題の深刻さをいっそう浮き彫りにしています。
なお、一企業として差別への対処に限界があるというなら、面倒を見られる範囲でのみサービスを提供すべきです。自社の能力を無視したサービス拡大を行い、被差別者や社会に多大な迷惑をかけるなど、同情の余地もない悪徳企業でしかありません。

確かに、ヘイト自体は社会の一つの側面です。日本社会の構成員である限り、誰もが日本社会のヘイトの責任を負っており、自分を社会のヘイトとは無関係の存在と位置付けることはできません。
また、ヘイトはマジョリティからマイノリティに対してその立場の差を利用して行われるものですから、差別はマジョリティの問題であって、差別に立ち向かう時にその中心となるのはマジョリティ側の人間でなくてはなりません。
まさにそれが、「善人の沈黙」が加担に他ならない理由です。
したがって、日本社会を構成するあらゆる人、ことマジョリティに位置する人にはヘイトと戦う責任があります。まして、メディアやSNSのように拡散力のある媒体であったり、そうした言論空間を提供しようとするならば、その影響力は単なる一般人の比ではありません。当然、社会に存在する媒体としてそれだけ大きな責任を負わなくてはならないのは言うまでありません。
ところが、笹本氏は社会の一部として率先して差別問題に徹底的に取り組むと明言するどころか、この本来ならばまともな理念を「自分たちが差別を放置する理由」にすり替え、その責任をすべて社会に転嫁してしまっているのです。もはや天地がひっくり返ったような理屈でしかなく、唖然とするしかありません。
これはまさに、ヘイトによって自分だけは利益をかすめ取り、それによって生じるコストはすべて社会と被差別者に押し付けるやり方と言えるでしょう。Twitter日本法人代表のご立派な見解は、保守速報などのヘイト商売と何一つとして変わるところはありません。

差別は人を殺します。これは関東大震災朝鮮人虐殺事件やナチス、ルワンダの虐殺など多くの事実が物語っていますし、現代日本でも相模原事件が昨年発生したばかりです。そして、熊本での震災時にもTwitter上には虐殺扇動を含むデマが大量に流され、デマに踊らされて自警行為をしようとした者まで現れました。無論、Twitterはこれらの「社会の一つの側面」をほとんど放置し続け、利用者有志がデマ拡散阻止や注意喚起を必死で行って何とか食い止めていました。
差別とは人を殺すものであり、また実際に災害時にTwitterで虐殺扇動まで行われた以上、ヘイトはもう「殺人」や「虐殺」に極めて近い位置にあるものと認識しなくてはなりません。当然、笹本氏はTwitter上で虐殺扇動があったこと、さらには先日の座間遺体事件で実際にTwitterが殺人の媒体として機能したことなどは知っているわけですから、それを踏まえた上で例の発言をしていることになります。
すなわち、「被差別者が殺されないよりは、殺された方がそれが認識される。社会が変えていけばいい」、これが笹本氏の言葉が意味するところです。こんな訳の分からない理屈のため、一方的にその生命を危険にさらされる被差別者の立場はどこにあるのでしょうか
それも、現実社会に被害が至るとなれば、もはや被差別者またはその協力者と認識された者の誰が被害にあうか分かりません。Twitterとは全くかかわりのない生活を送ってきた人が、Twitter発のヘイトによって生命の危険にさらされ、訳も分からず殺されるかもしれないのです。これほどふざけた話があるでしょうか。笹本氏にそんなことを決める権利があるのでしょうか。

なお、笹本氏の発言は「臭いものには蓋でいいのか」という反差別への実に古典的な反論の類型なのですが、実はこれは有効な手立てです。差別というのは拡散し伝播し再生産されるもので、また大っぴらに差別がなされることで「ここまではやっていいのか」という認識が生まれて社会のタガも外れていきますから、蓋をすることでかなり差別が抑えられるのです。
例えば現代的な多くの都市には、廃棄物や汚物などを運搬し処理する機構が備えられています。無論、それをしたからといって廃棄物や汚物が出なくなるわけではなく、これも「臭いものには蓋」でしかありませんが、この機構がなければ都市は不衛生になり、悪臭が漂い、有害物質が漏れ出し、疫病が大流行することになります。
廃棄物が平然と投棄される状態になれば、「そうか、投棄してもおとがめなしか」ということでさらにゴミが集まり、より不衛生で有害な状態となります。また、不衛生な環境によって疫病が蔓延すれば感染者が増え、そこからますます感染が広がっていきます。
現代的な都市は、「蓋」によってそれらの問題を解消しているわけです。無論、ゴミを減らしたりリサイクルをしたりする工夫は必要となりますが、それらは蓋をなくす理由にはなりませんし、まずは蓋をしなくては安全に暮らすことさえ難しいのです。
差別もこれと同様で、「蓋」によってその危険性や伝播力を大幅に軽減することができます。笹本氏のやっていることは、被差別者の家に危険な感染性の汚物や毒劇物を含む廃棄物などを投げ込み、「社会に汚物や廃棄物はあるんだから、ないことにしてはいけない」と強弁しているようなものです。

今後ともTwitterは、日本における主要なヘイト拡散装置としてレイシズムを社会に拡散し続ける気なのでしょう。もし大災害が起きれば、熊本の時と全く同じように虐殺扇動の媒体として機能することでしょう。多大な怒りと失望を禁じ得ません。