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2018-04-14 の記事 - 2018-04-14
女児土俵に上げず 静岡場所「ちびっこ相撲」

>力士が土俵上で子どもに稽古を付ける「ちびっこ相撲」に、毎年参加していた小学生の女児が参加できなかったことが分かった。

はい、この通り。異常行為に反対する声の高まりに対し、異常行為をぶち込んで叩き潰すという、安倍内閣と同様の方法で対抗してきました。
女性差別によって命にかかわる事態になった直後に、女児排除によって差別撤廃論に反撃を浴びせる感覚を見るに、もうこの連中は在特会とほとんど変わるところがありません。以前から劣悪な人種差別を散々見せられてきましたが、これが相撲協会というものの本性です。
こんな在特同然の差別推進集団に便宜などもってのほか。公益法人認定は即刻剥奪し、勝手に国技を名乗るのをやめさせ、このような差別集団の興業を公共放送で流すのもやめるべきです。
この連中が表立って興業を予告するたび、各地で大勢のカウンターに取り囲まれて徹底的な罵声を浴びせられる。それによってもはや日の当たる場所ではヘイト興業ができなくなる。本来これくらいの扱いを受けるのが当然ですし、それが正しい世の中の在り方です。

LGBTが気持ち悪い人の本音 「ポリコレ棒で葬られるの怖い」

散々批判されているこの記事。私もあきれ果て、「よくも2018年にもなって、こんなものを恥もなく公開できたものだ」と考えざるを得ませんでした。おかしな点はこちらで大体批判し尽くされているようですが、私からもいくつか。

まず、差別主義者とはどのような人格を持った人物なのか。中には「殺せ」デモに出るような者までいますが、彼らは一体何者なのか。これに対する答えは簡単で、「私たちの隣人」であり、「普通の人」であり、「いい人」です。
差別主義者が「私は差別主義者です」の札を首から下げて歩いてくれるのであれば苦労はしません。それなら避けるのも容易ですし、カウンターをかけるのも容易です。そうではなく、ただの人であることが重要で、かつ恐怖なのです。
気さくで社交的な理容師が、温厚で子ども好きの医師が、あるいは親切な飲食店のマスターが、例えば外国人やLGBTの問題となると豹変し、はさみを、薬品を、飲食物を持った怪物に変身するかもしれない。もしそうであれば、そんな人物に自分または家族の命を握られるのですから、マイノリティにとっては恐怖でしかありません。

大げさ?神経質?とんでもない。例えば内閣支持率。国家の根幹を揺るがす異常な問題が発覚してすら、実に3〜4割です。そして安倍内閣の支持者とは、すなわち「国家の根幹を破壊しようとも、差別内閣が続いてほしい者 + そこまで積極的ではなくとも、自分の利益のためなら被差別者が踏みにじられ、足蹴にされても一向に構わないとは考えている者 + 内閣の差別に平然と知らぬふりを決め込む者(もともと森友問題はヘイト問題であり、さらにあれほど大っぴらに中韓朝の憎悪扇動をしてきた内閣の差別思想を知らない者は実質存在し得ない)」の合計です。それも改ざん発覚前なら半数ほどの支持がありました。
早い話が、人々の半分が敵という状況です。子どもを遊ばせている時の公園の通行人、繁華街ですれ違う人々、電車に乗り合わせた人々、この半分が敵側であって、自分や家族が被差別者であるとバレればどんな攻撃を受けるか知れたものではないのです。道行く人の2人に1人が敵という恐ろしい状況を、ほとんどのマジョリティは想像することもありませんが、実はすぐ目の前に想像を絶する社会があるのです。
これこそが差別の恐怖です。それを、差別主義者と会ってみたら「拍子抜け」だの「ほっとした」だのと、普通の人、いい人である隣人が実は差別主義者であるかもしれない恐怖というものに関して、この記者が理解しているようには全く見えません。

さて、ではこのインタビューの男性は差別主義者なのか。言うまでもないことですが、間違いなく差別主義者です。
「差別主義者」とは何かというと、「差別思想を持っている者」ではありません。「差別的な言動をする者」のことです。たとえ全く差別思想を持っていなくても、差別的言説を垂れ流す者がいれば差別主義者です。一方、実は筋金入りの差別思想を持っていたとしても、それを一切言動に出すことがなく、差別解消のための活動に尽力したならば、差別主義者ではないどころか反差別者です。他人の内心など知りようがないのですから、その言動によって評価されるのは当然です。
被差別者を見て「気持ち悪い」と感じることは、別に差別ではありません。人間、自分にとって異質なものに対して警戒なり違和感なりを抱くのは仕方のないことで、それ自体を禁じることはできません。しかし、それを言葉や行動にした時点でそれは差別であり、その言動に伴う責任を取らなければなりません。
これは殺人や盗みなどと全く同じです。他人に殺意を抱くのは勝手ですが、それを実行に移したり、言葉にしたなら問題になります。会社の金庫に大金があるとして、これが手に入ったらなどと考えるのは勝手ですが、実際に盗んだり横領したり、あるいは盗むことを宣言したりすれば問題になります。それと何ら変わるところはありません。

そして極めつけはこれ。保毛尾田保毛男に関して、

>「後になって『あの時傷ついた人に気付けなかったあなたは罪人です』と言われると、『うち実家の花畑はキレイだなあ』と思っていたら、いきなり戦闘ヘリが飛んできて機銃掃射で荒らされる、みたいな気持ちになるんですよ」

実際には自分が被差別者を機銃掃射する側に立っていたのにこれ。そして被差別者が「もう無理です、これ以上撃たないでください」と訴えてきたら「人の花畑を機銃掃射で荒らすな!」なのですから、開いた口がふさがりません。
「子どものころ、朝鮮人が人々に取り囲まれていたぶられていた。当時はそれが意味するところもよく分からず、自分もつばを吐きかけてしまった」というような話を聞いたことがありますが、「それはよくないことだったのではないか?」と問われた時に「人の花畑を機銃掃射で荒らすな!」と言い立てるとしたら、これはもう筋金入りの差別主義者の域でしょう。

>「強迫観念として、ポリティカルコレクトネスに反してしまったら、僕の方が社会的に葬られるというのがあるんですよ」

痛みも苦しみも悲しみも感じ、傷つけば血も流す人々をぶん殴れば、反撃されても仕方がない(実際には「反撃」も正確ではなく、「身を守るために払いのけられる」くらいが正しい)ことも分からないらしいです。差別は人を傷つけ殺すことができる凶悪な殺戮兵器なのですから、そんなもの振り回して相手に防衛行動も何もされないと考える方がどうかしています。
そもそも「社会的に葬られる」とはどこの話でしょうか。現実にはテレビ局やら大手出版社やら有名人やらですら大っぴらにヘイトを垂れ流しまくり、しかも儲けているようですが。路上で死ね殺せと吐き散らした在特会の連中も未だ健在ですし。さらにはSNSも毎日毎日血も凍るようなヘイトのフルコースで、それでいてほぼ誰も葬られていません。
最近でそこそこ騒ぎになった差別案件といえば、例えば台湾募金ヘイトデマ騒動がありましたが、あれは他国の災害を利用し、卑劣な差別拡散をもくろみ、デマを垂れ流し、募金活動を妨害し、特定団体を誹謗中傷し、その後も差別と向き合わず嘘と言い逃れに終始した、数え役満モノのヘイトでした。それこそ、これくらい桁違いの異常行為でもなければ「葬られる」案件にすらならないのです。
その一方、人種差別・性被害などを告白した被害者たちはどのような目にあわされているでしょうか。何も悪いことをしていないのに踏みにじられ、社会的に圧殺されているのはまぎれもなく被差別者です。

こんなバカげた差別主義者の戯言に対し、この記者はあきれた応答をします。

>「じゃあもう怖いから、何も関わらない方がいいとなってしまう。でもそれじゃあ、苦しんでいる当事者に対する偏見は消えなくて、ますます当事者は苦しみますよね?」
>はい。それはたしかに、そうです。


「それはたしかに、そうです」?何を言っているのか。「そう考えるんなら、お前のような悪質な差別主義者はもう二度と関わらなくて結構。関わられるだけ有害で邪魔」とでも返答すればよろしい
この人物は、ヘテロセクシャル(異性愛者)・異性婚をしている人々、日本人、健常者などのマジョリティに対して、その属性に関することでいちいち何か関わっているのでしょうか。当然、関わってなどいないでしょう。であるならば、LGBTなどについてもそれらと同様に、いちいち関わらなければ結構。まずそれが差別解消の一歩です。
差別主義者に関わられなくて済めば、当事者の苦しみは縮小します。「いちいち差別はするな、許すな。あとは放っとけ」という簡単なことすら理解できずにいちいち関わってきては差別を垂れ流すから差別主義者なのですし、記者もそんなことすら理解できないから差別主義者の言い分を垂れ流すような記事を書いてしまうのです。

>「アンケートに書いたとおり、忖度(そんたく)して『差別はよくない。みんなで明るい未来をつくろう』と回答すれば、良かったのかもしれない。でも、それじゃあ本当の解決にならないですよね?」

実はそれでよいのです。
この差別主義者のような輩が何を考えていようと知ったことではありませんし、興味もありません。しかし、彼らが建前でも「差別はよくない」と言い、それに沿う言動をすれば差別はなくなり、問題は解決していきます。
繰り返し言いますが、被差別者について「気持ち悪い」と感じようが結構。差別的言動さえしなければ、実際にそのように考えているかいないかなど、他人にとっては知りようがなく、したがって何の意味も成さないのですから。
そういった内心の部分をどうにかするのは本人が勝手にやることであって、社会には何の関係も影響もありません。よって、それは本当の解決とは関係がありません。

>どうすればいいのか、簡単にこたえは出ません。
>ただ、「Bさんと会って、話して、よかったな」と思ったのは、たしかです。


で、これが締め。頭が痛くなります。20年前ならともかく、2018年にもなって差別問題を取材する記者がこれですか。
差別主義者の言い分を否定も留保もなく垂れ流し、「よかったな」。これでは「そうか、こんな記事を記者が書いて堂々と出しているということは、自分もここまでは言っていいのか」と人々に認識させ、差別を扇動することにしかなりません。差別扇動は差別扇動であって本人の思想は関係なく、つまり記者がそのような意図を持っているかいないかにかかわらず、この記事は差別扇動記事であると言わざるを得ません。
差別は極めて危険な爆発物かつ感染性汚染物であるのに、その扱い方をまともに学ぶこともなく、いい加減に扱って大爆発させたなら、それは記者の責任です。こんなことも分からないのなら、もう二度と安易に差別を取り扱うべきではありません。