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2018-09-22 の記事 - 2018-09-22
杉田水脈氏への批判は「見当外れ」 新潮45が掲載へ

話題の"そんなにおかしいか『杉田水脈』論文" 寄稿者のLGBT当事者が論文を書いた理由

「ごめんなさい」も言えないのか、この連中は

あきれ果てました。LGBTに対する無知と偏見に基づくばかりか、「生産性」などとして全方位に差別の種をまき散らした杉田氏が批判を浴びるのは当然ですし、それすらなされなくなったら社会は終わりです。思想的には在特会とほぼ変わらない自民党ですら、当然ながら同じ思想の杉田氏を処分までするわけにはいかないにしても、注意はしてお茶を濁しました。
それを、この雑誌は未だにヘイトの上塗りですか。この連中はヘイトを塗り重ねているつもりでも、実際には自らに対して恥を塗り重ねていると知った方がよろしいでしょう。

>主要メディアは戦時下さながらに杉田攻撃一色に染まり、そこには冷静さのかけらもなかった。あの記事をどう読むべきなのか。LGBT当事者の声も含め、真っ当な議論のきっかけとなる論考をお届けする。

レイシストの常套手段とはいえ、何を被害者ぶっているのか
まずLGBT差別と「生産性」論でマイノリティに襲い掛かったのは杉田氏及び新潮45の側です。差別とは人の魂を傷つけて殺すものですし、最悪の場合は実際に死者が出ることもあります。LGBTの自殺率が高いことに笑いながら言及した杉田氏はそのことを知っているはずですし、生産性で人の価値を図った相模原事件のようなヘイトクライムもすでに発生しています。
すなわち、杉田氏と新潮45はマイノリティの集団に向かって機関銃を乱射したも同然で、こんなもの各メディアから批判されない方がどうかしています。しかも、これらの批判は杉田氏や新潮45の「属性」ではなく「行為」を理由としたものであって、LGBTや「生産性」論によって他者の属性を攻撃した杉田氏・新潮45と好対照をなす、極めて正当な批判です。
「生きづらさ」も何も、それは確かに日本はマイノリティにとって問題のありすぎる社会でしょう。なにしろ、与党政治家と有名出版社がその発信力を武器にいきなり襲い掛かってくるほどなのですから。こんなものは政治が生きづらさをどうこうする以前も以前の問題で、単に「お前らはマイノリティを襲うな」の一言で済む話です。
新潮45とは一体どこまで無知なのか、あるいは恥知らずなのか。開いた口が塞がらないとはこのことです。

「良心に背く出版は、殺されてもせぬ事」。出版各社が「新潮45」批判RTの新潮社アカウントに援護射撃

新潮社内部にもまともな人がいるのか、新潮45に対して批判的ともみなせるツイートやリツイートを行い、他の出版社も援護している、という話。これを理由に新潮社内のまともな人々を称賛する声もあるようですが、私としてはそんなものは到底称賛になど値しないと考えます。
新潮45は何の罪もない人々を、LGBT差別及び「生産性」論によって思いきりぶん殴りました。それに対しては当然、当事者及び周囲の人々から「何をするんですか!」という声が上がるわけですが、それを受けて新潮45は再びマイノリティの人々をこれ見よがしにぶん殴りました。
こんな異常者に対して同じ組織の人間がやることが、新潮45の姿勢に批判的とも取れるツイートだとか、新潮を批判するツイートのリツイートですか。新潮45が拳を真っ赤にしてマイノリティをボコボコぶん殴っている最中に、遠くからポップコーンを投げているようなものではないですか
こんなものを会社の良識、自浄作用とみなすわけにはいきません。同じ組織内の狼藉に対し、せいぜいポップコーンを投げる程度の抵抗しかできないのであれば、そんな組織はすぐに差別連中に飲み込まれてしまうでしょう。新潮社の創業者・佐藤義亮氏の「良心に背く出版は、殺されてもせぬ事」の言葉を引くからには、さすがに殺されて来いとまでは言わないにしても、それを引くに恥じない覚悟は見せてもらわねばなりません。
新潮45がマイノリティを殴りつけている場面に割って入り、新潮45を全力でぶん殴り、人々に「うちの会社の者がご迷惑をおかけしました」と頭を下げてから新潮45を引きずって帰る。これくらいはできなければ、到底称賛に値する域には達しません。組織の論理だの何だのは、殴られている人々には関係ありません。

ただ、新潮だの講談社だのの醜態を見ても分かるのは、つくづくヘイトは日本において魔法の杖であるということ。
これをかざせばあら不思議、冴えない自称活動家の下に人と寄付金が集まり、字幕だらけの実にくだらない手抜き動画でも利益が出せるようになり、出版不況で悪戦苦闘していた書店では本が売れるようになり、出版社も一山当てることができ、政治家は固定的な支持層を確保できる。これが日本社会におけるヘイトスピーチの位置です。
無論、タダでそんな錬金術のようなことは起こりません。その代償として、まずマイノリティに対する差別が扇動され、マイノリティにとっては生存権すら脅かされるような社会となります。これで大金が生み出されているわけですから、その代償がどれほど大きなものとなるかは容易に想像できようというもの。しかし、どれほどマイノリティが地獄のような苦しみを味わおうとも、出版社などの「売る」方には何の打撃もないため、彼らには高い倫理観や想像力が求められるのです。
それでもなおヘイト商売をやめないでいれば、その次には自らの会社及び業界が築いてきた信頼が破壊されます。例えば私は本が好きですが、以前にとある書店でヘイト本コーナーが作られているのを見て以降、その書店チェーンでは一切何も購入していませんし、立ち入りも控えています。私は本が好きなのであって、魂を削られるために本屋に行くわけではないからです。たとえヘイト商売をやめたとしても、当面はそこで本を購入したいとは考えません。今回、これと同様に新潮の態度に激怒した人は多いのではないでしょうか。
結果、ヘイト書店やヘイト出版社から本を愛する人は立ち去り、代わりにその大半は特に本を愛してもいないレイシスト相手の商売となり、ヘイト本ブームが終わった時には焼け野原が広がるのみ。それから頑張っていい本を出したとしても、「あのヘイト出版社の本か」とみなされるだけです。
ヘイト商売とはすなわち、他人の生命や平穏な暮らしを生け贄とし、自社及び自分の業界を切り売りする行為であると認識し、この呪われた魔法の杖を手放すことができるかどうか。「良心に背く出版は、殺されてもせぬ事」の名言が何を戒めているのか、果たして彼らには理解できるでしょうか。

「新潮45」2018年10月号特別企画について

新潮社からのアナウンスが出ましたが、結局何が言いたいのか。何か書いているようで何も書いておらず、意味のある文章とはみなせません。
もし本件を本当に問題であると考えるなら、即刻それに見合うだけの極めて厳重かつ徹底的な処分を発表し、今後一切差別をしないことを会社として誓約し、態度で示すしかありません。良心に背く出版の代償は、断じて小さなものではありません。

新潮社の本を棚から撤去 和歌山の書店、新潮45に抗議

小規模の本屋さんのようですが、良い動きです。
言論は言論として認めるべきですが、差別は言論ではなくただの暴力です。書籍などを通して言論に携わろうとする者は、言論を悪用して使い捨てにし、被害者と言論の両方を同時に踏みにじる暴力にこそ敏感でなければなりません。
LGBTや○○人といった「属性」を理由として、そうした属性を持つ人々の尊厳を踏みにじり、魂を殺していい権利を持つ者などこの世にいません。差別を言論と位置付けることは、すなわち誰かが特定の属性の人々の尊厳を踏みにじり、生命や平穏な生活を脅かしても、それは自由であって別に構わないと主張しているのであり、それ自体が差別でしかないのです。
この店主の方は、おそらく真に本が好きな方なのでしょう。新潮社の創業者の言葉の意味を、書物の持つ力とその責任を、新潮社や講談社のヘイト本関係者、あるいは大手のヘイト書店の面々が寄ってたかっても到底理解できないようなことを、本を大切にしている小規模書店の店主は深く理解している、というのは極めて象徴的な図式ではあります。