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2018-02-25 の記事 - 2018-02-25
Googleがトップページでくだらないアニメーションを延々続けていて、開くたびにリソースを食い荒らされて困り果てたため、Chrome(冒険・探索用の位置付け)ではJavaScriptを基本的に切っておいて、どうしてもJavaScriptが必要な場面ではブラウザの使い分けで対処することにしました。アドオンも併用していますが、ブラウザを切り替えた方が安全確実。
あのGoogleでさえ、不特定多数のユーザーに対して出会い頭スクリプト攻撃を仕掛けているほどなのです。ましてや検索して知らないサイトを開くとなればなおさらで、たとえ有名企業のサイトを開く場合であろうとも全く信用できません。
この状況下では、基本的に探索用ブラウザではJavaScriptを切っておき、どうしてもJavaScriptが必要な場合、または乱用はなされていないと信頼できるサイトに限り、個別にJavaScriptをONにしたブラウザで開くのが、身を守る上で唯一の解であると言わざるを得ません。
ユーザーも開発者も誰も得をしない。すべての人を不幸にする言語だと誰もが分かっているのにやめられない(*)。それがJavaScriptです。
ユーザーと開発者の両方が、JavaScriptという呪詛の言語から解放される日が来ますように。

(*)JavaScriptの名誉のために言っておくと、これは別にJavaScriptが悪いのではありません。ややマニアックな実験的言語として存続する分には、むしろ楽しくて発想転換ができる言語としてそれなりに愛されていたでしょう。どう考えても特性からして無理がある分野に引きずり出され、手軽で実験的な代わりに低機能かつ堅牢さゼロであるのに重荷を背負わされ、デファクトスタンダードにされてしまったのが悪夢なのです。
その結果、どっちつかずでプロトタイプ指向だかオブジェクト指向だか意味が分からない異様な構文をドカドカ上乗せされ、世にも汚らしい上に何がしたいのか分からない言語にされてしまい、フレームワークが現れては消え現れては消え。実にバカげている上に非生産的であり、JavaScriptとしてもいい迷惑でしょう(?)。

朝鮮総連本部発砲、逮捕の1人は右翼活動家

桂田智司といえば、少しでもレイシズムを問題視している人なら誰でも知っています。「鶴橋大虐殺」の父親です。
とうとう現代型レイシズムが銃テロ犯罪にまで至り、ついにここまで来たかと戦慄します。次に銃弾を浴びるのは何でしょうか。あるいは、「誰」でしょうか。被差別者はいつまで、「次に奴らの銃口が向くのは自分の家族かもしれない」と不安な日々を送らなければならないのでしょうか。銃を所持していて、被差別者への理不尽な殺意を隠さず、実際に発砲もしてみせるようなテロリストや、その行為を義挙などとして称賛するような連中相手に、どうやって気を付ければよいのでしょうか。
この、目の前で連鎖的に次から次へと社会のタガが外れていく様は、もう恐怖でしかありません。
もはや「さすがにここまではやらないだろう」は通用しません。レイシズムに基づくジェノサイドは、明日にでも起こり得る状況にあります。そしてそれは、差別を一切放置してきた日本のマジョリティの責任に他なりません。

上級レイシストは差別の垂れ流しを商売とし、本屋に入ればヘイト書籍まみれ、SNSはヘイトまみれ、政治家は差別で人気稼ぎ、どこを見ても差別の山。では、自称学者レイシストは何を対価に自分を売り込み、政治家は何をテコに人気取りをしているのでしょうか。あるいは、ヘイト本屋やヘイト放置SNSは何を売って利益を出しているのでしょうか。書籍やサービスなどでしょうか。
確かに表面上はそうですが、実際に彼らが売り払っているのは、被差別者の身の安全と平穏な暮らしに他なりません。また、差別によって被差別者が危険にさらされるような社会は、関東大震災虐殺やルワンダの虐殺を見ての通り、マジョリティまでもが殺されるような社会です。すなわち、これは誰にとっても他人事ではなく、社会全体の安全を毀損します。
当然のことながら、被差別者の身の安全と社会の安全を勝手に売り払う「自由」を持つ者などどこにもいません。このようなことは断じて許されてはならず、マジョリティの責任で止めなければならないのです。

はっきり言って、レイシズムに立ち向かうのは命がけです。対峙する相手は「○○人を殺せ」と本気で言い散らしているような連中であり、しかもそうした連中がいきなり拳銃を出してきても決して不思議ではないことが、今回改めて示されました。
しかし、それがマジョリティの最低限の責務です。マジョリティが生み出した怪物が人の命を脅かしている以上、マイノリティを盾にして隠れるのではなく、マジョリティである限りは前に出なければなりません。